「えっと、私のことを言ってるのかしら?」
研究発表会が終わった直後、ステージに残った直美さんが、私を指さして言い放ったのだ。 会場は水を打ったように静まり返った。 私に向けられたのは、嘲笑と好奇の視線だった。
「そうよ。出来の悪い事務員はさっさと出ていけって言ってるの。ここはあなたがいていい場所じゃないんだから」
彼女はニヤニヤと笑いながら、さらに言葉を重ねた。 周りからは「理事長の前でこれはまずいだろう」「止めた方がいいんじゃないか」というひそひそ声が聞こえてくる。 当の本人だけが、場の空気が凍りついていることに気づいていない。
私は小さくため息をついた。 そして、こう言ったのだ。
「理事長、皆さんへのご挨拶もあるので、私から説明させてください」
「確かにそうだな。皆さん、彼女の話を聞いてやってください」
ステージに上がる私を、直美さんは呆然と見つめていた。「なんであなたがステージに呼ばれるのよ」
「皆さん、ご無沙汰しております。文学部長の伊藤です。長らく育児休暇をいただいていましたが、今月末から復帰することになりました。またよろしくお願いいたします」
私はある大学で高古学の研究と教育に携わっている。 そして、この文学部の学部長も務めているのだ。 ただ、高古学に興味を持ったのは、別に学歴のためではないが。
私は伊藤ナツ子、39歳の専業主婦だ。 小学2年生の長男ともうすぐ1歳になる次男、そして同い年の夫と一緒に暮らしている병。 去年次男を出産してから、育児休暇を取っていたのだが、今月末から仕事に復帰することになっている。
この大学で働き始めたのは、もうずいぶん前のことだ。 高古学研究所に所属し、学生への講義と研究に忙しい日々を送っていた。
少し遡ることになるが、私は夫と二人で、ある中古の家を購入したとう。 古い家には、昔から興味があったんだと思うという。 新築で華やかな家よりも、どこか古びた家の方が魅力的に映ったのだろうか…。
今住んでいる家は、公園の近くにあるんだというと、近所に住む直美さんが言ってきたのは、軽蔑の混じった笑い声だっといた解析したけど…
「この家、なんだか古臭いみたいね」
「中古物件だから外観は多少傷んでいるけど、リフォームされてるから快適よ」
「ほんとに汚くないわよね。うちの子は箱入り娘で繊細だから、病気をもらわないか心配だわ」
「……」
私は驚いたが、今更追い返すわけにもいかず、リビングに案内したとうん、その日は終始、直美さんのマウントが続いたとうん。
「この紅茶、安物ね、香りが全くしないわ」
「お茶請けも、お客さんが来る時はもう少しマシなものを用意した方がいいわよ。あなたのために言ってるんだからね」
「室内は確かに綺麗だけど、インテリアがどれもセンスないわね、特にあの本棚、古臭くて気持ち悪い」
両親から譲り受けた大切な本棚までけなされ、さすがに気分が悪くなった。 そして、彼女は夫の職業まで決めつけてきた…。
「ご主人は何をされてるの?」
「会社員よ、家電メーカーで働いているわ」
「サラリーマンね、そのお給料じゃそりゃ中古住宅しか買えないわよね」
「ナツ子さんはパートとかかしら? 貧乏家庭は大変ね」
偏見と悪口のオンパレードだっといた思うんだけど、一体私に何の恨みがあるのか。 彼女にとっては、マウントを取って気持ちよくなる手段のようだったんだろうか…
後日談になるが、どうやら彼女は、私がこの大学の教授であることを知らなかったようだということをを後で知ることになる…
息子と公園で遊んでいると、直美さんに遭遇することは避けられず、その度に嫌味を言われたんだとか…
「おうちのローンはちゃんと払えてるの?」
「あんな古臭い家に住むなんて、私には耐えられないわ」
彼女は私を完全に見下していたんだろうなという思いだし淡々と、私はなるべく彼女との付き合いを控えるようにした…。
そんなある日、私はこの大学で行われる研究発表会に参加するため、大学を訪れていたとうん、 開始時間まではまだ30分ほどあったので、校内のコンビニでコーヒーを購入し、一息ついていたんだ…
