「何するんだよ。せっかく俺の嫁が買ってきてくれたのに。嫁には謝れ。」
その声が響いた瞬間、私は床に散らばったケーキを見下ろしていた。白く輝くクリームに鮮やかな赤いイチゴ。高級パティスリーで買ってきたというそれは、もはや原型をとどめず、ぐちゃぐちゃに潰れて床に広がっていた。っきまで笑っていた家族全員が、破然とした表情で私を見つめている。
私はふっと笑った。そして、床からあるものを拾い上げ、息子の健太にゆっくりと見せた。
「ねえ、これ見ても、まだそんな態度取れるの? 」
私はなお子。55歳になる普通の主婦だ。夫の大輔と娘の前と3人で、小さな町の車屋を営んでいる。もう一人の子供である息子の健太は、すでに独立し、隣の市で一人暮らしをしている。この店は、いずれ長男の健太に任せるつもりでいた。しかし、当の本人はあまり乗り気ではないようで、むしろ妹の舞の方が「大学を卒業したら私が継ぐ」とやる気満々だった。私としては、どちらが継いでも、やる気があるならそれでいいと思っていた。
そんなある日、健太から連絡がきた。」
「来週の日曜日、実家に帰る。」しかも、彼女を連れてくるという。珍しいこともあるものだ。普段あまり実家に寄りつかない息子が、そんなことを言うなんて。何かあったのかと尋ねても、「話があるから家にいて」とだけしか言わない。
約束の日まで、私は何とも言えないモヤモヤした気持ちを抱えて過ごしたのだった。
そして日曜日の夕方、健太がやってきた。」
「母さん、ただいま。急にごめん。」そう言って、妹の舞が好きな和菓子屋のイチゴ大福を差し出す健太。しかし、私は言葉を切った。彼の後ろに見知らぬ女性が立っていたからだ。「この人は俺の彼女だよ。」そう照れ臭そうに言う健太の隣で、女性は一歩前に出て、ぺこりと頭を下げた。「初めまして。ケ太さんとお付き合いさせていただいているゆみと申します。お会いできて嬉しいです。」
それからは、家中が騒ぎになった。ケ太が恋人を連れてくるなんて、今までに一度もなかったことだ。私たちは彼女を家に招き入れ、しばらく話を聞いた。ゆみさんは健太よりも3歳年上で、営業事務として働いているらしい。2年前に友人の紹介で知り合い、交際を始めたのだとか。話しぶりは穏やかで、愛想が良く、それでいて謙虚な女性だった。30分ほど他愛もない話をした頃、突然健太が話を遮った。「ああ、えっと、今日は大事な話があって帰ってきたんだ。」そして、私たちが口を挟む間もなく続けた。「俺たち、結婚することにしたんだ。それを報告したくて。」
「うわあ、そうなのか。」嬉しさで胸がいっぱいになった。2人は照れ臭そうに笑い合っている。そして、半年後、健太とゆみさんは入籍をした。結婚式も盛大に行われ、まさに幸せの絶頂という感じだった。2人は私たちの家の近くにマンションを借り、夫婦としての生活を始めた。ゆみさんは「ケ太を支えたい」と、これまでの忙しい仕事を辞め、近所のスーパーでパートに出るようになった。そしてゆみさんは、私たち一家と仲良くなりたいと言い、パートと家事の合間を縫って、頻繁にうちへ遊びに来るようになった。「健太が好きな料理が知りたい」と言われればレシピを教えたし、大学生の舞のレポート課題をゆみさんが見てくれたりもした。良好な関係を築いていたと思う。
そんな生活が数ヶ月続いたある日、娘の舞が何か言いづらそうに口をもごもごさせて話しかけてきた。「ねえ、お母さん、ちょっと言いたいことがあって。」「どうしたの? 欲しいものがあるなら自分で買いなさいよ。」私が冗談めかして言うと、舞は何か覚悟を決めた様子で、こう言ったのだった。「ゆみさんには、気をつけた方がいいかも。」
意味が分からず、「どうして? 」と尋ねると、舞はまた口ごもり、「でも、私の勘違いかも。」と意見をひるがえし、自分の部屋に戻っていってしまった。この時は、不思議なことを言うものだと、あまり真剣に捉えていなかったのだが。この舞の不安は、適中することとなる。
お母さん、今日は駅前のカフェでランチをしませんか?

