「今日は何の日だと思ってる?」
私はそう言って、テーブルいっぱいに並べた料理を見つめた。今日は私たちの結婚記念日。張り切って特別なディナーを用意したのに、夫の啓二は帰ってくる気配すらなかった。
そんなとき、玄関のチャイムが鳴った。
「啓二、やっと帰ってきたの?」
笑顔でドアを開けると、そこには啓二と、見たことのない若い女が立っていた。大学生くらいに見えるその女は、私を一瞥して鼻で笑った。
「あけみさん、今日は離婚記念日にしようと思ってね」
啓二はそう言うと、私に書類を差し出した。
「これ、離婚届。サインしてくれ」
「……は?」
「おばさんより、若くて可愛い子のほうがいいんだよ。さっさとサインして、出て行ってくれない?」
隣に立つ女が、勝ち誇ったように腕を組んだ。
「そうよ、おばさんは早く出て行ってくださいね」
私は無言で離婚届を受け取った。二人は悪びれる様子など微塵もなく、私の反応を面白がっているようだった。
「まあ、あけみさんも新しい人生を見つければいいじゃない」
啓二は軽く笑って、女の肩を抱いた。
私は何も言わずに、その場をあとにした。
――――
私は啓二の会社に電話をかけた。
「もしもし、私、啓二の妻のあけみです。社長に確認したいことがあるんですが」
そうして私は、ある取引先の連絡先を辿っていった。
啓二の会社は、最近大きな仕事を任されるようになった。だが、私は知っていた。その仕事は、私の父が長年築いてきた信頼で入ってきたものだということを。
会社経営がうまくいき始めたことで、啓二は偉ぶるようになった。ブランド品を身につけ、人を見下すような態度が増え、夜な夜な飲み歩いては、キャバクラで散財していることも知っていた。私は黙って見ていた。
「あんたが稼いだ金で何をしようと自由だろ」
そう言われれば、何も言えなかった。でも、今回は別だ。
私は役所へ向かった。離婚届を出すために。
――――
数時間後、スマホが鳴った。見ると、啓二からだった。
「おい、あけみ!今どこにいる!? 」
「役所よ。離婚届を出そうと思って」
「ふざけるな!離婚なんて認めるわけないだろ!」
「あら、さっきはあんなに嬉しそうだったのに」
「あれはお前を脅すための冗談だ!」
「私は本気よ」
私は電話を切った。
すると、しばらくして役所の前に、息を切らした啓二が現れた。
「待ってくれ!離婚届を出さないでくれ!」
「遅かったわね。もう出したわ」
「そんな……どうしてだよ!お前、俺の会社をどうするつもりだ!? 」
「どうもしないわ。ただ、あなたが今受けている大きな仕事は、全部キャンセルになるでしょうね」
啓二の顔が凍りついた。
「あ、あの仕事は、俺が取ってきたんだぞ!」
「違うわ。あれは、あなたが旦那の名前をかたって、私の父のコネで得た仕事よ。父はもうこの世にいないけど、彼の信頼を裏切ったら、業界に知れ渡るわよ」
「まさか……!」
「私はあなたに言ったわ。結婚するとき、誠実に愛しますって。でもあなたは、浮気をして、私を侮辱して、父の思いまで踏みにじった。もう終わりよ」
私はきっぱりと言った。
啓二はその場に崩れ落ちた。
「あけみ、お願いだ!俺が間違ってた!やり直してくれ!」
「遅いわ。私は今、新しい人生を始めるところよ」
私は背を向けて、立ち去った。
――――
それから数週間後、啓二の会社はあっという間に傾き始めた。大きな仕事はすべて白紙になり、信用を失ったことで、既存の取引先も次々と離れていった。
一方、私は父の遺した人脈を活かして、自分の会社を立ち上げた。初めは小さなオフィスからだったけど、順調に仕事を受けられるようになった。
ある日、街で啓二を見かけた。以前の威勢は影も形もなく、ガードレールに座って、虚ろな目をしていた。
「あけみ……」
彼は私に気づいて、立ち上がろうとした。けれど、私はそのまま通り過ぎた。
もう振り返ることはない。
「明日からも、私は私の人生を歩むの」
そう呟いて、私は新しい一歩を踏み出した。
――完――



