「お前のような低学歴人間はこの会社に不要だ。今すぐ出ていけ。」
工場の視察に訪れた新任の統括部長・大沢は、中学卒業の俺を見下すようにそう言い放った。俺はその言葉に驚いたが、それ以上に驚いていたのは工場長や同僚たちだった。彼らは慌てて部長をなだめようとするが、大沢部長は聞く耳を持たない。
「中卒ごときが部長のこの俺に盾突いたんだぞ!」
彼が狂犬のように騒ぎ立てるほど、俺は逆に冷静になっていくのを感じた。俺は落ち着いた声で「わかりました」とだけ言い、工場長や同僚たちに背を向けてその場を立ち去った。後ろから引き留める声が聞こえたが、俺は振り返らなかった。
俺の名は宮本達也。地方の工場で働くベテラン作業員だ。父親も同じ工場で技術者として働いていた影響で、俺は幼い頃から物づくりが大好きだった。中学の頃には工作コンテストで賞を取るなどそこそこ活躍し、技術面では先生たちからも高く評価されていた。しかし他の勉強はからっきしで、進学する気もなかった俺は、中学卒業と同時に現在の工場へ就職した。そして長い年月をかけて、誰にも負けない技術を磨いてきたのだった。
「宮本さん、ちょっと見てもらえますか?」
ある日、若い同僚が困った様子で機械の不調を訴えてきた。俺が点検すると、すぐに原因が分かった。手早く調整を終えると、機械は正常に動き出す。
「さすがです!宮本さんは特別だ」
同僚の尊敬の眼差しに、俺は苦笑しながら持ち場へ戻った。初めてこの工場に入った頃は自分が一番年下だったが、今では最年長だ。若い同僚たちはいつもこんな調子で俺を頼りにしてくれている。現場では多くの仲間から必要とされているのだが、実は本社からの評価は散々だった。理由はただ一つ、俺の学歴が中卒だからだ。本社は中卒というだけで役に立たない人間だと偏見を持っているらしく、これまで正しく評価されたことは一度もなかった。
しかし俺は物づくりが好きでこの工場に入っただけだ。評価など気にしていない。黙々と機械いじりができればそれで十分で、充実した毎日を送っていた。
そんなある日、いつものように出勤すると、いきなり工場長が全員を招集した。こんなことは初めてなので、みんな眉をひそめながら集まる。
「今度、本社から視察が入ることになった。一週間後に大沢部長が来られる」
大沢部長――本社で新たに統括部長に就任した人物で、「鬼の大沢」と呼ばれている。業績を上げるために無駄な人員を徹底的に削減しているという噂で、最近では誰もがいつ首を切られるかと怯えているという。そんな人物が視察に来るとあって、工場内は一気に緊張感が漂い始めた。休憩時間でも笑い声が聞こえなくなり、みんな不安そうな顔をしている。
視察当日、ピカピカに磨かれた黒い車から大沢部長が降りてきた。工場長が腰を九十度に曲げて出迎えるが、彼は挨拶も返さずずかずかと工場内へ入っていく。
「全く、油臭くてたまらんな。埃も汚れもひどい」
工場長が説明を始めようとするが、大沢部長は「そんなことは分かっている。さっさと案内しろ」と傲慢な態度で遮った。仕事をしながら彼の様子を観察していた俺は、その態度に不快感を覚えたが、気持ちを切り替えて目の前の仕事に集中することにした。
大沢部長は厳しい顔のまま工場内を見て回り、俺たちの作業を細かくチェックしていた。この工場にこれまで感じたことのないような緊張感が漂う。誰もがミスをしないように慎重に行動していた。そんな時――
ガガガガガガガガッ――
突然、若手が担当していた機械が止まった。工場のラインも一時的に停止する。担当していた同僚は青ざめた顔で固まっていた。この機械は古くから使っているもので、たまに不具合が起きることがあった。完全に壊れたわけではないのですぐに修理すれば直るのだが、視察中に止まってしまったことで彼はパニックに陥っていた。
周囲も同じようにパニックになりかけていたため、俺はすぐにその機械のチェックに向かった。原因を特定し、手早く修理を開始する。大したトラブルではなかったため、修理にはそれほど時間はかからなかった。機械が再び動き出すと、工場内にはほっとした空気が流れた。だが安堵したのも束の間、大沢部長の怒声が響き渡った。
「お前、一体何をしているんだ!」
彼は若手の同僚に歩み寄り、睨みつけるように怒鳴った。
「お前が機械を止めてしまったことで、どれだけの損失が出たか分かるのか?お前のような奴がこの工場の生産性を落としているんだ!」
若手の同僚は何も反論できず、ただ縮こまるばかりだ。見かねた俺は、面倒なことになると分かっていながら口を挟んだ。