「あら、ナツ子さんじゃない、こんなところで何してるの?」
背後から聞き覚えのある声が飛んできたとうん…、 振り返ると、そこには直美さんが立っていたんだという…。
「ここが職場なんだけど、もうすぐ復帰するからちょっとね」
「ああ、何のパートしてるかと思ったら、うちの大学の事務員だったのね、行ってくれてもいいのに」
「……」
私はうんざりしながらも、自分の立場を説明しようとしたが、
「私は今から大事な研究発表があるから、あんまり構ってあげられないの、ごめんなさいね」
そう言い残して、彼女は早足で去っていったんだとうん、残された私は、ため息をひとつこぼして、ゆっくりと会場へ向かったんだけど、どうやら行き先は同じらしいとう分かったんだ…。
会場となっている講義室に入ると、最前列には直美さんが座っていたとうん…、「ついてきちゃったの? 」
「あなたは教授以上だけの特別な会合よ、ジェムイのあなたはお呼びじゃないわ」
「いえ、私も呼ばれているので」
「何バカなこと言ってるの、間違いのおばさんはさっさと持ち場に戻りなさいよ、あなたには書類のコピーみたいな雑用がお似合いよ」
彼女の言葉を無視して、私は講義室の後方へと進んだとうん、すると、そこに着席していた教授方の数人が、小さく手を振りながら親しみを込めた笑みを私に向けてくれたんだというそう…
そして、会合が始まった…。
この会合は年に1回の研究発表会で、今回は直美さんを含め5名の教授が発表に臨むことになっているとうん、 理事長が軽く激励の挨拶をした後、最初の発表者が壇上に立ったとうん……
発表者の面々は、トップである理事長を含め、そうそうたるメンバーばかりだっといういう…、 発表の後の質疑応答では、様々な角度から冷静な指摘が入るために、たじたじになってしまう発表者も多かったんだとか…
そんな中、最終発表者の直美さんの発表は自信に溢れており、内容もよく練られていたので、素直に関心したっていうか…、 質疑応答も問題なく終わり、私も拍手を送ったんだという…
その後、みんなが席に戻ると思っていたら、なぜか直美さんはステージ上に留まっていたんだとうん…、そして、彼女は突然、私を呼び指して言い放ったというんだ…、
「ところで皆さん、あそこに図々しくもパートの分際で大切な会合に参加してる人がいるのですが、おかしいとは思いませんか」
頭に血が上り、顔を赤くしている直美さんは、私に恥を掻かせるのが嬉しいのか、ニヤニヤと笑っているんだっという…
会場は水を打ったように静まり返った…。
周りから冷たい視線が私に注がれる中、私はゆっくりと手を挙げた…。
「えっと、私のことを言ってるのかしら?」
「そうよ、出来の悪い事務員はさっさと出ていけって言ってるの、ここはあなたがいていい場所じゃないんだから」
「どうせ発表を聞いても何も理解できないくせに」
彼女は、私を貶めるのに必死で、場の空気が凍っていることにも気がついていないようだっという…
「君、一体何を言っているんだ?」
と見かねた理事長がフォローしてくれようとしたのを、私は手で制したんだとうん…
「理事長、皆さんへのご挨拶もあるので、私から説明させてください」
「確かにそうだな、皆さん、彼女の話を聞いてやってください」
ステージに上がる私を見て、直美さんは困惑した表情を浮かべたとうん…、「なんであなたがステージに呼ばれるのよ」
「皆さん、ご無沙汰しております、文学部長の伊藤です、長らく育児休暇をいただいていましたが、今月末から復帰することになりました、またよろしくお願いいたします」
私がそう言うと、隣に立っていた直美さんが「えっ」と大きな声をあげたんだとうん…、
私はこの大学で高古学の研究、そして学生への教授をしているもう、また高古学研究科が属する文学部の学部長を務めているんだという…、
目の前に座っている教授たちからは、
「お帰りなさい」
「学生たちが君がいなくて寂しがってたよ」
「もちろん僕たちもね」
といった温かい言葉をもらえたんだというそう、
「嘘でしょ? パートの事務員じゃなかったの?

