「そんなお金、出せないですよ」
私の耳に飛び込んできたその言葉に、一瞬時が止まったような気がした。病院から帰宅したばかりの私は、まだコートも脱がないまま、リビングで嫁のあゆみさんと向き合っていた。私は原水江、66歳。息子家族と同居して5年になる。先ほど整形外科の診察を受けてきたばかりだった。医師の話では、このままだと歩行困難になる可能性がある。月に4万円の治療費が必要だと言われた。そう切り出した私に、あゆみさんは眉をひそめた。
「4万円?そんな大金、うちだって余裕ないんですから。お母さんの年金でなんとかならないんですか?」
「年金は生活費で精一杯で…」
「息子にも相談してみますが、大和さんに行ったって同じですよ。住宅ローンに子供の教育費、カツカツなんですから」
あゆみさんはため息をつきながらスマートフォンに目を落とした。まるでこの話はもう終わりだと言わんばかりに。私は言葉を失った。必要な治療費すら「そんなお金」と言われてしまうなんて。胸の奥で何かがひび割れるような音がした。
その夜、私は眠れないまま、これまでの人生を振り返っていた。私は35年間、地方銀行の融資課課長として働いてきた。夫を亡くしてからも、必死に息子の大和を育て上げた。あの子が結婚する時、私は迷うことなく援助を申し出た。
「母さん、結婚資金が足りなくて」
そう言われれば、退職金から300万円を。マイホームの頭金が足りないと言われれば、500万円を差し出した。孫が生まれてからは、保育園の送り迎えも私の日課になった。あゆみさんがパートに出るようになってからは、家事のほとんども引き受けている。朝5時に起きて朝食の準備をし、掃除に洗濯、夕食の支度まで。
「お母さん、今日もお願いします」
その言葉を聞くたびに、家族の役に立てることが嬉しかった。でも今思えば、いつから感謝の言葉は消えてしまったのだろう。当たり前のように家事を押し付けられ、孫の世話も「おばあちゃんの仕事」と決めつけられている。銀行員時代、私は多くのお客様の人生設計をお手伝いしてきた。老後の資金計画も何度となくアドバイスしてきた。それなのに、自分自身のことになると、こんなにも見通しが甘かったなんて。月4万円の治療費すら出せないと言われる。私がこれまで家族に捧げてきたものは、一体何だったのだろうか。
翌朝、私はいつものように朝5時に起きて台所に立っていた。家族4人分の朝食を準備しながら、昨日の出来事が夢ではなかったかとぼんやり考えていた。
「おはようございます」
6時半、あゆみさんがパジャマ姿で降りてきた。
「お母さん、今日の夕飯なんですけど、私の分は別に作ってもらわなくていいです。友達とディナーの約束があるので」
「あ、はい、わかりました」
「それと今日もレオの送り迎えお願いしますね。私、残業かもしれないから」
あゆみさんはコーヒーを注ぎながら、当然のように言った。孫のレオは8歳。元気いっぱいの男の子だ。朝食の時間になると、大和とレオも起きてきた。
「おはよう、母さん」
大和は新聞を広げながら席に着く。
「おばあちゃん、おはよう」
レオだけが明るく挨拶してくれた。私は皆の朝食を並べる。大和とあゆみさんには焼き魚に味噌汁、サラダに卵焼き。栄養バランスを考えた献立だ。
「あれ?お母さんのは?」
あゆみさんが私の席を見て言った。そこには昨夜の残りのご飯と味噌汁だけ。
「私はこれで十分ですから」
「そうですか。まあ、年を取ると食も細くなりますもんね」
あゆみさんはそう言って、自分の焼き魚を箸でほぐした。
朝食後、私はレオを保育園まで送っていく。片道20分の道のりを、レオの手を引いて歩くのだ。
「おばあちゃん、今日も迎えに来てくれる?」
「もちろんよ」
レオの笑顔だけが私の心の支えだった。家に戻るとすぐに掃除を始める。リビング、廊下、トイレ、お風呂場。腰が痛くても、膝が悲鳴をあげても、手を止めるわけにはいかない。