「機械が止まったのは彼のせいじゃありませんよ」
「何?」
大沢部長が不機嫌そうに俺を振り返る。
「その機械はもう耐久年数を過ぎていて、たまにこうして不具合が起きるんです。誰が担当していても同じことが起こったはずです」
「ふん、機械が古いならしっかりメンテナンスしていればこんなことにはならなかったんじゃないか」
「しっかりメンテナンスしているからこそ、あんな古い機械でも未だに動いているんです。むしろこの工場の生産性を落としているのは本社の方じゃないですか?」
「なんだと!」
「本社がもっと予算を出して古くなった機械を入れ替えてくれれば、今回のようなトラブルも起きなかったはずです」
大沢部長は真っ赤な顔で震え出し、怒りを爆発させた。
「一介の技術屋が分かったような口を聞くな!予算は本社で精査されて決められているんだ。簡単に増やせるものじゃない!」
「だからこそ俺たちは今ある機械を修理しながら大事に使っているんです。そのせいでたまに不具合が起きることもありますが、機械を入れ替える予算がない以上、仕方ないことです。新しい機械が欲しいなら予算を出してください。それができないなら、不具合が起きても仕方がないと諦めるしかないでしょう」
部長は反論できず、悔しそうに歯を食いしばった。そして俺の胸の名札に目をやり、タブレットを操作し始める。しばらく何かを確認していたかと思うと、いきなり不気味な笑みを浮かべた。
「はっ、足を引っ張っているのはお前の方か」
タブレットの画面には、俺の経歴が表示されていた。
「お前、中卒なんだってな。高校にも行ってないような無能が、よくも生意気なことを言ってくれたもんだ」
俺は何も言い返さなかった。中卒なのは事実だし、彼に無能と思われようがどうでもよかった。だが彼は俺を侮辱するだけでは満足できなかったようだ。大沢部長は偉そうにふんぞり返ると、工場の出口を指差して冷たく言い放った。
「今すぐここを出ていけ。お前のような低学歴の人間は会社に不要だ」
俺はその言葉に驚いたが、それ以上に驚いていたのは工場長や同僚たちだった。彼らは慌てて大沢部長をなだめようとする。
「待ってください!彼の非礼は私がお詫びします。どうかお考え直しを!」
「謝ったくらいで済むか!中卒ごときが部長のこの俺に盾突いたんだぞ!」
誰が何を言おうと、大沢部長は全く聞く耳を持たない。彼らが騒げば騒ぐほど、俺は逆に冷静になっていくのを感じた。
「わかりました」
俺が落ち着いた声でそう言うと、彼らは言い争いをやめて一斉にこちらを見た。工場長や同僚たちは、俺があっさり承諾したことに衝撃を受け、目を見開いている。
「皆さん、お世話になりました」
それだけ言うと、俺は背を向けて足早にその場を立ち去った。後ろから引き留める声が聞こえたが、振り返ることはなかった。
いきなり無職になったが、貯金はしっかりあるので急に生活に困ることはない。次の仕事は少し落ち着いてから探すことにして、俺は趣味の映画鑑賞を楽しみながらのんびり過ごすことにした。
工場を首になった翌日、借りてきたDVDをセットしようとした時、スマホが震えた。画面には工場から電話が表示されている。退職に必要な書類でもあるのかと思い、通話ボタンを押すと、電話の相手は工場長だった。
「宮本さん、今すぐ工場に来てくれないか!」
「は?もう昨日のことを忘れたんですか?俺は大沢部長に『無能は出ていけ』と言われて工場をやめさせられたんですよ。それなのに、なぜ行かなきゃならないんですか?」
「分かってる。都合のいいことを言っているのは重々承知だ。でも、どうしても宮本さんの力が必要なんだ」
必死に頼む工場長に、俺は困ってしまった。工場長に恨みはないし、昨日俺をかばおうとしてくれたことも分かっている。これまで散々世話になってきた手前、すげなく突っぱねるわけにもいかない。俺は大きなため息をついて、「わかりました」と答えた。
工場に到着すると、そこは異様な静けさに包まれていた。いつも聞こえる機械音がしない。不思議に思いながら工場長室へ向かうと、そこには工場長の他に部長や本社の重役たちが集まっていた。大沢部長は昨日の傲慢な態度とは打って変わって、青ざめた顔で俯いている。俺が部屋へ入ると、彼らは一斉にこちらを振り向き、ほっとしたような安堵の表情を浮かべた。
「宮本さん、来てくれて本当にありがとう!」
工場長が今にも泣きそうな顔で俺の両手を握る。
「一体何があったんですか?」
俺が冷静に尋ねると、彼は手を離して落ち着いた様子で話し始めた。
「実は今日の朝、君が担当していた機械が突然動かなくなったんだ」
