離婚届を置いて実家に戻ってきたその夜、私は自分の部屋の布団の中に元夫がいるのを見て悲鳴をあげた。
「ちょっと、何してるの?! 気持ち悪い! 早く出て行って! 」
そう叫ぶ私に、元夫はニヤニヤしながら言った。
「そんな顔しないでよ。君の帰る場所は、俺の腕の中だろう」
逃げ出そうとしたのに、腕を掴まれて引き戻される。布団の中に引きずり込まれそうになった瞬間、私は必死に叫んだ。
「ふざけないで!

やめて! 」
「あの人には感謝しなきゃな。こんな機会を作ってくれたんだから」
そう言って元夫の顔が近づいてきた。私は恐怖で頭が真っ白になった。
話は少し前に遡る。私は結婚して五年になる専業主婦だった。いや、もうすぐ独身に戻るはずだった。私は名前を書いた離婚届を残して家を出てきていたのだ。
離婚を決意した理由は、よくある話。義母からの嫁いびりだった。それまでは夫の大輔とそれなりにうまくやっていた。しかし一年前、義父が亡くなり義母との同居が始まったことで状況が一変した。
義母は典型的な古い考えの持ち主だった。
「家のこと、夫のこと、親のこと、全ては女であり嫁であるお前がやるんだ。嫁というのは旦那様とその親御さんに仕える飯使いなんだよ。それができないなら、お前はこの家にはいらないよ」
それが口癖だった。確かに私は専業主婦だったので、家事や大輔の世話はできる限りやっていた。しかし「掃除の仕方が気に食わないから最初からやり直し」「味付けが好みじゃないから全部捨てた」など、義母の価値観だけで否定され続けた。私が反論すれば決まって、あの口癖を言われる。ひどい時は亡くなった義父を持ち出してきた。
「私は長年連れ添った旦那を失ったばかりなんだよ。そんな老人のちょっとした望みすら叶えられないのか。お前には人の心はないのか」
一つ一つは些細なことでも、無限に続けばこちらも参ってしまう。最初の頃は義父を失った精神的不安からだろうと我慢していた。しかし半年経っても嫁いびりは止まらない。それどころか、義母は私が苦しむ姿を見て喜んでいた。単純に私のことが嫌いなのだろう。毎日続く暴言とヒステリックに、私の心はすり減っていった。
そして、ついに離婚を決意するきっかけが起きた。もう義母の嫁いびりに耐えられないと思った私は、大輔に相談しようと決めた。大輔からすれば実の母親を悪く言われるようなものだから、それなりの証拠が必要だった。私は義母の暴言を録音し、スマホを設置して暴挙を録画した。十分な証拠が揃った私は、大輔を外に呼び出し、誰にも聞かれないようホテルで話し合いの場を設けた。
大輔は久しぶりの夫婦の時間とばかりに浮かれている様子だった。義母の問題さえ解決すれば、これからいくらでも時間は取れる。そう思っていた。
ホテルの一室で事情を説明し、証拠を全て見せた。大輔から出てきた言葉はあまりにも軽かった。
「まあ、姑ってそんなもんでしょ」
そのまま私をベッドに押し倒そうとしてくる。私は突き離して声を荒げた。
「そんなもんでしょ、で済ませないでよ! 私があなたに助けを求めているのが分からないの? あなたから暴言をやめるように言ってくれるだけでも、大きく変わるのよ!
」
私が息を整えていると、夫がボソボソと言い始めた。
「母さんは、なお子にとっては悪い人かもしれない。でも俺にとってはいい人なんだ。別々に住んでいた時も毎日電話をくれたしさ。本当に俺のことを愛してくれているんだ。だから、なお子に嫉妬しているだけだよ」
毎日電話? そんなことをしていたのか。この時、初めて大輔が超がつくほどのマザコンだと知った。
「だからさ、許してあげてよ。なお子さえ我慢してくれれば、全て丸く収まるんだよ」
私に我慢しろというのか。それは大輔にとって都合がいいだけだ。心が日に日に削られていくのを感じた。もう我慢ならなかった。翌日、私は名前を記入した離婚届を机に叩きつけた。義母は拍手をして「さっさと出て行け」と叫んでいた。大輔は納得いかない様子だったが、私の知ったことではない。こうして私は実家に戻ってきた。
実家に戻った私は、結婚前に貯めていた貯金があったので、しばらくは生活に困らなかった。いずれ働かなくてはと思い、近所のドラッグストアでパートを始めた。久しぶりの仕事だったが、いい人たちに恵まれ、充実した日々を送っていた。
そんなある日、棚卸しのため遅くまで店に残ることになった。家に帰ると日付が変わろうとしていた。疲れ切った体は、シャワーより布団を求めていた。自分の部屋に入り、荷物を置いて布団をめくった時だった。
「いやあ、もう一度一緒に寝たくて来ちゃった」
疲れすぎて幻覚を見ているのかと思った。しかし、布団の中にいた大輔は私の手首を掴んで引きずり込もうとする。知っている人物とはいえ、部屋に男がいる恐怖で、生まれて初めてと言っていいくらいの悲鳴をあげた。パニックになった私は手足を振り回して、大輔を近づけさせなかった。悲鳴で目覚めた家族が部屋に集まってきた。父は大輔の姿を見て怒りを露わにする。
「お前、なんでうちにいるんだ! どこから入ってきた! 」
「え?
