「おい徳助。物乞い夫婦は物乞いらしく食うが良い」…

「おい徳助。物乞い夫婦は物乞いらしく食うが良い」...

物乞いの娘を嫁にしたばかりに、村中の笑い者にされていた貧しい下男が、たった一夜のうちに家と田んぼを手に入れることになりました。そのきっかけを作ったのは、一言も話せないはずの嫁でした。物を言わぬ者が、なぜこれほどの富と誉れを引き寄せたのか。その驚くべき顛末を、今からお話しいたします。

ことの始まりは、それより一年ほど前のこと。武蔵の国、はれ木の村という小さな里に、正直者と評判の法行人が一人おりました。直徳助と申します。生まれてすぐに親をなくし、身寄りもなく方々の家を点々とした後、村一番の金持ちとして知られる名主、五兵衛の屋敷に下男として住み込み、すでに十年の歳月が流れておりました。

徳助が幼い頃、まだ十にもならぬうちに五兵衛の門を叩いた時、真っ先に手を差し伸べたのは、台所を守るお玉という老女でございました。お玉は孤児の徳助を不憫に思い、こっそりお焦げを分けてやったり、寒い夜には自分の羽織をかけてやったりして育て上げたのでございます。それ故、徳助にとってお玉は実の母にも似た存在でございました。

来ているものといえば、継ぎだらけの着物一枚。持ち物といえば、節暮れだった丈夫な両腕のみ。しかし、人のものを欲しがったことも、勤めを怠けたことも一度としてありません。むしろ人の三倍は働き、汚れ仕事も嫌がらず引き受けるので、五兵衛の信頼はことのほか厚うございました。

ある日のこと、徳助は薪を売った帰り道、橋のたもとに力尽きて倒れている物乞いの娘を見つけました。娘はぼろ切れをまとい、顔は泥と埃にまみれて、元の気立てすら見分けがつかぬほど。道行く人々は匂いを嫌って鼻をつまみ、中には石を投げようとする者さえおりました。徳助はしばし足を止め、懐の銭を数えました。今日の稼ぎのほとんどは、明日の自分の飯代でございます。それでも彼は、どうしてもその姿を見過ごすことができず、薪を売ったわずかな銭でいっぱいの飯を求め、娘を抱え起こしてやりました。

「お嬢さん、これでも召し上がれ。力をお出しなされ」

娘は獣のように飯をかき込みました。一しきり食べた後、娘はふと顔を上げて徳助を見つめました。泥にまみれた顔の奥から覗くその瞳は、驚くほど澄んだものでございました。徳助はそのまなざしが忘れられませんでした。

この娘には、訳がございました。娘の父はかつて隣里の米問屋で働き、蔵に入る米と出る米を改めて記す役目についていた男でございました。貧しい家柄でございましたので、娘は幼い頃から父の傍らに座り、米の山を数えるのを手伝わされておりました。父は文字の読み書きこそ十分に教えてやれませんでしたが、縄の結び目を一つ余分に結んでは十俵と数え、目印に刻んだ切れ込みの本数で日々の出入りを覚えさせてくれました。

「良いか。目に見えるものは決して嘘をつかぬ。人の口車には惑わされるな。数だけを信じよう」

父は幼い娘の頭を撫でながら、そう言ったものでございます。娘はその教えを胸に、縄目や刻みの数取りを誰よりも早く身につけてまいりました。

ところがある年、父は蔵の帳面の食い違いに気づき、それを黙っていられぬ質の男でございましたので、直談判に及んだのでございます。それからほどなくして父は不審の死を遂げ、蔵は跡を変え、幼い娘は一人のように放り出されました。それ以来、娘はぱったりと言葉を失い、二度と声を出すことができなくなったと申します。

その日から徳助は、町に出る度、自分の食いを切り詰めては娘の元へ運びました。娘は相変わらず一言も発しませんでしたが、徳助が差し出す飯は黙って受け取るようになりました。徳助が気づいたのは、飯を食べ終えた後の娘の様子でございました。娘は町の商人が秤で品物を測る手つきを、いつまでも飽きずに見つめておりました。ある日など、商人が客に渡す品の数を一つ数え間違えたのを、娘は指を追って示し、商人が驚いて数え直すと、まさに娘の指の数通りであったということもございました。

徳助はその様子を見て、この娘はただの物乞いではないとうっすらと感じ取っておりました。数日が経つと、いくらか力を取り戻したのか、娘は町の隅で荷を運ぶものを手伝い、わずかな銭を稼ぐようにもなりました。ちょうどその頃、町で古くから乾物を商う天手が娘の働きを見て気に入り、しばらく店先の片付けや運びを任せるようになりました。天手は娘が数を数えるように驚き、「文字は読めずとも、品の数え違いを一度もせぬ娘だ」と町の者たちにも語って聞かせるほどでございました。

徳助は行番も思い悩んだ末、このまま放っておいては近づく冬を越せないと察し、大きな決心をして五兵衛の元へ参りました。

「旦那様、手前に願いがございます。橋のたもとに一人、身を寄せる娘がおります。生場のない哀れな身の上でございます。どうか、お救き取りを」

五兵衛はしばし考え込みました。十年の間、無欲に働き通してきたこの下男が、初めて自分に物を願うたのだと思うと、五兵衛の心も揺れ動きました。しかし、下男が女を、それも物乞いの娘を連れてくるとはと、五兵衛は首を振り、「素性も知れぬものを屋敷に入れるわけにはいかぬ」と申しました。それでも徳助は引き下がりませんでした。

