姉から電話がかかってきたのは夜の九時を過ぎた頃だった。洗い物の途中で手を拭きながら出ると、姉は「聞いたわよ、うちの人、外されたって」と噛みつくように言った。
「そう、そうって何よ。あんたの旦那に言ってよ。敬さんを総支配人に戻してよ。なんで私が姉妹でしょ」
姉の声が受話器の向こうで割れた。あの会議の日のことを思い出した。芦田さんが経費の調査結果を淡々と読み上げた時、姉は「何なのよ」と立ち上がった。芦田さんは四つの項目を挙げた。車両費の付け替えで二十万円、館内飲食の名目違約で二百三十万円、備品の仕入れで相場より百七十万円高い買い物、そして無料で泊めた部屋の分として売れていたら得られたであろう八百四十万円。
「金額の話ではないですね」と芦田さんは言った。「誰が承認したかが残っていないという話です」
姉は「私は悪いことなんてしてない。止まってって言われたから止まっただけよ」と繰り返した。友達を連れて行ったのだってみんな喜んでたし、ホテルだって部屋が埋まってた方がいいでしょ、と。けれど部屋はもともと埋まっていた。姉たちのためにお客様に移動してもらっていたのだ。
帰りの電車で、とまさんは「疲れましたね」と言った。私は「うん」とだけ答えた。「今日、さばさんは会議では何も言いませんでしたね」と言われて、「言うことがなかったから」と返した。姉が私に譲って正解だったと親戚の前で言った、あの日のことは、ずっと心に残っていた。
処分の話は年明けに出た。敬さんはロイヤルガーデン東京の総支配人の職を解かれた。車両費は全額返金、飲食の分も家族の利用と確かめられた分を返した。仕入れの差額百七十万円は業者から本人への流れが確認できず、警察に届ける話にはならなかった。部屋の八百四十万円は出ていった金ではないから返す形にはならない。会社は「管理職として任せることができない」という一文だけを理由に記した。
姉からの電話は「ずるい」で終わった。「あんた、あの時、何も言わなかったじゃない」と言われて、私は初めて自分の声が落ち着いていることに気づいた。「言っても笑われて終わりだったから。言わなかったのは私が弱かったからじゃない。言う相手がいなかっただけ。今はお姉ちゃんが聞いてるから言ってる。それだけだよ」
電話は姉の方から切れた。
それから五日ほどして、両親がうちに来た。母は玄関で「あら、前より広いのね」と言い、もっといいところに住めばいいのに、と続けた。父は湯のみを両手で持ったまま、なかなか本題に入らなかった。「あのな、家族なんだから一度みんなで食事でも」と父が切り出すと、母が「そうよ。とまさんも立派になったわね。あんな大きいホテルのオーナーさんってことになるの」と乗り出した。
「会社が持ってるだけだよ」と私が言っても、母は「社長さんの奥さんでしょ、あんた。行ってくれればよかったのに」と譲らない。鞄から折りたたんだ紙を取り出し、うちの会社が前の年に出した宿の一覧を広げた。「これ全部あんたのところなの? 」「会社が預かってる宿だよ」「すごいじゃない。近所に行ったらみんな驚いてたわよ」
私は湯のみを持ったまま父に聞いた。「お父さん、なんで? 」父は答えなかった。「立派になったから家族なんですか? 」母が「そんな言い方」と言いかけてやめた。「六年前の法事の日、親戚みんなの前でお父さんはなんて言った?

」父は湯のみを見ていた。「樋口さんへの義理は下の娘で果たした。そう言ったよね。私はその時、義理を果たすための道具だった。今は社長の奥さんだから家族なんだよね」
母が私の腕に触れようとした。私は避けなかったが、こちらから手を取りはしなかった。「絶縁するとは言わないよ。電話も出る。何かあれば行く。でも前みたいには戻らない」
父は最後まで何も言わなかった。帰る時、母が玄関で振り返った。「みずほのこと、たまには考えてやってね」私は頷かなかった。二人が出ていった後、玄関に残っていたのは私ととまさんの靴だけだった。私は二足を並べ直しながら、六年前に断らなかった理由をもう一度思い出していた。
敬さんはその後、自分から会社を辞めたらしい。姉は「総支配人じゃないなら意味ない」と言い、敬さんは「お前が客室を自分のもののように使ったのも原因だろう」と返したそうだ。今は別々に暮らしている。母から聞いた話だ。
一年が過ぎて、改装が終わった。ロビーの柱は動かせなかったが、照明を落とし、椅子の向きを変えただけで、床の光が落ち着いて見えた。新しいプランは思ったより早く動いた。二泊目に何もしなくていい過ごし方、朝食の時間を選べる仕組み、部屋に置く三十冊の本。どれもうちの宿でやってきたことだ。予約した客が予約した部屋に止まる。三年崩れていたそれが、元に戻った。
改装の途中で、私は手紙を書いた。宛先は結婚二十五年の記念日をあのホテルで潰された方だ。中林さんが申し出て通らなかった差額は会社から返した。その案内に同封して、私の名前で出した。返事は来なかった。それでいい。
あの雨の日の夕方、私はとまさんとラウンジにいた。「あの時、僕と結婚したことを後悔していませんか? 」と聞かれて、私は「してる」と答えた。「もっと早く自分から結婚したいって言えばよかった」と笑うと、とまさんは何秒か黙って「それは後悔とは言わないんじゃないですか」と言った。「じゃあなんて言うの? 」「順番の話だと思います」
この春から八年。私の順番を直すのにそれだけかかった。「まだ途中です」ととまさんが言った。初めて会った日、喫茶店で明り屋の帳面を見せてくれた時も、同じ顔で「まだ足りません」と言った。とまさんは背を起こして私を見た。「これからは言いたいことを先に言ってくださいね」「言うよ。あの喫茶店にいた私は、断り方ばかり考えてたもの」
姉はあの春、貧乏だとまさんをはれだと思った。でも私が選んだのは、いつか会社を大きくする男ではなかった。何も持っていなかった頃から、私を数の中の一人ではなく、一人の人間として扱ってくれた人だった。あの日、「嫌なら断ってください」と言われていなければ、私は多分今もどこかで誰かの順番を待っていたはずだ。
順番を待たされた人は、大抵黙って帰る。だからこそ、書いてくださったお客様の声は、これからも自分で読んでいきたい。姉が自慢していたあのホテルは今も私たちの会社が運営している。あの計画書の一番上に書いた一行も、まだ生きている。
「ご予約で決まっているお部屋は、後から動かさない」

