九月の夕方、僕は年金事務所の窓口にいた。受付番号を呼ばれ、係の女性が書類を確認しながら言った。「本日付けで申請を受理します。手続きが完了次第、書面にてご連絡します。停止の確認ができましたら、来年度の住民税判定において今年度の収入として計上されないことになります」—その声は均一で、感情が乗っていなかった。ただ事務的な確認だけだった。
受付表を受け取り、窓口を離れた。ビルの外に出ると、日が傾いていた。歩道に人が流れていた。コートのポケットに手を入れると、エコーの箱があった。今日は持ってきていたが、中身を確認すると一本しか入っていなかった。取り出さなかった。駅に向かって歩き始めた。
歩きながら、頭の中が久しぶりに静かになったことに気づいた。計算が止まっていた。次に何をすべきか分からないという焦りがない。今日やるべきことが終わったという静けさだった。一ヶ月分の年金が戻らない。それは事実だった。六万円が永久に消える。その喪失は本物だった。しかし、穴の検討がついた。封じ込める方法が一つ見えた。それだけで今日という日は意味があった。
十月の第二週、年金停止の処理が完了したという通知が届いた。封筒は薄かった。中には一枚の紙が入っていた。九月分の老齢基礎年金の支給を停止した旨、来年度の住民税判定において今年度の年間収入が百三十六万円台になる見込みである旨—事務的な文面だった。僕は一度だけ読んだ。台所の引き出しにしまった。病院の領収書と区役所からの書類が入っている引き出しだった。
リツ子はパートに出ていた。帰ってくるのは三時過ぎだった。僕は椅子に座り、お茶を一杯飲んだ。台所の窓の外を見た。十月の空は低く、灰色が勝っていた。雲が厚く、光が柔らかかった。リツ子が帰ってきた時、僕は居間にいた。玄関で深呼吸の音がして、台所を通り抜ける気配があった。エプロンをつける音がした。僕は台所へ向かって、手続きが終わったと言った。リツ子が台所から顔を出した。「終わった」と僕は言った。リツ子は少しの間僕を見た。それから「そう」と言った。声に力はなかったが、安堵がわずかに混じっていた。二人ともそれ以上は言わなかった。
リツ子が台所に戻った。冷蔵庫を開ける音、包丁がまな板に当たる音。いつもと同じ音の順番だった。一ヶ月分の年金が消えた。六万円が戻らない。それは確定した事実だった。しかし、来年度から医療費の上限が二万四千六百円に下がる。保険料の軽減も戻る。それも確定した。二つの事実が同時にそこにあった。得たものと失ったもの、どちらが大きいかという計算はもう何度もした。答えは出ていた。しかし、その答えを確認するたびに、失った六万円の重さがそこにあった。計算の外にある重さだった。
十月の生活はこれまでで一番きつかった。停止した月の年金収入がない。僕の給与はあった。リツ子のパート代もあった。しかし、九月の医療費の残額と今月の保険料の引き落としと光熱費と家賃が重なった。食費に回せる金が月の初めの時点でほとんどなかった。僕とリツ子はそれについて話し合いをしなかった。話し合うまでもなかった。どうするかは決まっていた。削れるものを削る。それだけだった。
電気はできる限りつけなかった。日が落ちてから必要な部屋だけに明かりを入れた。台所と居間を同時につけることをやめた。風呂は二日に一度にした。シャワーだけの日もあった。リツ子が買い物をする時、値引きシールの貼られたものを優先する。それは以前からやっていた。しかし、今月は棚の前に立つ時間が少し長くなった。重さと値段を計算している。どちらを買えばグラムあたりの値段が安いかを確かめている。僕の弁当は白米と梅干だけになる日があった。それ以上入れるものがなかった。詰めるものがある。それだけだった。
十月の半ば、リツ子の通院があった。僕は早朝警備を終えた後、帰宅せずに病院へ向かった。リツ子と合流し、一緒に待合室で待った。診察室で医師がリツ子の右目を確認した。「右目の視力が戻りつつある。経過は良好です。次の受診は来月で構いません」—術後の経過としては良い方だと付け加えた。会計で領収書を受け取った。一万四千円だった。先月まで同じ内容の診察と処置で五万七千六百円を払っていた。僕は領収書を財布にしまった。財布をポケットに戻した。計算があった。確認があった。それだけだった。