「旦那様、あの娘は町の乾物屋の天手が、その働きをよく知る娘にございます。素性の怪しいものではございませぬ。手前が引き受けます。その娘と所帯を持とうと存じます。二人で過ごせる小さな部屋なりと、お恵みくださいませ。納屋でも構いませぬ。旦那様のために、これまでの倍も三倍も働きます」

五兵衛はしばし腕を組んで黙り込んでおりましたが、やがて小さく息を吐きました。「お前がそこまで申すのは、これが初めてではないか。徳助よ。ふん。そこまで言うならば」と、裏庭に開いたままの古い納屋を一つ与え、そこを片付けてしまうよう申し付けました。

徳助はいく度も礼を述べて駆け出し、町に走って娘に告げました。「お嬢さん、私と一緒に来なされ。寒さをしのげる場所がある」

娘はこの時も黙ってついてまいりました。裏庭の古い納屋は、長らく使われずくもの巣だらけで、誇りが積もっておりましたが、二人で身を寄せる広さは十分にございました。徳助はいく夜も夜を徹して屋根を吹き直し、土を練って壁を塗り込め、村で一番安い反物を求めて娘に新しい着物を仕立ててやりました。仕事を終えた後の疲れた体に鞭打っての普請でございましたが、徳助は不思議と疲れにならず、むしろ手を動かすたびに心が軽くなるのを感じておりました。

村人たちはこれを聞いて嘲笑しました。「徳助もとうとう呆けたか。身寄り一つない息絶えの娘を女房にするとは。いずれ苦労をしい込むだけぞ。子でもできたらどうするつもりか」と。縁さがない者たちは影で囁き合いました。屋敷で他の下男下女を取り仕切っていた万造の治兵衛は、あからさまに徳助を嘲りました。「おい徳助。不細工が等々停止会して、女房殿のは飯くらいか」と下卑た笑いを浮かべ、周りの奉公人たちが釣られて笑い声をあげるのを、治兵衛は満足そうに眺めておりました。

徳助はそうした嘲りをただ黙って耐え忍びました。彼は娘に「お福」という名をつけてやりました。福を運んでくれるようにという願いを込めたものでございます。お福は相変わらず口を聞きませんでしたが、驚くほど働き者で、手先も器用でございました。古びた納屋はたちまち人の住む家らしく整えられ、彼女は川で髪を洗い、徳助が仕立てた新しい着物に袖を通しました。垢を落とした顔は満月のように白く整い、徳助はそんなお福を眺めるだけで幸せを覚えました。

彼女は徳助が仕事に出ている間に裏山へ登って薪や竹を拾い、畑を耕して青物を植えました。徳助が骨折り仕事を終えて戻ると、お福は温かな夕飯を支度して待っておりました。徳助は生まれて初めて、家族というものを持つことができたのでございます。

冬が参りました。はれ木の村の冬はことのほか冷え込み、そして長うございました。裏庭の古い納屋では隙間風を防ぐこともままならず、夜ともなれば冷えが土壁の割れ目から入り込み、二人の体を舐めるように冷やしました。徳助は囲炉裏の火を絶やさぬよう、日に何度も薪を集めねばなりませんでした。それでも二人は幸せでございました。粗末な雑穀の飯に薄い汁一番という食事ではございましたが、向かい合って箸を取るだけでぬくもりが通いました。お福は徳助が冬を越せるようにと、藁の束も編み、糸屑を見つけては布を継ぎ合わせて、夜具を熱く仕立て直してくれました。手先の凍える寒さの中でも、彼女の針を運ぶ手だけは決して止まりませんでした。

しかし、そんなささやかな幸せを妬む者がおりました。万造の治兵衛でございます。治兵衛は蔵の鍵を預かり、奉公人たちを取り仕切る実質の頭でございました。五兵衛の信任を笠に着て権勢を振るう男でございます。彼は元より算盤にたけ、蔵の出入りを一目で見通す才を持つ男でございましたが、その才を人のためではなく、己の懐を肥やすためだけに使っておりました。彼は当初より徳助が物乞いの娘を連れてきたことを心よく思っておりませんでした。ところが、お福が清潔に身を整え、徳助が以前より幸せそうな顔をするようになると、治兵衛の心はいよいよねじれてまいりました。下男の分際が幸せを享受するのが、どうにも我慢ならなかったのでございます。

治兵衛の嫌がらせは、まず仕事に始まりました。彼は徳助にばかり最も汚い仕事を割り振り、畑の凍った土を打ち返す仕事や、蔵の米を見張る夜目を押し付けました。「徳助よ。お前が嫁をもらうほど暇が余っておるなら、この程度は何でもなかろう。裏山の凍りついた畑を打ち返して来い」だの、「蔵に鼠が入ったから、同士に張って追い出せ」だのと、治兵衛は断るごとに新しい難題を思いついては徳助に申し付けました。凍りついた土を鍬で打ち返す仕事は骨の髄まで凍える重労働でございましたし、蔵の米を見張るなど、ただ寒風の中で立ち尽くすだけの無意味な苦行でございました。徳助は黙々と全てをこなしましたが、日に日にやつれてまいりました。それでも女房の前では一度も辛い顔を見せませんでした。