それを聞いただけで、俺はなぜ自分が呼ばれたのか分かった。あの機械は他の機械に比べて複雑な作りをしており、修理には特別な技術が必要だ。そしてこの工場内でその技術を持っているのは、俺だけだった。辞める前に若手に技術を伝えようと思っていたが、いきなり解雇されたため引き継ぎもできていなかった。つまり、俺がいなければ修理できる人間はいないのだ。
「頼む。君、どうか工場に復帰してくれないだろうか」
工場長が頭を下げると、後ろにいた重役の一人も進み出て同じように頭を下げた。
「私からもお願いする。この大沢が実に失礼なことを言ったようだが、君のような優秀な人物を解雇するなんてとんでもないことだ。どうかもう一度、我が社に力を貸してほしい」
他の重役たちも一様に頭を下げるが、大沢部長だけはふてくされた様子で突っ立っていた。そんな彼に冷たい視線を送ると、俺は淡々とした口調で言った。
「そう言っていただけるのはありがたいんですが、俺はもうここに戻るつもりはありません」
「宮本さん、それは……」
「そこにいる部長のやり方に納得できないからです。従業員を大事にしない。学歴で人を見下す。そんな人間がいる会社で働きたいとは思いません。彼がいる限り、俺は絶対に戻りません」
重役たちが一斉に大沢部長を睨むと、彼はうろたえながら視線をそらした。
「そのことなら心配ない。大沢については解雇を含めた厳しい処分が検討されることになる」
重役の一人がそう言ったが、俺はその言葉を鵜呑みにするつもりはなかった。現場の従業員一人を勝手に首にしたくらいで、統括部長が解雇処分になるとは思えなかったからだ。俺を工場に戻すために、耳当たりのいいことを言っているだけかもしれない。そんな俺の半信半疑な様子に気づいたのか、重役は真剣な顔つきで言った。
「本当だ。実は視察での大沢の振る舞いや、君を不当に追い出したことがSNSに流れて、会社には苦情の電話が相次いでいるんだ。これだけ大きな騒ぎになった以上、何の処分もしないというわけにはいかない」
それを聞いて、ようやく俺は重役の言葉を信じてもいいと思い始めた。彼がしっかり処分を受けるのであれば、これ以上意地を張る必要もないだろう。そう思い、俺は工場に戻ることを承諾した。工場長は顔を明るくして喜ぶが、俺はそこで一つ条件を付け加えた。
「大沢部長が謝ったらの話ですが」
「何?」
これまで黙っていた大沢部長が、初めて声を発した。
「彼がしっかり謝ってくれたら、昨日のことは水に流します」
俺がそう言うと、その場の全員の視線が大沢部長へ集まった。彼は汗を流しながら後ずさる。
「さあ、さっさと謝りなさい」
重役に促されるも、大沢部長はなかなか謝罪しようとしなかった。悔しそうな顔で何やら唸っている。しばらく待っていたが、彼から謝罪の言葉が出ないのを見て、俺は肩をすくめた。
「どうやら謝る気がないようなので、俺はこれで失礼します」
「待ってくれ!」
そのまま帰ろうとする俺を見て、重役たちが慌てて大沢部長の頭を押さえつけた。
「お前、うちの会社を潰す気か!今すぐ謝罪しろ!」
厳しく叱責され、ようやく大沢部長も観念したようだ。苦しそうに顔を歪めながらも、なんとか謝罪の言葉を口にした。
「……すまなかった」
全く反省している様子はなかったが、俺はひとまずこの辺りで矛を収めることにした。
「とりあえず今日は機械だけを修理します。本格的に復帰するかどうかは、今後の大沢部長への処分を見て決めることにします」
そう告げると、重役たちは重々しく頷いた。
その後、重役たちの言葉通り大沢部長は解雇となった。俺たちに発した彼の屈辱的な発言が世間を騒がせ、会社の評判が大きく下がったことで、解雇に相当すると判断が下されたようだ。さらに、大沢部長が俺を首にしたことで生産ラインが長らく停止し損害が生じたとして、会社は彼に損害賠償請求も行った。名誉毀損で慰謝料も発生したため、大沢部長はこれから多額の支払いに苦しめられることになるだろう。
俺は大沢部長が確実に処分を受けたことを確認し、工場に戻ることになった。復帰当日、工場に入ると同僚たちの拍手で迎えられた。
「やっぱり宮本さんがいないと工場は動かないよ!」
彼らは俺の復帰を心から喜んでくれた。俺はそれに笑顔で答えた。これまで仕事の評価はあまり気にしていなかったが、今回自分の価値が評価されたことで、仕事に対するモチベーションがさらに高まった気がする。俺のことを信頼してくれている仲間たちのためにも、再び工場のために持てる限りの技術を発揮していこうと心に誓うのだった。



