母の葬儀で見知らぬ男に「お母さんには本当にお世話になりました」と言われた。私はその時、母の顔すらまともに知らなかった。事務員の私が、ただのサラリーマンの私が、母の残した借金が2億円だと知った時、人生は終わったと思った。叔父は「相続放棄しろ」と冷たく言い放ち、親戚は皆、潮が引くように消えた。途方に暮れて実家を片付け始めた私の前に現れたのは、見知らぬ7人の子供たち。そして、母の机の奥から見つけた…

母の葬儀で見知らぬ男に「お母さんには本当にお世話になりました」と言われた。私はその時、母の顔すらまともに知らなかった。事務員の私が、ただのサラリーマンの私が、母の残した借金が2億円だと知った時、人生は終わったと思った。叔父は「相続放棄しろ」と冷たく言い放ち、親戚は皆、潮が引くように消えた。途方に暮れて実家を片付け始めた私の前に現れたのは、見知らぬ7人の子供たち。そして、母の机の奥から見つけた...

母の葬儀が終わって、参列者がまばらになった頃、見知らぬ若い男が俺の目の前に立った。

「お世話になりました。お母さんには、本当に。」

男はそう言って、深く頭を下げた。俺は言葉を失った。彼は俺の母を「お母さん」と呼んだのだ。見覚えのない顔だった。親戚でもない。母の知り合いだとしても、こんな男に心当たりはなかった。

聞きたいことは山ほどあったのに、男は涙を拭うともう一度頭を下げると、人混みの中へ消えていった。

その時、俺は母のことを何も知らなかった。母がどこで、誰と、どんな風に生きてきたのか。そして、母が残したものが、単なる借金だけではなかったことを、まだ知らずにいたのだ。

俺の名前は新井達。38歳。東京の下町にある小さな物流会社で営業事務をしている独身の中年男だ。

母は新井さ子。先月、70歳で亡くなった。買い物の帰り道に倒れ、心筋梗塞だった。救急車で運ばれたが、意識が戻らないまま、3日後に静かに息を引き取った。

正直に言えば、俺は母とずっと距離を置いてきた。18歳で家を出てから20年。ここ数年は、正月に顔を出すかどうかという程度で、ほとんど実家には帰っていなかった。昔から、母とはどこかうまくいかなかった。その理由を、俺はこの年になるまで、本当の意味では分かっていなかったのだ。

母が亡くなって最初にやってきたのは、悲しみではなかった。請求書の山だった。

葬儀から2週間ほど経った頃、俺のアパートに見慣れない封筒が次々と届くようになった。銀行、信用金庫、聞いたこともない金融会社。最初は何かの間違いだと思った。だが、封筒を開けて中身を読むうちに、俺の手は震え出した。どの書類にも、母の名前が書かれていた。そして、その下に並ぶ数字の桁が、どれもおかしいのだ。

俺は一つ一つ電卓を叩いて足していった。何度やり直しても、答えは同じだった。

母が残した借金は、ざっと2億円。

質素な暮らしをしていた母が、どうしてそんな大金を借りていたのか。貯金もほとんどなく、生命保険もとっくに解約されていた。残されたのは、借金だけだった。

その日から、知らない番号の電話が夜中までかかってくるようになった。出れば決まって、「新井さ子さんのご家族の方ですね。ご返済の件で」と続く。俺は、自分のささやかな暮らしまで、母の借金に飲み込まれていくような気がした。

アパートの一室で鳴り続けるスマホを見つめながら、俺は母を恨んだ。どうしてこんなものを俺に押し付けて、いなくなってしまったんだと。

すがる思いで、母の弟、俺の叔父にあたる新井茂さんに電話をかけた。事情を話すと、電話の向こうの叔父は、しばらく黙り込んだ。

「気の毒だとは思うよ。思うけどな。そんな借金まで面倒見れんよ。うちにだって生活があるんだ。弁護士に相談して、さっさと相続放棄するか、自己破産するか、どちらかにしろ。母さんのしてきたことに、俺たちを巻き込まないでくれ」

そう言って、叔父は逃げるように電話を切った。他の親戚も皆同じだった。葬儀の時には悲しそうな顔をしていた連中も、借金の話になった途端、潮が引くように離れていった。

中には、こう言う者さえいた。

「さ子さんは、昔からよその子にばかりお金を使ってたからね。自業自得じゃないの?」

よその子。その言葉が、胸の古い傷をえぐった。そう、俺の母は、昔から「よその子」のための人だった。

俺が子供の頃、家にはいつも俺以外の子供がいた。事情があって親と暮らせない子。施設にも行き場のない子。母はそういう子を次から次へと家に引き取っては、ご飯を食べさせ、布団に寝かせ、学校に通わせていた。だから、俺の家にはいつも10人近い子供がいた。

近所の人は母のことを立派だと言った。だが、子供だった俺には、それがたまらなく嫌だった。母の手はいつもよその子のために動いていた。母の膝には、いつもよその子が座っていた。俺が学校であったことを話したくても、母はいつも他の子の世話で忙しそうにしていた。