そんなある日、月に一度、奉公人たちに米を配る日がやってまいりました。治兵衛は大きな米櫃の前に座り、秤を手にふんぞり返っておりました。奉公人たちが順に自分の分を受け取って行きます。徳助の番になりました。治兵衛は徳助を上から下まで眺め回すと、ぬかの混じった粗末な雑穀を、他の奉公人の半分ほどしか枡に入れてやりませんでした。

「おい徳助。お前ももう所帯持ちだ。これでは足りぬだろうが、どうしようもあるまい。女房は働きもせぬのだから、仕方あるまいよ。これがお前の分け前よ。物乞い夫婦は物乞いらしく食うが良い」

周りに並んでいた他の奉公人たちの中には、内心では治兵衛のやり方に眉をひそめる者もございましたが、己に累が及ぶのを恐れ、気に目をそらすばかりで、誰一人口を挟む者はございませんでした。徳助は込み上げる怒りを抑え、「感謝いたします」と頭を下げて袋を受け取りました。

その時でございました。徳助の後ろに影のように控えていたお福が、前へ進み出ました。彼女は治兵衛が雑穀を掬った米櫃と、その傍らに別に積まれた白米を鋭く見つけました。

「何を見ておる? 口も聞けぬ分際で。下がれ」

治兵衛が声を荒げ、徳助は慌ててお福の腕を引いて苗へ戻りました。

その夜から、お福の様子に目に見えぬ変化が生じました。彼女は幼い頃父の傍らで身につけた数取りの術を、今目の前の蔵に向け始めたのでございます。治兵衛がいつ蔵に出入りするか、どのような商人が尋ねてくるか、彼らが何を運び出すかを、彼女は影のように潜んで見張るようになりました。米俵が蔵に運び入れられる数と運び出される数を指を折って数えることも忘れませんでした。夜な夜な冷たい風の中に身を潜め、蔵の戸が開く音を待ち、商人たちの荷車の輪の音を聞き分け、月明かりに照らされる俵の影を目で追いかけました。凍えるような夜、吐息すら白く曇る中、彼女は身じろぎ一つせず、じっと闇に目をこらし続けました。

お福はまた、治兵衛が二つの帳面を持っていることに気づきました。一つは分厚い帳面で、五兵衛に見せるためのもの。もう一つは手のひらほどの小さな帳面で、治兵衛が懐に隠し持ち、時折こっそり何かを書きつけているものでございました。夜更けに裏口を訪ねてきた見知らぬ商人と密かに会い、その小さな帳面を見ながら金袋を受け渡す様を、彼女は見届けておりました。

お福のまなざしは日ごとに鋭さを増してまいりました。ある日、徳助は、お福が炭を一本手にしたまま、土間の上に何やら熱心に描いている姿を見つけました。近寄ってみると、それは四角い蔵と丸い米俵を描いた絵でございました。いくつか描いては斜めに線を引いて消し、その傍らに小さな巾着を描き足しております。それは誰の目にも、治兵衛が米を抜き取り金を懐に入れている様を示す絵でございました。

徳助は青ざめ、慌ててお福の絵を足で踏み消しました。「女房殿、これは一体何のつもりだ? なぜこんな危ないことをする? 我らが死んでも良いのか」と、徳助は生まれて初めて女房に声を荒げました。お福は驚いたように徳助を見つめました。その澄んだ瞳に、初めて涙がにじみました。徳助はその涙を見た瞬間、己の胸の内に冷たいものが走るのを感じました。彼は己の頭をかきむしり、「私が悪かった。すまぬ、女房殿。私が不甲斐なくて、恐ろしくてこうなったのだ」と崩れるように土間に座り込んで詫びました。「お前が正しいことをしているとは分かっていながら、私はただ己が小ささに震えているだけなのだ。情けない。すまぬ」と、徳助の肩は小刻みに震えておりました。お福は何も言わず、荒れた徳助の手を静かに包み込みました。それは怒った夫を責めるのではなく、その恐れをそのまま受け止めるとでも言うような、静かな仕草でございました。その夜、二人は紐もない真っ暗な闇の中で、互いの体温に寄り添ったまま、いつまでも座っておりました。

数日の後、五兵衛の台所で三十年以上囲炉裏の火を守ってきたお玉が、薪を割ると徳助の袖をそっと引き寄せました。お玉は治兵衛が蔵の米を密かに抜いているらしいことを兼ねてより薄うす感じておりましたが、確たる証がなく、これまでずっと胸を痛めておりました。

「徳助よ。お前が生まれ落ちてすぐの頃から知る仲だからこそ言うが、お前の嫁は並の者ではないぞ。あの目は見過ごせぬ。あの数える様は、この世の誰より鋭い」

彼女は台所の暗がりに徳助を連れて行き、「あそこな治兵衛を見よ。あの男は旦那様の目を欺いて、己が腹を肥やす蛇のようなやつだ。嫁が今、その蛇の尾を掴んでおる。用心せよ。くれぐれも用心せよ。口の聞けぬ女房が知りすぎれば、まず先に首を切られるのが世の常」と押しました。「徳助よ。私も長年屋敷の飯を作ってきた。治兵衛のような男をいく人も見てきたが、ああいう手合いは追い詰められるほど恐ろしくなるものだ。決して一人で立ち向かわせるでないぞ」と、お玉は重ねて念を押しました。

