高級レストランの重厚な扉をくぐった瞬間、ふと懐かしい声が耳に飛び込んできた。
「あれ?もしかして…やっぱり、年男じゃない。なんでこんなところにいるの?」
振り向くと、ブランド品で身を固めた元カノ、ゆかりが笑っていた。あの日、僕を振った日と同じ、どこか見下すような目だった。
「誰?この人。」
「ああ、ほら、いつも言ってたでしょ。真面目すぎてつまらない人。」
彼女の隣には、高級スーツに身を包んだ婚約者がいた。僕は心の中で舌打ちをしたが、ここで怒りをぶつければゆかりと同じ土俵に立つことになると必死にこらえた。
「どうも。」
簡単な挨拶だけ返して、僕は自分の席に戻ろうとした。だが、ゆかりは引き下がらなかった。
「ねえ、今何の仕事してるの?聞いたわよ。私に振られた後、親が死んで大学も辞めたそうじゃない?借金まみれなんでしょ。あんたみたいな貧乏人が来るようなお店じゃないわよ。目障りだから出ていってよ。」
僕はただ黙って彼女を見つめていた。その姿は、僕がかつて愛した人とは別人のようだった。彼女の中で僕は、あの日から一切成長していない、ただの可哀想な男のままなのだろう。
「ごめん、待たせたね。仕事の連絡が長引いちゃって。」
そこに、戻ってきた僕の彼女、英子。ゆかりは彼女を見るや、さらに声を大きくして笑い出した。
「え、あなた彼女さん?待って、こんな貧乏な男を選ぶとかチョイス悪すぎるでしょ。目悪いんじゃない?」
突然の攻撃に英子は目を丸くしていた。だが、それと同じくして、もう一人、目を見開いている人物がいた。ゆかりの婚約者だ。
「ゆかり、だめだ。その方にそんな口の聞き方は…」
彼の顔は血の気が引いて真っ青になっていた。
「この方は、あの有名な料理研究家だぞ。動画も見てただろう。」
英子は、あの日、バイト先で一緒に働いていただけの同僚だった。だが、彼女は料理の才能を見いだされ、今や誰もが知る有名な料理研究家になっていた。さらに彼女の父親は、僕が勤める会社の親会社を経営する大企業の社長だったのだ。
「そういえばさっき、彼にかなりひどいこと言ってたみたいだけど、あれはどういうつもりなの?」
「あ、いや、それはですね…その、本の出来心で…」
「出来心?いい年して、そんな言い訳が通用すると思ってるんですか?父にも報告して、今後の取引を考えさせてもらいます。」
英子の冷たい声に、ゆかりの婚約者は絶望した表情で逃げるように店を去っていった。ゆかりも、その場に残って何か言おうとしたが、婚約者に無理やり連れていかれた。
「彼の魅力が分からないなんて…あなた、センス悪いですね。」
英子がゆかりに向けて放ったその言葉は、聞いていて恥ずかしいほど、でも、嬉しかった。僕はこの人と一緒にいるんだという誇らしさで胸が熱くなった。
それから数日後、驚くべきニュースが飛び込んできた。ゆかりの婚約者が、会社の金を使い込んだ容疑で逮捕されたのだ。英子の父親が婚約者の会社に話を通し、過去の取引が徹底的に調べられた結果、発覚したらしい。
さらに、ゆかりも婚約者に言われるがまま多額の借金を背負っていたという。「社長になったら全部返せるから」という、都合のいい言葉にまんまと乗せられてしまったのだ。今では朝から深夜まで働いて、返済に追われているらしい。一度、助けてほしいと電話がかかってきたが、僕は遠慮なく断った。
一方、僕の借金返済も無事に終わり、英子と正式に婚約することができた。彼女の両親に挨拶に行った時も、僕を紹介してくれた飲食店のオーナーが、元々英子の父親の部下だったという縁で、すんなり受け入れてもらえた。
そして、結婚から一年後、僕は義父の会社の副社長に就任した。覚えることは膨大で大変だが、毎日が充実している。もっと多くの人を笑顔にしたい、最初に僕が抱いたその想いを、今度は別の形で実現できるのだ。
「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
朝、妻になった英子が笑顔で送り出してくれる。そして今日の晩ご飯は、僕の大好きな煮込みハンバーグだと言った。それだけで、今日一日頑張れる。
「うん、行ってきます。もう、爆速で帰ってくるから。」
僕は、これ以上ない幸せを噛みしめながら、今日もドアを開けて仕事に出かけるのだった。