忘れられない日がある。俺の10歳の誕生日だ。母は俺のためにケーキを買ってくると約束していた。だが、夕方になって、新しい子が一人、役所の人に連れられて家にやってきた。親に置いて行かれた、まだ小さな男の子だった。母はその子に付きっきりになり、俺の誕生日のことなど、すっかり忘れてしまった。ケーキはとうとう出てこなかった。

俺はその夜、布団の中で一人で泣いた。母さんにとって、俺はその程度の存在なんだ。本気でそう思った。

運動会も授業参観も、母が俺だけのために来てくれたことはなかった。いつもよその子を連れていた。俺は他の友達がお母さんと手を繋いで帰るのを、いつも羨ましく見ていた。

新しい子が来るたびに、母はその子の前にしゃがんで、決まってこう言った。

「大丈夫。ここにいていいんだよ。」

その言葉を、母が俺に言ってくれた記憶はなかった。

18歳になった春、俺は逃げるように家を出た。よその子で溢れたあの家から。それきり、母とはほとんど口を聞かなくなった。母は何度か手紙をくれたこともあったが、俺は満足に読みもせず、引き出しの奥に押し込んでいた。

母に会わないまま20年が過ぎた。そして母は、2億円の借金と、たくさんの謎を残して亡くなってしまった。

相続放棄をすれば借金は背負わずに済む。叔父の言う通りだ。頭では分かっていた。だが、その手続きをする前に、俺にはどうしてもやらなければならないことがあった。母の家の片付けだ。

母が暮らしていたのは、東京の外れにある古い2階建ての一軒家だった。20年ぶりに立つその前で、俺は知らない家の前にいるような気がした。

玄関のチャイムを押すと、出てきたのは腰の曲がった小柄なおばあさんだった。

「達也ちゃん。まあ、大きくなって。」

俺の顔を見るなり、目を潤ませた。節子さんと言った。75歳で、母と一緒に長い間、子供たちの世話をしてきた人だという。

家に上がると、奥から小さな足音がかけてきた。6歳くらいの女の子と、10歳くらいの男の子だ。

「この人はね、さ子先生の本当の息子さんだよ。」

節子さんがそう言うと、女の子は俺の顔をじっと見上げて、ぽつりと言った。

「さ子先生のお家の子。」

俺はうまく答えられなかった。

節子さんが台所からお茶を運んできてくれた。今この家には7人の子供がいるのだと言う。親をなくした子、育てられないと親の方から手放された子。様々な事情を抱えた子たちが、ここで身を寄せ合って暮らしている。さ子先生が倒れてから、子供たちは夜になるとよく泣くのだという。

「先生、まだ帰ってこないの?」そう言って、玄関の方ばかり見ているのだと。

家の中は、昔とほとんど変わっていなかった。広い今に大きな木のテーブル。壁には子供たちの描いた絵が貼られている。台所には大きな炊飯器と、何十人分も作れそうな大きな鍋。台所の壁には、1週間分の献立表が張ってあった。母の字だ。

今の柱に、俺はふと目を止めた。柱には、たくさんの線が刻まれていた。子供たちの背比べの跡だ。それぞれの線の横に、小さな字で名前と日付が書いてある。何十人もの名前。その柱は、下から上までびっしりと、子供たちの成長で埋まっていた。

台所から、エプロンをつけた男が出てきた。俺はその顔に見覚えがあった。葬儀の日、俺に「お母さんにお世話になりました」と言って消えていった、あの青年だ。

「来てくれたんですね。新井さんの息子さん。」

彼は悠人と名乗った。30歳。この家で育った子供の一人で、今は近くの定食屋で料理人をしているという。母が倒れてから、仕事の合間に、ここに子供たちのご飯を作りに来ているのだと、節子さんが教えてくれた。

「先生は俺がここに来た時、何も聞かずに、ただ温かいご飯を食べさせてくれました。だからせめて、俺にできることを、と思って。」

悠人は、自分も昔親に置いて行かれてこの家に来たこと。グレかけていた時期に、料理の楽しさを教えてくれたのがさ子先生だったこと。先生は「お前の作る飯は、人を笑顔にする」と言ってくれたことを、照れながら話してくれた。

俺の知らない母が、また一人ここにいた。

その夜、片付けを始めるために母の部屋に入った。タンスの引き出しを開けると、奥から古いブリキの箱が出てきた。中には、色褪せた小さなおくるみが丁寧に畳まれてしまわれていた。そして、その箱の下に一通の封筒があった。表には、母の字でこう書かれていた。

「達也へ」。

俺はその封筒を手に取った。だが、どうしても開ける勇気が出なかった。母が最後に俺に何を残したのか、それを知るのが怖かったのだ。俺は封筒を一旦箱に戻した。

その日から、俺は毎日のように家に通うようになった。最初は片付けのつもりだった。だが、いざ通い始めると、片付けどころではなかった。この家には、今も7人の子供が暮らしていた。母がいなくなって、子供たちは心細い顔をしていた。

朝になれば誰かが学校の支度で揉める。昼になれば誰かが転んで泣く。夜になれば、誰かが布団の中ですすり泣く。75歳の節子さんが、その全部を一人で抱えようとしていた。とても見ていられなかった。気がつくと、俺は子供の宿題を見たり、風呂を沸かしたり、悠人と一緒に夕飯を作ったりしていた。