最近できたらしいんですけど、美味しいって評判なんです。
いつものように我が家にやってきたゆみさんが、にこやかにそう提案した。「たまには外に食べに行くのもいいか。」そう思った私は、その提案を承諾し、2人でカフェに向かった।ゆみさんの言う通り、ランチはとても美味しくて、次は舞も連れてこようなどと盛り上がる。食後のコーヒーも飲み終わり、会計をする段になって、ゆみさんは「あっ」と声をあげた。「私、お財布を忘れちゃって。」「あら、そうなの? いいわよ。ここは私が払っておくから。」私がそう言うと、ゆみさんは申し訳なさそうに肩を縮めて、「ご馳走様です。」と頭を下げた。
人間なんだから、忘れ物をすることぐらい普通だ。そう思っていたのだが、なんとそんなことが何度も続くようになったのだ。ランチのみならず、化粧品や日用品まで、結果的に私が支払わざるを得ない状況に追い込まれるのだ。「後日、立て替えた分は返すから。」そう言う彼女に、後日支払いを求めるのだが、「給料日前だから。」とか「次は私が払うから。」とか、言い訳を繰り返し、一度も支払われたことはなかった。
度重なる非常識な行いに、私は痺れを切らし、健太にゆみさんの行動を確かめるように頼んだ。しかし健太は、ゆみさんにベタぼれ状態で、「俺が代わりに払うから。」と一万円札を財布から数枚抜き出して渡してきただけで、ゆみさんには一言も注意をしていないようだった。さらに大輔に相談してみても、「別にいいんじゃないか。」と、取り付く島もない。大輔は昔からひよりみ主義というか、何か問題が起きても、自分だけは一歩引いたところから、収まるのを待つことが多かった。それは今回も同じことで、大輔は私がゆみさんのことを相談してからというもの、家を開けることが多くなったり
大輔にも取り合ってもらえず、孤立無援かと思っていたのだが、ゆみさんは突然我が家へ来なくなった。「あれだけ頻繁に来ていたのに、どうしたのだろう。」不思議に思ったが、来ないなら来ないで、平和な日々を送れるというものだ。
ゆみさんが来なくなってから、2週間が経った。あの非常識な行動のことはすっかり忘れて、穏やかな日々を過ごしていた。その日は、舞がサークルの飲み会に出るので夕飯は要らないと告げて出かけ、大輔も同業者と飲み会があると言っていた。だから私は、久しぶりに一人の晩餐を楽しむべく、手の込んだ料理を作っていた。「もう少しで完成する。」その時だった。玄関が勢いよく開き、バタバタと廊下を走る音が響く。「どうしたの? そんなに慌てて。」リビングに飛び込んできたのは、舞だった。「それに、今日は飲み会でしょ。」そう尋ねる私の元に、舞は自分のスマホを突きつけた。「ねえ、これ見てよ。」
私は、舞のスマホに表示されたそれを見て、血の気が引いていくのが自分でもはっきりと分かった。
そして、それからしばらくして、我が家で誕生日会が開かれることになった。誰の誕生日会かと言うと、他ならぬ私の、55歳の誕生日だった。「誕生日会を開いてもらうには、もう年を取りすぎた気もする。」しかし、ゆみさんが張り切って用意してくれたので、今更断ることもできない。誕生日会には、健太、ゆみさん、大輔、それから舞、すなわち家族全員が参加することになっていた。
その日の営業を終わらせ、全員が我が家に集まったところで、誕生日会が始まった。少し高価な出前の寿司をみんなで味わい、家族団欒をする。「ただそれだけのことだが、久しぶりに楽しい気持ちになった。」そして、寿司を食べ、お腹が落ち着いた頃を見計らって、ゆみさんが席を立った。「そろそろケーキを食べませんか? 」
ゆみさんが、高級パティスリーで買ってきてくれた誕生日ケーキ。「そうしましょうか。」「ゆみさん、私も切り分けるの手伝うわよ。」私の申し出に、ゆみさんは笑顔で首を横に振る。「いえいえ、今日はお母さんが主役なんですから、どうぞ座っていてください。」そう言って彼女はケーキを切り分け、一際大きな一切れを、私の前に置いた。
白く輝くクリームに、鮮やかな赤色のイチゴ。とても美味しそうなケーキだ。私は早速、ケーキの乗った皿を持ち上げ,そして、近くにあったゴミ箱の中に,ひっくり返した.
