徹夜が続いた。オフィスの静寂に、機械の駆動音だけが響いていた。真辺高一は、一ヶ月間ほぼ休みなく働き、ようやく試作品を完成へと導いた。
大手企業との重要プロジェクト。成功させれば会社の未来が変わるかもしれない。夢ではない、確かな手応えがあった。
完成した日の夕方、上司の何気ない一言が、全てを壊した。
「こんなもん作ってるから、お前は無能なんだよ」
真辺高一は、中堅製造メーカーで十年働く技術者だ。華やかな経歴はない。地方の理系大学を出て、コツコツと目の前の仕事に向き合ってきた。部品の設計補助から始まり、改良、評価、量産化の調整。地味だが着実に経験を積み、失敗しても原因を突き止めて次に活かした。やがて社内でも信頼を得て、複数のプロジェクトを任されるようになった。実績は、彼の誇りだった。
そんな彼に、転機が訪れた。社長に呼ばれた会議室で、大手企業との共同開発プロジェクトへの抜擢が告げられた。社運を左右する重要案件、技術部門の代表として試作品開発のリーダーに選ばれたのだ。先方からは初回提示で完成に近い形の試作品を求められた。開発スピードと完成度の両立。大きなプレッシャーだったが、逃げたいとは思わなかった。自分がどこまでやれるのか、試したかった。
その日から、生活は激変した。日中は会議と作業、夜は設計と試作。平日は深夜まで、土日も会社に泊まり込んだ。誰にも頼らず、責任は全て自分で負った。体は悲鳴を上げていたが、あと一歩で完成するという希望だけが支えだった。
そんな彼の前に現れたのが、社代竜二。営業部から移動してきたばかりの新人上司だった。社代は現場のことを理解していなかった。効率が悪い、数字が出ていない、結果を急げと一方的に命じる。技術開発の難しさを訴えても無駄だった。彼にとっては、手順も背景もどうでもよく、短期間で成果が出るかだけが関心だった。
「そんなやり方じゃ時間の無駄だ。お前の手法は非効率だ」
日常的に浴びせられる言葉に、精神的に追い詰められていった。それでも彼は耐えた。今はプロジェクトを成功させることだけに集中すべきだ。そう自分に言い聞かせながら。
あの日、ついに彼の努力は、思いもよらぬ形で踏みにじられた。
完成した試作品を見て、社代は嘲るように言った。
「こんなもん作ってるから、無能なんだろう。本当にそれで壊していいものか分かってるのか?」
真辺は、反論した。段階的に検証しながら進めないと危険だと。だが、社代の声の調子が変わった。低く、鋭く。
「逆らうのか。上司に対して意見するっていうのは、そういうことか」
オフィスに沈黙が支配した。冷たい空気に、嫌な汗が背中を伝う。真辺は言葉を失いかけた。
「お前さ、最近ちょっと調子乗ってないか?」
次の瞬間、社代が手に取ったのは、完成したばかりの試作品だった。真辺の一年分の努力の結晶。彼の開発した試作品が、目の前で床に叩きつけられた。砕け散る音。破片が飛び散る。その光景を、真辺は呆然と見つめることしかできなかった。
「無能には、こんなもんがお似合いだ」
社代はそう言い残して、オフィスを去っていった。
床に散らばった試作品の破片。真辺は、それを拾うことすらできずに、立ち尽くしていた。怒りよりも先に、何かが心の中で凍りつくのを感じた。十年間積み上げてきたもの。誇り。それは、たった一言と、一瞬の行動で、粉々に砕かれた。
だが、彼は泣かなかった。その代わりに、心の中で何かが静かに燃え始めるのを感じた。それは復讐心か、それとも別の何かか。真辺は、散らばった破片の中で、ただ一つだけ無事だった部品を拾い上げた。それは、おそらくこのプロジェクトの核心部分をつかさどる、唯一無二の部品だった。