どこからでも構わない! 早く警察を呼ぶんだ! この変態を牢屋にぶち込んでやる! 」
母も頷いて電話をしようとした――その時だった。
「待って」
それを止めたのは、私の姉・とみだった。
「みんな大げさね。警察なんて呼ばなくて大丈夫よ。だって、彼をこの家に入れたのは私だもの」
姉の発言に、私も両親も困惑した。そんな私たちを見て、姉は得意げに説明を始めた。
姉の話をまとめるとこうだ。私が実家に戻ってきた数日後、大輔から姉に連絡が来たらしい。
「なお子が離婚届を置いて家を出て行ってしまったんですが、僕はなお子と別れたくないんです。お姉さん、なお子を説得してくれませんか」
そんな内容のメールだった。姉は大輔と後日会っていた。そして姉は、私の味方とはほど遠かった。姉は自分が絶対に正しいと信じ込んでいる上に、お節介焼き。しかもありがた迷惑なことがほとんどという、極めて残念な性格をしているのだ。学生の頃も、頼んでもいないのに興味のない男性を紹介してきて「絶対に付き合ったほうがいい」と無理やりくっつけようとした。私が断ったり振ったりしようものなら大激怒だった。
「私があんたのことを思って紹介してやってるのに、なんで別れるの?
私のメンツを潰したいの? 」
そんな理由でネチネチと何日も言われ続けた。こんな姉と一緒にいるのが嫌で、私は大学進学と同時に家を出た。私の離婚に関しても、姉は「女はバツをつけるべきではない」という考えで反対だったようだ。
姉は大輔にこう提案したらしい。
「じゃあ私が両親の目を盗んで、大輔君を家の中に入れてあげるわ。それでなお子の部屋の布団で、なお子の帰りを待つの。なお子だってなんだかんだ言って、あなたに未練があるはずよ。布団の中でいいムードを作って、勢いに任せちゃえばいいのよ。運良く子供でもできれば、離婚も撤回されるはずよ」
はあ。姉は何を勝手なことを言ってくれているんだ。私は腹が立って、心の声をそのまま口に出していた。
「離婚に反対だとか、子供でも作ればとか、勝手なことを言わないで。そんな理想があるなら、人に押し付けるんじゃなくて自分で叶えればいいじゃない」
それを聞いた姉は、みるみる顔を赤くして怒鳴った。
「何それ! せっかく親切にしてあげているのに、恩を仇で返すわけ! 私の彼氏とか関係あるの!
今はあんたの話をしているんでしょうが! どうして人の善意を素直に受け取れないの? 誰が悪いの? 私のせいなの?
違うわ! お前が不幸なのが悪いんだ! 」
私も言われっぱなしではいられなかった。
「親切? 善意?
