上司が俺の企画を無理やり奪い、社長と契約に行こうとした時は、頭が真っ白になった。悔しくて、泣きそうだった。俺が「手話ができないと契約できない」と報告書に書いておいたのに、奴は流し読みすらしなかった。契約会場で先方の担当者が手話で挨拶した瞬間、社長が言ったんだ。「原田君、さすがだな」。その時の上司の青ざめっぷりったら、なかった。必死に俺に助けを求める奴を見て、俺は決めた。今回は助ける。でも、こ…

上司が俺の企画を無理やり奪い、社長と契約に行こうとした時は、頭が真っ白になった。悔しくて、泣きそうだった。俺が「手話ができないと契約できない」と報告書に書いておいたのに、奴は流し読みすらしなかった。契約会場で先方の担当者が手話で挨拶した瞬間、社長が言ったんだ。「原田君、さすがだな」。その時の上司の青ざめっぷりったら、なかった。必死に俺に助けを求める奴を見て、俺は決めた。今回は助ける。でも、こ...

重い沈黙がエレベーターの中に落ちていた。契約の時間まであとわずか。社長と、俺の企画を奪った上司の原田さんと、そして俺。誰も口を開かないほど、空気は張り詰めていた。俺の心の中は、悔しさでいっぱいだった。原田さんは何も努力せずに、俺が何ヶ月もかけて作り上げたプロジェクトを、まるで自分の手柄のように奪い取ろうとしている。

俺の名前はカン太。25歳。友達からは「赤んたれのカン太」とからかわれてきた、いたって普通の「そこそこ人間」だ。小学校の頃から成績は人並みで、地元の普通の中学校に進学した。中学では、不良たちにビクビクしながらも、なぜか「正確が面白い」と言われて気に入られ、少しだけ仲良くなった。高校は通学時間を考えて近所の学校を選び、初恋にうつつを抜かして成績は伸び悩んだ。大学に学びたいことも特になく、また通学のことを考えて、結局は地元の三流大学を受験して合格した。

大学で打ち込んだのは、手話サークルと障害者支援のボランティアだった。楽しくて、充実していた。しかし、そのせいで高校から付き合っていた彼女とは遠距離恋愛が続かず、振られてしまい、しばらくは立ち直れなかった。辛かった。それでもサークルとボランティアに打ち込むことで、失恋の痛みを忘れていった。就職活動の時期が来ると、成績表だけでは通用しない厳しさを知った。しかし、サークルやボランティアでの経験を胸に面接を乗り越え、3年前に地元ではそれなりに名の知れた企業への就職が決まった。

「みんな、おはよう!」

いつものように明るく挨拶しながら出勤してくるのは、直属の上司である原田さん。10歳年上で、一流大学を卒業したエリートだ。仕事はそれなりにできるし、管理職からの評判も高い。しかし、この原田さんはかなりずる賢い男だった。仕事が回ってくると決まって、俺たち後輩に雑用を押し付け、自分は努力せずに成果だけをかっさらおうとする。

「おい、カンタ。頼んでいたA社の資料はできたか? 明日部長に提出するからな、頼んだぞ」

そう言って、よく俺の頭を書類で叩く。学歴の低い俺たちには、いつも見下した態度を取る。大人になっても「赤んたれ」と呼ばれるとは思っていなかった。悪夢だ。先日も、俺が3ヶ月間、夜12時まで続けた過酷な残業の末に成し遂げた業務を、原田さんは自分の手柄として平気で報告した。さすがにこの時は、仕事を辞めようかと思った。しかし、同期や先輩たちが飲み会を開いて慰めてくれた。「次はやり返そう」と集会のように盛り上がりながら、なんとか今日まで耐えてきたのだ。

そんなある日、車内の掲示板にアイデアコンテストのポスターが貼られていた。毎年恒例の社内イベントだ。ポスターを見ていると、またしても原田さんが現れて、足元を見るように言ってきた。