お昼前、洗濯物を干していると、あゆみさんが出かける準備をしていた。
「お母さん、掃除終わったら2階の窓も拭いておいてくださいね。あと、庭の草むしりもお願いします」
「…はい」
本当は今日、病院の予約があった。でも言い出せなかった。午後になると買い物に出かける。重い荷物を抱えて帰ってくると、もうレオのお迎えの時間だ。
「おばあちゃん、保育園でお絵かきしたんだよ」
「まあ、すごいわね」
レオの無邪気な報告を聞きながら、また20分の道のりを歩く。
夕方、私は夕食の準備に取りかかった。今日は大和の好物の生姜焼きだ。
「ただいま」
「お帰りなさい。夕飯、もうすぐできますから」
「あ、母さん、ちょっと話があるんだけど」
大和がリビングのソファに腰を下ろした。私も向かいの椅子に座る。
「あゆみから聞いたよ、治療費の話」
私の心に小さな希望が灯った。
「実はね、膝の軟骨が相当すり減っていて、このままだと…」
「母さん、申し訳ないけど、今はちょっと厳しいんだ。レオの塾代も上がったし、車の車検も控えてるし」
希望は一瞬で消えた。
「でも、大和…」
「分かってるよ。母さんには感謝してる。でも、今は本当に余裕がないんだ。あゆみも頑張って働いてるし」
「あゆみさんは週3日のパートですよね」
「それでも大変なんだよ。母さんだって年金もらってるでしょう」
私は言葉を失った。あの子は、私が今まで家族のために使ってきたお金のことを、もう忘れてしまったのだろうか。
夕食時、あゆみさんは結局帰ってこなかった。
「ママは?」
レオが聞く。
「お友達とお食事だって」
大和が答えた。食卓には私が作った生姜焼きが並んでいる。でも、私の分だけ量が明らかに少ない。最近はいつもこうだ。良い部分は家族に、残りを私が食べる。それが当たり前になっていた。
「母さん、明日なんだけど」
大和が箸を動かしながら言った。
「会社の同僚が家に来るんだ。ちょっと片付けといてもらえる?」
「わかりました」
「あと、料理も頼むよ。6人分くらい」
「6人分ですか?」
「あ、でも母さんは2階にいてもらえるかな?男同士の話があるから」
私は黙って頷いた。
夜9時過ぎ、あゆみさんが帰宅した。
「ただいま。あー、疲れた」
リビングに入ってきたあゆみさんは、ソファにどさっと腰を下ろした。
「お母さん、お茶」
私は黙ってお茶を入れ、あゆみさんの前に置いた。
「そういえば来週なんですけど、私の実家の母が泊まりに来るんです」
「そうですか」
「客間、使わせてもらいますね。あ、その間、お母さんは和室でいいですよね」
客間は元々私の部屋だった。でも、いつの間にか「客間」ということになり、私は6畳の和室に移されていた。
「お母さんのお部屋、ちょっと物が多いから、片付けておいてくださいね」
あゆみさんはまるで使用人に指示するような口調で言った。
深夜、私は和室で一人、天井を見つめていた。銀行員時代、私は誇りを持って働いていた。「原さんのおかげで」と感謝されることも多く、やりがいのある仕事だった。定年まで勤め上げ、それなりの退職金ももらった。それが今はどうだろう。使用人のような扱いを受け、治療費すら出してもらえない。食事も粗末なもので済まされ、部屋も追いやられる。このまま、本当にこのままでいいのだろうか。私の人生は、家族のために尽くして最後はお荷物扱いされて終わるのだろうか。
それから1週間後、大和の親戚が集まる法事があった。大和の従兄弟の三回忌だ。私も家族として参列することになっていた。会場は市内のホテルの和室だった。親戚が20人ほど集まり、読経の後、会食が始まった。
「水江さん、お久しぶりです」
大和のおばが声をかけてくれた。
「本当にお久しぶりです。お元気でしたか?」