違うわ。姉さんのやってることはただのありがた迷惑よ。自分の価値観で私を測らないで。姉さんがどれだけ質の悪い人間かも、大輔が超がつくマザコンだってことも知らないくせに。結婚もしたことない姉さんに、離婚についてとやかく言われたくないのよ」
ここまで言って、私はまずいと思った。姉との喧嘩は何度もしたことがある。そして、この後の展開を知っている。私は急いで大輔のそばの布団を奪い取り、全身を守るように布団を広げた。大輔が不思議そうに私を見た瞬間、それは始まった。激昂した姉が、バッグ、本、ペン、スマホ、化粧ポーチ、何でも周囲にあるものを叫びながら投げつけてくるのだ。これがあるから、姉とは喧嘩したくない。年配の両親では姉を止めることは難しい。幸い、私は布団で衝撃を緩和できていた。しばらくこのまま耐えていれば、姉も落ち着くはず。そう思った瞬間、すぐそばから「ごつん」という音と、大輔の鈍い声が聞こえてきた。姉が投げたリモコンが、大輔に命中したらしい。さすがの姉も、大輔が倒れたので物を投げるのをやめた。私と両親はうずくまる大輔に近寄り、怪我の具合を確認した。外傷はないようだったが、万が一があってはいけないと救急病院に連れて行くことにした。結果的に大輔は大した怪我ではなかった。タクシー代を渡して大輔を帰らせ、私は父の車で病院から帰ることにした。帰宅中、私は考えていた。これからどうすればいいのか。義母のせいで自責の日々を送り、耐えられず逃げてきたのに、今度は姉の手によって再び地獄に戻されそうになっている。義母という悪魔がいて、姉という悪魔もいる。もう離婚を撤回することは絶対にないけれど、離婚後も姉という悪魔が待っているのか。その時、私の脳裏に電流が走った。そうか。その手があったか。
翌日、私は姉に昨日のことを謝った。私が悪かったと謝った途端、姉は自分が絶対的に正しいという自信を取り戻したのか、笑顔で「分かったらいいのよ」と機嫌を良くしていた。姉が気分良くなっているうちに、本題に入ることにした。
「でもね、姉さん。私も大輔との離婚を取りやめたいんだけど、お母さんが許してくれないの。それに、許してくれても以前のようにいびられるようになったら、また離婚したくなっちゃうかもしれない。だからね、思ったんだけど……姉さんがお母さんを説得してくれないかな? 」
姉が軽快な顔をし始めた。
「だってね、姉さんの話って説得力すごいじゃない? 私は話すのが下手だから、なかなかお母さんを説得できないけど、姉さんにならそれができると思うの。そうすれば、私も大輔と……ああ、姉さんの言う通りにしてよかったって思える日が、きっと来ると思うの」
姉は私の言葉に耳を傾け、少しずつ顔が誇らしげになっていった。つまり私の作戦とは、義母に姉をぶつけることだった。
「分かったわ。妹のあなたが困っているのだもの。お姉ちゃんの私が正してあげなくちゃね」
姉がお調子者でよかった。毒を持って毒を制す。どちらも絶対に折れない人間なのは、私が嫌というほど知っている。あの二人が体当たりしたらどうなるのか、楽しみで仕方なかった。
数日後、姉と義母の話し合いが喫茶店で行われることになった。姉から大輔に「なお子とよりを戻すために、私があなたのお母さんを説得してあげる」と言うと、すぐにセッティングされたらしい。現地には、すでに義母と大輔が到着していた。私は大輔に一通のメッセージを送った。
「急な腹痛でコンビニのトイレからしばらく出られそうにない。先に始めていて」
もちろん嘘で、私は変装してすでに喫茶店に待機していた。くだらない罵り合いが繰り広げられるのは目に見えている。そんなことに巻き込まれたくなかった。話し合いが始まった最初の頃は、何を話しているのか分からなかった。彼らは意外にもマナーを守って、周りに聞こえないように話していた。しかし、そんなのも数分の間だけだった。次第に「誰がそんな薄のろだ」「お前が妹をいびってるんだろう」「ママのことを悪く言うな」と声が聞こえてくる。周りの客も、あちこちから視線を向けていた。それでも二人はヒートアップしていく。そしてとうとう、姉が「図に乗ってんじゃないわよ、このクソババア! 」と言って、ケーキを義母に投げつけた。ああ、ついに姉の悪い癖が出てしまった。義母は鼻と口、首元に生クリームがべったりついている。しかし義母もやられっぱなしではなかった。同じようにケーキを姉に投げつけ、その上コーヒーまでかけた。ケーキをかわした姉の後ろから、「きゃあっ」と声が聞こえた。姉はケーキを回避したものの、コーヒーでびちょびちょになっていた。義母と姉は、互いに机の上を見て、水の入ったコップを掴み、ぶっかけ合う。ついには互いの首もとに掴みかかり、引っ張り合っていた。大輔が止めようとするが、突き飛ばされて地面に尻もちをつき、テーブルに頭をぶつけていた。さすがに店員も見かねて、警察を呼んだようだ。警察に連行されていく姉と義母。予想以上の光景だった。この光景を見て心の底から笑いたかったが、喫茶店だったので我慢した。
