お盆の昼、私は朝から台所に立ち続け、天ぷらを揚げ、刺身を盛り、寿司桶を並べた。なのに、座敷に並んだ席には、義母にも、義姉にも、夫にも、みんなに料理が用意されていた。ただ、私の前だけには、何もなかった。「嫌なら帰れば?」と義姉は笑った。15年連れ添った夫は、天井を見たまま何も言わなかった。その日、私は自分の通帳を開き、この家の暮らしを支えるのをやめると決めた。私はもう、誰の台所にも立たない。…

お盆の昼、私は朝から台所に立ち続け、天ぷらを揚げ、刺身を盛り、寿司桶を並べた。なのに、座敷に並んだ席には、義母にも、義姉にも、夫にも、みんなに料理が用意されていた。ただ、私の前だけには、何もなかった。「嫌なら帰れば?」と義姉は笑った。15年連れ添った夫は、天井を見たまま何も言わなかった。その日、私は自分の通帳を開き、この家の暮らしを支えるのをやめると決めた。私はもう、誰の台所にも立たない。...

義母はそう言って笑った。8月の座敷には、寿司桶が2つと刺身の皿が並んでいた。義母の前にも、義姉の前にも、夫の姉の夫や息子の前にも、そして夫の前にも、箸と小皿が置かれている。でも私の前だけは、何もなかった。

朝からずっと台所に立っていたのは私だった。麦茶を出して、皿を並べて、大根を切った。天ぷらを揚げていたのも私だ。

「あの、私の分は…」

「嫌なら、さっさと帰ればいいでしょ」

義姉が笑った。

「お盆くらい、家族水入らずで食べたいじゃない」

私は夫を見た。15年連れ添った夫だ。かばってくれると思っていた。

「また始まったよ。母さんも姉貴も、冗談だろ。お前も大人なんだから、そのくらい流せよ」

誰も私を見なかった。私は立ち上がった。バッグを持って、玄関へ向かった。追いかけてくる足音はしなかった。

その夜、私は自分の食卓で、10年分の通帳を開いた。私は、もうこの家の暮らしを支えるのをやめようと決めた。

私の名前は長沢美穂、40歳。今はリフォーム会社の見積もり部門で主任をしている。図面と現場の写真を見て、床と壁の面積を拾い、材料と手間を足して金額を出す。いわゆる「拾い」という仕事だ。1円合わないと契約書が作れない。だから私は、数字を紙に残す癖がついた。うちの家計簿も15年つけている。

夫は長沢安彦、42歳。運送会社の営業所で主任をしている。私が25歳の時、共通の友人の紹介で知り合って結婚した。子供はできなかった。

給料は私の方が少し多い。家計の管理も私が引き受けている。夫が財布を持つと、月末に必ず足りなくなるからだ。

義実家は車で1時間半ほど離れた町にある。義父の長沢久と、義母の花江が2人で暮らしていた。夫には45歳の姉がいる。堀口一子。義実家から歩いて3分の縦型住宅に住んでいて、夫の洋一と、大学に通っている息子の裕介と3人暮らしだ。

結婚した翌月のこと、よく覚えている。義実家の食卓で、義姉が私に麦茶を注ぎながら言った。

「安彦のお嫁さんなんだから、お母さんのこと、よろしくね」

私はうなずいた。義姉は続けた。

「うちは嫁に行った身だからさ。お義父さんたちのことは、あなたたちの方でしょ」

歩いて3分の家に住んでいる人が言う言葉としては、妙だと思った。でも、新しい家族に入ったばかりの私は、何も言えなかった。

その日から、私のお盆とお正月が始まった。義実家に行くたびに、私が料理を作り、配膳し、片付けた。義母は台所に立とうとしなかった。義姉はソファでテレビを見ていた。

「お義姉さんも手伝ってくれませんか」

私が言うと、義姉はこう返した。

「私はお客さんだから。お嫁さんがやるものでしょ」

夫は何も言わなかった。ただ、ビールを飲みながら、野球中継を見ていた。

ある日、義母の入院で、医療費と差額ベッド代がかかった。私は家計簿を見せながら、夫に言った。

「これ、うちで全部払うの?」

夫はため息をついた。

「姉貴は家庭があるからな。俺たちで見るしかないだろ」

「でも、私の給料からも出てるわよ。それに、姉さんは近所に住んでるのに、何もしてくれないじゃない」

「細かいこと言うなよ。家族だろ」

私はそれ以上、何も言えなかった。

義姉は、たまに義実家に来ると、私の作った料理を食べながら、こう言った。

「嫁の手料理って、やっぱりいいわね。私はもう作らないから、助かるわ」

私は黙って、茶碗を下げた。

私の母は、私が結婚する前に言っていた。「嫁に来るってことは、自分の実家を捨てることじゃない。でも、義理の家族を大切にするのも、大事よ」。私はその言葉を胸に、やってきた。

しかし、ある冬の日、義母が風邪をひいた。私は看病のために、仕事を休んで義実家へ向かった。義母は私に言った。

「悪いわね。あなたにばかり頼って。でも、私は何もできないから」

私は「大丈夫です」と笑った。でも、その帰り道、私は実家の母に電話をした。母は言った。

「もう限界なら、帰ってきなさい」

私は泣いた。でも、翌日からまた、義実家の台所に立っていた。

問題が起きたのは、お盆の日だった。いつものように、私は朝から台所に立っていた。天ぷらを揚げ、お刺身を盛り、寿司桶を用意した。義母は座敷でテレビを見ていた。義姉が来て、私に言った。

「あら、まだやってたの。早くしてよ。お父さんたち、お腹すいてるんだから」

私は天ぷらを皿に盛りながら、言った。

「もうすぐできます」

そして、全員が座敷に座った時、私の前にだけ、何もなかった。私は立ち上がった。

「ちょっと、私の分がないんですけど」

義姉が笑った。

「あら、おかしいわね。あなたが作ったのに、自分の分を忘れるなんて。嫌なら、帰れば?」

義母は何も言わなかった。義父も黙っていた。夫は天井を見上げた。

私はバッグを取って、玄関に向かった。義母が後ろで言った。

「あんた、これで帰ったら、もう二度と入れないよ」

私は振り返らずに言った。

「結構です」

家に着いて、私は通帳を開けた。10年分の記録。すべて私が管理してきたお金。私は自分用の口座を作り、毎月給料から一定額を移すことにした。夫の口座には、生活費だけを入れた。

夫は怒った。

「何考えてんだよ。お前の給料は俺の給料だろ」

私は言った。

「私の給料は、私の給料です。私はあなたの家族の世話をするために結婚したわけじゃない」

「そんなこと言うなら、離婚だぞ」

「いいですよ」

夫は驚いて、何も言えなかった。私は弁護士に相談した。15年の財産分与は、私にも十分な権利があった。

数年後、私は家を出て、小さなアパートに住み始めた。私は今もリフォーム会社で働いている。家計簿は、今もつけている。でも、もう誰かのために、自分の分を消したりしない。

あの日、私が座敷で立ち上がった時、ようやく私は自分の人生を選んだ。私はもう、誰の台所にも立たない。私の食卓には、ちゃんと私のための皿がある。

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