節子さんは、合間を見つけては母のことを話してくれた。

「さ子先生がこの家を始めたのはね、もう38年も前のことなのよ。最初は、たった一人の子を引き取るところから始まったの。お金がなくても、まず引き受けちゃうの。そのお金を後からどうやって工面するか、それはいつも先生が一人で抱え込んでた。」

俺ははっとした。2億円の借金。あれは、そういうことだったのか。節子さんによれば、母は子供を育てるために何度も借金をしていたという。家が手狭になれば建増しをした。子供が病気になれば入院させた。高校や大学へ行きたいという子がいれば、なんとかして学費を工面した。その度に母は頭を下げてお金を借りた。返しても返しても、また次の子のために借りる。その繰り返しで、借金は膨らんでいったのだ。

俺は言葉が出なかった。母が贅沢のために借りた金など、一円もなかった。何もかも、よその子供たちのためだったのだ。

母が亡くなったという知らせは、口伝てに少しずつ広がっていった。それからの数週間、家には見知らぬ大人たちが次々と尋ねてくるようになった。みんな、かつてこの家で育った子供たちだった。30代の男、40代の女性、中には白髪の混じった俺より年上の人もいた。

彼らは仏壇の前に座ると、一目散に泣いた。そして、口々に母との思い出を語った。

「さ子先生がいなかったら、私は今ここにいません。あの頃は、本当に死ぬことばかり考えていたから。」
「殴られて逃げていく場所がなくて。そんな俺を、先生はただ家にあげてくれた。何も聞かずに、ご飯を食べさせてくれたんです。」

そして、その誰もが同じ言葉を覚えていた。初めてこの家に来た日に、母がしゃがんで言ってくれたあの一言だ。

「大丈夫。ここにいていいんだよ。」

子供の頃、俺が何百回となく聞いた母の口癖。よその子に向けられるあの言葉が、俺はずっと嫌いだった。なのに今、大人になった彼らの口から聞くと、その言葉の重みがまるで違って感じられた。母はこの言葉一つで、何十人もの子供の心をつなぎ止めてきたのだ。

中には、こんな人もいた。仕立てのいいスーツを着た、40代くらいの男だ。彼は仏壇に線香を備えると、ぽつりと言った。

「私はここに2年しかいませんでした。それでも、あの2年がなかったら、今の私はいません。先生は、私が大学に行きたいと言った時、自分のことのように喜んで、お金の工面に走り回ってくれました。後で知りました。あの学費が借金だったことを。」

借金。その言葉が、また俺の心をえぐった。母が背負った2億円は、こうして一人一人の人生に形を変えて、今も生き続けているのだ。

ある若い女性は、生まれたばかりの赤ん坊を抱いて尋ねてきた。彼女は我が子を母の家の方へそっと向けた。

「この子に、さ子先生を合わせたかった。間に合いませんでしたけど。先生、私、お母さんになれました。」

そう報告する彼女の声は震えていた。

尋ねてくる人は、みんな口を揃えていった。さ子先生は、私たちの母親だったと。俺は複雑な気持ちでそれを聞いていた。だって、母は俺の母親だ。それなのに、こんなにたくさんの人が母を自分の母だという。羨ましさと寂しさと、そしてほんの少しの誇らしさ。いろんな気持ちがぐちゃぐちゃに入り混じっていた。

その夜、俺はふと子供の頃のある記憶を思い出した。俺が高い熱を出した夜のことだ。確か7歳くらいだったと思う。その夜だけは、母がよその子の世話を節子さんに任せて、ずっと俺のそばにいてくれた。冷たいタオルを何度も額に乗せ替えてくれて、朝まで俺の手を握っていてくれた。うっすら目を開けると、母が俺の顔を覗き込んで、泣きそうな顔をしていた。

どうしてこんなことを、今まで忘れていたんだろう。俺はずっと、母は俺を後回しにしていたと思い込んでいた。だが、本当にそうだったのだろうか。俺は、自分が見たいものだけを見て、母を憎んでいただけなのかもしれない。

そんな考えが、ふと頭をよぎった。

さが、俺の服の裾を引っ張った。

「ねえ、達也おじちゃん、今日もご飯作ってくれる?」

いつの間にか、さは俺に懐いていた。俺は、自分でも不思議なくらい、この子たちのことが放っておけなくなっていた。

子供たちの笑顔を見ていると、母がどうしてこの家を手放さなかったのか、少しだけ分かる気がした。

10歳の大地は、なかなか心を開いてくれなかった。ある夜、台所で洗い物をしていると、大地がこっそり降りてきた。腹が減っているらしい。俺は何も言わずに、おにぎりを握ってやった。子供の頃、母がよく作ってくれた、あの握り方だ。

大地は警戒しながらも、それを頬張った。そして、小さな声で言った。

「…さ子先生のと同じ味がする。」

俺はドキリとした。俺の手は、母の握り方をちゃんと覚えていたのだ。憎んでいたはずの、母の味を。

大地は、二つ目のおにぎりを食べながら、ぽつぽつと話し始めた。父親にひどく殴られてここに来たこと。最初は誰も信じられなかったけど、さ子先生だけはぎゅっと抱きしめてくれたこと。

「先生、いなくなっちゃったね。」

俺は大地の頭をそっと撫でた。かける言葉が見つからなかった。ただ、この子の行場のなさが、痛いほど分かる気がした。なぜなら、俺も昔、この同じ家で、誰かのぬくもりを必死に求めていたのだから。

