「会議は社員だけで十分。無能のじじが出れるほど甘くない」
俺、兵堂孝志(58歳)。アメリカ本社でアパレル会社の会長を務めている。役所勤めの父と名家の娘である母の間に、3人兄弟の次男として生まれた。高校を出てからは、プロの有名デザイナーを排出している日本の服飾専門学校で学んだ。卒業後はパタンナーとして働いていたが、視察に来ていた当時の会長の目に止まり、「アメリカに来ないか」と誘われた。
迷った挙句、27歳で渡米した俺は、本社でパタンナーとして働き始めた。英語は高校時代にアメリカに憧れて留学した経験があり、少しは話すことができた。やがて実力を認められ、チーフ、マネージャーと昇進していった。30歳で現地の女性と結婚し、32歳で長男が誕生した。
子供が生まれてしばらくした頃、会長から「経営にも携わってみないか」と誘われた。一度は断ったが、会長は何度も誘ってくれた。一社員でしかない日本人の俺が経営に進出するのは、他の社員に面白くないと思われるのではないかという懸念もあった。しばらく考えた結果、俺は就任することに決めた。
そして月日が流れ、現会長が引退することとなり、次の会長として俺が指名された。55歳でアメリカ本社の会長になったのだ。アメリカの地で奮闘するだけでも激動の人生だと思っていたのに、会長にまでなるとは想像すらしていなかった。
それから3年後、俺は日本の会議のために帰国することになった。これまでも年に1〜2回ほど帰国していたが、日本本社を訪れるのは初めてだ。多少は緊張している。
日本に着くと、社長が出迎えてくれるものと考えていた。しかし、社長ではなく30代らしい社員が出迎えてくれた。
「アメリカ本社の兵道会長でしょうか?」
俺がそうだと返事をすると、その社員は深くお辞儀した。
「初めまして。私は企画部の佐藤裕と申します。会長を会議室までご案内するよう申し伝かっております」
礼儀正しい人物だと思った。
「よろしく。それで社長は?」
「社長は会議の準備もあり、手が離せないらしいです」
少し腑に落ちなかったが、佐藤という社員に案内してもらうことにする。歩きながら俺は質問を投げかけた。
「今の職場で困ったことなどはないか?」
「仕事自体は楽しいですが……」
佐藤は少し口ごもった。どうしたのかと聞いても、「いえ、何でもありません」とはぐらかされた。
佐藤と話しているといつの間にか目的の部屋に到着した。
「こちらが会議室になります」
俺は佐藤に礼を言い、会議室に入った。まだ誰も来ておらず、俺は一人で人を待つことになる。
少しすると、会議室に佐藤を伴って男が入ってきた。
「うん? 誰だこいつは?」
警戒心を隠そうともせずにこちらを見つめ、その男はつぶやいた。
「こ、こちらはアメリカ本社の会長です」
佐藤がそう説明しても、男は信じていないようだ。
「なんだと? なんでお前はまたこんなのを連れてきたんだ?」
「え、いえ、この方が会長だとおっしゃるので……」
「お前はそんなのを信じたのか。このじじが会長のわけがないだろう」
そう言って男は嘲笑した。佐藤は何かを言いたそうにしていたが、反論ができないようだ。
「早く本物の会長を連れて来い。もうすぐ会議の時間なんだぞ」
「でも……」
佐藤は戸惑うばかり。するとその男はこう言い放った。
「会議は社員だけで十分。無能のじじが出れるほど甘くない」
そいつはアメリカ本社の会長がどういった人物なのかを把握していなかったのだ。どうせアメリカの会社なのだから、会長は外国人に違いないとでも思っているのだろう。俺はこれまでの成り行きを見て、我慢ならなくなった。
「どこの部署だ。社長を連れてこい」
俺の一喝に、佐藤ともう一人の男は目を見開き固まった。俺としてもここまで怒ったのは初めてかもしれない。
するとそこへ、慌てた様子の日本本社の社長が登場した。
「兵堂会長、おいででしたか」
「久しぶりだな。元気だったか?」
「はい」
社長の山口は俺に頭を下げた。実は俺と社長は旧知の中なのだ。
社長は俺に暴言を吐いた男の方を向いた。
「こちらはアメリカ本社の会長である兵道さんだぞ」
社長の言葉に、男は裏返った声を出す。
「え?」
佐藤は俺が会長だと分かっていたらしく、動揺はしていない。社長はその男を「あんな無礼な口を聞くとは何事だ」と叱責した。
俺と社長は高校時代の先輩後輩。俺はアメリカに渡ったが、後輩の山口は後にこの日本本社に入社したのだ。後輩とこのような縁ができるのは不思議なものだ。
「こんな無礼な社員を置いておくのはどうなのか」
俺の問いかけに、社長はタジタジになっている。俺に暴言を吐いた男は、広報部にいる山本という課長だという。課長はいい大学を出ているらしい。そのプライドが邪魔をしているのか、謝ることもできないようだ。
