大手ハウスメーカーの担当・平松慎吾は、祖父の代から付き合いのある俺の工務店を、いつも見下すように扱ってきた。彼はその会社の社長の息子で、高級スーツに身を包み、ピカピカの靴で俺の事務所に現れては、「ここはいつ来ても誇りっぽいな」と嫌味を言うのだ。納期を勝手に1週間も早められても、「休みなしで行けば余裕で間に合うだろ」と平然と言ってのける。
それでも俺が歯を食いしばって耐えてきたのは、祖父の代からの恩義があったからだ。祖父がこの工務店を始めた頃、平松の祖父が仕事を気に入って優先的に仕事を回してくれた。その恩を、父も俺も決して忘れるまいとしてきたのだ。しかし、平松はそんな事情を知ってか知らずか、「こんなパッとしない工務店からの発注がなければ、すぐにでも潰れるだろう。仕事を回してもらえることに感謝しないと」と、俺の顔を見下すようにして言い放つ。
そんなある日、俺は高級ホテルのバーで一人、久しぶりに酒を飲んでいた。取引先との打ち合わせの帰りだ。すると、そこに平松が取り巻きの男女5人を連れて、騒がしく入ってきたのだ。見つからないうちに帰ろうとしたが、鋭い平松の目はごまかせなかった。「誰かと思えば、狼社長じゃないですか」と、バー中に響く声で呼び止められてしまう。
仕方なく近づくと、平松は連れの女性たちにこう紹介した。「こいつ、俺の小番ザメなんだよ」。瞬間、女性たちが笑い声をあげる。「え?何それ?」「でも、社長って呼んでたよね?」。平松は得意げに続ける。「確かにボロい工務店でも社長は社長だよ。でも実際は俺の親父の会社の下受けで、なんとか食いついてるんだ。肩書きだけの社長だけどな」。そして、バーのメニュー表を指差して言い放った。「なあ、小番ザメ君。もっと仕事が欲しいなら、この100万のシャンパン、奢ってくれよ」。
取り巻きたちも「飲みたい、飲みたい」とはしゃぎ出す。酔っ払った平松は、さらに俺を見下すように笑う。「貧乏人はこれだから」。俺は薄く笑みを浮かべると、静かに口を開いた。「皆さんがどうしてもとおっしゃるなら、ここでおごることもやぶさかではありません。ですが、平松さん。『小番ザメ』というのは、お控えください。私はあなたの小番ザメではありませんので」。
平松の顔が一瞬で固まり、やがて真っ赤に染まった。「お前、下受けのくせに、そんな口聞いていいと思ってんのか?俺が親父に一言言えば、あんなボロい工務店なんてすぐに吹っ飛ばせるんだぞ!」。そう叫ぶと、彼は俺の胸ぐらを掴んできた。周囲が慌てて止めに入り、店員に諭されて、ようやく手を離したが、彼は俺を睨みつけながら「覚えてろよ」と言い残して、仲間と一緒に去っていった。
数日後、俺は平松に呼び出され、彼の会社を訪れた。応接室には平松と、その父である社長が待ち構えていた。しかし、二人とも顔色がすぐれない。そして、席に着くなり、平松が一枚の書類を俺に見せてきた。「どういうことだ?」。それは、今後この会社とは取引しないという旨が記載された書類だった。俺が冷静に「書面通りの意味です」と返すと、平松社長がたまらず声をあげた。「銀行から受けられる予定だった100億の融資が白紙になったんだぞ!これは一体どういうことなんだ!」。
どうやら、彼らの会社は事業拡大のために大手銀行と多額の融資契約を結んでいたが、その契約が白紙にされたらしい。銀行が提示してきた契約内容には、俺の工務店への継続的な発注が必須条件として含まれていたのだ。つまり、俺たちとの契約が切れるなら、融資はできないと言われたのである。平松は焦ったように身を乗り出す。「なぜあんな大手の銀行が、お前のボロい工務店にこだわるんだ?」。平松社長も脅すように迫る。「今なら何も言わずに元に戻してやる。これを破棄しろ。お前のとこだって、うちから仕事が来なくなったら困るだろうが」。
俺は、楽観を禁じ得なかった。実は、俺は父の技術を高く評価してほしいと思い、工務店を継いでから地道に営業を重ねてきたのだ。その結果、ここ最近、複数の大口取引が立て続けに決まっていた。あの日バーにいたのも、実は新しい取引先との打ち合わせの帰りだったのだ。俺は淡々と答えた。「私の意思は変わりません。音社からの不当な金額や無茶なスケジュールでの発注を、これ以上受ける理由もないので、書面通り契約は終了します」。
平松社長は激昂した。「この恩知らずが!わしの父がいなかったら、あんな工務店などとっくに潰れておったくせに!」。俺は心の中で祖父に謝った。「ちいちゃん、ごめん」。そして、頭を下げて静かにその場を退出した。
それから数ヶ月が経った。平松親子の会社は、融資が白紙になったまま事業拡大も頓挫し、さらに彼らの手掛ける物件は急激に質が落ちたと噂され、業績は下がり続けているらしい。銀行が俺たちとの契約を条件に入れたのは、父の職人としての技術を高く買ってくれていたからだ。そして、その銀行とは俺たちも祖父の代からの付き合いだったのだ。
その後、平松親子が一度だけ押しかけてきて、再契約を持ちかけてきたが、彼らの横柄な態度は全く変わっていなかった。うんざりした俺は、「次からは警察を呼ぶ」と言って追い出した。一方、俺たちの工務店には、父の技術が評価されて注文が絶えない。俺は思う。過去は大切だが、そこに立ち止まってばかりでは成長がない。そして、これからもその信念を胸に、日々の仕事に励んでいこうと誓ったのだった。