翌朝、大地は俺に「おはよう」と言ってくれた。たった一言だが、それがどれほど嬉しかったか。

気がつけば、俺は片付けに来たはずのこの家で、エプロンをつけて子供たちのご飯を作っていた。ここには、母の生きた証が満ちていた。憎んでいたはずの母のことを、俺はもっと知りたいと思い始めていた。

だが、現実はそんなに甘くなかった。

ある日の昼下がり、家にスーツを着た男たちがやってきた。母にお金を貸していた債権者たちだ。彼らは玄関先で、事務的な口調でこう言った。

「この家は、借入金の担保に入っています。期限までに返済の見通しが立たなければ、競売にかけさせていただくことになります。」

つまり、この家が人手に渡るということだ。そうなれば、ここで暮らす7人の子供たちは、行場を失う。俺は目の前が暗くなった。

その時、ふすまの影にさと大地が立っていた。話を聞いていたらしい。さが不安そうな顔で、俺の服を掴んだ。

「ねえ、達也おじちゃん、私たち、このうち、いなくなっちゃうの?」

俺は言葉に詰まった。「大丈夫だ」と言ってやりたかった。でも、嘘はつきたくなかった。子供たちの怯えた目が、俺の胸を強く締めつけた。

俺は急いで弁護士に相談に行った。父の借金について、正式に調べてもらうためだ。弁護士は書類の束に目を通すと、深いため息をついた。

「正直に申し上げます。総額は2億円を超えています。これだけの額をあなた一人で返していくのは、現実的ではありません。一番確実なのは、相続放棄です。ただ、あなたが相続を放棄すれば、この家は競売にかけられます。中で暮らしている子供たちは、別の施設を探すことになるでしょう。」

俺は何も言えなかった。俺の人生。確かに、母の借金を背負えば、俺のささやかな自由も夢も全部消える。それでいいのか? 俺は答えを出せなかった。

その夜、縁側に一人で座っていた。頭の中はぐちゃぐちゃだった。相続放棄をするのが当たり前の選択だ。叔父だって、他の親戚だって、みんな逃げたじゃないか。俺だけが背負う義理はない。

頭ではそう分かっていたのに、心が言うことを聞かなかった。相続放棄をすれば、この家は競売にかけられる。そうなれば、さは、大地は、あの怯えた目をした子供たちは、どこへ行くんだ。また行場をなくして、知らない場所へバラバラに連れて行かれるのか。

他人事だと割り切れたら、どんなに楽だろう。だが、俺にはそれができなかった。この家で育った俺には、子供たちのその心細さが、分かりすぎるほど分かってしまうのだ。

そんな矢先だった。ある朝、節子さんが台所で倒れた。幸い大事には至らなかったが、医者からはしばらく安静にするようにと言い渡された。75歳の体で7人の子供の世話をするのは、土台無理な話だったのだ。節子さんが入院している間、この家の子供たちの世話をするのは、俺しかいなかった。

その数日間は、生まれて初めての経験だった。朝、7人を起こしてご飯を食べさせ、学校へ送り出す。帰ってくれば宿題を見て、喧嘩の仲裁をして、風呂に入れて寝かしつける。一人で全部やってみて、俺はようやく思い知った。母がこれを38年間、毎日続けてきたのだということを。

夜、やっと子供たちを寝かしつけて、ヘトヘトになって畳に倒れ込んだ。体は悲鳴を上げていた。それなのに、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

数日後、家に一人の男が訪ねてきた。仕立てのいいスーツを着た、物腰の柔らかい男だ。健二と名乗り、今は建設会社を経営しているのだという。彼もまた、15歳の時にこの家へ引き取られた子供の一人だった。当時は手のつけられない不良で、何度も警察の世話になっていたらしい。それを母が根気強く立ち直させたのだという。

「先生がいなかったら、俺は今頃まともな人生を歩んでなかった。だから、この家のことは放っておけません。」

健二さんは、母の借金のことも競売の話も、すでに知っていた。かつてこの家で育った仲間たちに声をかけて回っているのだという。みんなで力を合わせて、この家を守れないかと。

「ただ、正直2億は大きい。俺一人が出せる額にも限りがある。仲間にも、それぞれ生活がありますからね。簡単な話じゃないんです。それでも、先生は俺たち一人一人にこう言ってくれた。『あんたは、一人じゃない』ってね。今度は、俺たちがそれを証明する番だ。」

健二さんは帰り際に、俺の肩をポンと叩いた。

「あんたも、一人で抱え込むなよ。先生の息子さんなんだから。」

その夜、俺はまた眠れなかった。母が子供たちにかけ続けた言葉。それを俺は、今まで一度も母からかけてもらった覚えがない。なのに、どうしてだろう。この家にいると、その言葉が俺自身にも向けられているような気がしてくるのだ。

