夫は離婚届を私に投げつけるように差し出し、吐き捨てるように言った。「妹を妊娠させた。離婚してくれ。」その目には一片の愛情もなく、続けてこう付け加えた。「お前は本当に何の役にも立たなかったな。最初から千佳と結婚していればよかった。さっさと出て行け。」
あまりの出来事に言葉を失う私の横で、義母も勝ち誇ったように笑った。「これでやっと孫の顔が見られるわ。よかった、よかった。」二人の言葉は刃のように鋭く、私の心を切り裂いていく。手の甲に涙がぽつりと落ちて、ああ、私は今泣いているんだと気づいた。何も言い返せず、ただ頷くしかなかった。私は素直に離婚に応じ、翌日には荷物をまとめて実家へ戻り、離婚届を市役所に提出した。
その夜のことだった。実家でひとり過ごす私のスマホに、元夫から電話がかかってくる。忘れ物でもしたのだろうかと出ると、電話越しに聞こえてきたのは、信じられないような言葉だった。「おい、お前、どこで何してんだよ。さっさと戻ってきて、お袋の介護をしろ。離婚しても介護は続けろよな。」
私は内心、冷笑していた。もう他人になった私に、どんなに圧力をかけても、その手は通じない。それなのに、まだ自分が私を支配できると思っているのだろうか。私は静かに、しかしはっきりと、元夫にある事実を告げた。すると、電話の向こうで彼が狂ったように騒ぎ始めたのだ。
私の名前は萌え。普通の会社員として働く私は、同僚の紹介で美樹夫という男性と出会った。彼は同じ会社で働く、爽やかな笑顔が特徴の営業マンだった。友人の紹介を通じて何度も話を重ねるうちに意気投合し、お互いの年齢も考えて、交際期間はわずか数ヶ月で結婚した。
結婚後もしばらくは同じ職場で働いていたが、義母の民子が突然の事故に遭い、寝たきりの生活になってしまう。当然、必要になるのは介護だ。本心ではなかったが、妻として義母の面倒を見なければならないと思った。仕事をしながら介護をするのは無理だと判断し、私は会社を辞めて義母の介護に専念することにした。美樹夫からも「負担を少しでも減らしたい」という提案があり、私たち夫婦は二人で暮らしていた家から、義実家へと移り住んだ。
義父はすでに他界しているため、働いている美樹夫の代わりに義母の面倒を見られるのは私だけだった。自分にできることは精一杯やった。朝から晩まで献身的に義母の世話をし、食事も入浴も、すべて私一人で行った。一日のうち、自分の時間よりも介護に費やす時間のほうが長い。それなのに、義母から感謝の言葉は一言もなかった。
毎日繰り返し浴びせられるのは、「手際が悪い」「心がこもっていない」といったダメ出しばかり。そんな生活が三ヶ月続いた、ある休日のことだった。リビングでは、美樹夫がソファに横たわり、録画したドラマを見ていた。一人で介護を続けてきた私はさすがに疲れ果てていて、彼の背中に声をかけた。
「ねえ、美樹夫。今日は仕事、お休みでしょ?お母さんの食事の世話、少し手伝ってくれない?」
この言葉をかけるのに、私は少しドキドキしていた。この三ヶ月の間、美樹夫が義母の世話を手伝ってくれたことなど一度もなかったからだ。それでも、少しでいいから自分の時間が欲しいという気持ちを込めて、勇気を出して頼んだ。だが、夫から返ってきた言葉は、私の予想をはるかに超えるものだった。
「はあ?俺は休みなんだよ。それよりさ、玄関の新聞取ってきてくれない?」
そんな返答をされるとは思っていなかったのだろう。美樹夫は話をそらすようにスマホを手に取り、ロック画面を見て何かのメッセージを確認すると、焦ったように私を睨みつけた。
「お前、勝手に人のスマホを見たのか?」
私は何も見ていない。ただ、新聞を取りに行かされただけだ。それなのに、なぜ彼はこんなにも動揺しているのか。その瞬間、私は違和感を覚えた。そして、その違和感は、やがて大きな真実へとつながっていくことになる。
私は何も言わず、ただ静かに彼を見つめ返した。すると、彼の顔から血の気が引いていくのがわかった。彼は何かを隠している。そして、その隠し事が、私の人生を根本から覆すことになるとは、この時はまだ知る由もなかった。