お玉の警告は、徳助の心に重い石を一つ据え置きました。それから数日後、お玉は囲炉裏の掃除で出た、固く上等な炭のかけらを一つ、徳助に手渡しました。「目に映るものだけを記すのではない。耳に聞こえるものも記す術があるのだ。土間は足跡を残すが、石は何も語らぬぞ」と囁いたのでございます。徳助はその意味を全て組み取れぬまま、大切に懐へ収めました。お福はその炭を受け取ると、初めてお玉のいる台所の入口へ深く頭を下げ、納屋の隅から広く平らな石板を一つ運んでまいりました。

お福が石板に向かうその指先には、遠い日の記憶が蘇っておりました。まだ言葉を話せた頃、彼女は蔵の土間に座り、父の傍らで米の山を見上げておりました。父は縄を手に取り、「これで一つ、これで二つ」と結び目を作りながら、「良いか。この結び目の数がそのまま米の数だ。目で見て確かめたものだけを信じよう。人の口車には惑わされるでないぞ」と繰り返し教えてくれたものでございます。娘はその教えを遊びのように覚え込んでまいりました。まさかそれが幾年も後にこうして役立つ日が来ようとは、幼いお福には知るよしもございませんでした。

その夜から、お福は己だけの符牒を石板に刻み始めました。丸い印は夜一晩、縦の棒一本は米俵一俵、三角の印は大麦一山、黒く塗りつぶした点一つは金袋一つ、花を描いた印は特別な品を示す、彼女だけの記号でございました。文字は一切用いておりません。月の道筋に似せた印を並べては、日の移り変わりを表しました。それは幼い日に父から教わった縄の結び目や木の刻み目と、全く同じ理屈でございました。目に見える形さえ違わなければ、いくつであっても数えることはできる。父の教えがこうして蘇ったのでございます。

彼女は商人の言葉をそばで盗み聞くうち、米を口にする声が聞こえれば、その額をそのまま印に刻み込みました。しかし、聞き取れぬ額については決して当てずっぽうで記さず、ただ金袋の数だけを刻んで留めました。この符牒の石板は、蔵から密かに消えて行くものを照らし出す証拠の表となってまいりました。

彼女はもはや隠れて眺めるだけではございません。夜な夜な凍りついた土塀の下に身を潜め、治兵衛と商人の言葉に耳をそばだてました。

「治兵衛様、この度の品が最後でございます。時期に旦那様が江戸表からお戻りとか」と申す商人の声。「分かっておるなら、口を滑らせてもらわねばならぬ。隣村の分もまとめて片付けねばならぬのだ」と答える治兵衛の声。お福はこの言葉を全て符牒に移し取りました。隣村という言葉の意味はまだ分かりませんでしたが、彼女はその夜、五兵衛の家紋とは違う見慣れぬ家印を一つ、いつもとは別の隅にそっと刻んでおきました。指先が凍え、爪の先が炭で真っ黒に染まっても、彼女は決して手を止めませんでした。

冬はいよいよ深まり、寒風が納屋の隙間を吹き抜けました。治兵衛はそんな中でも徳助を休ませてはくれませんでした。「徳助よ、川が凍る前に船着き場まで行って、塩漬けの樽を受け取ってこい。お前が一番力があるのだから、お前が行って来い」と申し付けたのでございます。船着き場までは往復数十町を超える道のりでございました。徳助は日の出前に立ち、日が暮れて随分と経ってから、ようやく重い樽を担いで戻ってまいりました。肩がちぎれんばかりに痛み、足はがくがくと震えておりましたが、待っているであろう女房を思うと、足を止めることができませんでした。

まさにその夜、治兵衛はお福を試してみようと思い立ちました。徳助が船着き場から戻るのが遅くなることを知っていたからでございます。夜が更けると、治兵衛は酒に酔ったふりをして千鳥足で徳助の納屋へ向かい、荒々しく戸を叩きました。「おや、女房の一人か。我が亭主はどこへ行った? 答えよ」と、鋭い目を光らせながら部屋の中へ踏み込みました。お福はびくとも動きませんでした。部屋の隅に座ったまま、闇の中でも治兵衛の目をまっすぐに見つめ返しました。その目には恐れも驚きもなく、ただ冷ややかな光がございました。治兵衛は思わず足を止めました。人の目というより、深い山中で出会った虎のまなざしのようでございました。彼はごまかすように空咳をして後ずさり、「今々しい女め」と唾を吐き捨てて、慌てて納屋を出て行きました。彼は先ほど見たあのまなざしが、己が盗んだ米俵よりも重く感じられました。

その一件があって以来、治兵衛はいよいよお福を疎ましく思うようになり、蔵の警戒を強めておりました。しかし、お福の観察は病むことなく続いておりました。ある日、お福は治兵衛が商人との酒盛りで屋敷を離れた隙をついて、その部屋をこっそり改めました。どうか人の気配がないことを幾度も確かめ、心臓の音が耳に響くほどの緊張の中、彼女は治兵衛の部屋の襖をそっと開けました。治兵衛は己を賢いと思い込んでおりましたが、案外迂闊なところもある男でございました。五兵衛に見せる偽の帳面は机の上に堂々と置いてありましたが、自ら密かにつける裏帳面は、藁で編んだ枕の中に隠されておりました。お福は注意深く枕の中を探り、その裏帳面を見つけ出しました。文字は読めずとも、そこに記された数字の列が、石板に刻んだ符牒と寸分違わず一致することを見て、お福は全てを確信いたしました。彼女は帳面を元の場所に丁寧に戻しました。畳の埃一つ、置き物の向き一つまで、来た時と寸分違わぬように整え直したつもりでございました。しかし、その時、枕の藁の筋がわずかに元の位置からずれてしまったのでございます。

