「高卒はダメね。何もできない。こんなことで足を引っ張らないで。」
入社してからずっと、指導係の先輩・沢木レナさんにそう言われ続けてきた。彼女は有名私立女子大を出たエリートで、父親は同じ会社の営業企画統括部長。親子揃って高卒を見下し、手柄は独り占め、ミスは他人に押し付ける。そんな二人が、会社で好き放題やっているらしい。
ある日、取引先に出す見積もり書の桁が違うと、レナさんに怒鳴られた。でも、その見積もり書は身に覚えがない。作成者欄には確かに俺の名前と印鑑が押してあったが、俺は数日前から見積もり書なんて作っていない。
「何かの間違いじゃないですか? 僕はここ数日、見積もり書を作成していません」
冷静に言い返すと、レナさんは「高卒だから世の中舐めてる」と吐き捨て、得意げな顔で睨んでくる。その顔を見て、俺ははっきりと悟った。これは罠だ。前に書類を紛失した罪を着せられた女性社員と同じように、俺も嵌められようとしている。
「とにかく何のことか知りません。それに、よく確かめもせずに追い込もうとするなんて、その方が子供みたいじゃないですか」
そう言うと、レナさんは一瞬固まり、足を踏み鳴らして部屋を出て行った。
翌朝、今度は沢木部長に呼び出された。会議室に行くと、親子が揃って待ち構えている。
「宮本君はミスを認めないそうじゃないか。作成者には君の名前と印鑑があるんだぞ」
「ですから、それは昨日もお伝えしました。僕はこの数日、見積もり書を作成していません。誰かが勝手にやっただけです」
「ほう。君は随分と図太い神経をしているんだな」
レナさんも「どうせ高卒で何もできないんだから、さっさと認めて辞めればいいのに」と畳みかける。
「どうしてそこまで言われなくてはいけないんですか?」
「君が重要な取引先にミスをした。そしてそれを認めずに開き直るからだ」
「ですから、僕が作成した見積もり書ではありません」
「いいや。この見積もり書の作成者は親会社の社長が指名している。君をあの社長が指名しているんだよ。そんなことも忘れるとはな」
「だからこいつはバカなのよ」
親子はここぞとばかりに俺を罵倒し始めた。
「君も一応社会人だろう。ミスを認めて謝れないとは残念だ」
「まともに親に躾けられず、可哀想だとも言えるな」
「君の親なんだ。きっと無能なんだろう。顔を拝ませてもらいたいものだ」
その言葉で、俺の何かが切れた。
「僕はともかく、親をどうのこうの言うのは侵害です。今から親を呼びます。それで実際に顔を見て、同じことを言ってみてください」
「ああ、好きに呼び出せばいい」
俺はスマホを取り出し、母に電話をかけた。
「10分ほどで到着します」
会議室に戻ってそう言うと、親子は大笑いした。「本当に呼んだ。ここまでバカとは思わなかった」と指を指して笑う。
約束通り、母は10分後に現れた。その顔を見た瞬間、部長とレナさんは固まった。
「し、社長…」
「ああ、おはようございます」
母は親会社の社長だった。この会社で俺と母の関係を知る人はほとんどいない。だから親子は、母が落ち着いた口調で言った次の言葉に息を飲んだ。
「どうされたって? 息子のリタが私から指示を受けて作成した見積もり書にミスがあって、トラブルになっているからと呼び出されたのよ」
「息子さん…宮本って…確かに同じ苗字だけど…」
親子は俺の顔をじっと見つめ、冷や汗を流した。
母は見積もり書を覗き込み、静かに言った。
「私はこの見積もり書を、レナさんに作成してもらうように頼んだはずよ。大事な取引先だから、ミスがあってはならないと思ってね。仕事が確実で取引先とも面識があるレナさんを指名したの。どう? 覚えていない?」
実は、母は以前から子会社で好き放題する沢木親子の噂を聞いていた。そこで、まずレナさんに罠を仕掛けた。彼女が今まで作成したことのないタイプの見積もり書を命じ、どうなるか様子を見たのだ。
「プライドの高いレナさんなら、自分でやろうと必死になる。助けは求めない。そしてミスをすれば、立場の弱い高卒社員に全てをなすりつける。まさか、こんなに想像通りになるとは、ちょっと怖いぐらいよ」
「違います、社長。私にも訳が…」
「噂は真実だったってことね」
母はレナさんに首を振り、今度は部長に向き直った。
「あなた方が親子であろうが、上司と部下であろうが、この状況は見過ごせませんよ」
「それは…」
「何がしたくて会社を我が物にしたいのかもしれませんが、レナさんの言い訳やお考えは聞いておきたいものですね」
部長は必死に愛想笑いを浮かべたが、母の冷たい目に晒されて俯いた。
やがて二人は、出世のために手段を選ばなかったと打ち明けた。親会社に引き抜かれることを夢見て、ライバルを減らそうとしていたのだ。まずは学歴のない者から、いずれは大卒や中途採用組もターゲットにするつもりだったという。
「しっかりと調べさせてもらいます。結果と処分をお伝えします」
母の宣告に、沢木親子は無言で受け入れた。
調査が終わり、母は俺に謝った。「悪かったわね。息子とはいえ、妙なことを頼んで」
「本当だよ。俺はスパイみたいなもんだからね」
沢木親子はこれまでの悪行を全て暴かれ、居場所を失った。母は二人を追い出そうとはせず、降格と数十日の停職処分を言い渡しただけだった。しかし、二人は立場も居場所も失い、結局同じ日に退職届を提出した。
「でも母さん、思い切ったね。俺を使うなんて」
「まあ、あなたには悪いけど、使えるものは使うってことよ」
母は子会社から上がる不穏な報告に気を揉んでいた。注意や忠告をしても届かず、揉み消される現実もあった。そこで、就職先を探していた俺に目をつけ、潜入調査をさせたのだ。
騒動が過ぎて、ふと思う。会社を経営する難しさを。母はとんでもない人生を選び、結婚して俺を育てる選択もした。俺は母の息子。誰かは俺を二代目だと思うかもしれない。でも、俺はそこには目を向けず、母のために堅実に働いて会社の業績アップに貢献しようと思う。野望は燃やさず、自分なりにいい社員を目指す。そう心に決めている。