片付けを続けるうちに、俺は母の机の一番奥から、古いノートを何冊も見つけた。表紙には年代が書いてあった。一番古いものは、38年も前のものだった。

中をめくると、そこにはこの家で育った子供たちの名前が、一人ずつ丁寧に記されていた。来た日、その子が抱えていた事情。そして、母がその子に願うこと。

「この子が、いつか心から笑える日が来ますように。」
「ご飯をお腹いっぱい食べさせてやりたい。」
「夜、怖い夢を見ませんように。」

一ページ、一ページが、母の祈りでできていた。記された名前は、ゆうに100人を超えていた。母は38年の間に、100人以上の子供をその腕に抱いてきたのだ。たった一人で、借金を膨らませながら。ノートには、子供たちの後のことも書き添えられていた。

「誰々は高校を卒業して就職した。」
「誰々は結婚して、子供が生まれた。」

母は、育っていった子供たちの幸せを、一つ一つ自分のことのように書き留めていたのだ。そして、所々にこんな一文もあった。

「この子の笑った顔を初めて見た。嬉しくて、涙が出た。」
「今日も無事に一日が終わった。それだけでありがたい。」

これは、ただの記録じゃない。母の38年分の日記であり、祈りであり、そして愛そのものだった。俺がずっと「よその子」に向けられていると恨んでいた、あの愛が、ここに全部詰まっていたのだ。

そういえば、葬儀に来た年配の女性がこんなことを言っていた。さ子先生は、最初に引き取った子のことを、それはもう特別に大事にしていた。その子がいたから、この家ができたんだって、いつも言っていたと。

最初の子。それは、一体誰なんだろう。俺はなんとなく、一番古いノートの一番最初のページを開いてみた。そこに書かれていた名前を見て、俺は息を飲んだ。

達也。

俺の名前だった。来た日は、38年前の冬の朝。事情の欄には、母の字でこう書いてあった。

「玄関の前に、置かれていた。」

そして、願いの欄には、たった一言。

「この子が、生きていきますように。」

俺は自分の目を疑った。どういうことだ? なぜ、俺の名前が、この家に引き取られた子供たちの一番最初に書かれているんだ。「玄関の前に置かれていた」。その言葉の意味を、頭が受け入れることを拒んでいた。

俺は震える手で、あのブリキの箱をもう一度開けた。色褪せた小さなおくるみ。誰のものか分からなかったあのおくるみ。広げてみると、隅の方に小さく刺繍がしてあった。

「達也」。

そのおくるみには、誰かが心を込めて作った跡があった。この家に俺を置いていった誰かが、最後までこれで俺を包んでいたのだろうか。そのおくるみを、母は38年間ずっと大切にしまっていたのだ。

なぜ。なぜ母は、俺のおくるみをこんなにも大事にしていたんだ。

頭の中で、バラバラだったものが一つにつながっていこうとしていた。赤ん坊の頃の写真が一枚もないこと。親戚たちが俺によそよそしかったこと。母が俺の小さい頃の話をしたがらなかったこと。柱の一番下、一番古い背比べの線の横に、俺の名前と38年前の日付が刻まれていること。

父親の顔を、俺は知らない。母は「父親は、お前が赤ん坊の頃に病気で死んだ」と、それだけしか言わなかった。だが、その墓がどこにあるのか、俺は一度も聞いたことがなかった。法事で会う親戚たちが、俺にだけよそよそしかったこと。一度酔った叔父が「お前は他の子とは違うんだから」と口を滑らせかけて、母にきつく睨まれていたこと。

まさか。そんなはずはない。

俺はふらふらと立ち上がって、今の柱の前に立った。子供たちの背比べの一番下の線。一番古いその線の横には、確かに俺の名前が刻まれていた。

新井達也。38年前の日付と共に。

膝が震えた。俺はその場に座り込んでしまった。これは夢じゃない。母は、本当のことをずっと隠していた。俺が、この家に来た子供の一番最初の一人だったということを。

俺の様子に気づいた節子さんが、そっと隣に座った。そして、ノートとおくるみを見て、静かに目を伏せた。

「節子さん、これはどういうことなんですか。教えてください。」

節子さんは、ゆっくりと首を振った。

「それはね、私の口からは言えないの。さ子先生はね、このことだけは、自分の口であなたに伝えたいって、ずっと言ってた。だから、先生はあなたに手紙を残したんでしょう。あの手紙を読んであげて。それが、先生の一番の願いだったんだから。」

節子さんは、しわだらけの手で俺の手をそっと握った。

「これだけは言わせてね。さ子先生はね、あなたのこと、それはもう大事に大事に育てたのよ。他のどの子よりも、先生にとってあなたは特別な子だった。それだけは、信じてあげて。」

特別な子。叔父たちが俺によそよそしかったのとは、まるで逆の言葉だった。

手紙。母が残した、「達也へ」と書かれたあの封筒。俺はもう、逃げられないと思った。

その夜、子供たちが寝静まった後、俺は母の部屋で一人、あの封筒を手に取った。だが、すぐには開けられなかった。手に取っては置き、また手に取る。それを、何度繰り返しただろう。この封を切れば、俺がこれまで信じてきた「自分」という人間の土台が、根底から変わってしまう。それが怖かった。

それでも、母は最後の力で俺にこれを残したのだ。逃げるわけにはいかなかった。

俺は意を決して、ゆっくりと封を切った。

「この手紙をあなたが読んでいるということは、私はもうこの世にいないのね。まず、謝らなければなりません。あなたにこんなにたくさんの借金を残してしまって、本当にごめんなさい。そのお金は全部、この家の子供たちのために使いました。一円も無駄にはしていません。でも、だからと言ってあなたに背負わせていいものではないことも、よくわかっています。本当にごめんね。

