俺の名前は元。高木町で小さな工場の社長をしている。実家は幼い頃から貧しく、父が早くに亡くなったため、母が一人で働きながら俺を育ててくれた。大学進学も勧められたが、早く働いて母を助けたくて、高校卒業後すぐに就職を選んだ。親戚の紹介でこの町の工場に入社し、必死に働いた。社長に可愛がられ、いつしか「将来はお前に会社をついでもらおうかな」と言われるようになったが、笑いながら言うので本気にしていなかった。
ところがある日、社長が病に倒れ、後継がいないからと工場を継いでほしいと頼まれた。驚き戸惑ったが、尊敬する社長と大好きな工場のために継ぐことを決意した。社員たちも賛成してくれ、不慣れな俺を支えてくれた。大口取引先の大手部品メーカーにも恵まれ、長年良好な関係を築いてきた。
そんな時、その大手部品メーカーの社長が引退し、長男の若松周一さんが後を継ぐとの案内が届いた。社員から「父親の前ではいい顔をするが、下の人間には冷たい人らしい」と噂を聞き、不安になった。
数日後、見知らぬ男性が工場を訪ねてきた。若松周一と名乗るその男は、時期社長だという。工場を見たいと言うので案内すると、彼は鼻で笑いながら「随分と薄汚い工場だな」と言った。初対面で失礼な言葉に気分を害したが、愛想笑いでごまかした。さらに「本社ですぐにでも壊れそうだな。まあ、あなたにはお似合いの工場ですね」と、俺のことも工場のことも馬鹿にした。ため口で話す彼は、噂通りの人物だった。
その日はそれだけ言って帰ったが、後日、前社長から電話がかかってきた。「息子が挨拶に行ったと聞きました。色々な話をして盛り上がったと喜んでましたよ。これからいい関係を築けそうだと言ってました」
俺は耳を疑った。実際は暴言を吐かれて不快な思いをしただけなのに、社長にはいい顔をしているのだ。しかし、社長を不安にさせたくないと思い、嘘を言えなかった。これから頑張って良い関係を作ろうと決意した。
しかし、それからも周一さんは何度も工場に来て、来るたびに一方的に暴言を吐いて帰っていく。俺は社長のため、取引のために黙って聞いていた。
そんなある日、事件が起きた。この日も周一さんが暇を潰すかのようにやってきて、「相変わらずきったい工場だなあ」と言った。そして突然、「この工場って、危ないところに借金して返済に迫られている貧乏工場とそっくりだよな。ここも危ないところに借金して大変なんだろうな」と言い出した。
俺は否定したが、彼は「どう見たって今にも潰れそうだし。本当は借金とか来てるんでしょ」と決めつける。さらに「怪しいから俺この工場を見張ってたんだよ。先週の金曜日、いかにも悪そうな人が来てたじゃないか」と言った。
「先週の金曜日に来てたのは取引先の方です。人の見た目を悪く言うようなことはやめてください」
「ふうん。どうせうちとの取引くらいしかないくせに、下手な嘘つかなくていいから」
勝手な妄想で工場を貶めていく彼に、腹が立ってきた。すると周一さんは「まあでももういいよ。俺は時期社長として決めたから」と言い出した。
「決めたって何をですか?」
「こんなおんぼろ工場との契約を終了することだよ」
「契約を終了ですか?突然そんなことを言われましても」
「こんな汚いところで作ってゴミのついたものを納品されたら困るし。それに危ない人たちにうちの会社まで目をつけられたらたまらないからな」
勝手に決めつけ、好き放題言われ、開いた口が塞がらない。彼は「うちとの取引がなくなればこんな工場は終わりだろうな。ま、せいぜい頑張ってよ」と最後に侮辱して帰ろうとした。
去っていく背中を眺め、俺の中で張っていた糸がプツンと切れた。その瞬間、ついに我慢ができなくなり、深呼吸した後、まっすぐ周一さんを見て口を開いた。
「終わるのはあんたの方だ。うちの最新技術は他社に譲ると社長に今すぐ伝えよう」