「ええ、おかげ様で。水江さんは大和君たちと一緒でお幸せでしょう」
私は曖昧に微笑むしかなかった。
会食が進む中、あゆみさんが親戚の女性たちと話し込んでいるのが聞こえてきた。
「あゆみさん、大変でしょう。お母さんと同居なんて」
「本当に大変なんです。もうお荷物って感じで…」
私の手が止まった。あゆみさんの声は、十分に私に届く大きさだった。
「でも、家事とか手伝ってもらえるんじゃない?」
「手伝うどころか、こっちが世話してる感じですよ。料理も掃除も、やり直さないといけないことが多くて」
それは嘘だった。私は毎日丁寧に家事をこなしている。
「年金とかもらってるでしょう」
「それが全然。お母さん、退職金も年金も全部使い切っちゃったみたいで、今はただ転がり込んでるようなものです」
私の顔が熱くなった。退職金の大半は、大和たちの結婚資金と住宅購入に使ったのだ。
「早く施設にでも入ってくれないかしら。正直、もううんざりなんですよね」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れた。「うんざり」。35年間働いて、家族のために尽くしてきた私が「うんざり」。
「水江さん?」
様子に気づいたおばが、気まずそうに私を見た。あゆみさんも振り返り、一瞬「しまった」という顔をした。でも、すぐにいつもの表情に戻った。
「お母さん、お手洗いですか?」
まるで今の会話などなかったかのような態度だった。私は黙って立ち上がり、会場を出た。廊下で大和を探した。きっと大和なら分かってくれる。そう信じていた。
大和はロビーで従兄弟と話していた。
「大和」
「ああ、母さん。どうした?」
「ちょっと話があるの」
大和は面倒臭そうな顔をした。
「今、後にしてくれない」
「大事な話なの」
私は大和を廊下の隅に連れて行った。
「さっき、あゆみさんが親戚の前で私のことを…」
「ああ、聞いたよ。まあ、あゆみも疲れてるんだろう。あまり気にしないで」
「気にしないでって?私のことを『お荷物』だとか『うんざり』だとか…」
「母さん、声が大きいよ」
大和は周りを見回した。
「実際、大変なんだよ。あゆみだって仕事して、家事して、母さんの面倒も見て…」
「面倒?私が家事をしているんですよ」
「そりゃ、してもらってるけど。でも、やっぱり同居は大変なんだ」
「大和、私は…」
「母さん、分かってるって。母さんには感謝してる。でも、もう昔のことだろ」
「昔のこと…」
私が必死に働いて大和を育て、援助してきたことが、ただの「昔のこと」。大和は声を潜めた。
「母さん、正直に言うとさ。あゆみの言うことも分からなくはないんだ。これからもっと年を取ったら、介護とか必要になるだろう。そうなったら本当に大変だ。だから、施設に入れって言ってるわけじゃないけど、選択肢として考えておいてもいいんじゃないか」
私は大和の顔を見つめた。私が愛情を注いで育てた息子の顔を。でも、そこにあったのは、他人を見るような冷たい目だった。
「…わかりました」
私はそれだけ言って、大和から離れた。
会場に戻ると、あゆみさんが何事もなかったように配膳していた。私は自分の席に座り、じっと手元を見つめていた。その時、私は静かに決めたのだ。もうこの家族とは決別すると。「お荷物」で「うんざり」な私は、もうこの家には必要ないのだろう。ならば、私も私の人生を取り戻す時が来たのだと。
法事の帰り道、車の中で、あゆみさんが言った。
「お母さん、さっきは聞こえちゃいましたね。ごめんなさいね。つい愚痴っちゃって」
謝罪の言葉とは裏腹に、その声に申し訳なさは微塵もなかった。
「いいえ、本音が聞けてよかったです」
私は静かに答えた。心の中で、ある決意を固めながら。
法事から3日後、私は一つの行動を起こした。銀行員時代の同僚で、今は弁護士をしている西さんに連絡を取ったのだ。
