繁華街で初任給を握りしめ、母と彼女へのプレゼントを探していた時のこと。かつての不良仲間の近藤に偶然出会い、「女のために俺らを捨てた詫びとして、あり金全部渡せよ」と三人のチンピラに絡まれた。逃げられずにいると、買い物袋を持った、見るからに細くて貧弱そうな母が現れた。母は「お前ら、早く逃げろ」と鋭い声で言い放ち、その瞬間、手を伸ばしてきた男が後ろに吹き飛んだ。突然の出来事に呆然とする俺に、母は続…

繁華街で初任給を握りしめ、母と彼女へのプレゼントを探していた時のこと。かつての不良仲間の近藤に偶然出会い、「女のために俺らを捨てた詫びとして、あり金全部渡せよ」と三人のチンピラに絡まれた。逃げられずにいると、買い物袋を持った、見るからに細くて貧弱そうな母が現れた。母は「お前ら、早く逃げろ」と鋭い声で言い放ち、その瞬間、手を伸ばしてきた男が後ろに吹き飛んだ。突然の出来事に呆然とする俺に、母は続...

「お前ら、言うことを聞いた方が身のためだぞ。」

その男が母に手を伸ばそうとした瞬間、母の低い声が響いた。

「お前ら、早く逃げろ。」

「え?」

次の瞬間、母に手を伸ばしてきた男が後ろに吹き飛び、後ろにいた二人を巻き込んで倒れ込んだ。俺は何が起きたのか分からず、呆然と母を見つめるしかなかった。

俺の名前は伊奈斗、22歳。大学を卒業して働き始めたばかりの新社会人だ。両親は俺が幼い頃に離婚し、母一人の手で育てられた。母は俺を愛してくれていたが、父親がいない寂しさを俺はうまく処理できず、その感情を反抗に変えて周囲にぶつけるようになった。中学に上がる頃には不良たちと付き合い、喧嘩に明け暮れる日々を送っていた。母は何度も話そうとしてくれたが、当時の俺はその優しさが煩わしくて、母を無視して家に寄りつかなくなった。

そんな生活は高校に上がっても続いたが、高校2年の時、転機が訪れた。俺に彼女ができたのだ。彼女は小学校からの幼馴染みで、同じ中学・高校に通っていた鈴木美鈴。同級生も先生も荒れている俺を煙たがっていたが、彼女だけは変わらず話しかけてくれた。気づけば、彼女と話すことを楽しみにしている自分がいた。告白すると、彼女も俺のことを好きでいてくれた。だが、このままの自分では彼女に恥をかかせてしまう。そう思った俺は髪を黒に戻し、授業に真面目に参加し、不良仲間とは距離を置くようになった。

その時、母も俺のことを見捨てずにいてくれたのだと気づいた。

「お母さん、俺、彼女ができた。」

仕事から帰ってきた母に話しかけると、母は驚いた様子だったが、すぐに微笑んでくれた。

「それは良かったね。彼女のため?」

「うん。彼女のためにも、俺、これからは真面目になるから。」

「そう。彼女を悲しませちゃだめよ。」

「母さんのことも、もう悲しませないようにするから。」

照れくさくてはっきり謝れなかったが、精一杯の言葉に母は目に涙を浮かべながら嬉しそうに笑ってくれた。母は元々細身だったが、ここ数年でさらに痩せ、見るからに貧弱そうな見た目だった。そんな母にこれ以上苦労をかけるわけにはいかない。ちゃんと就職して、今まで世話になった分、楽をさせてあげたい。そう思って美鈴に頼み込んで勉強を見てもらい、奨学金制度を利用して大学へ進学することを目標にした。遅れていた勉強に、美鈴は文句も言わずに付き合ってくれた。デートといえば図書館かお互いの家での勉強ばかりだったが、俺は物覚えが良かったらしく、見事大学に合格。奨学金も勝ち取って、高校の先生たちを驚かせた。合格発表を見つけた美鈴は泣きながら抱きついて喜んでくれた。家に帰って母に伝えると、母と美鈴は抱き合って二人して大泣きするので、俺は二人をなだめるのに苦労したものだ。