数日後、治兵衛は己の枕の藁の乱れにふと気づきました。彼は元より用心深い男でございます。誰かがこの部屋に立ち入った気配を、鋭く感じ取ったのでございました。確信には至らぬまでも、「あの女房か」という疑いが彼の胸の内に芽生えました。彼は懐の裏帳面を握りしめ、しばし部屋の中を隅々まで見回しました。何一つ動いた形跡はございませんでしたが、長年人を欺いて生きてきた者だけが持つ、あの獣の勘が彼に告げておりました。何かが変わった、と。

それからというもの、治兵衛はわざと納屋の近くをうろつき始めました。彼は徳助夫婦が自分について何を語らうのか、あるいは何を企んでいるのか知りたかったのでございます。しかし、聞こえてくるのは徳助の疲れ果てたいびきと、お福の規則正しい寝息ばかりでございました。治兵衛はそれでも安心せず、村の噂を巧みに操り始めました。「あの嫁は物乞いなどではなく、夜な夜な物の怪に化ける女だ」という話を、彼は町に流して回ったのでございます。

井戸端では、いつの間にかそんな噂が盛んに語られるようになりました。「何でも徳助の嫁は、夜な夜な蔵の周りをうろついているのを見た者がいるそうだ」「物乞いの娘ではなく、実は狐が化けたものだという話もある」「徳助の生肝を狙っているのだ」と。噂は不吉に広まってまいりました。徳助夫婦を完全に孤立させ、自ら音を上げて村を去らせようという魂胆でございます。他の奉公人たちさえ徳助の戸口を訪れるのを避けるようになり、徳助とお福は五兵衛の屋敷内でも、はれ木の村においても、孤島のような存在になってまいりました。

そんなある晩、徳助は薪割りの手を止め、お玉の元を尋ねました。「お玉様、私は近頃、夜も眠れませぬ。治兵衛様がいつ牙を向くかと思うと、恐ろしくて恐ろしくて」と、徳助は震える声で胸の内を明かしました。お玉は徳助の背を撫でながら、静かに申しました。「徳助よ。恐ろしいのは、お前が弱いからではない。善良な者ほど悪しき者を恐れるのが道理よ。しかしな、お前の嫁は、その恐ろしさの中でも決して目をそらさなんだ。お前も嫁に習って、恐れながらも背筋だけは伸ばしておけ。それだけで良いのだ」

徳助はその言葉を胸に刻み、幾度も頷いて台所を後にいたしました。その夜、納屋へ戻る道すがら、徳助は夜空を見上げました。凍りついた星がいくつも輝いており、その冷たい光を見つめながら、徳助はお玉の言葉を幾度も己の胸で繰り返しておりました。

それから幾日か、屋敷の中には張り詰めた気配が漂っておりました。治兵衛は表向きこそいつも通り振る舞っておりましたが、その目はしきりに納屋の間をうかがい、何かに苛立てられているかのようでございました。奉公人たちの間でも「近頃、治兵衛様の様子がおかしい」と囁かれるようになりましたが、誰もそれ以上深く詮索しようとはいたしませんでした。徳助とお福は、そんな屋敷の空気を肌で感じながら、互いに多くを語らずとも、来るべき夜が近いことを悟っておりました。

そんな折、屋敷の者たちの間に「旦那様が間もなくお戻りになるとの知らせ」が走りました。使いの者が息を切らして戻り、「旦那様は来月の初め頃にご到着なさる」との触れを、迎えの準備と馬の手配を整えるよう、家来たちに伝えて回りました。お福は水を汲みに出た時、その触れが台所から家来へと伝わっていくのをじっと見つめておりました。彼女の頭には、これまで刻んできた符牒が一つにつながってまいりました。治兵衛が普段は決して見せぬ汗を、ここ数日、ひどく滲ませていたことにお福は気づいていたのでございます。

実のところ、治兵衛はこれまで実に用心深く蔵の米を抜き続けてまいりました。しかし今回は、五兵衛の帰りが迫っている上に、夜更けに現れた商人たちが「根の吊り上がる後期を逃すな」と急かしてきたため、蔵を改められる前に全てを売り払ってしまわねばという焦りに駆られておったのでございます。日頃は慎重を絵に描いたような男が、欲と焦りに引きずられて、大胆な賭けに出ようとしていたのでございます。お福は治兵衛が旦那様の戻る前に必ず最後の暴挙を仕掛けると読み、その夜が来るのをじっと待ち構えておりました。彼女はその夜、いつもより早く符牒の石板を懐に抱え、闇の中で息を潜めておりました。

その夜、治兵衛は蔵の戸を開ける前に、しばし戸口に立ち尽くしておりました。彼は懐から裏帳面を取り出し、ここ数ヶ月の帳尻を胸の内で幾度も数え直しておりました。「旦那様がお戻りになる前に、この帳尻を一つでも合わせておかねば、これまでの十年が水の泡になる」と己に言い聞かせながらも、彼の指先はかすかに震えておりました。これまでの治兵衛であれば、決してこのような危ない橋は渡らなかったはずでございます。しかし、焦りはすでに彼の用心深さをすっかり飲み込んでしまっておりました。