「水江さん、お久しぶりです。どうされました?」
西さんの事務所は駅前のビルにあった。
「実は、相談があって」
私は現在の状況を説明した。同居のこと、医療費を出してもらえないこと、そして家族からの扱いのこと。西さんは真剣な表情で聞いてくれた。
「水江さん、『世帯分離』という方法があります」
「世帯分離?」
「同じ住所に住んでいても、世帯を別にすることで、別世帯として扱われる制度です」
西さんは詳しく説明してくれた。世帯分離をすれば、私は独立した世帯主となり、医療費の補助も受けられる可能性があるとのことだった。
「でも、息子たちには何か影響が…」
「正直に申し上げると、影響はあります。今まで水江さんが世帯にいることで、低所得世帯として受けていた優遇がなくなる可能性があります」
私は少し考えた。でも、もう迷いはなかった。
「手続きをお願いできますか?」
「わかりました。必要書類を準備しますね」
西さんの事務所を出た後、私は銀行に向かった。昔の職場だ。
「原さん、お久しぶりです」
受付にいたのは、かつての後輩だった。
「山口さん、元気にしてた?」
「はい、おかげ様で。今日はどんなご要件で?」
「ちょっと、私の口座の確認をしたくて」
手続きをしながら、山口さんが言った。
「原さん、定期預金がまだ2000万円残ってますね」
「え?」
私は驚いた。もっと少ないと思っていたのだ。
「15年前に作った定期ですね。利率は低いですけど、堅実に運用されてますよ」
そうだった。夫が亡くなった時の生命保険金の一部を、定期預金にしていたのだ。大和たちには内緒で。
「原さん、これ、もっと良い運用方法もありますよ」
「いえ、このままで。ただ、もし私に何かあった時は…」
私は受け取人の変更手続きをした。大和ではなく、きちんと私を大切にしてくれる人に。
家に帰ると、あゆみさんがリビングでテレビを見ていた。
「お母さん、遅かったですね。どこに行ってたんですか?」
「ちょっと病院に」
「あら、そう」
あゆみさんは興味なさそうにテレビに目を戻した。
その夜、私は和室で必要な書類を整理した。年金手帳、健康保険証、通帳、銀行印。全てを揃えて、小さなバッグに入れた。
翌日、市役所に行った。
「世帯分離の手続きをしたいのですが」
窓口の職員は丁寧に対応してくれた。
「同居のご家族の同意は必要ないと聞いたのですが」
「そうですね、原様が世帯主として独立される場合は、ご本人の申請だけで手続き可能です」
私は必要書類に記入し、提出した。
「手続きは明日には完了します。新しい保険証は後日郵送されます」
市役所を出て、私は少し気分がすっきりした。小さな一歩かもしれないが、自分の人生を取り戻すための、大切な一歩だ。
その日の夕方、私は銀行員時代の友人、織田さんに会った。
「水江さん、なんだか顔色が良くないわね」
喫茶店で、織田さんが心配そうに言った。
「実は…」
私は最近の出来事を話した。織田さんは黙って聞いてくれた。
「ひどい話ね。水江さんがどれだけ家族に尽くしてきたか、私は知ってるわ」
「でも、もう決めたの。世帯分離して、自分の人生を生きることにした」
「それがいいわ。ところで、住むところは?」
「それはまだ…」
「実は、私の知り合いが小さなマンションを貸しに出してるの。駅から近くて、家賃も手頃よ」
織田さんは連絡先をメモしてくれた。
「水江さん、遠慮しないで。あなたには幸せになる権利があるんだから」
帰り道、私は決意を新たにした。明日、世帯分離が完了したら、大和たちには事後報告でいい。どうせ、私の存在など気にしていないのだから。
夜、レオが私の部屋に来た。
「おばあちゃん、明日も保育園に送ってくれる?」
「もちろんよ」
