「こんな商品に10億も出せませんよ」
そう言って、向こうの2代目社長は契約書をビリビリに破いた。
「ちょっと待ってください。10億という金額を提示してきたのはそちらですよね」
「お前らは下受けなんだから、大人しく言うことを聞いてさっさと帰れ。それとも元受けの俺たちに逆らうのか」
俺は言葉を失った。10億分の商品はどうすればいいんだ。そう頭を抱えていると、我が社の社長が声をかけてきた。
「俺にいい考えがある。あの人なら」
この時はまだ誰も予想できなかっただろう。これをきっかけに、あの2代目社長の運命が大きく変わることになるとは。
俺の名前は原田義人。今はとある会社の下受け会社に務めている。ここに入社したきっかけは、この会社の元受けの社長である滝田創造という人に学生時代にお世話になったからだった。初めはその会社への入社を望んでいた。しかし創造さんから、その下受けに入ってくれとお願いされたのだ。
「田沼という男がやってる会社なんだが、将来性のあるとても挑戦的な会社だ。そっちの方が君に合っていると思うし、田沼を支えてやってほしい」
創造さんからお願いされたら、俺は断れない。そうして俺は田沼さんのいる会社に入ったのだった。そして田沼さんという人もとても魅力的な人で、俺はすぐに惚れ込んだ。田沼さんは考え方がとても柔軟で、創造さんの言う通りとても挑戦的だった。まだ若手だった俺の意見も取り入れ、多くの経験をさせてくれる。俺は創造さんにも田沼さんにも恩返しができるように、この会社で頑張ろうと励んで働いてきた。
そして今年、俺は40歳を迎えた。今では田沼さんの元で営業部長の役職を任されている。今日は久しぶりに創造さんの会社との契約の打ち合わせだった。しかし、相手は創造さんではない。創造さんは数年前、大病を患ったのをきっかけに引退し、息子の滝田が2代目社長として会社を継いでいたのだった。
俺は2代目とは初めての打ち合わせとなる。しかし創造さんの息子さんならしっかりとした人だろう。それに今回の話は元受けの方からの依頼で、金額も向こうが提示したものだ。そしてその金額は10億円だった。正直、この契約内容で10億円は安すぎる。
「どうします?安すぎませんか?」
俺は一度田沼さんに相談した。
「まあでも創造さんには散々お世話になったし、悪いようにはしないだろう。今回はこれでいいよ」
そういうことでこの金額にまとまったのだった。なので話がこじれる要素はなく、この契約はすんなり通るはずだ。俺は何の心配もすることなく向こうの会社に向かった。
会社の受付でそう名乗ると、受付の女性は応接室へと案内してくれた。応接室の扉をノックして中に入る。しかし、部屋の中の光景に少し驚いた。
「お待ちしておりました。どうぞ」
2代目の社長は応接室のソファーにふんぞり返って俺を出迎えた。そしてその滝田の隣には、化粧が濃く無理な若作りをした少々派手な女性が座っていた。
「どうぞお座りください」
滝田が示した向かいのソファーに腰を下ろす。明らかにその場に不釣り合いなその女性の存在が不思議だった。
「契約書を見せてもらってもよろしいですか?」
「え?ああ、はい」
契約書を鞄から取り出して渡すと、滝田が目を通し始める。向こうが提示した金額と見積もりが書かれた契約書。それに滝田がサインをすれば今日の打ち合わせは終わりだ。その間もその派手な女性は記録を取るでもなく、打ち合わせに参加するでもなく、ただそこに座っていて何のためにいるのかさっぱり分からなかった。正直、派手な女のいるこの部屋は居心地が悪かったので、早く帰りたかった。
そして一通り契約書に目を通した滝田が言う。
「今回のお話はなかったことにしてください」
「え、なんでですか?」
まさかの返事に驚く。
「こんな商品に10億も出せませんよ」
「いや、ちょっと待ってください。10億という金額を提示してきたのはそちらですよね」
「だから、それにこれだけのものを10億っていうのは安すぎるんだよ。そちらとは先代の社長との付き合いがあったので特別にこの価格で了承したんです。それが払えないってどういうことですか?」
「うるさいな。出せないもんは出せないんだよ」
そして滝田は契約書をビリビリと破いた。
「ちょっと何するんですか!」
「お前らは下受けなんだから、大人しく言うことを聞いてさっさと帰れ。それとも元受けの俺たちに逆らうのか」
その態度に俺は言葉を失ってしまう。滝田は隣の派手な女性と顔を見合わせて笑っていた。俺はどうしたものかなと頭を抱えた。
その時、その固まった空気を破るように、うちの社員と書かれた名札をつけた事務の女性が俺たちにお茶を出してくれた。
