「維持費なんてただにしろ。」
にこやかな顔でとんでもないことを言い放ったのは、取引先の島田部長だ。この人とは昔、因縁がある。恨まれているのは知っていたが、まさかこんな暴挙に出るとは思っていなかった。
しかし、部長は知らない。我が社と契約している特許システムには、秘密があるのだ。
そして翌日、取引先の部長の悲鳴を聞きながら、俺は呆れてため息をついた。
俺の名前は飯島。35歳。中規模のIT企業の技術部で課長を務めている。この年齢で課長まで昇進できたのは、技術部の社員と共同で開発した在庫管理システムのおかげだ。かなり出来のいいシステムで、大手の流通系企業でも使われている。今やこのシステムは、我が社の売上の9割を支えていた。
「課長、何もしてないのにエラーが出ました。」
「はい、ちょっと見せて。」
泣きついてきたのは部下の根本君だ。今、俺と根本君を中心に新しいシステムの開発を進めている。少々頼りない部下だが、明るい性格でチームを盛り上げてくれる。
「ありがとうございます。さすが課長ですね。」
笑顔で素直な言葉を向けられれば、仕方ないなと思いつつ、つい甘やかしてしまう。
いつも通り和やかな雰囲気で仕事をしていると、電話が鳴った。
「俺が出ます。もしもし。」
電話に出た根本君の表情が硬くなっていく。
「申し訳ありません。島田部長。その件は以前もお伝えした通り、少々難しいので……」
根本君の口から出てきた名前に、俺も耳を寄せた。電話の相手は、取引先の島田部長だ。島田部長の会社は、いち早く我々技術部が開発した在庫管理システムを導入した。島田部長は、そのシステムの管理責任者でもある。
3年前の話だ。
島田部長の会社は在庫管理システムを導入してすぐバグが発生し、一時的に各地にある倉庫で混乱が起こってしまった。その際、島田部長は技術部に電話してきて、罵りのクレームを入れてきたのだ。
「こんなゴミシステムを寄越すなんて、何を考えている?バグのせいで発生した損失は、お前たちに請求するからな。」
この電話に対応したのは根本君で、部長の勢いに押されて泣きそうになっていた。
バグの原因を究明するため、俺が島田部長の会社に赴いたところ、部長はろくに説明もせず、罵詈雑言を浴びせてきた。
「お前たちのシステムさえなければ、こんな事態にはならなかったんだぞ。責任を取れ!」
俺は必死に謝罪し、その場を収めた。徹夜で調査した結果、バグの原因が判明した。実は、取引先の社員が、システムの操作手順を誤っていたのが原因だったのだ。正しい手順で使えば、問題なく動作する。
しかし、島田部長は納得しなかった。
「原因はこっちにあるとでも言いたいのか?ふざけるな!」
部長は、我々の説明を一切聞き入れようとしなかった。そして、頭ごなしに我々を責め続けた挙句、保険金の請求のようなことを匂わされて、我々は損害賠償を支払うことになってしまったのだ。
それ以来、島田部長の会社とは、表面上は取引を続けているが、俺は内心、この件を根に持っていた。
そして今、目の前の電話で、島田部長は維持費をただにしろと言い放ったのだ。
根本君は終始、震える声で対応を続けている。
「申し訳ありません。維持費の件は、契約書に明記されている通りですので……」
「うるさい!契約書なんて、こっちの都合でどうとでもなるんだよ。飯島に代われ!」
俺は受話器を受け取った。
「島田部長、ご無沙汰しております。飯島です。」
「お前か、飯島。聞いていただろう?維持費はただにするか、契約を解消するか、どっちかにしろ。」
「部長、それはこちらの事情もございます。システムは安定して稼働していますし、維持費は妥当な金額かと。」
「ふん。ならば契約は解消だ。今日で終わりにしよう。」
「承知しました。でしたら、明日、正式な手続きのために伺います。」
俺はそう言って、電話を切った。根本君が不安そうな顔で俺を見ている。
「課長、本当に契約を解消するんですか?」
「ああ。向こうがそう言うなら、仕方ない。だが……」
俺は内心、冷静だった。このシステムには、秘密がある。確かに我々が開発したシステムには、ある特許技術が含まれている。その特許は、我が社と契約を結んでいる別の会社――再開発の会社が持っている。そして、その特許契約には、契約を解消した場合、システムの使用を即時停止するという条項が含まれているのだ。
つまり、島田部長の会社がこのシステムを解約すれば、今まで使っていた在庫管理システムの使用権を失うことになる。それはつまり、彼らの会社の業務が、一瞬で麻痺するということだ。
俺はその事実を、島田部長に伝えなかった。
「じゃあ、明日、必要な書類を整えて向かおう。」
俺はそう言って、パソコンを閉じた。根本君はまだ不安そうな顔をしている。
翌朝、俺と根本君は島田部長の会社へ向かった。受付で要件を伝えると、受付の女性が困ったような顔をした。
「申し訳ありません。島田部長から、飯島様が来られたらお帰りいただくようにと言われているのですが……」
「何ですって?」
「契約解消の件は、書面で送られればいいとのことです。直接お会いする必要はないと……」
俺は呆れて言葉を失った。取引先の部長が、契約解消の際に、直接会って話し合いもせず、書面だけで済ませようとしている。しかも、一方的にお帰りくださいとは。
根本君が困ったように俺を見る。
「課長、どうしますか?」
「……仕方ない。書類を預けて帰ろう。」
俺は書類を渡し、その場を後にした。しかし、その足で、俺は特許契約を結んでいる会社へ電話を入れた。
「はい、システム特許契約の件ですが……」
俺は、島田部長の会社がシステムを解約することを伝えた。すると、相手は意外なことを言った。
「ああ、その件ですか。実は、もう先方からも連絡が来ていましてね。書面を確認しました。契約は有効です。」
「どういうことですか?」
「契約書には、解約の場合、システムの使用権は即時に失効すると書いてあります。ただし、特許の使用料は、契約期間分を一括で支払っていただくことになっています。」
「……!」
「ですから、先方が解約するなら、未払いの使用料が発生します。その請求書を、今日中に送りましょうか?」
俺は思わず笑みがこぼれた。島田部長は、自分の行動が、どれほどの代償を生むか知らないのだ。
「はい。お願いします。」
俺はそう言って、電話を切った。
翌日、会社に着くと、根本君が興奮した様子で駆け寄ってきた。
「課長!島田部長から電話がありました!」
「何だって?」
「昨日、契約を解消したはずなのに、今日の朝、システムが使えなくなって、倉庫の在庫管理がすべて止まってしまったそうです。それで、『何とかしてください』って、泣きそうな声で……」
俺は悔しさと同時に、溜飲を下げる思いだった。
「で、何と答えたんだ?」
「『契約は解消されましたので、システムのサポートはできません』って答えました。」
根本君は嬉しそうにそう報告した。
「よくやった。」
俺はそう言って、根本君の肩を叩いた。島田部長の会社は、今頃、システムが使えずに大混乱していることだろう。さらに、特許使用料の請求が届く。その総額は、相当な額になるはずだ。
俺は、部長の悲鳴を想像し、心の中で苦笑した。
「わが社のシステムを、軽く見ないことだな。」
俺はそう呟いて、席に戻った。窓の外では、今日も変わらず、静かな朝が始まりそうだった。