あなたに、どうしても伝えておかなければならないことがあります。私がずっと言えなかったこと。

達也。あなたは、私がお腹を痛めて産んだ子ではありません。」

俺は、手紙を持つ手が震えた。

「38年前の寒い冬の朝でした。あの朝、私はこの家の玄関の前で、小さなおくるみにくるまれた赤ん坊を見つけたの。それが、あなたです。誰が置いて行ったのか、今も分かりません。おくるみには『達也』と刺繍がしてありました。だから私は、あなたを『達也』と呼ぶことにしたの。

あのね、達也。本当のことを言うとね、あの頃の私は、生きているのが辛くてたまらなかったの。その少し前に、私は夫を病気でなくしていました。そして、お腹に宿っていた私たちの赤ちゃんも、生まれてくることができなかった。一人きりになって、私はもう生きていく理由を見失っていたの。あの冬の朝も、本当は冷たい川に身を投げるつもりで、家を出ようとしていました。

そんな時に、あなたが玄関の前にいたのです。凍えそうな顔で、それでも一生懸命に泣いていた。小さな手を握ったり開いたりして、生きようと必死だった。私はね、あなたを抱き上げた瞬間、涙が止まらなくなったの。『この子は、生きたがっている。こんなに小さな体で、必死に生きようとしている。それなのに、私は何をしようとしていたんだろう』って。

達也。あなたは、自分が私に拾われたと思うかもしれない。でも、違うのよ。あの朝、救われたのは私の方だったの。あなたが、私を生かしてくれた。あなたがいたから、私はもう一度生きようと思えた。だから私は、あなたを抱きしめてこう言ったの。

『大丈夫。ここにいていいんだよ。』」

その言葉。母の口癖。よその子に向けられていると、ずっと思っていたあの言葉。あれは、一番最初に俺に向かって言ってくれた言葉だったのか。

「それから、私は行場のない子供を、一人また一人と引き取るようになりました。あなたが私に教えてくれたから。どんなに小さな命でも、誰かがそばにいれば、もう一度生きられるということを。

あなたには、本当の親のことを黙っていて、ごめんね。何度も話そうと思った。でも、言えなかった。あなたに、ほんの少しでも『自分は本当の子じゃないんだ』と思って欲しくなかったの。あなたは紛れもなく、私の子です。私が心から欲しかった、たった一人の息子です。

覚えているかしら? あなたが7歳の時、ひどい熱を出した夜のこと。あの夜、私は生きた心地がしなかった。もしこの子がいなくなったらと思うと、怖くて怖くて、一晩中、あなたの小さな手を朝まで握って、神様に祈り続けたの。『どうか、この子だけは連れて行かないでください』って。

あなたは、他の子ばかり可愛がられたと思っているでしょうね。ごめんね。でも、本当はね、他の子を抱きしめるたびに、私はいつも、あなたを抱きしめているような気持ちだったの。あなたが、私に人を愛するということを教えてくれたのだから。

お金のことで、こんなに苦労をかけて、本当にごめんね。でもね、達也。私は一度も後悔したことはないの。あの子たちの笑顔は、どんなお金にも変えられないものだったから。そして、あなたという宝物に出会えたことも。

あなたは、私の宝物よ。一番最初の宝物。

知っているわ。あなたが私を恨んでいたこと。よその子ばかり可愛がって、自分のことは後回しにされたって。ごめんね。でも、これだけは信じてほしい。私が一番大切にしていたのは、ずっとあなただったの。あなたが、全ての始まりだったのだから。

最後に、一つだけ。あなたにお金を残せなくて、ごめんなさい。その代わり、と言ったらおかしいかもしれないけれど、あなたにはたくさんのお兄さんやお姉さん、弟や妹がいます。この家で育ったあの子たちは、みんなあなたの家族よ。あなたは、一人ぼっちなんかじゃない。どうか、それだけは忘れないで。

達也、私のところに来てくれて、ありがとう。

あなたの母より」

俺は、手紙を何度も読み返した。涙が止まらなかった。畳の上に、ぽたぽたと雫が広がっていく。俺は子供のように声をあげて泣いた。

母さん、あんたはそんなことを、ずっと一人で抱えていたのか?

俺は何も知らなかった。母がどんな思いであの冬の朝、俺を抱き上げたのか。どんな思いで俺を息子として育ててくれたのか。それも知らずに、俺はただ母を恨んで、20年も背を向けて生きてきた。

引き出しの中には、もう一つ小さな包みがあるのに気づいた。開けると、それは一枚の古い写真だった。赤ん坊の頃の写真は一枚もないとずっと思っていた。若い母が、小さな俺を抱いて、泣き笑いのような顔でこっちを見ている。裏には、母の字でこう書いてあった。

