嫁は雑煮の汁だけすってろ——姑・さち子の高い声が新年の宴に響き渡った。私の前に置かれた雑煮の丼には餅も具も何ひとつ入っていない。ただ濁った汁がなみなみと注がれているだけだった。大晦日から商品のクレーム対応に追われ、私は一睡もしていなかった。それでも嫁の務めを果たそうとふらつく体で必死に準備を整え、ようやく席に着いた私への仕打ちがこれだった。
呆然とする私を見下ろし、さち子は勝ち誇ったように言い放った。「あんたみたいにろくに稼ぎもしないお荷物に具なんて、もったいないのよ」
周囲の親戚が戸惑う中、夫の竜一までもが笑みを浮かべて同調した。「はは、母さん、うまいこと言うな。数億円の案件を控えてる俺にとって、お前みたいな貧乏神がそばにいると運気が悪いんだよ。さっさと消えろ」
信じていた夫からの、あまりに無惨な言葉。疲労の果てに尽くしてきた私への報いが、この理不尽な侮辱と傷だった。私の中で何かが音を立てて切れた。もう、限界だった。
私の名は瀬名みなみ。竜一と結婚して3年目になる。出会いは大学の麻雀サークルだった。卒業と同時に入籍し、私は夢だったオンラインセレクトショップを立ち上げた。最初は小さな店だったが、事業は少しずつ軌道に乗っていった。しかし、二人の平穏な生活は竜一の異常なオンラインゲームへの熱中によって脆くも崩れ去った。
連日の徹夜で、竜一は会社への遅刻を繰り返すようになった。当然、上司から厳しい叱責を受ける。だが彼は反省するどころか、信じられない言葉で逆切れした。「俺ほどの才能を理解できないなんて、あの会社は終わってる」
そう言い放ち、竜一は入社からわずか半年で自ら会社を辞めてしまった。その後、彼の就職活動は迷走を極めた。面接に落ち続けるうちに、彼のプライドは歪んだ形で肥大化していく。「どうせどこも俺を使いこなせない。そもそも日本は俺のスケールに合ってないんだ」
現実から目をそらし、言い訳ばかりを並べる夫の姿に、私は途方に暮れた。このままではいけない。悩んだ末、私は唯一頼れる兄の優に相談を持ちかけた。兄は小さな清掃会社を経営している。
「事情は分かった。うちでよければ、アルバイトとして雇うよ」
兄の温情に、私は心から感謝した。これで竜一も少しは現実と向き合ってくれるはず。この時の私は、まだそう楽観的に考えていたのだった。
しかし、兄の会社で働き始めた竜一は、想像をはるかに超えて歪んでいた。彼はなんと姑のさち子に「俺はヘッドハンティングされて大手の海外事業部に引き抜かれたんだ。年収も前の会社の3倍以上だよ」という、とんでもない嘘をついていたのである。
その日から、さち子の私に対する態度は手のひらを返したように変貌した。実家に顔を出すたび、私を蔑むような視線を向け、わざとらしいため息をつくようになった。「あら、みなみさん。お兄様は掃除屋さんなんですってね。汗水流して働くのも結構だけど、エリートの竜一とはもう住む世界が違うわね」
ある日、私は決定的な証拠を掴んだ。それは偶然見つけたメールの履歴だった。竜一がさち子に送った内容——そこには「母さん、もう少し強く出てやってくれ。あいつが家を出て行けば、慰謝料も払わなくて済むんだ」と書かれていた。私を追い出すために、姑と夫が共謀していたのだ。
怒りと絶望で頭が真っ白になった。私はスマホを握りしめ、兄に連絡した。「お兄ちゃん、知ってる? 竜一がママに嘘をついてた。あの人の収入は全部……自分のゲーム課金に消えてたんだ」
兄は驚きつつも、冷静に言った。「みなみ、証拠はあるのか?」
「あるよ。通帳も、請求書も、全部残ってる」
「なら、弁護士に相談しよう。俺も付き添う」
数日後、私は集めた証拠を持って弁護士事務所を訪れた。そして、竜一との離婚調停を申し立てることにした。前もって、義母の虐げと夫の虚偽に耐え続けた記録——診断書も、録音データも、すべて揃えていた。
調停当日、私は初めてさち子と正面から向き合った。彼女は相変わらず高飛車な態度を崩さなかった。「どうせ裁判になっても、あんたに勝ち目なんてないわよ。世間は夫の味方よ」
私は静かに、しかし確かな声で言った。「お義母さん、竜一さんがゲームに使い込んだお金の請求書、ご覧になりますか?」一枚の書類を差し出すと、さち子の顔色が一瞬で変わった。そこには、彼の口座から毎月五十万円以上が消えていた記録がある。それも、彼が無職でいる間も、妻の収入から捻出されていた。
「あ、あんた……」
「私は、もう泣き寝入りしません。この調停で、すべてを明らかにします」
その場の空気が凍りついた。竜一は慌ててスマホを触り始めたが、時すでに遅い。私は、弁護士を通じて提出する証拠の一覧表を机の上に広げた。さち子の顔から、みるみる血の気が引いていく。
調停は、終始私のペースで進んだ。竜一もさち子も、虚偽の主張が次々と崩れていくのを指を咥えて見ていることしかできなかった。
結局、私は離婚に加え、慰謝料を獲得した。竜一はこれまで2年間、兄の会社で働かずにゲームに没頭していたのが露呈し、音を上げて離婚調停に応じざるを得なかったのだ。さち子も、自身の息子をかばい続けた末の敗北を認めるしかなかった。
私が実家を出て、新しくアパートに移り住んだのは、その翌月のことだった。兄が「お前はよくやった」と、静かにビールを差し出してくれた。もう、義母の声も、夫の嘲笑も、二度と聞こえない。
私は自分の店を、あれからも続けている。あの時以来、私は誰かの機嫌を取るために、自分の人生を消耗させることはしないと決めた。雑煮の汁だけ啜って、黙って従う女は、もうここにはいない。