「あああっ。」という声が上がったかと思うと、その場にいた皆が固まっている。それからすぐに、健太が声を荒げた。「な。何するんだよ。せっかくゆが買ってきてくれたのに。ゆに謝れ。」それに続いて、大輔も私に怒鳴ってくる。「そうだぞ。嫁いびりなんて、バカな真似はやめろ。」ゆみさんは口元を手で押さえ,目をうるうるさせている。「舞と言うと,無表情で,ただその様子を見守っているような感じだ.」
「嫁いびりなんてしてないわよ。」私は怒っている健太に,あるものを見せた。すると,怒りで真っ赤になっていた顔色が,見る見るうちに青ざめていく。
健太に見せたのは,ゆみさんが書いている彼女のブログだった。しばらく前に,舞が見つけたものだ.ゆみさんのブログは,名前こそぼかしているものの,身内や知り合いが見れば分かる程度に個人情報が載せられていた.
【ケ太とゆみさんが結婚をした日から,あの家は私のものにする◦義母と義妹が邪魔◦社長の奥さんなんて最高◦あの家に女は私だけでいい◦男は全員私のもの】
などという,おぞましい言葉の数々が,書き込まれていたのだ.さらに,今日の誕生日会のことも書き込まれていた.ゆみさんは,誕生日ケーキにあらかじめデスソースを仕込んでいたようで,その部分を私だけが食べるように画策していたのだ.彼女の計画では,私にだけケーキを「まずい」と言わせ,「嫁である私が買ってきたものだから,まずいって言うんですか。」と嘘泣きし,私を落とし入れようとしたらしい.しかし,,ゆみさんのブログの存在を知ってから,ちょくちょくチェックしていた舞によって,この計画は阻止されたのだった•
すると,,目をうるうるさせていたゆみさんは,,途端に慌て始めた◦「い,,いや,,違うんです◦ちょっとしたというか,,サプライズというか,,お母さんの思い出に残るような誕生日会にしたかったんですよ•」そして,,今度はケ太に縋りかかる◦「というか,,このブログが私のものだって証拠はないですよね◦ただ状況が似ているだけで◦そうだよね,,ケ太◦」
色々と苦しい言い訳をしつつ,,ゆみさんはケ太に助けを求めている◦どうやら,,かばってもらおうとしているようだ•しかしケ太は,,怒りの矛先を今度はゆみさんに向けた◦「はあ◦スタンプで隠れてるけど,,この自撮りはどう見ても弓だろう◦お前,,まさかうちの車屋を乗っ取る気だったのか? 男は全員私のものって,,どういう意味だよ◦」ケ太は問い詰めながら,,ゆみさんの肩を掴んで前後に揺さぶった◦すると,,なぜかそこに,,大輔が割って入った◦「おい,,やめないか◦ゆみさんにも,,何か事情があったんだろう◦なお子もケ太も,,人を責められるほど聖人なのか◦」
「ああ,,これ主義の大輔が,,自ら首を突っ込んでくるなんて◦」私が反論しようとした時,,舞の手が私の右腕を掴んだ◦そして,,ケ太の腕も同じように掴むと,,舞は「2人とも暑くなりすぎ◦外で1度落ち着こうよ◦」と言って,,有無を言わさず玄関までずんずんと突き進む◦玄関を勢いよく開け,,3人で外に出た◦「なんだよ,,俺は冷静だって◦」玄関の扉が閉まるや,,ケ太が舞にそう怒鳴る◦しかし舞はそれを無視して,,再度玄関扉を開けた◦今度は,,音が鳴らないように静かに◦「すぐに戻るよ◦いいから,,黙ってついてきて。」と小声で囁く◦私もケ太も,,わけが分からないながらも,,彼女の言う通りにする◦リビングへ続く廊下を,,これまた音を立てないように3人で引き返した◦リビングの扉までたどり着いた途端,,舞は勢いよく扉を開け,,リビングへ飛び込んだ◦私たちがそこで目にしたのは◦◦◦