五兵衛が戻るその夜、治兵衛は最後の取引のために商人たちを呼び寄せました。蔵の奥に残してあった米俵までも、二束三文で売り払おうとしておりました。「治兵衛様、この度の値は少々安うございますが」と商人の一人が申しますと、治兵衛は苛立たしげに答えました。「黙れ。旦那様がお戻りになる前に全て運び出さねば、私もお前たちも御破算だ。損のことは次で埋め合わせる。今夜はとにかく、荷を積んで行け」

商人たちは顔を見合わせながらも、しぶしぶ荷車に俵を積み始めました。徳助はこの夜、いつもと違う騒ぎを覚えて納屋の外に出ておりました。彼は蔵の方角に異様な気配を感じ、女房の身に何かが起きようとしていることを悟りました。これまで幾度も女房に手出しをやめようと諭してきたが、もはやそれでは女房を守れぬと徳助は思い定めました。膝が震え、額には冷や汗が滲みましたが、それでも彼は震える足で蔵の方へと歩を進めました。

物陰から様子を伺うと、鉄鍋の蓋を手にしたお福が、すでに蔵のそばに立っておりました。彼女は暗闇の中、じっと蔵の戸口を見据え、いつでも動けるよう構えておりました。徳助はためらいながらも、女房の隣に並び立ちました。「女房殿、私も一緒に参ろう。今夜ばかりは、何があろうとお前を一人にせぬ」と、恐れを押し殺して腹を決めたのでございます。お福は驚いたように徳助を見つめましたが、やがて小さく頷きました。

お福は鍋の蓋を盾のように前に構え、力の限り反響を打ち鳴らしました。カンカンカンと、凍てついた冬の夜の静寂を破って、金の音がはれ木の村中に響き渡りました。眠っていた奉公人たちや村人たちが飛び起き、「火事だ、火事だ」と口々に叫びながら、寝巻きのまま、桶も持たず、手斧や熊手を手にして駆けつけてまいりました。しかし、納屋にも蔵にも火の手は一向に上がっておりません。人々は戸惑い、水を撒く先を見失ったまま、庭に駆け込んでまいりました。そこに現れたのは、火事ではなく、米俵を運び出そうとしていた商人たちと、金の音に驚いてうろたえている治兵衛の姿でございました。

「この、この、雨曝しが!」と、治兵衛がお福に詰め寄ろうとしたその瞬間、徳助が女房の前へ進み出て両腕を広げ、「これ以上は指一本触れさせぬ」と治兵衛の前に立ちはだかりました。その姿には、これまでいつも怯えるばかりであった徳助とはまるで別人のような気迫がみなぎっておりました。集まった村人たちも、その徳助の様子に異様なものを感じ、息を飲んで見守りました。

ちょうどその時、村の入口の方から「旦那様がお戻りだ」という叫びと共に、五兵衛の乗り物が姿を表しました。全てはお福の見込み通りでございました。大晦日の夜の寒さは身を切るように冷たうございました。五兵衛の乗り物が門をくぐると、それまで騒然としていた庭が、時が止まったように静まり返りました。松明の炎だけがパチパチと音を立て、吐息は白く凍り、誰もが身じろぎ一つできぬまま立ち尽くしておりました。

米を盗み出そうとしていた商人たちはその場に凍りつき、奉公人や村人たちは松明を手にしたまま呆然とこの光景を見つめておりました。治兵衛は棒を握った手を下ろす間もなく、たった今戻った主の厳しいまなざしと正面から向き合うことになりました。

「これは一体何の騒ぎだ」と、五兵衛の怒りを含んだ声が凍りついた庭を切り裂きました。

真っ先に我に返ったのは治兵衛でございました。もはやこれまでと悟りながらも、最後の悪あがきを試みようと存じたのです。彼は膝をつき、大声で泣き喚き始めました。「旦那様、旦那様、私は騙されておりました。私はあの女に誑かされたのでございます。私はそれを止めようとしただけでございます」と、指でお福を差し示して喚いたのでございます。商人たちも治兵衛の勢いに引きずられ、「私どもは治兵衛様に頼まれただけでございます」と、しどろもどろに口を揃えました。庭に集まった人々の目が一斉にお福へ向けられ、「あの嫁が裏で糸を引いていたのか」とざわめきが広がり始めました。

五兵衛は眉一つ動かさず、それぞれの顔をじっと見比べておりました。彼は数十年と商いを営み、あらゆる人間の姿を見てまいったものでございます。治兵衛の泣き喚く声の底に潜む狡猾さと、誑かされて名を汚されることのないお福の澄んだまなざしとを、五兵衛は交互に見比べておりました。人を見る目にかけては若い者に引けを取らぬと自負してきた五兵衛でございましたが、この一瞬ばかりはその目に頼るよりも、証を見極めるほかないと腹をくくったのでございます。

徳助はそれを聞くなり、いても立ってもいられず、震える声を振り絞って五兵衛の前に膝をつきました。「旦那様、手前の女房は物申せませぬが、これより手前が女房に代わって申し上げます。女房が示しますものこそ、治兵衛様の悪事の証にございます。どうか、見届けてくださいませ」と申しますと、五兵衛は無言のまま頷きました。

それを合図に、お福は鍋の蓋を下ろし、松明に照らされた庭へ前へ歩み寄りました。彼女はまず地に落ちていた木の枝を拾い上げ、蔵と米俵の絵を描いて見せました。人々は息を飲みました。あの物乞いの娘は一体何をしようというのか。治兵衛はそれを見るなり、「ふん。ただの枝。こんなものが証になるものか」と吐き捨てました。お福はそれには答えず、一旦自分たちの粗末な納屋へ駆け戻りました。徳助が驚いて「女房殿、どこへ行かれる」と叫びましたが、お福は振り向きもしませんでした。治兵衛はあざけるように笑いました。「ご覧なされ。己の悪事に己が足を取られて、逃げ出したわ」