病院の外に出ると、十月の昼の空気が冷たかった。リツ子が隣を歩いた。歩き方がいつもより軽かった。気のせいかもしれなかったが、僕にはそう見えた。「よかった」とリツ子が言った。僕は頷いた。二人は駅に向かって歩いた。商店街を通り、総菜屋の前を通った。揚げ物の匂いがした。リツ子が少しだけ足を遅くして、総菜屋の前を通り過ぎた。立ち止まりはしなかった。僕もそれを見て何も言わなかった。
その夜、帰宅する前にスーパーに寄った。値引きコーナーに牛肉のパックがあった。夕方の値引きで三割引きになっていた。僕はそれを手に取り、裏の値段を確認してからカゴに入れた。台所に帰ると、リツ子が驚いた顔をした。パックを台所のテーブルに置いた。「今日ぐらいは」と僕は言った。リツ子はパックを見た。それから僕を見た。何か言おうとして、言わなかった。台所に立って料理を始めた。その夜の夕飯に、久しぶりに肉の匂いが台所に漂った。
十一月になった。気温が下がった。朝晩はコートが必要になった。僕のベージュのコートは今年も袖口のほつれが増えていたが、手を入れるたびに内側へ折り返していた。新しいコートという選択肢が頭をよぎったが、針と糸をどこにしまったかを思い出せなかった。リツ子の目の回復が続いていた。右目で細かい文字を読むのはまだ難しかったが、日常の視界は戻っていた。医師からは今後も定期的な検査を続けること、無理をしないことと言われていた。リツ子がそれを守っているのかどうか、僕には判断しかねた。家事の量は以前と変わっていなかった。
ただ、僕が気づいていることがあった。リツ子が棚の上の物を取る時、左手を先に使うようになっていた。右側から何かを手渡される時、少し首を動かして確認してから受け取るようになっていた。台所で鍋を持つ時、重さを確かめるように両手を使うようになっていた。それが意識的なのか無意識なのかは分からなかった。リツ子自身も気づいていないかもしれなかった。僕はそれについて何も言わなかった。言う必要があるとは思わなかった。リツ子が自分の目の変化を把握した上でそうしているなら、余計なことを言うべきではなかった。把握していないとしても、体が覚えていることなら、それでいいと思った。
十二月になった。寒くなった。東京の冬にしては乾燥した風が続いていた。夜勤のために外に出ると、息が白く見えた。その夜、出勤しようと玄関を出ようとした時、チャイムが鳴った。夜の七時を少し過ぎていた。ドアを開けると、直樹が立っていた。前回よりも厚いコートを着ていた。紺色ではなく、暗い灰色だった。靴は革靴だったが、前回より古いものだった。磨かれていたが、つま先の部分に傷があった。顔つきが違った。あの夜のような、何かを取り戻そうとする緊張がなかった。ただ疲れていた。目の下に影があった。頬が少しこけていた。
「入ってもいいですか」と直樹は言った。声が低かった。僕は少しの間直樹を見た。それから玄関のドアを開けた。直樹が中に入った。靴を脱いだ。廊下を通り、居間に入った。台所からリツ子が顔を出した。「直樹」とだけ言った。「お袋」と直樹もだけ言った。二人の間に、前回のような熱量がなかった。リツ子は台所に戻った。しばらくして湯飲みを三つ持ってきた。それを黙ってテーブルに置き、また台所に戻った。僕と直樹は向かい合って座った。直樹は湯飲みを手に取らなかった。テーブルの上を見ていた。
「借金が」と直樹は言った。声に力がなかった。「あの封筒の話を」と直樹は続けた。「あれ返すつもりだった。本当に返すつもりだったんだけど、そのうち使ってしまった」—そうは何も言わなかった。「人から借りた金が返せない状況になっている」と直樹は言った。「相手が回収の人間を使い始めている」—そうは直樹の顔を見続けた。直樹は視線をテーブルに向けたまま話した。声の調子は平らだった。感情が乗っていなかった。前回のような涙も、芝居がかった所作もなかった。事実を羅列しているだけだった。それが逆に、今回は本当のことを言っているのだということを感じさせた。「ここの家を担保にするしかないかもしれない」と直樹は言った。「印鑑をもらえれば、それでこっちは何とかなる」—そうは直樹が話し終えるのを待った。直樹が顔を上げた。目が赤かった。泣いているのではなかった。充血していた。よく眠れていない人間の目だった。