レオの無邪気な笑顔を見て、少し心が痛んだ。でも、このままでは本当に私は壊れてしまう。レオには申し訳ないけれど、私も自分を守らなければ。
深夜、私は荷物の整理を始めた。最低限の衣類と大切な思い出の品。銀行員時代の表彰状や夫との写真。これからの人生に必要なものだけを選んでいった。
明日の朝、全てが動き出す。その準備はもう整っていた。
翌朝、私はいつもより早く起きた。静かに荷物をまとめ、最後にレオの寝顔を見に行った。
「ごめんね、レオ」
小さくつぶやいて、私は家を出た。
朝7時、いつもの時間にあゆみさんが起きてきた。私がいないことに気づくまで、30分もかからなかった。
その頃、私は織田さんが紹介してくれたマンションにいた。日当たりの良い1LDK、清潔で明るい部屋だった。
「原さん、荷物はこれだけですか?」
大家さんが心配そうに聞いた。
「ええ、必要なものだけ持ってきました」
契約を済ませ、鍵を受け取った時、携帯電話が鳴り始めた。大和からだった。でも、私は出なかった。
一方、家では大混乱が起きていた。
「大和さん、大変!お母さんがいない!」
あゆみさんが大和を起こした。
「は?何言ってるんだ」
「本当にいないの!荷物もない!」
その時、レオが起きてきた。
「ママ、おばあちゃんは今日も保育園送ってくれるんでしょう?」
その言葉に、あゆみさんの顔が引きつった。
「ええと…おばあちゃんはちょっとお出かけしてて…」
「じゃあ、誰が送ってくれるの?」
あゆみさんは慌てて保育園に電話した。
「すみません、今日は祖母が…」
「あっ、原さん。実は昨日、おばあ様から連絡があって、世帯分離されたと…」
「世帯分離?」
「はい。それで保育料の件なんですが…」
あゆみさんの手が震え始めた。
「保育料は、今まで低所得世帯ということで無料でしたが、世帯分離により、来月から月額8万円になります」
「は…8万円?」
電話を切ったあゆみさんは呆然としていた。
「どうした?」
大和が聞いた。
「保育料が、月8万円になるって」
「なんで?」
「お母さんが世帯分離したから、低所得世帯じゃなくなったって」
2人は慌てて市役所に確認の電話をした。そこで、さらなる衝撃の事実が判明した。児童手当は減額、住民税は増額。今まで受けていた様々な優遇措置が、全てなくなることが分かった。
「どういうことだ?」
大和は声を荒げた。その時、郵便受けに一通の手紙が入っているのに気づいた。私からの手紙だった。
「大和、あゆみさんへ。私は世帯分離をし、別の場所で暮らすことにしました。今まで私がいたことで、あなたたちは低所得世帯として様々な優遇を受けていました。保育料無料、児童手当の増額、住民税の減額。それらは全て、年金収入の少ない私が世帯にいたからです。医療費の4万円も出せないと言われた時、私は自分で生きていく決意をしました。『お荷物』で『うんざり』な私は、もうあなたたちの世帯には必要ないでしょう。なお、今まで私が支払っていた住宅ローンの補助、月10万円も今月で終了します。35年間銀行で働いた知識を生かして、きちんと計算しました。あなたたちの収入では、これからかなり大変になるでしょう。でも、余裕がないのですから、仕方ありませんね」
手紙を読んだ大和とあゆみさんは顔面蒼白になった。
「ローンの補助、月10万円…」
あゆみさんが小声で言った。
「知らなかった…母さんが払ってたなんて…」
大和も呆然としていた。急いで計算すると、保育料8万円、住宅ローン補助の終了で10万円、税金の増額で約3万円。月々に11万円もの支出増になることが分かった。
「無理よ…うちの収入じゃ無理…」
あゆみさんがパニックになった。
私はその頃、区役所で医療費の手続きをしていた。私は単独世帯で年金収入のみだから、医療費の助成が受けられる。月4万円の治療費は、自己負担が1万円程度になる。私は安堵した。これで、必要な治療が受けられる。
