「お前、首よ。残念です」そう言われた瞬間、私は何が起きたのか理解できなかった。私の個室に、今日赴任してきたばかりの女部長が乗り込んできて、私の机の前でそう宣言したのだ。彼女は私のことを同期だとも気づかず、この部屋を開け渡せと命令してきた。私は冷静に「残念です」と返したが、周りの社員たちが一斉にガクガクと震え出したのは、まさか彼女が無能な女部長だからではない。私がこの会社で誰なのかを、彼女だけ…

「お前、首よ。残念です」そう言われた瞬間、私は何が起きたのか理解できなかった。私の個室に、今日赴任してきたばかりの女部長が乗り込んできて、私の机の前でそう宣言したのだ。彼女は私のことを同期だとも気づかず、この部屋を開け渡せと命令してきた。私は冷静に「残念です」と返したが、周りの社員たちが一斉にガクガクと震え出したのは、まさか彼女が無能な女部長だからではない。私がこの会社で誰なのかを、彼女だけ...

「さえない顔してるわね。お前、首よ。残念です」

新しいシステム開発部長の河原さえが、俺の個室でそう言い放った。彼女は俺が使っている部屋が欲しいから開け渡せと言ってきたのだが、当然断った。そして俺の顔を見て首だと言ってきたのである。

身に沿わないものを容赦なく切り捨てるなんて、管理職の風上にも置けない女だなと思い、俺は「残念です」と言ったのだが、他の社員たちを見ると皆一様にガクガクと震え出している。俺の顔がそんなに怖いのかと思ったが、そうではなかった。彼女はこの瞬間、失ってはいけないものを失ったことにまだ気づいていなかった。

しかし一方で、彼女は自分だけの空間について全く諦めていなかったのである。

俺の名前は三代直樹。45歳だ。大手メーカーの本社勤務でシステム開発部に所属し、工場で使うプログラムを開発し、管理者として働いている。3人家族で俺と妻、そしてもうすぐ高校卒業する息子がいる。妻はパートで働いており、息子も高校を卒業したら働く予定だ。大学へ進学しても良かったのだが、本人がもう勉強したくないというので息子の意思を尊重した。

開発部には今日から部長が移動してくるという。部長の席は長らく空席だったからありがたいが、どんな人が来るのかと移動した時から気になって仕方がない。システム開発部はチームワークが命なので、場の雰囲気を壊さない空気を読める人だといいなと思っている。

そしてとうとう部長が移動してきた。やってきたのは、場の雰囲気を破壊する空気の読めない無能な女部長だった。実は俺と彼女は同期なのだが、どうやら彼女の方は俺のことを覚えていないらしく、顔を見ても何とも言わなかった。彼女の名前は河原さえ。俺の記憶だと入社当初の河原は全く仕事ができなかった。しかし上にへらうのは上手で、今彼女が部長職についているのもきっと媚びへらった結果なのだろう。今は少しは仕事ができるようになっているのだろうかと興味があった。

俺のオフィスは他の社員と違い個室である。システム開発部の一番奥まった部分にある全面ガラス張りの個室内こそが俺のオフィスだった。

「失礼するわ。ここは今日から私の部屋よ。どきなさい」

は、この女一体何を言っているのだろう。ここは俺に与えられた個室である。工場で使うプログラムを開発し、その管理者となった俺への社長からのプレゼントとして当てがわれたものだ。部長だからと言ってこの部屋を使うなんて許されることではない。にしても河原、俺のことをこれほど間近で見ていてもまだ同期だと思い出さないのだろうか。

「あの、どちら様ですか?」

俺はまず名乗ってから物を言えと思い、彼女に名前を聞いてみた。

「私の名前が知りたいの?河原さえよ。今日付けで移動してきたの。役職は部長よ」

河原は何の感情もこもらない目で俺を見ると、「さっさとどきなさいよ」とせかしてきた。

「待ってください。河原部長。こちらの席の方は」

俺は河原の背後から俺の室内を覗く西城と目が合うと、何も言うなと首を横に振った。河原は俺のデスクの前まで歩み寄った。

「さっさとどきなさい。なら、意外と書類が少ないのね」

俺は何かご用ですかと聞いてみた。まさか本当にこの部屋を乗っ取る気ではないだろうな。

すると河原は焦ったように言う。

「さっきから何度も言っているわ。この部屋を開け渡しなさい。なぜ?自分だけの空間なんていいじゃない。私にふさわしいわ。それに私は部長なの。この部署で一番偉いのよ。私の言うことに従いなさい」

だんだん彼女の動きが荒くなっていく。だが俺は動かず、彼女の命令を無視した形となった。こんなやり方で部屋を追い出そうとする人間など、果たしてこの世に存在するだろうか。

河原は全身を震わせながら、今にも机を蹴り飛ばしそうな勢いでこう叫んだ。

「最後に言うわ。この部屋から出て行きなさい。さもなければ、あなたをこの部署から追い出すわよ。私は部長よ。その権限があるの」

その瞬間、西城が何かを言おうと口を開きかけたが、俺は再び手で制した。河原にはまだ気づいていない。俺が誰なのか。そして、この部屋がなぜ俺に与えられたのかを。

俺はゆっくりと立ち上がり、河原の目をまっすぐに見つめた。

「河原さん。あなたは本当に私にこの部屋を開け渡しろと言うのですか?」

「ええ、そうよ。何度も言わせないで」

「わかりました。では、この件は社長に相談させていただきます」

その言葉を聞いた瞬間、河原の顔色が変わった。

「し、社長?なぜ社長が出てくるのよ。部署内のことは部長である私が決められるの」

「そうですか。では、この部屋が誰のために用意された部屋なのか、あなたはご存じないようですね」

河原が混乱した表情で周囲を見回すと、西城が小さくため息をついた。そして静かに口を開いた。

「河原部長。その方は三上専務です」

「は?専務?」

河原は信じられないものを見るような目で俺を見た。

「そ、そんなはずない。専務がこんなところでプログラミングなんてやってるわけがない」

「本当ですよ。三上専務はシステム開発の第一人者で、この部屋は開発部門の最高責任者として使われてきたんです。部長の席が空いていたのは、三上専務の監督下で新しい体制を整えるためだったんです」

西城の説明を聞いても、河原はまだ半信半疑のようだった。

「だ、だったらなぜ私が部長として送られたのよ。そんな話は聞いていないわ」

「それは河原さんの能力を評価してのことでしょう。ただし、あなたの役職は部長でも、この部屋は専務のものです。あなたがこの部屋を乗っ取ることは、会社の組織構造を無視する行為に当たります」

俺は静かに言った。

「河原さん。私はあなたが部長として働くことを歓迎します。しかし、この部屋は私のものです。あなたの部屋は、私の隣に用意されています」

河原は顔を真っ赤にしながらも、もはや何も言えずにいた。そして、ようやく「す、すみませんでした」と小声で謝り、自分の部屋へと移動していった。

その後、河原は部長として働き始めたが、最初の出来事が尾を引いたのか、彼女の対人関係はぎこちないままだった。彼女は仕事自体はそれなりにこなしたが、社員たちとの距離は縮まらず、次第に孤立していった。結局、彼女は一年も経たないうちに別の部署へ異動となった。

俺はその日から、これまで通り自分の部屋でプログラム開発に専念し続けた。そして、あの出来事は、会社の中で「河原部長の失敗」として語り継がれることになった。河原が俺の同期だったことを知ったのは、それからずっと後のことだった。

Thumbnail