「あ、ありがとうございます」
「いえ」
そして内野さんは俺たちのいるテーブルから少し離れた場所のデスクに座り、パソコンを叩き始めた。いつからあそこにいたんだ?社長との話に夢中になって気づいていなかったが、もしかしたら打ち合わせの最初からいたのかもしれない。
「お前な、お茶出すんだったらもっと早くしろよ。もう話終わったよ」
滝田はその女性に対してそう怒鳴り散らす。
「申し訳ありません」
内野さんは慣れた感じでそう謝罪をしていた。
「たく、事務ならもう少し笑顔で対応しろよ。お前はいつも暗いんだよ」
その言葉は内野さんは無視していた。
「お前もう来なくていいからな」
「打ち合わせは終わりですか?」
「もう終わったよ。だからさっさと出てけ」
内野さんは「分かりました」と返事をすると、パソコンや荷物をまとめて部屋を出ていった。
「そちらもういいですよ。今回は契約しませんので、ご苦労様でした」
そう言われ、俺も部屋を追い出されてしまった。会社の出口を出たところでまた頭を抱える。
「どうしたもんかな」
「あの」
後ろから突然声をかけられ驚いて振り返る。そこにはさっきの内野さんがいた。
「こちらよろしければどうぞ」
そう言ってメモリーを手渡してきた。
「え?あ、ありがとうございます」
中身が何かは分からないまま俺がお礼を言うと、内野さんは一礼して会社に戻っていった。そして俺は会社に戻った。
「そうか。破棄されたか」
「はい。申し訳ありません。価格をかなり抑えていることは説明したのですが」
「いや、原田君のせいじゃない。気にするな。しかし物はどうしたもんかな」
「ですよね」
しばらく2人で頭を抱えていた。
「そうだ」
すると田沼さんはどこかに当てがあるようで、すぐに電話をかけた。そして少しの間、電話口の相手と会話をしていた。
「本当ですか?ありがとうございます」
田沼さんが頭を下げる。その言葉に俺はいい結果が出たようで嬉しくなった。
「ではよろしくお願いいたします」
そう言って田沼さんは電話を切った。
「あの商品を買ってくれる会社が見つかったぞ」
「本当ですか?え?一体どこですか?」
「創造さんの会社だ」
「え、創造さん?」
「ああ、10億は安いからってすぐに契約してくれたよ」
「いやいや、ちょっと待ってください。創造さんは病気で引退されましたよね」
「創造さん、引退した後しばらくして新しく会社立ち上げたんだよ。俺には家でゆっくり過ごす老後なんて無理だったって笑ってたよ」
そう言って笑っている創造さんの姿は俺にも容易に頭に浮かんだ。しかし持病のこともあり、大きな会社を動かすのは負担がかかるということで、小さな会社を立ち上げ、小人数で経営しているとのことだった。さすが尊敬する創造さんだと、俺は改めて尊敬の念を強くした。そしてこれで10億の商品の行き先が無事に決定し、俺はほっと胸を撫で下ろした。
創造さんには本当に頭が上がらない。今度改めてお礼に行かなければと思っていた。しかし後日、悲しい知らせが入った。創造さんが持病の悪化により亡くなったというのだ。葬儀には数えきれないほどのたくさんの人が参列していて、創造さんがどれだけ愛されていたかが伺える葬儀だった。
「最後の最後まで助けられっぱなしだったな」
田沼さんはそう言っていた。俺も何も恩返しできないままお別れすることになり、悔しかった。しかし俺にはもう1つ気になることがあった。
「あの、こんな時に自分の心配なんかして申し訳ないんですけど、あの10億はどうなるんですか?」
創造さんは出資してくれた10億を利益に変えることができないまま亡くなってしまった。つまり負債を抱えたまま亡くなってしまったことになる。もしもその負債が自分たちに振りかかったら一大事だ。
「ああ、それはきっと息子がなんとかしなきゃならなくなると思うよ」
「2代目社長ですか?」
「うん。どうやら創造さんは息子の会社と業務提携という形で会社を立ち上げてたみたいだし、何かあった時は契約関係が元受け会社に引き継がれるようになっているって聞いたことがある」
それを聞いてとりあえず安心した。
「ていうか、あの息子なんであんな意味わかんないことしてきたんですか?そもそも10億という金額を提示してきたのはあの2代目社長だ。それをわざわざ断るという行動にずっと納得ができていなかった」
「どうせ見えを張ったんだろう」
田沼さんはそう笑う。
「見え?」
「契約に行った時にさ、ちょっと派手で若作りした女いなかった?」
そう言われ、2代目社長の隣にいた女を思い出す。
「いました。特に仕事の話もしないのに、なんでいるんだろうってずっと思ってて」