「私を、お母さんにしてくれた日。」

俺がずっと探し続けていたものは、こんなにも近くにあったのだ。母の腕の中に、ずっと。

俺はその写真を両手で握りしめた。

「母さん、ごめん。本当にごめん。あんたの愛に、俺は何一つ気づいてやれなかった。」

窓の外が白んでいた。いつの間にか朝になっていた。冬の冷たく澄んだ朝だ。きっと、あの日もこんな朝だったのだろう。母が俺を拾い上げてくれた、あの朝も。

俺は決めた。49日の法要を、この家で行うことにした。そして、その前に一つ、決めたことがあった。弁護士からもらった相続放棄の書類を、破り捨てたのだ。母が残したものから、逃げるのはやめにした。

2億の借金を背負うことになっても、母が命をかけて守ったこの家と、ここで暮らす子供たちを、俺は手放したくなかった。それが、拾ってくれた母への、俺にできるただ一つの恩返しだと思った。不思議と、怖くはなかった。この家には節子さんがいる。悠人がいる。健二さんがいる。

法要の日、家には朝から人が集まり始めた。その数は、俺の想像をはるかに超えていた。かつてこの家で育った子供たち。今は立派に大人になった彼らが、全国から駆けつけてきたのだ。会社員、看護師、保育士、トラックの運転手、小さな我が子を連れてきたお母さんもいた。みんな、母の家に手を合わせ、そして涙を流した。

これが、母の38年だ。母がたった一人で紡いできた、命の数だ。

健二さんがみんなの前に立った。

「さ子先生が残したこの家の借金のことは、みんな知ってるな。2億円だ。莫大な額だ。でも、俺たちはここで育った。先生に生かしてもらった。今度は、俺たちがこの家を生かす番じゃないのか。」

健二さんは自分がまとまった額を出すと言った。すると、一人また一人と手が上がった。

「少しずつでも出させてほしい。」
「毎月、寄付を続けたい。」
「クラウドファンディングを立ち上げよう。」

弁護士をしている仲間が債権者との交渉を引き受けると言ってくれた。建設の仕事をしている健二さんは、古くなったこの家を安く直すと受け負った。医者になった子がいた。教師になった子がいた。看護師が、保育士が、料理人が、職人がいた。

母が社会へ送り出した子供たちが、それぞれの場所で一人前になって、今、母の家を守るために力を持ち寄っている。2億円は、母がたった一人で背負った数字だった。だが、その途方もない数字を、今、何十人もの母の子供たちが分け合おうとしていた。

俺はたまらなくなって、みんなの前で頭を下げた。そして、打ち明けた。自分が38年前にこの家の玄関に置かれていた、最初の子だったことを。母の本当の子ではなかったことを。

一瞬、静まり返った。それから、白髪の混じった年上の男の人が、ゆっくりと口を開いた。

「じゃあ、あんたが。先生がいつも言ってた、最初の子か。あんたがいたから、この家ができたんだな。」

誰かがすすり泣いた。気がつくと、その場にいた全員が俺を見ていた。そして、口々に言った。

「お帰り。よく帰ってきたね。」
「あんたは、俺たちの一番上の兄貴だ。」

兄貴? 俺は生まれて初めて、そう呼ばれた。一人ぼっちだと思っていた俺に、こんなにもたくさんの家族がいた。母が残してくれた、家族が。

一人の女性が進み出て、まっすぐに俺の目を見た。

「お兄さん、あなたがいてくれてよかった。だって、あなたがいたから、私たちはこの家に来られたんだもの。あなたが最初に、母さんをお母さんにしてくれたから。」

その言葉に、俺は崩れ落ちそうになった。憎しみと孤独しかなかったと思っていた俺の人生が、母を通して、こんなにもたくさんの命とつながっていたのだ。

俺はみんなの前で、母の手紙を読んだ。あの震える手で開いた、最後の手紙を。「達也、あなたは私の宝物。一番最初の宝物。」その一文を読み上げた時、俺の声は震えた。広い今のあちこちから、すすり泣きが聞こえた。

母は、ここにいる全員にとってのお母さんだった。そして、俺にとって、たった一人の本当の母さんだった。

俺には、もう一つみんなに伝えたいことがあった。

「俺は、相続放棄はしない。この家を守っていく。母の二代目として。下手くそでも、時間がかかっても、必ずこの借金を返していく。だから、力を貸してほしい。」

そう言って、深く腰を折った。顔をあげると、何十人もの母の子供たちが、笑って頷いてくれていた。一人で背負っていた荷物が、ふっと軽くなった気がした。これが、家族というものなのか。

その時だった。玄関の方が、少しざわついた。人をかき分けて入ってきたのは、叔父の茂さんとその家族だった。あの、電話を切った叔父だ。

叔父は、今を埋める人の多さに、明らかに面食らっていた。そして、俺を見つけると、急に愛想笑いを浮かべて近づいてきた。

「いやあ、達也、大変だったな。そのなんだ、家のことだけどな。やっぱり親戚は親戚だ。これだけ義理も集まりそうなら、俺たちも相談に乗るぞ。」

俺は、叔父の顔をじっと見た。借金の話をした時、あんなに冷たく逃げた人が、寄付や集まった人の多さを見て、手のひらを返している。俺は静かに言った。

「おじさん、わざわざありがとうございます。でも、もう大丈夫です。俺には、家族がいますから。ここにいるみんなが、俺の家族なんです。」

叔父は何か言いかけて、口をつぐんだ。今にいた母の子供たちが、静かに俺の隣に立った。誰も声を荒げなかった。ただ、まっすぐに叔父を見ていた。叔父は罰が悪そうに目をそらすと、そそくさと帰っていった。