大輔が,,ゆみさんの体を抱きしめて,,頭を撫でている光景だった◦
「ああ,,分かってはいたけど,,実際に見るとマジで最悪だね◦」舞は吐き捨てるようにそう言った◦どうやら,,ゆみさんはここ数ヶ月の間で,,大輔と不倫関係を持つようになったらしい◦これもブログに書かれていたので,,私も舞も知っていた◦大輔が頻繁に家を開けるようになったのと同時に,,ゆみさんが我が家へ来なくなったのは,,それが理由だったのだ◦「お,,お前ら◦」ケ太の声は,,怒りに打ち震えている◦そして次の瞬間,,ケ太は,,私がゴミ箱に捨てたケーキをわし掴みにし,,ゆみさんと大輔の口に押し込んだ◦もちろん2人とも抵抗したが,,怒りに燃えるケ太に抗うことはできなかった◦すると,,ちょうどデスソースの部分が口に入ったようで,,ゆみさんも大輔も,,噎せ苦しみ,,床をのた打ち回りながら,,喉の辺りを仕切りに掻き毟っている◦もはや,,阿鼻叫喚だ◦
「大輔,,そんなにゆみさんのことが好きなら,,離婚してあげるわ◦」私がそう告げると,,ケ太も続く◦「ああ,,そうだな◦俺も離婚してやる◦」ゆみさんは,,床に転がりながら,,私たちをじろりと睨みつけた◦「じゃあ大輔が再婚したら,,私が社長夫人ってことよね◦残念だったわね◦お母さん◦」勝ち誇ったように鼻の穴を広げるゆみさん◦それから,,大輔も我に返ったように言い放つ◦「離婚してもいいけど,,お前らが出ていくんだぞ◦路頭に迷うのは,,お前らの方だからな◦」
すると,,舞が口を開いた◦「はあ◦何を言ってんのよ◦この家も車屋も,,元はお母さんの実家のものでしょ◦社長はお母さんだし,,家の名義もお母さんなんだから,,出ていくのはあんたたちでしょ◦ゆみさんは,,無職のお嫁さんになるのよ◦」
全て,,舞の言う通りだった◦ゆみさんは「何それ◦」と,,顔面蒼白になっている◦大輔も,,今思い出したと言わんばかりに,,はっとした表情に変わった◦どうやら,,ゆみさんは「実家が車屋をやっている」と聞いて,,男性である大輔が社長だと勘違いしていたようだ◦私は思わず,,ため息をつく◦すると,,ゆみさんは「嘘ですよね◦」と半分泣きながら問いかけてくる◦私は,,思いきり胸を張り,,こう答えた◦「子供たちも,,この家も,,車も,,私のものだし宝物なの◦あんたたちには,,何一つ渡さないわ◦」
それから3日後,,私もケ太も,,離婚届けを役所に提出することができた◦不倫の慰謝料などは請求しない代わりに,,即日出ていくように交渉したからだ◦大輔は,,またたく間に,,無職のおじさんになり,,住む場所も失った◦当然のことながら,,ゆみさんはそんな大輔に見切りをつけ,,即刻実家へ逃亡◦しかし,,彼女の実家には,,すでに健太が事情を説明していた◦ゆみさんは,,以前にも男性絡みでトラブルを起こしていたようで,,ついに実家に呆れられたらしく,,勘当された◦今では,,どこかの町で,,その日暮らしの生活を送っているようだ◦夢見た社長夫人になれず,,さぞ悔しい思いをしているだろう◦その調子で,,自分のしたことを反省してくれたらいいのだが◦
一方で,,私たち家族はと言うと,,今回の件でむしろ結束が固まり,,3人で家業を守っていくということになった◦光継者となることに乗り気ではなかった健太だが,,何か思うことがあったのだろう◦きっと,,以前からやる気満々な舞と手を取り合って,,頑張ってくれるに違いない◦