大学でも真面目に取り組み、有名企業への就職が決まった。初任給をもらった俺は、母と美鈴に感謝の印として何かお礼をしたいと思い、今日は繁華街へ買い物に来ている。ここへ来るのは本当に久しぶりだった。かつての不良仲間たちがたむろしていることを知っていたので、わざと避けていたからだ。

気になる店を片っ端から入って二人に喜んでもらえるものを探し回ったが、なかなか見つからない。疲れてきた俺は、しばらく店に入らずにぶらぶらと歩くことにした。すると、進行方向から見るからにチンピラといった風体の三人組が歩いてくるのが目に入った。絡まれたら面倒だと思い、道の隅に寄って道を開けた。三人が横並びで俺の横をすり抜けようとした瞬間、そのうちの一人が俺を見て足を止めた。

「あれ?お前、伊奈斗じゃねえか?」

突然名前を呼ばれて驚き、声の主を振り返る。見覚えがあるような気がしないでもないが、名前が思い出せない。彼は確か、高校の時に付き合っていた不良仲間の一人、近藤だった。連れの男が「そいつ知り合いなのか?」と聞くと、近藤は言った。

「高校の時に付き合ってた奴ですよ。こいつ、女ができた途端にあっさり俺らとの縁を切って、いい子になりやがったんです。」

「へえ。仲間より女を取るとか、お前最低だな。」

「マジでその通りですよ。女の尻に敷かれるとかダサいっすよね。」

「正さん」と呼ばれた男はニヤニヤしながら俺に歩み寄ってきた。

「お前、いい子になったんなら、今会社かなんかやってんだろ。近藤を見捨てて傷つけた詫びとして、あり金全部渡せよ。」

「え、嫌ですよ、そんなの。」

「あ?仲間を傷つけておいて、それはあんまりなんじゃねえの?」

近藤と特に親しかったわけでもない。言いがかりもいいところだ。しかし三人は俺の前に立ちふさがり、逃げ出せそうにない。喧嘩になっても勝てるかもしれないが、今の俺はあの頃のように若くないし、荒れていた頃の自分に戻るようなことはしたくなかった。

「傷つけてしまっていたならすみません。しかし、お金は渡せません。失礼させていただきたいのですが。」

丁寧に頼んだが、彼らはニヤニヤしながら解放してくれる気配がない。

「俺の心の傷は、謝罪程度じゃ癒えねえんだよ。ふざけたこと抜かしてないで、さっさと金出せ。」

全く話の通じない三人に困り果て、ため息をついた。持っているのは母と美鈴のために使うと決めた初任給だ。こんな奴らにくれてやるつもりはない。しかし、喧嘩をしてしまっては本末転倒だ。

どうしたものかと頭を悩ませていると、後ろから聞き覚えのある声がした。

「伊奈斗、大丈夫?」

驚いて振り返ると、買い物袋を持った母が立っていた。そうだ、母の職場はこの繁華街にあったんだった。仕事が終わり、夕食の買い出しを終えたのだろう。母は俺とチンピラたちの間に、その細い体を入れて俺を背に庇った。

「母さん、危ないからどいて。」

「おい、母親にかばってもらうとか、本当に恥ずかしいやつだな。」

「息子に手を出さないで。」

その細い体のどこから出るのかと思うほど、母は大きな声をあげた。しかし三人はひるむことなく、相変わらず不敵な態度だ。

「おばさん、そんな貧弱そうな体で一体何をしようって言うんだよ。怪我したくないだろ。さっさとどいて、息子に金を出すように言えよ。俺らの言うことを聞いた方が身のためだぞ。」

そう言って男が母に手を伸ばそうとした時、母のどすの利いた声が響いた。

「お前ら、早く逃げろ。」

「え?」

次の瞬間、手を伸ばしてきた男が後ろに吹き飛び、後ろにいた二人を巻き込んで倒れ込んだ。俺は何が起きたのか分からず、呆然と母を見つめる。チンピラたちも同じように状況が飲み込めず、あっけに取られた表情で固まっていた。母は長い髪をかき上げながら、鋭い視線で三人を睨みつけていた。