俺はその背中を見送った。不思議と、怒りは湧いてこなかった。ただ、少しだけ、かわいそうな人だと思った。母が本当に大切にしていたものが、この人には最後まで見えなかったのだから。

法要が終わる頃、俺は今の柱の前に立った。一番下の、一番古い線。38年前の日付。新井達也と刻まれたその線を、そっと指でなぞった。母が俺の小さな背を、この柱に刻んでくれた、最初の線だ。

俺はさと大地と他の子供たちを呼んで、その柱の前に並ばせた。

「よし、今日からまた、みんなの背をここに刻んでいこうな。」

さが嬉しそうに背筋を伸ばした。柱には、これからも新しい線が増えていく。38年前に俺の背を刻んだ、この同じ柱に。

それからの俺は、忙しかった。会社には辞表を出した。15年勤めた会社だったが、迷いはなかった。俺は、この家を継ぐことに決めたのだ。母が始めた、この家の二代目だ。

せつ子さんは退院して、また台所に立てるまでに回復した。悠人は自分の店を持つ夢を追いながら、今も週に何度かここの台所に立っている。健二さんは、すっかりこの家の頼れるおじさんだ。

借金はまだ残っている。一年や二年で消えるような額ではない。それでも、債権者との話し合いは少しずつ前に進んでいた。クラウドファンディングには、母の話に心を打たれた、知らない人たちからもたくさんの支援が集まった。何より、この家が競売にかけられることは、なくなったのだ。

集まった寄付は、あっという間に目標額を超えた。母の生き方に心を動かされた人が、それだけ多かったのだ。そのお金は、借金の返済と、古くなった家の修繕に当てられた。きしんでいた廊下が治り、雨漏りのしていた屋根が吹き替えられた。子供たちの笑い声が、前よりも明るく、家中に響くようになった。

その頃、俺はようやくあの手紙の束を読んだ。家を出てから、母が何度も送ってくれて、俺が読まずにいた手紙だ。そこには、特別なことは何も書いていなかった。「体に気をつけて」「ちゃんと食べてるの?」「風邪を引かないように」ただそれだけの短い手紙。でも、その一枚一枚から、母の変わらない愛情が溢れていた。俺は20年分の手紙を読みながら、また泣いた。母は、俺が一度だけ出したそっけない返事さえ、捨てずに取っておいてくれたのだ。

ある夜のことだ。寝る前に、さが俺のところにとことこやってきた。そして、上目遣いにこう言った。

「ねえ、達也お兄ちゃん。お兄ちゃんも、ずっとここにいていいの?」

俺は一瞬、言葉に詰まった。「ここにいていいの?」それは、38年前、母が俺に一番最初に言ってくれた言葉だった。何十人もの子供を生かしてきた、あの言葉。今、その同じ言葉を、この小さな女の子が俺にかけてくれている。

俺はさの頭にそっと手を置いた。そして、精一杯の笑顔で頷いた。

「ああ、お兄ちゃんも、ずっとここにいるよ。ずっと一緒だ。」

さはにっこり笑って、自分の布団へ走っていった。俺はその小さな背中を見ながら、胸の中で母に語りかけた。

母さん、俺、やっと分かったよ。あんたがこの家で何を守ろうとしていたのか。あんたが守っていたのは、家でもお金でもない。ここに来た子が、もう一度誰かに「大丈夫」と言ってもらえる場所。安心して眠れる場所。「お帰り」と「ただいま」が言える場所。それを、あんたは命がけで守っていたんだ。俺も守るよ。あんたが俺にくれたものを、今度は俺が。

あれから2年が過ぎた。家は今日も賑やかだ。相変わらず朝は戦争のような忙しさで、夜は誰かの泣き声と笑い声で満ちている。子供たちは入れ替わりながら、それでもここで確かに育っていく。柱の線は、またいくつも増えた。

借金は、まだ全部は返しきれていない。それでも、兄弟たちの支えと、たくさんの人の善意で、一歩ずつ減っている。いつか必ず返し切る。焦らなくてもいい。母が38年かけたことを、俺がこれから何年かけたっていいのだから。

この前、悠人がこんなことを言っていた。

「先生はよく言ってました。家族ってのは血じゃない。どれだけ一緒にご飯を食べたかだ、って。」

俺はその言葉が好きだ。血のつながらない俺たちが、それでも紛れもなく家族でいられる理由が、その一言に全部詰まっている気がするから。

さはすっかりお姉さんになった。ランドセルを背負って、毎朝元気に学校へ通っている。ある日、さは背比べをして、柱の一番下の線を指さして聞いた。

「ねえ、この一番下の線は、誰の?」

俺は笑って答えた。

「ああ、それはな、この家で一番最初にここに来た子の線だよ。」

「ふーん。その子は、今どこにいるの?」

「ここにいるよ。ずっと、ここに。」

窓の外には、冬の澄んだ朝の光が差し込んでいた。あの日、母が俺を抱き上げてくれた朝も、きっとこんな光だったのだろう。

母さん、あなたが残してくれたこの家を、この家族を、俺が守っていくよ。「ここにいていい」と入れる場所を、これからもずっと。

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