しかし、お福は逃げたのではございません。しばらくすると、彼女は符牒で刻んできた大きく平らな石板を両手で懸命に抱えて姿を表しました。松明が石板一杯に刻まれた丸や縦棒や三角や黒い点を照らし出しました。びっしりと並んだその符牒は、一見ただの紋様のようでありながら、よく見れば整然とした列をなしており、村人たちも思わず息を飲んで見入るほどでございました。お福はその石板を五兵衛の足元へ静かに置きました。米と大麦の数、金袋の数、そして符牒で示した日の移り変わりが、そこには丹念に刻まれておりました。

「これはあの女の作り事に過ぎぬ。何がどうして証になるものか」と、治兵衛はなおも言い張りました。その時、お福は最後の仕草を示しました。石板を五兵衛の足元に置いたその手は、幼き日、父の傍らで縄の結び目を数えた頃と同じように、かすかに震えておりました。彼女は治兵衛を指差し、それから彼の部屋の方を指差し、枕に頭を乗せる真似をして見せたのでございます。

「旦那様、治兵衛様のお部屋の枕でございます」と、そばで見守っていたお玉が囁きました。五兵衛は家来二人に命じました。「直ちに治兵衛の部屋へ行き、あの枕を持って参れ」

家来たちが駆けて行き、程なく治兵衛の枕を運んで参りました。五兵衛は懐の刀を抜き、枕を一息に切り裂きました。中から小さな帳面が一つ、ぽとりと落ちました。それは治兵衛が懐に隠し持ち、こっそり記していた本物の裏帳面でございました。

五兵衛は帳面を拾い上げると、松明の火に近づけ、じっとそのページを睨みつけました。彼はその帳面を開き、お福の石板と一つ一つ照らし合わせ始めました。ある夜の丸印の傍らに刻まれた縦棒の数と、裏帳面に記された俵の出数が符合し、黒い点の数と帳面に書かれた金の受け取り高までもが、寸分違わず一致してまいりました。石板だけでは証拠に過ぎぬと言われても返す言葉のないものでございましたが、裏帳面と重ね合わせた途端、それは何より有力な証となったのでございます。

さらに五兵衛は、帳面の隅に記された見慣れぬ家印にふと目を止めました。「これは……これは五兵衛の印ではないな」とつぶやき、お福が石板の隅に刻んでおいた同じ家印と照らし合わせますと、それが隣村の蔵のものであることが知れました。「この、この者、我が家だけでは飽きたらず、隣村の蔵にまで手を伸ばしておったのか」と、五兵衛の怒声が響き渡りました。

治兵衛は顔色を失い、なおも「これは、これは何かの間違いでございます。私は日頃から帳面をつけるようにと旦那様に言われ、ただそれに従っていただけでございます」と、虚偽の言い逃れを試みておりました。しかし、追い詰められた商人たちがついに膝を折り、「私どもは治兵衛様の指図で、洗いざらい白状いたします」と、もはや言い逃れの余地はございませんでした。治兵衛はその場に、全てが終わったことを悟ってへたり込んでしまいました。

五兵衛は冷たく命じました。「この者どもを直ちに縛り上げよ。治兵衛は蔵に閉じ込め、次第を大所へ引き渡す。商人どもも一緒に縛って閉じ込めておけ」

治兵衛に日頃から抑えつけられていた奉公人たちが勢いよく飛びかかり、またたく間に取り押さえました。治兵衛の悲鳴と商人たちの哀れむ声が凍った夜を裂きましたが、誰一人としてそれを哀れむ者はございませんでした。お福はその光景を見届けると、静かに視線を外し、少し離れたところに立つお玉へ目を移しました。お玉は黙って頷き返しました。言葉はなくとも、二人の間には確かな通じ合いがございました。

騒ぎが収まると、庭に集まった村人たちの間にも、これまでとは違う空気が広がっておりました。「あの嫁が村を救ったのだ」と口々に囁き合う声が、松明の灯りの中に満ちてまいりました。

五兵衛は松明の灯りの下に立つ徳助とお福を見つめました。彼はお福に歩み寄り、彼女が運んできた石板を手に取りました。「お前が……お前がこの家を救ったのだ」とつぶやき、しばらく無言でその符牒を見つめておりました。文字一つ知らぬ娘が、目と記憶と数取りの技だけを頼りに、これほど正確な証拠の表を作り上げたということが、五兵衛には信じられぬ思いでございました。

彼は徳助に向き直りました。「徳助よ。お前は、蔵にも勝る女房を得たものよ。誠に幸運なものよ。ところが、お前は何故、女房がこれほどの目に遭うまで黙って見ておったのだ」

徳助は弾かれたように顔を上げられませんでした。「手前は……手前はただ、恐ろしかったのでございます。旦那様、手前は力ない下男に過ぎず」と申し上げますと、五兵衛はしばし目を閉じ、静かに首を振りました。「恐ろしいと思ったのは、お前が弱いからではあるまい。善良な者ほど、力ある者の理不尽を恐れるものよ」とつぶやきました。

