人間の心があれば、3日前に母が倒れた時、もう少し優しくできたのでは?
一泊置いて、私はさらに静かに続けた。
「私は義務ではなく、心からの思いでお母様のお世話をしてきました。この20年で数えきれないほどありました。でも、それは当然の義務として要求されるものではなかったはずです。もう私は、嫁という役割から自由になります。」
義母の表情が、怒りとも絶望ともつかないものに変わっていく。顔はこわばり、体には汗がにじみ、声が裏返り始めた。
「お前、何を言っているんだ?本気で言ってるのか?」
病院の廊下で、義母の声は徐々に反響の色を帯び始めていた。通りがかる看護師が驚いた顔でこちらを振り返る。私はそれを気にしなかった。
3日前に畳の縁を見つめていた私と、今この廊下で義母の目を真正面から見返している私は、もはや別人のようだ。
「お前、どこかおかしくなったんじゃないのか。お前らしくないぞ。」
「20年間、私は自分というものを奪われたまま生きてきました。今日の私こそが、本当の私かもしれませんね。」
「姉さんに言うぞ。姉さんを呼ぶぞ!」
義母は自分の懐からスマートフォンを取り出した。3日前の私なら、その電話を止めに行ったかもしれない。義母を怒らせたらどうしようと焦ったかもしれない。でも、今の私はもう誰の顔色も伺うつもりはなかった。
私の中で20年間すり減ってきた何かが、ついに糸を切って新しい方向へと静かに動き出そうとしていた。心の中で、弁護士の言葉を何度も反芻する。「嫁に法的な扶養義務はありません。」あの言葉はたった1行の事実に過ぎないのに、20年分の重みをひっくり返すほどの力を持っていた。
廊下の向こうで、義母の声がまた一段と大きくなった。
「私の給料は、私個人の口座に私の将来のために貯金しております。」私はそう言って、家計簿を1冊手に取った。「過去20年、私のパン屋の給料も、結婚前の貯蓄の取り崩しも、全てここに記録がございます。家電の買い替え、お母様の入院費、お姉様のお子様の入学祝い、個々の親戚へのお年玉、全部私が出してきました。それは夫婦で決めた取り決めだから。」
「取り決めではなく、押し付けでした。もうその時代は終わります。」
義母は言葉を失った。義母も何度か家に駆けつけてきたものだ。最初のうちは義母を激しく非難し、弟を呼び出したりもした。ある日、義母は電話でこう言った。「一晩くらいいいだろう。」
義父は情けない声で食い下がった。20年間台所に立ったことのない男にとって、一晩ですら絶望的に長い時間に感じられるのだろう。
「これは新しいルールです。」
義父は鍋を床に叩きつけたが、焦げた鍋の底がきれいになるわけでも、義母の腹が満たされるわけでもなかった。追い詰められていくのは、着実に義父の方だ。
その翌週から、近所の井戸端に「奥さんがお母さんの介護を拒否している」という噂が立ち始めた。噂の出所は間違いなく義母だ。私は噂に耳を貸さず、毎日パン屋に出勤し、帰宅後は自分の部屋でゆっくりと過ごした。
ある日、義母が私に詰め寄った。
「お前、私を殺す気か!」
「お母様、私はあなたを殺そうとは思っていません。ただ、自分の人生を生きようとしているだけです。」
義母はこれまでの20年間、私が何を犠牲にしてきたかなど、まるで気にしていなかった。私の努力を当然のものとし、感謝の一つもなかった。
「私はあなたの家族になるために、自分の夢を諦めてきました。でも、もう十分です。」
義母は私の言葉に一瞬動揺したが、すぐに怒りをあらわにした。
「そんなことは知らない。私はあなたに世話をしてもらう権利がある。」
「その権利は、私が与えたものでした。今はそれを取り戻します。」
私は家を出る準備を始めた。荷造りをしながら、20年前の自分を思い出す。あの時、私はこの家に来ることを決めた。今、私はこの家を出ることを決めた。
数日後、私は弁護士事務所を訪れた。弁護士は冷静に私の話を聞き、法律の助言をくれた。
「ご主人にも話を伺います。いったん控室でお待ちください。」
私は一礼して部屋を出た。廊下の窓から冷たい雨が白いもやのように見える。でも、今日の私の足取りは、20年で初めてしっかりと地面を踏みしめているように感じられた。
そしてついに、その日が来た。私は夫である義父を台所に呼び寄せた。
「話があります。」
義父は不機嫌そうに腰を下ろした。
「何だ、急に。」
「私はこれまで、あなたとお母様のために全てを犠牲にしてきました。しかし、それは間違いでした。私は自分の人生を取り戻します。」
「何を言っているんだ?お前は嫁だぞ。」
「嫁だからといって、奴隷になる必要はありません。私はこれから、自分のやり方で生きていきます。」
私は机の上に家計簿と弁護士からの書類を置いた。義父はそれを見ても、まだ理解できない様子だった。
「お前、本気か?」
「本気です。」
私は義父の目をまっすぐに見つめた。義父の顔はどんどん青ざめていく。でも、私はもう引き下がらなかった。20年間のうちに、私の中の何かが折れてしまったのだ。
義父は立ち上がり、部屋を出ていった。その背中を見ながら、私は深く息を吐いた。少しずつ、胸の中の重りが軽くなっていくのを感じた。