そうは立ち上がった。直樹の目が僕の動きを追った。僕は台所に入った。台所の棚の一番下の引き出しを開けた。引き出しの奥の方に果物ナイフがあった。刃渡りが短い家庭用の安物だった。それを取り出した。居間に戻った。直樹が僕を見た。ナイフを見た。顔から表情が消えた。僕は直樹の向かいの椅子に戻って座った。右袖のコートを左手でまくり上げた。コートの下のシャツの袖を肘の辺りまで折り返した。右の前腕をテーブルの上に置いた。それからナイフを右手に持ち直し、テーブルの上の自分の腕の横に置いた。何をするつもりかは説明しなかった。直樹の目をまっすぐ見た。声を出さなかった。眉も動かさなかった。ただそこに座っていた。
直樹は動かなかった。椅子に座ったまま僕の腕とナイフを交互に見た。一度僕の目を見た。僕の目から何かを読もうとした。読めなかった。あるいは、読めたから動けなかった。台所でリツ子が静かにしていた。音がなかった。腹を立てているわけではなかった。怖がらせようとしているわけでもなかった。ただ、もうここには渡すものが何もないということを、言葉を使わずに伝えていた。
一分が経った。直樹が椅子から立ち上がった。ゆっくりした動きだった。急いでいなかった。ただ決めたという動き方だった。居間を出て廊下を歩いた。玄関に向かう足音が聞こえた。靴を履く音がした。ドアが開いた。今回は戻ってこなかった。ドアが閉まった。廊下が静かになった。階段を降りる足音が聞こえ、それも消えた。
そうはナイフをテーブルに置いた。前腕をテーブルの上に乗せたまま、少し動かなかった。それから立ち上がり、台所に戻った。引き出しを開け、ナイフをしまった。水道の蛇口をひねり、手を洗った。タオルで拭いた。居間に戻ると、リツ子が台所の入り口に立っていた。いつからそこにいたのかは分からなかった。居間と台所の境目に立ち、僕を見ていた。二人は目があった。リツ子は何も言わなかった。僕も何も言わなかった。しばらくそのままでいて、リツ子がゆっくりと台所に戻った。引き出しを開ける音がした。夕飯の続きをしているようだった。そうは居間のソファに腰を下ろした。テレビをつけなかった。ただ座っていた。直樹のことをこれ以上考えなかった。考えることが残っていなかった。
その夜の明け方、窓の外が白くなっていた。出勤のためにコートを着て玄関に向かった時、台所の小窓から外を見た。「雪が降ってる」とリツ子が言った。玄関のドアを少し開けた。外の空気が冷たかった。空から白いものが落ちてきていた。東京の初雪だった。天気予報では雨と言っていたが、夜の気温が下がりすぎて雪になっていた。アスファルトの上に白い粒が積もり始めていた。まだ薄かったが、降り続けていた。僕は廊下に立ち、少しの間雪を見た。それから仕事へ出かけた。
帰宅したのは翌日の午前十時過ぎだった。外の雪は融けていた。夜の間に積もったものが、朝の日差しで溶け始めていた。アスファルトが濡れて光っていた。日当たりの悪い場所だけ、まだ白かった。家に帰るとリツ子はいなかった。パートに出た後だった。台所のテーブルに水筒と小さなメモが置いてあった。メモには「温かいからちゃんと飲んで」とだけ書いてあった。字は赤いボールペンで書かれていた。押し付けるような筆跡だった。インクが薄くなったペンで力を込めて書いた字だった。水筒を手に取った。ずしりとした重さがあった。蓋を開けると、湯気が出た。麦茶だった。台所の椅子に座り、水筒からお茶を飲んだ。温かかった。ゆっくり飲んだ。
台所の外は静かだった。雪が溶ける音もなく、人の声もなく、風もなかった。十二月の晴れた昼前の静けさだった。僕はお茶を飲みながら、今年起きたことを順番に思い出した。六月の通知書、一万円の差、リツ子の目、病院の廊下、直樹の顔、買取店の店先、年金事務所の窓口、三回に分けて書いた書類、受付終了十五分前の処理完了。それを順番に思い出した。感慨的に思い出したのではなく、起きた順番に確認した。来年度から医療費の上限が二万四千六百円に戻る。住民税の非課税世帯の資格も戻る。リツ子の通院は続くが、毎月の支払いは今年より三万以上減る。それは確定した。一ヶ月分の年金は永久に戻らない。六万円が消えた。それも確定した。直樹とはもう会わないだろうと思った。そう思う根拠は自分たちの側にも直樹の側にも揃っていた。後悔はなかった。悲しみというものがあるとすれば、それは今ではなかった。もっと前に、少しずつ、何年かけて消えていたものだった。今夜のことは、その最後の確認に過ぎなかった。