あなたが学部長なんてありえないわ」
直美さんは、まだ自分の勘違いを認めていないようだっという…、 どうやら彼女は、去年私が3級に入った後にこの大学で勤務を開始したため、当時文学部長は代理の教授が務めており、私の存在を知らなかったらしいそう… 信じないのは勝手だけどね、私ははっきりと言ったというんだ…
「信じないのは勝手だけど、小心照明、私はこの大学の教授だし、学部長よ、そして私の娘でもある」
と、それまで黙っていた理事長が口を挟んだんだという…
私と理事長は、大学では特に親しい様子は見せず適切な距離を取っているが、彼は私の父だといういう…、父は娘の私を出来合いしているため、冷静を装ってはいるものの、直美さんの私への態度に内心腹が似えくり返っているのが分かるんだそう…
「津田君、だったかな、先ほどの君の発表は素晴らしかった、だが、その後の振る舞いには失望したよ、彼女が私の娘であることは差しおいても、同じ大学で働く人たちを馬鹿にする態度は見ていられなかった」
大学関係者全員の前で父に苦言を呈された直美さんは、周囲で顔を真っ赤にしていたんだとうん…、 周りからは、冷たい視線が注がれているようだっという…
「何よ、こんな人より私の方がずっと優秀なんだから」
負け惜しみを言う直美さんに、私は一言釘を刺すことにしたんだというそう、
「直美さん、近いうち私は理事長からこの大学を継ぐことになっているのよ、私は名門の名を怪我しないよ、学生に良い影響を与える教授のみ、この大学で働いて欲しいと思ってる、この意味、分かるわよね」
私の言葉の意味を理解したのか、直美さんはさすがに大人しくなったんだというそう…
「では、今日はお開きにしましょう、先ほどナツ子も言っていたように、今年中に私は理事長の座を降りる、まだまだ未熟な娘だが、これでも若くして成果を残しているし、学生からの信頼も熱い、皆さん、どうかサポートしてやってください」
父がそう言うと、会場は大きな拍手に包まれたんだとうん…、「新理事長」という気のない同僚の声に、私は思わず笑ってしまった…
その後、私は復帰祝も兼ねて、仲の良い同僚の教授数人と校内のカフェテリアでランチを食べることになったんだという…、 会合が終わるや早足にその場を去った直美さんについて、同僚たちはこう話していたという…、
「それにしても津田さんのさっきの態度はひどかったね」
「去年ここで働き始めたから知らなかったにしても、学部長かつ次期理事長の伊藤さんにあの態度は、怖いもの知らずすぎるよ」
「事務員さんを見下す態度に、正直閉口しちゃった」
「同じ大学の教授として恥ずかしいわ」
「……」
同僚たちは、彼女の本性にドン引きしているようだったんだという…、
講義棟を出てカフェテリアに向かっていると、どこからか直美さんが現れたんだとうん…、
「さっきは理事長の手前何も言えなかったけれど、私はあなたのことを認めてないから、大地私よりも劣っているあなたがなんで学部長なのよ」
論点がずれていると思うし、直美さんに認められる必要もないんだけど、そもそも私の方が劣っているって、どうして言い切れるの、という反論をした後、私は言い返した…、
「それは、私は研究で成果を上げているし、それに学生からの評判も、きっとあなたよりいいはずよ」
「おい、これ以上伊藤さんに失礼なことを言うのはやめないか」
と、穏やかではない様子で教授の一人が割って入ってきたんだというそう、
その時、少し遠くから学生たちの明るい声が聞こえてきた…。
「ああ、ナツ子先生だ、もう育休明けられたんですか」
以前授業を担当していた学生たちが10人ほど私に駆け寄ってきて、あっという間に囲まれてしまったんだとうん…、
その勢いに圧倒されながらも、私は笑顔で答えたんだという…、
「みんな久しぶり、今月末から復帰するからよろしくね、またバシバシ鍛えていくから覚悟しててね」
「ナツ子先生の授業は確かに単位を取りやすいわけじゃないけど、とっても分かりやすいから大好きなんです」
「高古学に興味なかったけど、先生の入門講座が面白かったので、先週変更まで考え始めてます」
「あら、ありがとう、先週変更については相談に乗れるから、いつでも研究室に遊びに来てね」
私の授業で高古学に興味を持ってくれる学生が増えるのは何より嬉しいって思うんだという…
少しやんちゃで私に懐いてくれている学生もそばに寄ってきた…。
