結婚10周年の祝賀会。高級レストランの個室には50人もの親族や友人が集まっていた。私は隅のテーブルで、息子夫婦の幸せそうな姿を静かに見つめていた。スピーチの時間になり、息子が立ち上がる。義理の娘への感謝の言葉が延々と続いた後、私への言及はたった一言だった。
「母さんとは品が違うし、センスも全然違う。この前も義母は高級ワインをプレゼントしてくれたけど、母さんは手作りのジャムでしょう。俺、正直恥ずかしいよ」
笑顔で放たれたその言葉に、周囲からは気まずい視線と、一部のクスクスという笑い声が漏れた。私の中で何かが音を立てて崩れ落ちていく感覚がした。35年間、すべてを捧げてきたのに。
30年前、夫を病気で失った。当時7歳だった拓を女手一つで育て上げた。朝は5時に起きて弁当を作り、夜遅くまで働いた。自分の服は10年着回しても、息子の教育費だけは決して惜しまなかった。大学院までの費用、結婚式の資金、マイホームの頭金。合わせて2500万円以上。すべて息子の幸せのためだった。
比較は些細なことから始まった。月に一度の家族の食事会で、私が作った煮物を一口食べた義理の娘が顔をしかめる。「うちの母が作るフレンチはどれも絶品なんです。お母さんの和食はちょっと格が違うって言うのかしら」と。私は笑顔で「そうなのね」と答えるしかなかった。
孫のひなの誕生日。3週間かけて夜遅くまで編んだ手編みのセーターは、義母からの最新ゲーム機の前でひっそりと置かれた。「手編みなんて今時誰も喜ばないよ」と息子は言った。その言葉に、私は何も返せなかった。
息子は不動産会社の営業課長。プライドが高く、見栄を張るタイプだった。次第に私を見下すような目をするようになり、「母さんには分からないかもしれないけど、勝ちってものがあるんだよ」と口にするようになった。
そして3ヶ月前、突然の通知。私が住んでいた家を売却するという。勝手に手続きを進めたのは息子夫婦だった。「老後は施設に入ってください」と。私は何も言えずに荷物をまとめ、古いマンションの一室に移り住んだ。
それから一度も連絡はなかった。孫の顔すら見せてもらえなかった。そんな中、今朝届いたメッセージ。何かの間違いかと思った。「お母さん、お願いです。話を聞いてください」と。仕事を失い、家を追われ、義母にも断られたらしい。「お母さんしか頼る人がいません」と。
私は静かにコーヒーを飲み続けた。窓の外ではカモメが気持ちよさそうに飛んでいる。こんなに穏やかな朝を過ごせるのは、いつぶりだろう。