そうはお茶を飲み終えた。水筒の蓋を閉めた。来年も何かが変わるだろうと思った。制度がまた変わるかもしれない。物価が上がるかもしれない。リツ子の目がどうなるかはまだ分からなかった。自分の体がどうなるかも分からなかった。変わるものは必ずある。変わった時にまた計算する。計算してできることを探す。探してやれることをやる。それが続いていく。終わりはない。落ち着く場所もない。かと言って、何かが急に崩れるわけでもない。崩れそうで崩れない場所に立ち続けていくのが、今の自分たちの生活だった。それが今日も続いていく。明日も続く。
リツ子が帰ってきたのは三時過ぎだった。玄関で深呼吸の音がした。台所に入ってきた。手を洗い、エプロンをつけた。「水筒、見て。飲んだのね」と言った。「飲んだ」と僕は言った。リツ子は少し頷いた。それから冷蔵庫を開けた。中を確認し、今夜の夕飯の段取りを考え始めた。僕は台所の椅子に座ったまま、リツ子の背中を見ていた。エプロンの結び目が少し曲がっていた。リツ子はそれに気づいていなかった。いつもはきちんと結ぶのだが、今日は右目で確認しながら結んだのかもしれなかった。僕は何も言わなかった。居間に移り、コートを脱いだ。コートをハンガーにかけた。袖口のほつれに指が触れた。今年もこれで冬を越すことになる。来年買い換えられるかどうかは分からなかった。
その夜、リツ子が家計簿を開いた。赤いボールペンで十二月の収支を書き込んでいた。電気のついた台所で、テーブルに向かい数字を書き込んでいた。僕は居間から台所の明かりを見ていた。リツ子はしばらく書き込んで、ページを閉じた。「どうだった」と僕は声をかけた。リツ子が振り返った。「来年は少し楽になると思う」と言った。あの一万四千円の話をしているのだとは分かった。「そうだな」と僕は言った。リツ子は頷いた。それから立ち上がり、流しの前に立った。夜の片付けを始めた。
そうはコートのポケットを探った。エコーの箱があった。最後の一本が入っていた。ベランダに出た。東京の夜空は曇っていた。星は見えなかった。街灯の光が低い雲に反射して、空全体が薄くぼんやりと明るかった。昨夜の雪の名残りが、日当たりの悪い隅にまだ少し残っていた。白くなっていたが、溶けかけていた。最後の一本に火をつけた。煙を吸い込んだ。煙が口から出て、冬の空の中に白く混ざり、見えなくなった。今年も終わっていく。来年が来る。また計算して、また穴を探す。穴が見つかれば塞ぐ。塞げなければ別の方法を探す。それでも足りなければ、また削る。終わらない作業だった。しかし、二人ともまだここにいた。リツ子の目が見えている。台所に明かりがついている。赤いボールペンで数字が書き込める。僕の手にタバコがある。それだけのことが、今夜は確かにそこにあった。
手すりを握った。鉄が冷たかった。タバコの火が短くなった。最後の一口を吸って、床に押し付けて消した。空の箱をポケットに入れた。台所から水道の音がした。リツ子が片付けを続けていた。ベランダの引き戸を開け、中に入った。台所の電気がついていた。居間は暗かった。居間の椅子に座った。台所の明かりが廊下を通り、居間の入口の辺りまで届いていた。その光の縁に座っていた。外ではもう雪が降っていなかった。風もなかった。静かな夜だった。
ここまで聞いてくださった皆さん、ありがとうございました。清美一子の話を最後まで聞いていただけて、本当に嬉しいです。大きな解決はなく、劇的な逆転もなく、それでも二人はまだそこにいる。そういう話を、これからも丁寧に追っていきたいと思っています。もし今回の話が少しでも心に残ったなら、いいねとチャンネル登録をしていただけると励みになります。次の話でまたお会いしましょう。



