「派遣が社員旅行なんて行けると思ったのか?派遣が行けるわけないだろう。バカだなあ。」
社員旅行の当日、俺たち家族の分だけ席が用意されていなかった。いつも俺を派遣社員と見下してくる課長の仕業だった。
「そもそも派遣が社員旅行って常識なくないか?」
「あはは、派遣だからそういう常識も知らないのか。」
俺は思わず拳を握りしめた。いくらなんでもひどすぎないか?そして、しっかりと準備している大きなカバンと俺の妻を見て、さらに課長が馬鹿にしたように笑った。
「めっちゃ行く気満々じゃないですか。すみません、奥さん。派遣の彼が勘違いしちゃったみたいで。でもまあ、あなたもあなたですよ。こんな派遣が夫じゃね。ほら、派遣は電話番でもやっておけよ。」
そう言うと課長は俺の背中をどんと叩いた。しかし、この課長の行動が後に彼が地獄に落ちる幕開けとなるのだった。
俺は吉田洋一。少し前までは今と違う会社にいて、ごく普通のサラリーマンをしていた。だが、わけがあって33歳という年で大手IT会社に入社した。入社したのは妻のほのかの口利きだった。
ほのかとは大学生の頃に知り合い、5歳の息子もいる。可愛い可愛い、ほのかとの子供だ。保育園に通っていて、毎日その様子を俺に教えてくれる。たまに覚えたての言葉を何度も俺に自慢してくるのだから、可愛くてたまらなくて、たくさん頭を撫でて褒めてやる。
「甘いお父さんね」なんてほのかに笑われていた。家族3人でとても幸せだ。
そんな幸せで楽しい生活をしていたが、仕事はどうか。33歳の家庭持ちで転職なんて大変すぎると思うだろう。実際、俺もほのかの言葉に少しビビっていた。
仕事が決まった日、ほのかに口利きで採用となった部署の名前を家で聞かれた。
「営業2部だよ。」
正直に答えると、ほのかは難しい顔をして首をかしげた。
「よりによってなんでその部署なの?なんか問題でもあるのか?」
「うーん。問題というか、なんというか。1番人の出入りが激しい部署よ。辞める人が多いってこと?」
ほのかはそれ以上言わなかった。俺を不安にさせたくなかったのだろう。だが、働いた経験のあるほのかにそんなことを言われてしまったら、不安になるに決まっている。仕事当日には緊張して手汗が出たものだ。
ドキドキしながら行ってみるが、特に問題なさそうだった。あれ、思ったより普通というか、みんないい人そうだぞ。
だが、ほのかの言っていた意味が分かったのは、とある人物に出会ってからだった。
「あ、課長お疲れ様です。今は1週間後に提出予定の…」
「いやいや、君は派遣でしょ?派遣は無能なんだから、電話番でもやっておけよ。」
そう言われたのは、配属初日のことだった。俺は派遣というだけで、その瞬間から課長の標的になってしまったのだ。
最初のうちは、我慢すれば何とかなると思っていた。だが、課長の嫌がらせは日に日にエスカレートしていった。
「おい、派遣。コーヒー買ってこい。」
「おい、派遣。お前のせいで納期が遅れるんだぞ。」
「おい、派遣。お前みたいな無能がいるから、この会社はダメなんだ。」
何をやっても怒られる。ミスをしたわけでもないのに、毎日のように怒鳴られた。周りの社員も、課長を恐れて何も言わない。
「派遣だからって、そんなに馬鹿にすることないじゃないですか。」
俺がそう言うと、課長は笑いながら言った。
「派遣が何言ってるんだ?派遣は所詮使い捨てだろ。辞めたければ辞めればいい。どうせお前には家族もいないんだろ?」
家族の話を出されて、俺の心は凍り付いた。確かに、俺は派遣社員だ。正社員ではない。だが、家族を養っている。それなのに、課長は俺を人間として見ていない。
毎日毎日、課長の嫌がらせは続いた。俺は家に帰っても、そのことを話せなかった。ほのかに心配させたくなかったからだ。
「お父さん、今日は何してたの?」
息子の太一が笑顔で聞いてくる。俺は無理に笑って答える。
「お父さんはね、今日も頑張って働いてたんだよ。」
「すごい!お父さんはすごいね!」
太一の笑顔が、俺の心の支えだった。この子のために、この家族のために、俺は頑張らなければならない。そう思っていた。
だが、そんな俺の決意を打ち砕く出来事が起きた。
それは、ある金曜日のことだった。社員旅行の案内が配られたのだ。
「来週の金曜日、社員旅行があります。場所は温泉旅館です。」
社内メールで知らされた。俺も参加するつもりでいた。だが、課長が俺のところに来て言った。