後日、義母は厳重注意で済んだが、精神病院に入院することになった。警察の取り調べでも大暴れしたらしく、医者に見てもらった結果、入院した方が良いということになったらしい。大好きなママがいなくなった大輔は、それから見る見る痩せ細っていき、私に再婚を迫るようなこともなくなった。姉は運の悪いことに、賠償金まで請求されることになった。相手は店ではない。あの時、姉が避けたケーキに当たった人物が、近所の金持ちだったのだ。その人の服やアクセサリーが生クリームで汚れ、使い物にならなくなったらしい。噂では五百万円ほど請求されているとか。両親は少し悲しんでいたが、「自業自得だ」と言っていた。ともあれ、私は自由を手に入れることができた。人に気持ちを押し付けてばかりいるとどうなるのか、話し合いとは一体何なのか、私は学んだ気がした。
――それから時は流れ、私は再婚し、今度は夫の大輔と賃貸マンションで二人暮らしをしていた。私はフリーランスのエンジニアとして働き、大輔は会社員。休日には大輔が家事を手伝ってくれる、穏やかな生活だった。大輔とは共通の友人の紹介で出会った。顔立ちが整っていて、大らかで優しい性格。好きになるのに時間はかからなかった。友人期間を経て私から告白して交際を始め、その一年後に逆プロポーズをして結婚した。これまで大輔に不満を感じたことはほとんどなかった。ただ、優しいがゆえに頼みに弱くて流されやすいところがあり、無理なことでも断れないのがたまに傷だった。
そんな大輔と、私はこれからもずっと生活を共にしたいと思っていた。私と大輔はいつも一緒に夕食を取るようにしていた。その日あったことを報告し合い、休日にどこへ出かけるか話し合う。コミュニケーションを大切にしたかったからだ。しかし、最近は「外で食べてくる」と言って夕飯時に不在になる日が続いていた。帰りも終電になることが多くなり、休日勤務が続くようにもなった。
「今日も休日出勤なのね。ちょっと忙しすぎじゃない?
いつまで繁忙期なの? 」
「うーん。ここしばらくはこんな感じかもしれないよ。多分」
質問しても、曖昧な言葉しか返ってこない。他にも不審に思うことがあった。ある日、仕事から帰ってきた大輔のスーツをハンガーにかけていると、覚えのない香水の匂いがしてきた。女性向けのバニラのような甘い匂いで、大輔の好みではない。また、携帯を浴室やトイレにまで持ち込むようになり、買った記憶のないネクタイピンをつけるようにもなった。つまり、不倫を疑うに十分な行動が見られたのだ。誰にも相談できずに一人で悩んでいた私は、ついに探偵社へ不倫調査の依頼をすることにした。
一週間ほどの調査の結果、思った通り大輔の不倫が発覚した。探偵社の所員が撮影した写真に映っていたのは、大輔と私の実の姉・里子の姿だった。二人とも楽しそうに身を寄せ合って手をつないで、ホテルへ入っていく写真を見て、頭に血が上った後、すぐにさっと覚めていっくのが自分でも分かった。なんておぞましい光景だろう。吐き気がする。そして私は「またか」とも思った。姉の里子は、かつて私に初恋の相手を奪われたのを根に持っていて、私の恋愛を邪魔して必ず潰すという呪いにとり憑かれている。実際は、私が初恋の人を奪ったというのは全くの誤解で、単に私が姉よりも先に付き合っていただけの話なのだが、姉にとってはよほど屈辱的な出来事だったようだ。これまで姉に彼氏を略奪されたことは何度かあったが、まさか夫まで奪われるとは思っていなかった。
いい加減に頭に来た私は、姉を自宅へ呼び出して話をすることにした。姉が来るまでの間、私と大輔は気まずい時間を過ごした。するとインターホンが鳴り、呑気な姉の「お邪魔します」という声が響いた。姉をリビングへ通し、ソファに座らせる。私は立ったまま、探偵社から受け取った証拠写真を二人に示した。
「これで、何のために集まってもらたか分かるよね。大輔、どうして私のお姉ちゃんと不倫なんかしたの? 」
私が問い詰めると、大輔はしばらく黙っていた。それから、どこか開き直ったように答えた。
「何を言っているんだ? 元を正せばなお子が悪いんじゃないか。お前、ずっと里子さんのことをひどく扱っていたんだってな。そんな人間のクズみたいな奴と結婚していられないよ。その反面、里子さんは心の優しいいい人だ。お前みたいな人間をずっとかばっていたんだぞ。『なお子にも何か事情があったのよ』ってな。なんでこんなに正反対な性格なんだ。ああ、こんなことなら最初から里子さんと結婚していればよかったよ」
私が反論しようとした時、姉が急にシクシクと泣き出した。それに気づいた大輔が、泣いている姉の肩を抱いて慰めるようにさする。何度も繰り返された茶番だ。
「大輔さん、ありがとう。大丈夫よ。なお子と二人で話したいから、少しだけ外してくれない?
