伊藤課長がS社の社長に握手を求めた瞬間、俺は思わず目を見開いた。なぜこんなにも偉そうな態度を取れるのか。俺は伊藤の一歩後ろを歩き、ただの同乗者として振る舞っていた。S社の社長が応接室で待ち受ける中、伊藤は自信満々に「こいつはただの運転手ですが、勉強がてら同席させます」と俺を紹介した。
帰ったら説教してやろうかと思ったが、俺は少しだけ彼の振る舞いに流されてみることにした。名刺を差し出すと、社長が目を輝かせた。「やっぱり坂口君か。久しぶりだね」と。
俺は坂口み崎、42歳。父が日本人、母がアメリカ人のハーフだ。幼少期をアメリカで過ごし、日本で高校に編入、大学で経済を学んだ。父の仕事の関係で17年もの間海外駐在を務め、帰国後は営業部長のポストを与えられた。しかし、その昇進を快く思わない者がいた。営業2課の課長、伊藤たけしだ。彼は30歳にして課長に抜擢されたエリートで、俺の存在を快く思っていないのは明白だった。
営業部には海外取引を担当する営業1課と、国内取引に限定された営業2課がある。伊藤は俺の返り咲きを嫌い、営業2課の社員を使って営業1課の書類を隠すような嫌がらせを繰り返していた。書類が見つからずに騒ぐ社員に、俺は笑いをこらえる営業2課の社員を指さした。「昨日遅くまで残業していただろう。何をしていたか俺は知っているぞ」と声をかけると、彼は顔色を変えた。
「書類ならシュレッダーボックスの中にあるだろう」と言い当てると、部下が慌てて箱から書類を見つけ出した。営業2課の社員は白状し、伊藤課長の指示だったと認めたが、俺はあえて報告はしなかった。退職する社員まで出たが、伊藤の差し金であることは明白だった。
ある日、伊藤が俺に面談を申し込んできた。「S社との契約が難航していて、部長に同行していただきたいんです」と。S社は美容業界で急成長している会社らしく、伊藤はその契約を自分の手柄にしようと企んでいた。俺は彼の手の内を知るため、同行を承諾した。
S社への移動中、伊藤は俺の車の後部座席に偉そうに座り、まるで俺が運転手であるかのように振る舞った。応接室に着くと、伊藤はS社の社長に握手を求めた。が、その瞬間、社長と目が合った。「坂口君、久しぶりだね」と社長が言った。俺は彼の顔を思い出した。15年前、イギリスのエステ日本法人群当だった城の内さんだ。
城の内社長は英語で話し始めた。「この坊っちゃんは英語が分からないようだな。この取引で、彼は金を出せば安い価格で商品を融通してやると言ってきた。断ったら泣き落としまでしてきたんだ」と。伊藤は英語が分からず、あ然としていたが、俺の表表情が険しくなるのを見て怖えた。
「城の内社長、大変申し訳ございません。この取引は続行できません」と俺が言うと、伊藤は慌てて「待ってください!」と叫んだ。「この取引が駄目になったら関連会社との契約もできなくなってしまう」と。
伊藤はS社との契約が取れれば、関連15社との取引も独り占めするつもりだったのだ。そして、そのためにS社に100万円のワイロを要求していた。城の内社長がスマホの音声ファイルを再生すると、伊藤が「100万円出せば契約金額から20%引きで永久に融通する」と要求する声が流れた。
「伊藤さん、本当ですか?」と問い詰めると、彼は必死に否定したが、証拠は揃っている。俺は彼を応接室から引きずり出し、車に乗せた。
「100万円の仮払い金はどうしたんだ」と問うと、伊藤は何も言わない。実は以前から警理部から、伊藤課長が仮払い金100万円を半年以上も返済しないでいるという相談を受けていたのだ。退職した社員が「伊藤と一緒にいたら、近いうちにギャンぶるで丸裸にされそうだ」と泣きながら漏らしていたのも思い出した。彼は会社の金でギャンブルに走り、その穴埋めのためにS社にワイロを要求していたのだ。
営業1課や俺を陥れようとしていた嫌がらせも、この100万円の使い込みをうやむやにしようとしたものだったのかもしれない。
俺は城の内社長に告発を促し、会社も警察に届け出た。伊藤は解雇され、ニュースにもなったため、再就職先が見つかることはないだろう。その後、営業2課は解体され、営業部は一本化された。城の内社長からは改めて取引の申し入れがあり、今回はクリーンな状態での大が口取引となった。営業部長として立て直しを図る中、本部長への昇進の話も来たが、俺は固辞して営業部長に留まることにした。
あと何年この会社で働けるか分からないが、これからもエキサイティングな毎日を目指して頑張っていくつもりだ。