「だから、逃げろって言ったじゃないか。今時の若者は言葉も理解できないのかしら。」

「母さん、大丈夫?怪我してない?」

俺が戸惑いながら問いかけると、母は笑って答えた。

「大丈夫よ。それより、伊奈斗、あんな奴らにお金渡していないでしょうね。」

「もちろん渡してないけど。」

「そう。ならいいわ。あんたはそこで大人しくしてなさい。せっかくいい会社に入ったのに、喧嘩なんかしても何の得にもならないわ。」

そう言うと、母は吹き飛ばされたチンピラたちの方へ歩いていった。

「お前、木崎組の俺らに手を出して、ただで済むと思うなよ。」

「へえ。あんたたち、木崎組なの?」

「そうだ。組の連中を呼べば、お前なんか一瞬で沈められちまうぞ。覚悟できてんだろうな。」

どうやら彼らはこの辺りで有名なヤクザのようだ。ヤクザに手を出したら大変なことになることくらい、俺にも分かる。しかし母は全く動じることなく、スマホを取り出して電話をかけ始めた。

「いっちゃん?悪いんだけど、今すぐ来て欲しいんだ。住所はね……」

母は電話の相手に現在地を知らせると、電話を切った。

「あんた、この状況で一体誰を呼ぼうってんだ?」

「来たら分かるわよ。それまで大人しくしてなさい。」

「女が偉そうに俺らに命令してんじゃねえよ。」

母の態度に切れた男が母に殴りかかった。危ない、と声をかけようとした時、母は華麗な身のこなしで男の拳を避けた。男は何度も殴りかかったが、母は全てを避け、男の方が先に息を切らして殴るのをやめた。

「くそ、ちょろちょろ逃げ回りやがって。」

「だって、あんたみたいな奴らに触られたら、私の手が腐っちゃいそうじゃない?」

「なんだと?」

母の挑発に乗った男が再度向かおうとした時、俺たちの横に黒塗りの車が急停車した。車からスーツに身を包んだ小柄な男性が降りてきて、足早に母に近づいていく。

「待たせたな、美也子。」

「いっちゃん、遅いよ。おかげでこいつらの相手をしなくちゃいけなくなったわ。」

「あ、あんた誰だ?」

突然現れた男性に、地面に座り込んだままの男が不審そうに声をかける。すると母はわざとらしく驚いた声をあげた。

「あれ?あんたたち、木崎組の人間なんでしょ?若頭のいっちゃんを知らないの?」

「木崎組の若頭?」

母の言葉を聞いた瞬間、チンピラたちは一斉に顔面蒼白になり、冷や汗を流し始めた。

「いっちゃん、こいつらのこと知ってる?木崎組って名乗ったんだけど。」

「こんな奴ら、見たことねえな。」

「やっぱりね。組の人間にしちゃ、雑魚っぽいと思ったのよね。」

「あ、あんたは一体……?」

チンピラの一人が恐る恐る母に声をかけると、母はしれっとした顔で言い放った。

「ああ、私はね、地獄蝶っていうレディースの元総長なの。」

「ちょ、地獄蝶って、あの武闘派揃いで有名な……」

チンピラたちは驚いていたが、俺も初めて聞く真実に開いた口が塞がらなかった。地獄蝶は俺の住む地域で一番有名なレディース組織で、全員女性にも関わらず男に引けを取らない強さを誇ることで知られていたからだ。まさか、あの貧弱そうな母が元総長だったとは。

「う、嘘だ。こんなひょろひょろの体で元総長だなんて。」

「人は見た目によらないって言うけど、見た目が貧弱な方が、女は強かったりすることもあるからね。」

そういえば、母は貧弱そうな見た目だが、仕事を休んだり体調を崩したりすることはなかった。わざと貧弱そうに振る舞っていたということか。

「ちなみにいっちゃんは私の従弟で、木崎組の元組長は私のおじさんなの。伊奈斗が生まれた時に、そっちの世界には関わらないようにしようと思って、今まで伊奈斗にも秘密にしていたんだけどね。」