「低学歴のお前が考えたアイデアなんて、誰が採用するんだ?」と、上から目線で馬鹿にしてくる。「そうとは限らないですよ。挑戦してみることが大事だと思います」と、珍しく俺が言い返すと、原田さんは鼻で笑って去っていった。

同期に背中を押され、俺はそのコンテストに応募した。サークルやボランティアで得た知識を活かして、アイデアを絞り出した。すると、なんと俺の提案が優秀賞に選ばれたのだ! 信じられなかった。課長や部長からも高評価をもらえて、さらに嬉しいことに、そのアイデアを元に、ある有名企業とコラボレーションしたイベントを自分が主催でやることになったのだ。社長もかなり期待してくれている。

社長は、この会社を一代で築き上げた努力家で、努力しない者には冷たい態度を取ると噂されている。このイベントを成功させれば、会社の未来が開ける。俺は全てを注ぐつもりで準備を進めた。一方、原田さんは俺が優秀賞を取ったのが気に入らないようで、相談しても「勝手にやれ」と突き放した。

準備は順調に進み、いよいよ契約当日を迎えた。朝、社長が俺たちの部署に来て、こう言った。「原田君、イベント開催は問題ないかね? 今日は大事な契約の日だ。頼んだぞ」。すると、原田さんは「はい! 準備は万全です!」と、これまでの経緯を知らない社長の前で、さも自分が仕切ってきたかのように話し出した。俺の心の中は、怒りと悔しさで爆発しそうだった。そして、恐れていた瞬間が来た。社長が去った後、原田さんは俺の前で、得意げに言った。

「すまないな、カンタ。この契約は俺が結ぶことになった。お前はもういい」

俺は何も言えなかった。俺が3ヶ月間、寝る間も惜しんで準備してきたプロジェクトを、横取りされまいと必死に伝えたにも関わらず、原田さんは聞く耳を持たない。結局、俺はプロジェクトを全て引き継がれた。悔しくて、悔しくて仕方なかった。もし原田さんが企画内容をきちんと把握せずに契約に臨み、失敗でもしたら、今度こそ会社を辞めてやろうと心に誓った。

契約の時間になり、心配で俺も会場まで同行することにした。エレベーターで社長と一緒になり、沈黙の中、会場へ向かった。俺が企画したのは、AIを使った手話アプリの発表イベント。大学のサークルで障害のある方々と交流してきた経験から生まれた画期的なものだ。だから、相手方の企業の担当者には、手話を使う聴覚障害の方も含まれている。当然、会話は手話で行う必要があった。しかし、俺はこの重要な事実を、報告書にわざわざ「手話」という言葉を記載しておきながら、契約に使用する言語としては「主として手話を用いる」と明記しなかった。

原田さんは、その事実を知らないまま会場に乗り込んだ。そして、先方の担当者が手話で挨拶を始めた時、完全に動揺した。社長も気づいて、声をかけた。

「原田君、あの君も手話ができるんだな。さすがだ」

その言葉に、原田さんは青ざめ、俺に助けを求めるように泣きついてきた。ざまあみろ、と思った。しかし、放っておくわけにもいかない。俺は原田さんの代わりに、作成してきた企画を一つ一つ、丁寧に手話で説明した。原田さんは隣で頷くだけで、何もできなかった。なんとかその場は乗り切り、契約を成立させることができた。

契約後、社長は原田さんを大いに叱責し、今までの信用は完全に失われた。俺は「原田さんが手話をできるか確認しなかったのか」と少し注意されたが、契約が成立し、プロジェクトが成功したので、高く評価されてくれた。そして、事件を起こした原田さんは、俺の前で泣きながら、全てを謝罪してきた。過去の横暴な振る舞いや手柄の横取りも全部、謝ると言う。俺は許した。許さないと、俺まで原田さんのように心が醜くなってしまいそうだったから。

このコラボレーションはテレビでも取り上げられ、会社も俺の名前も一時的に有名になった。学歴が全てではない。自分が積み上げてきた経験が、いつか必ず点と点を繋げてくれる。赤んたれのカン太は、見事に大逆転を果たしたのだ。

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