」
姉は鼻をすすりながら小さな声でそう言った。大輔はリビングを出ていった。大輔の姿が見えなくなった途端、姉は泣くのをやめて下卑た顔になった。
「ごめんなさいね、なお子。あんたの旦那さんは私のことが好きになっちゃったみたい。ああ、私が魅力的なばっかりに、こんなことになっちゃって本当に申し訳ないわ。でもね、大輔さんの言う通り、なお子が悪いのよ。ちゃんとあんたが大輔さんをつなぎ止めていなかった結果なの。それに、これはあの時のお返しだと思ってくれていいわよ。私の初恋を邪魔したあの時の報いよ。怨むなら昔の自分を怨みなさい。そして、私が幸せになるところを、せぜ指を加えて見ていなさい」
そう言って姉は声をあげて笑った。
「もうやめてよ。昔のことは誤解なんだって、何度も言ってるじゃない。これ以上私を苦しめないで」
私が思わず声を荒げると、姉は大げさに「やだ、怖い」と叫んだ。その声に反応した大輔が、別の部屋からリビングへ慌てて戻ってきて、姉をかばうように立った。その姿を見て、私は大輔とはもう終わりだと思った。
結局、私は大輔と離婚することになった。不倫したことは言うまでもなく、妻の私ではなく姉を信頼するような人とは、この先やっていけないと思ったからだ。未練がなかっと言えば嘘になる。しかし、大輔は姉を信じきってしまっているので、仕方ないだろう。まだ子供ができる前で良かったと思うしかなかった。
私と離婚した後、大輔はすぐに姉と再婚した。わざわざ見せつけるように、結婚報告の葉書を写真付きで送りつけてきたのだ。写真の中で幸せそうに微笑むウェディングドレス姿の姉の顔を見ると、憎くて憎くて仕方がなかった。何か仕返しをしてやりたい。私の幸せを壊したことを後悔させてやりたい。その思いは日々増していった。
そんな気持ちを抱えつつ、大輔と離婚して二年が経った。仕事に打ち込みながらも、私には新しい恋人かできていた。そして先月、その恋人と婚約したのである。婚約者の颯斗とは、偶然立ち寄ったバーで出会った。私が一人で飲んでいるといると、彼の方から声をかけてくれたのだ。立ちが整っていて、話も面白く女姓慣れしている颯斗とは、すぐに交際に発展した。またどこかのタイミングで姉に邪魔されるかも、と思っていたが、ここまでは順調に話が進んでいった。
しかし、婚約してから半年が経った時、突然姉から電話があった。
「はい、なお子だけど」
「ああ、久しぶり。お姉ちゃんよ。元気だった? 」
電話口の姉は妙にハイテンスョンで笑っている。
「もしかして怒ってるの? やだ、怖い。そんなんだから、大輔さんも颯斗君も私のものになっちゃうのよ」
姉の言葉に、私は自分の耳を疑った。
「どういうこと? 」
「だから、なお子の婚約者は私のことが好きなんだって。それに、できちゃったの。もちろん、私と颯斗君の子供よ。ああ、またなお子は一人になっちゃったわね。でも、私たちが飯使い兼ATMとして使ってあげるから、寂しがらなくていいのよ。私って、なんていい姉なのかしらね」
私は姉の話を聞いて、こう答えた。
「本当にどうもありがとう。お姉ちゃんなら略奪すると思ったけど、まさか妊娠までするなんて、予想以上だったわ。いいよ、颯斗はお姉ちゃんにあげる。大変なこともあるだろうけど、どうぞお幸せに」
私がこんなことを言うなんて想像していなかったのか、姉は間の抜けた声を漏らした。
「それ、どういう意味?