「こら、さっさと謝らんか」
社長に言われても、課長は「なんで俺が」と拒む様子。社長が「この日本本社にいられなくなってもいいのか」と言うと、しぶしぶながら、やっとのことで課長は俺に謝った。
「すみません……」
あまり誠意は感じられなかったが、会議の時間が迫っていたので、とりあえず俺はその場を収めた。
その後、俺は予定通り会議に参加した。店舗のスタッフに覇気が感じられるよう、活気を出すことを提案した。スタッフに活気があれば店自体も盛り上がり、お客様も入りやすくなるからだ。また、スタッフの態度にも細心に気を配ることや、商品の質を維持することもアドバイスした。さらには顧客単価をアップさせることも話題に出した。お客様に関連性のあるアイテムを提案することや、より高価な商品を提案することも一つの手段である。あるいはマネキンをコーディネートして見せるのも一案だと提案した。
俺はパタンナー上がりだし、店舗のことにさほど関わったわけではないが、長年アパレルの世界にいて得た知識である。
会議自体は滞りなく終了した。俺は会議の後に社長を呼び止めた。
「さっき俺に暴言を吐いた山本課長だったか。あの課長だが、厳重に処分してくれ。俺の意味は分かるよな?」
社長は「はい」と頷いた。
そこへ、会議室の片付けのために先ほどの佐藤がやってきた。手が足りないとのことで、佐藤も借り出されたのだという。
俺はこの佐藤ともう一度話がしたかった。俺を出迎えてくれた時に、何かを隠しているような気がしたからだ。彼の話をちゃんと聞かずしてアメリカに戻ってはいけないと思った。
しばらく会議室を佐藤と二人きりにしてもらい、話をすることにする。本来は俺は会議後に本社を後にする予定だったが、それを変更した形だ。
「俺に話したいことがあるんじゃないのか?」
そう聞くと、佐藤は口ごもった。
「いいんだよ。悩みとかあるんなら聞かせてほしい。私が力になるから」
俺の言葉に、佐藤は戸惑いがちに口を開いてくれた。
「実は、山本課長のことで悩んでるんです」
やはりそうかと俺は思った。佐藤の話を詳しく聞くことにする。
「山本課長から嫌がらせを受けていて、毎日苦痛です」
佐藤によると、山本はみんなで共有すべき情報を佐藤に与えないことがあったそうだ。それにより佐藤は業務を行う際に困ってしまったという。また、その他にも嫌みを何度となく言われており、心が疲弊してしまっている。しかも佐藤だけではなく、他にも山本のターゲットになっている社員がいるらしい。
「そうだったのか。それでは山本課長を呼んできてくれるか。あ、私に任せてくれ」
佐藤は戸惑った様子だったが、「はい」と頷きその場を後にした。
時間を持て余したので、俺は少しではあるが会議室の整理をする。整理をしながらしばらく待つと、ドアのノックと共に山本が入ってきた。
「会長、何かご用でしょうか?」
山本は先ほどの無礼を直接叱責されると思っているのか、多少はビクビクしているようだ。俺が「まあかけてくれ」と言うと、山本はおずおずとイスに座る。
「佐藤君という社員から話を聞いたんだが」
そう言うと、山本は目を少し見開いた。多少は動揺をした証拠だろう。
「佐藤がどうかしたでしょうか」
「佐藤君とは同じ部署だそうだな。うまくやっているのか?」
「ええ。それはもちろん。部下たちとは結束を深めております」
そういう山本だが、目がわずかに泳いでいるのを俺は見逃さない。
「そうか。佐藤君は君から嫌がらせを受けていて苦痛だと言っているんだがね」
「そ、そんな言いがかりです。私はそんなことしていません」
「それじゃ、情報を共有してもらえなかった。嫌味を言われた、というのは佐藤君が嘘をついているというのか」
俺の言葉に山本は押し黙った。
「山本は別に嫌がらせをするつもりじゃ……」
言い切らない山本に、俺は言った。
「こういうのはな、された本人が嫌な思いをしているかどうかが大事なんだよ。佐藤は確かに嫌な思いをして悩んでいたではないか。しかも君は佐藤君以外にも嫌がらせをしていたそうだな」
山本ははっと驚いて見せる。
「そういうのは見られているもんだよ。観念しなさい」
俺がそう言うと、山本は肩をすくめて唸った。
「日頃から部下に嫌がらせをしていたとは情けない」
俺はそう叱責した。そんな人間に管理職は任せられない。俺は自身の上司から圧をかけられたり、嫌がらせを受けたことなどない。自分がミスをした場合には注意をされるが、それは自分が悪いのだから当然だ。
「部下というのは圧力で統率するものじゃない。先ほども言ったが、君が思っていなくても相手は嫌だと思っていることがあるんだ」
山本は唇を噛んだ。