怒りで声が強まってしまい、周一さんも一瞬驚いた表情をしたが、すぐにいつもの見下した表情に戻った。「何をバカなこと言ってるんだ。さすが嘘つきは言うことがおかしくて面白いよ」
するとちょうどその時、周一さんのスマホが鳴った。相手は父親の社長のようだ。周一さんはいつもとは全然違う愛想のいい感じで電話に出た。仕事の話を始めたかと思うと、俺を見てにやりと笑い、「父さん、僕からも取引先についてお話がありまして」と切り出し、俺の工場との取引を終わらせる許可を求めた。「こんなおんぼろ工場より何倍もいい工場ですよ。代わりとなる最先端の工場を見つけてある」
ところが次の瞬間、電話越しにも聞こえる社長の怒声が響いた。「何を言っているんだ?いい加減にしろ」
驚いた顔をした周一さんだったが、社長の話を聞くにつれて顔が青ざめていく。先ほどまでの優越感に満ちた笑顔はどこへやら、下を向いてしまった。電話を切った周一さんが、聞いたこともないような小さな声で「まさかこんなおんぼろ工場が」とつぶやき、言葉を失った。
俺はこの工場で研究を重ね、特許技術をいくつも作り出していた。特に最新の技術は蓄電池に関するもので、小型で安価、蓄電容量は大幅にアップするというものだ。その技術を、長年の付き合いのある周一さんの会社が独占的に利用できる契約となっていた。その技術のおかげで俺の工場は彼らの会社の経営を支える柱となっていた。どうやら時期社長となるにも関わらず、そのことを周一さんは知らなかったようだ。
周一さんは俯いていた顔を上げて謝罪を始めた。「本当に申し訳ございませんでした。先ほどのお話は忘れてください」
「忘れることなんてできませんよ。契約を終了すると言ったのは周一さんです」
「いや、まさかそんな技術があったなんて知らなくて」
「まあ確かにうちはおんぼろ工場ですからね。それは事実なので契約終了で結構ですよ。それに周一さん、代わりの工場を見つけてあると言っていましたもんね。残念ですが、そちらでお取引をされればいいと思いますよ」
事実を述べる俺に何も言い返せないのか、いつもの勢いを全く感じられない。俺が「もう用はないのでお帰りください」と言ってその場を立ち去ろうとすると、周一さんに腕を掴まれ、土下座をされた。「本当に申し訳ございませんでした。今までのひどい発言も全て謝罪します」
「もう何を言われてもそちらと取引するつもりはありませんよ」
「今まで父といい付き合いをしていたって言ってたじゃないですか。長い付き合いなんですよね」
「そうですね。こちらもこんなことになってしまい、残念ですよ」
必死に土下座して謝罪する周一さんを、俺は淡々と突き放した。彼が脱力してしまったので、社員たちと工場の外に追い出した。
その後、俺は周一さんの発言を許しがたい侮辱行為として契約を正式に打ち切った。そして代わりに、彼らの会社のライバル社と契約を交わした。実は、周一さんが取り立てだと勘違いしていた来客は、うちと契約をしたいと言ってきている会社だった。以前から契約を求める会社はあったが、長い付き合いを理由に断っていた。しかし、社長が周一さんに変わるという噂が広まり、契約を求める会社が増えていた。俺はいつかこんなこともあろうかと、条件などの詳しい話を聞いていたのだ。
新しく契約したライバル社は、契約後、株価が急上昇し、業績も飛躍的に向上した。対照的に、周一さんの会社は業績が急激に悪化した。うちの工場が支えていたのだから、当然だろう。
社長は今回の件で周一さんをしっかり問い詰めたそうだ。そして他の社員からも話を聞き、社長の前だけ良い息子を演じていたことがバレてしまったらしい。社長は激怒し、周一さんを時期社長にはさせないと決めたそうだ。その後の行方は誰も知らないとライバル社の担当者から伝え聞いたが、もう俺には関係ないことだ。
俺は今回の件で、改めて謙虚な姿勢が大切だと身にしみた。周りの人たちに支えてもらえている環境に感謝し、地道にこの工場のために仕事をしていこうと改めて決意している。