お福が夫の前に一歩進み出て、五兵衛に深く辞儀をいたしました。そして立ち上がると、夫を指差し、その手で己の胸の当たりを軽く二度叩いて、控えめに笑いました。言葉はございませんでしたが、その仕草が全てを語っておりました。「この人は私の心の宝でございます。世の中で最も良い人でございます」と。徳助はその姿に、とうとう涙をこぼしました。そばで見守っていたお玉も、袖で目元を抑えながら「良かった。本当に良かった」と幾度も繰り返しておりました。

五兵衛は横で控えるお玉に命じ、二人のために温かな飯を用意させました。湯の立つ白飯と大根と油揚げの汁が膳に並びますと、徳助は箸を取ることさえ憚られ、飯をじっと見つめておりました。お福は埃を拭った顔で静かに箸を取りました。その様子が思いのほか落ち着いており、五兵衛は思わず目を細めました。

食事を終えると、五兵衛は懐から書き付けを取り出しました。「徳助よ。お前は十年の間、私の屋敷で真面目に働いてきた。しかし、お前は今夜、女房のおかげで命拾いをしたも同然だ。私はもう、お前に仕事をさせるわけにはいかぬ」と、書き付けを渡し、「村の入口にある小さな河吹きの一軒と、それに付随する田を、これよりお前たち夫婦に譲り与えることとする」と告げました。その家は井戸も備わった頑丈な作りで、田は水はけの良い上田でございました。

徳助は己の耳を疑いました。「あ、あの、旦那様、それは誠に?」と問い返しますと、「さよう。これよりお前は自由の身だ」と、五兵衛は深く頷きました。徳助はその場にへたり込んでしまいました。生き場のない娘を女房にしたばかりに村中の笑い者にされていたこの身が、女房の働きによって家と田んぼを授かる立場へと引き立てられた。まさにその瞬間でございました。

お福はその場で炭を取り、綺麗な床の上に、五兵衛の門から荷を背負って追い立てられる治兵衛と、その傍らでお玉が微笑みながら米を分け与える絵を描いて見せました。五兵衛はその絵の意味をすぐさま悟りました。「ほほう。お前は誠に賢い」とつぶやき、お福の望み通り、この家の蔵の鍵をお玉に預けようと約束いたしました。お玉は涙を浮かべながら深く頭を下げ、「旦那様、身に余る大役でございますが」と震える声で申しました。

さて、治兵衛はその後、大岡の裁きにより、五兵衛の蔵のみならず、隣村の蔵からも幾つにも渡って米を盗み続けていたことが明らかとなり、重罪を申し渡されました。彼は牢の中で、あれほど見下していたあの娘の石板によって己が身を滅ぼしたという事実を、なかなか信じることができなかったと申します。

翌日には村中にこの一件が知れ渡り、「あの嫁が五兵衛を救ったそうな」と、これまで影口を叩いていた者たちまでもが口をつぐみ、顔を見合わせるばかりでございました。

その夜、徳助とお福は古い納屋ではなく、五兵衛の屋敷の温かい炬燵で眠りに着きました。床に着く前、徳助はお福の前に正座し、深く頭を下げました。「女房殿。私はこれまで、お前を守るどころか、お前に守られてばかりであった。情けない亭主ですまぬ。これからは、私がお前を守ると誓う」と申しますと、お福は何も言わず、徳助の手を取って己の胸の辺りへそっと導きました。それだけで、二人の間にはどんな言葉より深いものが通い合っておりました。

数日後、徳助とお福は村の入口の小さな河吹きの家に移り住みました。井戸の水は澄み、小さな畑がついておりました。徳助はもはや下男ではなくなりましたが、五兵衛の恩に報いと、夜明けと共に田へ出て耕し、お福は相変わらず口を聞きませんでしたが、清潔な着物をまとって畑を営みました。朝には竈の煙が二人の家の屋根に立ち上り、夕方にはまた低く漂って、二人の帰りを待つ印となりました。徳助は女房の傍らに座り、飯を食べながらその日あった些細なことを語り合うのが、この世で最も大きな幸せでございました。

月日が流れ、また春が巡ってまいりました。徳助とお福が夫婦になってちょうど一年が経つ日でございました。彼らの小さな河屋根の庭には、お福が植えた杏の花が白く咲き誇っておりました。徳助は畑からの帰り道、町へ寄って女房に送る赤い髪紐を一筋買いました。高価なものではございませんでしたが、女房の黒髪に結んでやればさぞ美しかろうと思ったのでございます。

上り框で門をくぐると、部屋の中でお福が何かを見つめながら静かに微笑んでいる姿が目に入りました。徳助が部屋に入ると、お福は指で己の腹の当たりを示し、炭で石板に小さな丸を描いて見せました。徳助は一瞬息が止まるかと思いました。「女房殿、それは……それは誠か?」と問うと、お福は答える代わりに、徳助の荒れた手を己の腹の上にそっと乗せました。徳助はその温かく柔らかい感触に、思わずその場に膝をつきました。

彼は女房を抱きながら思いました。人々は己が一夜にして富める身になったという。それは間違いではない。しかし、その富は女房がいなければ、守ることさえできなかったであろう。誠の富とは、米俵や蔵にあるのではなく、人を見る目と、互いを慈しみ信じ合う心から生まれるのだと、徳助はこの時悟ったのでございます。

庭の杏の花びらが風に吹かれて、二人の肩先にひらりと舞い落ちました。遠くで鳥が一声鳴き、穏やかな春の日が静かに二人を包んでおりました。

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