婚約者を奪われて悔しくないわけ? 」
「だから、妊娠までしちゃったならしょうがないよねってことよ。私は潔く身を引くわ」
私がしれっとそう言うと、姉はようやく納得した様子で「最初からそう言えばいいのよ」と鼻息荒く言ってから、電話を切った。その後、私は宣言通り颯斗と別れた。颯斗は多少ごねていたが、妊娠のことを持ち出すと、渋々といった様子で別れることに同意した。姉は大輔との間に子供ができなかったらしく、再婚してから一年半ほどで別居状態に陥っていたようだ。その間に、また私が恋愛するのを待ち構えていて、婚約したとこを見計って颯斗に近づいたらしい。そしてお得意の泣き落としをしたり、私の悪口を吹き込んだり、しまいには金銭やブランド品を貢いだりして、颯斗と関係を持ったのだった。そして別居中だった大輔と離婚して、今度は颯斗と再婚することになったのだ。こうして私はまた姉に恋愛を邪魔された。
姉は、私が悔しがっていると思っているだろう。でも違う。ここまで、全てが私の計画のうちなのである。颯斗は多額の借金を抱えている。バーで偶然会った時には知らなかったのだが、その後に何度かデートを重ねるたびに金遣いの荒さが目についたので、それとなく聞いてみたら、あっけらかんとした態度で教えてくれたのだ。さらに颯斗は、ついでとばかりに自身のダメ男ぶりまで暴露した。颯斗は女性に貢いでもらうことで懐を温めているらしく、私もそのターゲットの一人だったようだ。私はそこで思いついたのだった。颯斗を利用してやろう、と。私は颯斗に「それでもいいから婚約してほしい」と言い、あえて地元の友達などに婚約したことを言いふらした。その後の展開は、もはや言うまでもない。私の婚約を知った姉は颯斗に近づき、略奪する。笑ってしまうくらい、私の思い描いていた通りに事が進んでくれた。
全てが私の計画だったとは知らずに颯斗と再婚した姉は、「借金があったなんて聞いてないわ。助けなさいよ」と泣きついてきたが、もちろん無視した。そんな義理はない。これまでの自分の言動を、せぜ後悔するといいわ。その一方で、颯斗も「里子があんなにも性恪が悪いなんて知らなかった。お金も全くないし、もう一度やり直そう」と迫ってきたが、こちらも跳ね除けてやった。金を絞り取られると分かっていて、よりを戻すわけがない。どうにもならなくなった姉は両親にも援助を求めたようだが、当然のごとく門前払いを食らったようだ。後に実家へ寄った時、母が特に怒っていて「里子とは絶縁するわ」と言っていた。ついでに言うと、姉は妊娠していなかったらしい。私に颯斗を諦めさせ、颯斗に再婚を迫るための虚言だったのだ。嘘で安心した。不幸になると分かりきっている子供が生まれなくて、本当に良かったと思う。姉と颯斗がギャーギャー騒いでいる間、私も色々と動いていた。元夫の大輔に不倫の慰謝料を請求したり、親戚や地元に残っている姉の友達に姉の悪業を伝えて回ったりと忙しかった。これでさすがの姉も懲りるだろう。反省させるまではいかなくとも、私に関わったら自分が損をすると学習して欲しいものだ。姉にはもうこれ以上、私の人生の邪魔はさせない。
しばらくの間、私は恋愛をする気にはなれなかった。いつもいいたとこで姉に邪魔をされていたのが、ある種のトラウマになっていたからだ。もしくは諦めと言ってもいいかもしれない。このまま一人で生きていくのかな、と思っていた。ある時、昔付き合った人と偶然に再会する機会があった。霊の姉の初恋の相手だ。当時姉が大暴れしたので、彼とは別れたのだが、彼は別れた後もずっと私のことが忘れらられないと言ってくれた。突然の告は白に戸惑いが隠せなかったが、私は正直に姉のことを話し、誰かと恋愛することに対して不安を抱えていることを伝えた。すると彼は「俺は絶対になお子を守る。幸せにするよ」と言ってくれた。私は彼の真剣な思いに胸を打たれ、結婚を前提に再度交際を始めた。そしてその一年後に再婚した。今では待望の子供が生まれ、三人家族として幸せな家庭を築いている。ちなみに風の噂によると、結局、結局姉は颯斗と離婚して、今では一人寂しく暮らしているようだった。私の復讎は、これでようやく終わった。これからは、姉のことなんか忘れて、自分の人生を送りたい。それにしても、人の幸せを邪魔すると、いずれは自分に帰ってくるんだな。私は人の幸せを一緒に喜べる人間でありたいものである。