「おい、派遣。お前は社員旅行に行けないぞ。」
「どうしてですか?」
「派遣は社員じゃないだろ。社員旅行は正社員だけのものだ。」
「でも、他の派遣の人たちは…」
「あの連中は特別だ。お前は違う。お前は無能だから、当日は電話番でもやってろ。」
そう言って、課長は笑いながら去っていった。俺は悔しさで震えた。
だが、俺は諦めなかった。家族と相談して、妻のほのかに言った。
「社員旅行があるんだ。家族も参加できるらしいんだ。」
「本当?じゃあ、太一も連れて行けるね!」
「ああ、楽しみだな。」
俺は、課長に反論する決意を固めていた。正社員じゃなくても、家族と一緒に行きたい。そう思ったのだ。
そして、社員旅行の当日。俺は妻と息子を連れて、集合場所に向かった。
「お父さん、早く早く!」
太一ははしゃいでいる。俺も笑顔で答えた。
「ああ、行こう。」
だが、その瞬間、課長が近づいてきて、俺の前に立ちはだかった。
「おい、派遣。何をしているんだ?」
「社員旅行に行きます。家族も一緒に。」
「は?お前、派遣が社員旅行なんて行けると思ったのか?派遣が行けるわけないだろう。バカだなあ。」
俺は反論しようとした。だが、それ以上に、課長の言葉が心に突き刺さった。
「そもそも派遣が社員旅行って常識なくないか?」
「あはは、派遣だからそういう常識も知らないのか。」
俺は思わず拳を握りしめた。そして、妻のほのかが困った顔で立っているのを見た。課長はその様子を見て、さらに笑った。
「めっちゃ行く気満々じゃないですか。すみません、奥さん。派遣の彼が勘違いしちゃったみたいで。でもまあ、あなたもあなたですよ。こんな派遣が夫じゃね。ほら、派遣は電話番でもやっておけよ。」
そう言って、課長は俺の背中を叩いた。俺の目が据わった。
「…電話番だと?」
俺の声は低く、震えていた。課長は不気味に感じたのか、一歩後退した。
「な、何だ?文句あるのか?」
俺は、一つの決断をした。もう、我慢はしない。このままでは、家族を守れない。俺は、自分の権利を取り戻すために、動き出すことにした。
「……いいだろう。お前の思い通りにしてやるよ。」
そう言って、俺は家族を連れて帰った。家に着くと、ほのかが心配そうに聞いてきた。
「洋一、大丈夫?あんな言い方、ひどすぎるよ。」
「ああ、大丈夫だ。俺が何とかする。」
俺は、パソコンを開き、ある書類を探し始めた。それは、入社時に結んだ契約書だった。派遣社員だが、社員旅行に参加する権利はないと書かれている。だが、その前にもう一つ、大事なことが書かれていた。
「派遣社員にも、福利厚生は適用される。」
そう、法律で決まっているのだ。派遣社員でも、不当な扱いを受けることは許されない。俺は、この件を労働基準監督署に訴えることにした。
翌日、俺は休暇を取って、労働基準監督署に行った。相談員に状況を説明すると、彼女は真剣に聞いてくれた。
「それは、明らかにパワーハラスメントです。会社に是正を求めることができますよ。」
「本当ですか?」
「はい。派遣社員でも、労働者としての権利は守られます。この書類を持って、会社と交渉してみてください。」
俺は、書類をもらって帰った。そして、会社に提出することにした。
数日後、課長は呼び出され、上司から厳重注意を受けた。そして、俺に謝罪してきた。
「すみませんでした。私の言動が不適切でした。」
「いや、もういいです。ですが、今後はきちんと対応してください。」
「はい、肝に銘じます。」
それでも、俺は仕事を続けることにした。課長との関係はギクシャクしたが、それでも何とかやっていた。そして、半年後、俺は正社員として採用されることになったのだ。
「派遣として働く君の実力を評価して、正社員にしてほしいという報告があったんだ。」
上司にそう言われたとき、俺は驚いた。同時に、ほのかと太一に報せた。
「お父さん、正社員になったよ!」
太一は飛び跳ねて喜んだ。ほのかも涙を浮かべて、俺を抱きしめた。
「良かったね、洋一。」
「ああ。これも、お前がいてくれたからだよ。」
俺は家族と一緒に、ささやかな祝いの食事をした。そして、思った。派遣だからと見下されても、自分を信じて戦えば、道は開ける。それが、俺の経験から得た教訓だった。
今でも、あの日の課長の言葉は忘れない。だが、それと同じくらい、あの日の決断が自分を変えたことも忘れない。俺は、これからも家族を守るために、強く生きていく。