母は俺に向かって、そう言うと「今まで隠してて悪かった」と謝ってくれた。母が俺のことを思って秘密にしていたことは理解できるし、そうしておいて正解だったと思う。もし俺が荒れている時にこのことを知っていたら、木崎組に入ろうと思っていたかもしれない。母は秘密にすることで、俺のことを守ってくれていたのだ。そのことに感謝し、俺は母の謝罪をすんなりと受け入れた。

「さて、いっちゃん。こいつら、どうする?私としては、そっちに引き取って欲しいんだけど。」

「もちろん、こっちで処理させてもらうさ。勝手に組の名前を語られたんだ。このまま許しておくわけにはいかねえよ。」

「木崎組を語ったのは近藤だけだ。俺は関係ない。」

「おい、お前も乗っかってきたじゃねえか。」

母と男性のやり取りを聞いてチンピラたちが騒ぎ始めたが、男性が威圧感のある声で一括した。

「誰が言ったとかどうでもいいんだよ。お前ら全員共犯に決まってんじゃねえか。組の名前を語るだけでなく、俺と組長の親族に手をあげようとしたんだ。五体満足で帰れると思うなよ。」

「申し訳ございませんでした。まさか木崎組の身内の方とは知らなかったものですから。」

「じゃあ、組の名前を語って素人に迷惑をかけるのはいいっていうことか?」

「いえ、決してそういうわけでは……」

「近藤、お前のせいでとんでもないことに巻き込まれちまったじゃねえか。覚えておけよ。」

「そ、そんな、俺はただ伊奈斗を知ってたってだけで……。」

「その母ちゃんがやばいやつだって、俺らに言わなかったお前のせいだ。」

「それは俺も知らなかったんですよ……」

母の従弟の男性が連れてきた部下たちによって車に乗せられるまで、チンピラたちはお互いに罪のなすり付け合いを繰り広げていた。車に乗せられる瞬間も抵抗して謝罪していたが、木崎組の男たちは聞く耳を持たずに押し込んだ。

「呼んでくれて助かったよ。最近、ここらで組の名前を語って素人にちょっかいをかけている奴らがいるって報告が上がってたんだ。きっとあいつらだろう。」

「あいつらが本当に組の人間だったら、私がボコボコにしちゃったらかわいそうだと思ったのよ。おじさんにも悪いしね。」

「おいおい、美也子はもう一般人なんだから、あんまり暴れたりすんなよ。」

「分かってるわよ。」

二人のやり取りを黙って聞いていた俺に、母の従弟の男性は去り際に声をかけてくれた。

「美也子に止められていたから、今まで会うことはなかったけど、君がもし今後困るようなことがあったら連絡してくれ。俺たちは家族だからな。」

「ありがとうございます。俺、兄弟もいないし、家族は母だけだったので、とても嬉しいです。」

「いっちゃんに懐いたらダメだからね。」

母の言葉を聞いて男性は笑いながら「こっちの世界に引き込むつもりはない」と言い、車に乗り込んで去っていった。

その後、母が仕入れた情報によると、近藤たち三人組は木崎組の事務所に連れて行かれ、迷惑料として一人1000万円を請求されたそうだ。そんな金はないと支払いを拒否すると、組長から「臓器を売りさばいて金を作るか、地方に出稼ぎに行くか選べ」と言われたらしい。命あっての物種だと思った三人は働くことを決意し、今は山奥にある木崎組所有の工場で強制的に働かされており、支払いが終わるまで逃げられない状況に陥っているとのことだ。

俺はと言うと、あの後、無事に母と美鈴へのプレゼントを購入し、渡すことができた。二人はとても喜んでくれ、母は美鈴を夕食に招待して、三人で楽しい食事会をした。俺は楽しそうに話す二人を見つめながら、仕事に慣れてきたら美鈴にプロポーズしようと心に決めたのだった。母の正体には驚かされたが、今まで女手一つで俺を育ててきてくれたことに変わりはない。母が何者であっても、母に対する感謝の気持ちが消えることなどないのだ。俺はこれからも母のため、美鈴のため、そしてこれからの自分の人生のために、一生懸命働いて頑張っていこうと思っている。

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