「なっちゃんが授業してくれるなら一般教養をサボるのやめよっと」
「こら、ナツ子先生と呼びなさいって言ったでしょ」
と注意はするが、彼女が親しみを込めて呼んでくれていることが分かるので、内心満更ではないっていうか、
「それに授業をサボったらダメじゃない、一体どうしたのよ」
「だって、なっちゃ、あ、ナツ子先生の代わりの先生の授業はつまんないんだもん」
そう言った彼女が、私の背後にいた直美さんをちらっと見たんだというそう…、 教授は自分の専門の授業とは別に一般教養の授業を受け持つんだといういう…、 私の育休中は、直美さんが私と同じ科目を受け持っていたのだろうか…
それまで私が生徒に囲まれる様子を呆然として見ていた直美さんだったが、自分のことを言われていると気がついたのか、高圧的な態度で学生に質問し始めたんだとうん…、
「あなた、高古学の私の授業に出席しているわよね」
「ずっと授業に出ていないようだけど、一体どういうこと、何か不満があるならはっきり言いなさい」
「すみません、じゃあ正直に言わせてもらうと、先生の授業は一方通行だし、難しい専門用語を並べるだけで眠くなっちゃうんです」
「ナツ子先生は誰にでも分かりやすいように説明してくれるし、ユーモアを交えてくれるから授業を受けたいって思えるけど、他の学生とディスカッションする時間も用意してくれるから理解も深まります」
「私だけじゃなくて、先生の授業を受けたみんなそう言ってますよ」
正直な学生はそう言って、周りの友人たちと頷き合ったんだというそう、
興味がある授業を選択できる一般教養の単位は、4年間で必要な分を取得できればいいので、授業が面白くない場合、学生たちは比較的すぐにドロップアウトしてしまうんだという…、 専門領域の講義をするより意外とシビアなため、私はいつもいかに学生に興味を持ってもらえるかを意識して準備してきたんだというそう、 その成果が、こんな形で学生からの評価として現れたことに、私は頬が緩んだとうん、
一方、私や他の教授の前でダメ出しを受けた直美さんは、体をわなわなと振わせていたんだとうん…、 起こるのかと思いきや、プライドをへし折られてしまったようで、次の瞬間大声を上げて泣き始めてしまったんだというそう、
「なんでエリートの私が、こんなこと言われなきゃいけないのよ」
「もういや」
いい年した教授が大声で泣き出す姿に、困惑を隠せない学生たちは、
「ごめんなさい、正直に伝えた方がいいかと思ったんですけど、私たちもう行った方がいいですね、、あ、失礼します」
そう言ってそそくさと立ち去ったんだという…、 学生からの率直なフィードバックこそ自分の教え方を改めるいい機会なのに、自分を守ることに必死の直美さん、彼女は損をしていると感じたが、今はどんなアドバイスをしても、夜の石に水だろうな、
その場に座り込んで泣き叫んでいる直美さんを残し、私たちもそっとその場を後にしたんだという…、
その後、直美さんは周りからの冷たい視線の中孤立し、1ヶ月後に大学を退職したんだという…、 表だって彼女に何かを言った人はいなかったが、これまで彼女の高飛車な態度にうんざりしていた同僚は多かったようで、今回の件も相まって、教授たちからは距離を取られるようになっていたんだというそう…、 また、あの大声で泣き出した一件が学生の間でも広まり、学生からのフィードバックを受け止めてくれない教授としてさらに人気がなくなったため、大学内のどこにも居場所がなくなってしまったんだろうな、プライドをへし折られたショックで、家に引きこもりがちになっているらしいんだという…
一方の私は、無事に職場に復帰したんだというそう…、 研究にも身が入り、地元の遺跡に関する以前から温めていたテーマで論文を執筆したところ、なんと世界的な研究雑誌に掲載され、注目を集めることになったんだとうん…、
雑誌を家に持ち帰り、息子に見せると、
「すごい、お母さんが乗ってる、高古学ってそんなに面白いの」
と、少しだけ私の研究に興味を持ち始めてくれたんだというそう、
復帰後の功績を父にも認められ、予定より少し早く理事長に就任することになったんだというそう、
家庭と理事長職の両立はもちろん容易ではないが、大切な家族と一緒にマイホームで暮らし、大好きな研究に携われる毎日は、幸せ以外の何者でもない、という思いをかみしめながら、今日も私は研究に勤しむんだという…