「あれ、あのバカ息子の愛人なの?」
愛人を仕事の打ち合わせに同席させるというその発想に驚くと同時に呆れてしまう。
「でもあの女がこの契約と何の関係があるんですか?」
「あいつ、昔俺と付き合ってたの」
「え?」
まさかの事実にさらに大きく驚く。
「でもあのバカ息子との浮気が分かってね。それで別れたの。ただ、バカ息子はそれ以来何かと俺を目の敵にしててね。だからうちとの契約を蹴ることで、俺よりも力があるぞって示したかったんじゃない?」
「正直、田沼さんとあの女が付き合っている姿は想像ができなかったです。そもそも田沼さんはなんであんな女と付き合ったんですか?」
「俺も若かったんだよ」
田沼さんは遠い目をして笑っていた。しかし、そんなくだらない理由で契約を破棄するという行動はあまりにも頭が悪すぎる。それで取引先からの信用を失うとは想像できないのだろうか。まあそこまで考えが至らないからあんな馬鹿げたことができるのだろうが。その話を聞いて、むしろあの契約を蹴られたことが良かったと思えた。創造さんがいない。今、あの2代目社長には何の恩も義理もない。あんなバカな相手と手を切れたことはこちらとしては好都合だった。
それからしばらく経ったある日。
「おい、どういうことだ?」
滝田が急にうちの会社に怒鳴り込んできて、社内が騒然とした。
「滝田さん、どうしました?」
「どうしました?じゃない。なんで10億の負債をうちの会社が負うことになってるんだ」
「それは滝田さんが契約を切った後、あなたのお父さんが抱えた負債ですから、うちとは関係ないですよね」
「ふざけるな。そもそもそっちが勝手に契約を破棄したんだろう。勝手なことばかり言うな」
滝田はこともあろうに、契約を蹴ったのはこちらだと言い出した。
「ちょっと待ってください。契約を破棄したのはそちらでしょう」
「うるさい。このままお前らが責任持たないなら、お前らみたいな下受け会社、すぐに潰してやることもできるんだぞ」
滝田はそう言って脅してきた。これは完全なる脅迫になる。
「滝田さん、あの契約を破棄したのはそちらです。こっちには証拠もあります」
「証拠?」
そして俺はあの日の打ち合わせの音声録音のデータを見せた。
「なんでこんなもんお前が持ってるんだ」
「そちらの社員だった内野さんからいただきました」
その録音はあの日滝田の会社を追い出された後、内野さんからもらったUSBに入っていたデータだった。
「こんなもん、こんなもん偽造だろ。お前ら嘘の音声を捏造したんだ」
「じゃあこれを聞いてください」
そしてUSBの音声データを再生する。そこにはあの打ち合わせの音声が最初から最後までしっかりと録音されていた。もちろん滝田がこちらの契約を破棄する音声も、契約書を破る音まではっきりと残っている。
「これでもまだこっちの偽造だと言いますか?」
滝田の顔が怒りに真っ赤になり震え出した。
「ちなみに今のやり取りもしっかりと録音させてもらっています」
「うるさい。うるさい。こんなもの」
そして滝田は音声を再生していたパソコンを取り上げると、地面に叩きつけた。パソコンが地面でバラバラに壊れる。
「ちょっと、警察呼んで」
社員の女性にそう言い、警察を呼ぶ。
「何するんだ?やめろ!」
警察という言葉に焦ったのか、暴れ出した滝田は男性社員数人に取り押さえられた。そして滝田は駆けつけた警察に連れて行かれた。パソコンを壊したことによる器物破損と、会社を潰すと脅したことによる脅迫が重なり、警察のお世話になることとなった。どうやら滝田は10億の負債を抱え、会社の経営がかなり苦しくなったらしい。そして例の愛人も、金のなくなった滝田にはすぐに見切りをつけ、他の男を捕まえてさっさと逃げ出したらしいのだ。そのことで半ば自暴自棄になり、うちに乗り込んできたというわけだ。全て自業自得で、自分がやったことがブーメランになって帰ってきただけなのだが、それを人のせいにするとは本当に救いようがない。
「ありがとう。内野さんのおかげで助かったよ」
「いえ、とんでもありません」
内野さんが少し嬉しそうに小さく笑う。内野さんはあの打ち合わせの後、滝田から理不尽な理由をつけて解雇されていた。それを知って、俺はすぐにうちの会社に引き入れていたのだった。滝田が乗り込んできた時、録音しておいた方がいいとアドバイスをくれたのも内野さんだった。大人しそうな女性だが、頭が賢く機転が効く。おかげで会社を守ることができた。
「首にされた私を引き入れてくれた恩返しができてよかったです」
「いや、本当に助かった。これからもよろしくね」
「はい」
内野さんをうちに引き入れて、本当に良かったと思った。