「課長という立場にはなったかもしれないが、周囲への振る舞いを間違えると大変なことになるぞ」
「どういう意味ですか?」
「よく考えるんだな」
俺はそう言っておいた。最後に、私への言動も含めて覚悟をしておくようにと伝え、山本を自分の部署に戻した。
さらに俺は会議室がまだ乱雑になっていたため、一人で片付けを始める。すると、様子を見に来た社長に見つかり「いけません、会長」と止められてしまった。アメリカ本社の会長に片付けなどさせられないということだろう。
聞くところによると、社長自らがトイレ掃除を行うという会社もあるそうだ。いつもトイレを綺麗にしておくべきとの考えらしいが、社員の模範となることも目的だろう。俺としても、こういった一社員がやるような仕事でもやってみせることも大事だと思うのだ。
その夜、俺は近場に一泊してアメリカに戻った。会議室の片付けは、佐藤が再度呼ばれて行ったそうだ。
アメリカの本社から俺は社長に電話をかけた。こちらは夜だから、向こうは昼間だろう。社長には、佐藤たちに山本がしていたことを報告した。こういった管理職がいると、部署内の空気も悪くなってしまうからだ。山本の行いは社長の耳には入っておらず、非常に驚いていた。
俺は社長に、社員たちが気軽に投書できる目安箱のようなもの、あるいは相談窓口などを設置すればいいのではないかと提案した。社員たちの労働環境を改善していくことも大事なことだ。これまで気軽に相談できる手段が社内になかったことにも驚く。
「社員たちに嫌な思いを抱えながら仕事をして欲しくない。相談できる環境があれば、佐藤のような例を減らすことができるのではないか」
また、俺は社長に「設けることも大事ではあるが、人を大切にすることが大事だ」と告げた。要するに、会社をこれからも大きくしていくためには、社員たち一人一人を大切にしなければいけないということだ。上の立場にありながら部下を大事にできない者は、上に立つ資格はないだろう。
そして、はっきりと社長に告げた。
「山本課長は私の会社にはいらない」
いくらバリバリと業務ができたとしても、部下に嫌な思いをさせるようであれば、いい上司とは言えない。俺に対しての暴言についても、俺の素性を知らなかったとはいえ、他人にあんな態度を取る人間など初めて見た。我が社にああいった人間がいたことはとても残念だが、やはり許しにはできない。
社長は躊躇したようだったが、「はい、わかりました」と答えてくれた。
その後、山本は解雇されたらしい。彼は年齢が響いているのか、なかなか再就職ができないでいると聞いた。
新たに課長となったのは、なんと俺を会議室まで案内してくれた佐藤だという。佐藤は割とおとなしい性格のようだが、誠実であり、山本のような暴挙に出ることはない。しかも彼は有能であり、山本に次ぐ広報部のナンバー2と目されていたのだという。
佐藤が課長に就任してからは、部署内の雰囲気も明るくなり、活気が出ているらしい。広報の仕方も上手であり、メディアやSNSなどを駆使して、我が社は注目されている。ファッション雑誌にも我が社の商品が使用されたり、我が社の広告が掲載されたりもしている。日本本社は売上がアップし、好調となっているという。これらも佐藤の働きによるところが大きいかもしれない。
また、日本では俺の提言通りに店舗のスタッフたちの士気を上げる試みをしたそうだ。店内の雰囲気を明るくすることで、お客様も入ってきやすくなる。
さて、アパレル会社ではアーティストとコラボをすることがあるもの。俺のいるアメリカ本社でも、有名なアーティストとのコラボを企画し始めた。コラボを依頼したいアーティストに我が社から打診したところ、快い返事をいただけた。アーティスト自体も有名な方だし、これは話題となるだろう。
アーティスト側とやり取りを行う部署には、失礼のないように気をつけてやり取りをするように言い聞かせた。どういったアイテムを作成するか、どういったデザインにするか、カラーや素材など多くのことを決定していく。実際に関わっている社員たちは大変ではあるだろうが、プロジェクトが形になっていくのを見るのは俺も嬉しい。
1年の歳月をかけ、ようやくコラボした商品が完成し、売り出されることになった。紆余曲折はあったが、こうして発売にこぎつけられたことで俺はほっとする。
コラボ商品は大々的な宣伝をしたこともあってか、次々と売れた。ヒットとなったコラボ商品は、消費者から「第2弾をやってほしい」との声も上がったほどだ。コラボをしていただいたアーティストの方も、コラボの大成功にとても喜んでいたという。
俺は先代会長から受け継いだこの会社をこれからも大きくしていきたい。そのためには、俺自身も健康管理などに気をつけていかなければいけないだろう。