その日の夕方、大和から何度も電話があった。30回は超えていただろうか。でも、私は一度も出なかった。夜になって、ようやく留守番電話を聞いた。
「母さん、どこにいるんだ?話し合おう」
「お母さん、お願いです。戻ってきてください」
必死の声が録音されていた。でも、私は動かなかった。
翌日、私は新しい生活を始めた。病院で治療を受け、その後は近所を散歩した。自由な時間。誰にも急かされない、自分だけの時間。
3日後、大和たちが私を探し当てた。銀行の後輩に聞いたのだろう。マンションのインターホンが鳴った。
「母さん、大和だ。開けてくれ」
私はインターホンで答えた。
「何か用ですか?」
「よって話があるんだ」
「私はもう、あなたたちの世帯の人間ではありません」
「母さん!」
あゆみさんの声も聞こえた。
「お母さん、お願いします。私が悪かったです」
「何が悪かったのですか?」
「全部です。『お荷物』なんて言って、本当にごめんなさい」
「謝罪は結構です。もう関係ないことですから」
「お母さん、お金のことは何とかしますから」
私は少し笑ってしまった。
「月4万円の医療費も出せないのに、なんとかなるんですか?」
「それは…」
あゆみさんが言葉に詰まった。
「お母さん、レオが寂しがってます」
あゆみさんは最後の切り札を出してきた。
「レオは気の毒ですが、『お荷物』に孫の世話はできません」
「お母さん!」
私はインターホンを切った。その後も何度かやってきたが、私は一切応じなかった。
1ヶ月後、大和から手紙が届いた。あゆみさんはフルタイムで働き始めたが、保育園の送り迎えで残業もできず、収入はあまり増えない。住宅ローンの支払いも厳しくなり、車を手放すことにした。あゆみさんの実家に援助を頼んだが断られた。そんな内容だった。最後に「母さん、本当にごめん。今更だけど、母さんがどれだけ僕たちを支えてくれていたか、やっと分かった」と書かれていた。
私は手紙を読んで、静かにゴミ箱に捨てた。今更そんなことを言われても、私の心は動かない。
世帯分離から3ヶ月が経った。私の新しい生活は、想像以上に充実していた。朝は6時に起床。でも、それは誰かのためではなく、自分のためだ。ゆっくりとコーヒーを入れ、ベランダで朝日を眺める。なんて贅沢な時間だろう。
「おはようございます、原さん」
隣の部屋の女性が挨拶してくれた。同じく一人暮らしの70代の方だ。
「おはようございます。今日もいいお天気ですね」
このマンションには、私と同じような境遇の方が何人か住んでいた。皆さん、それぞれの理由で自立した生活を選んだ方々だ。
週に2回の通院も順調だった。
「原さん、膝の状態がかなり改善してますね」
医師が言った。
「きちんと治療を続けているおかげです」
「このペースなら、手術は必要ないでしょう。でも、無理は禁物ですよ」
医療費助成のおかげで、自己負担は月1万円程度。年金生活でも十分に払える金額だった。
ある日、銀行時代の同僚たちとランチ会があった。
「水江さん、本当に生き生きしてる」
織田さんが嬉しそうに言った。
「自由っていいものね」
「そうでしょう。私も定年後に一人暮らしを始めて、世界が変わったのよ」
元同僚の山口さんも頷いた。
「家族に縛られる必要なんてないのよ。私たちの年代は、自分のために生きていい」
皆でそう話しながら、美味しい食事を楽しんだ。自分で選んだ料理を、自分のペースで食べる。当たり前のことが、こんなにも幸せだったなんて。
「そういえば、水江さん」
織田さんが思い出したように言った。
「市民センターで金融講座の講師を探してるんだって。銀行員の経験を生かしてみない?」
「金融講座?」
「高齢者向けの資産管理とか、詐欺対策とか。報酬も出るし、何より社会貢献になるわよ」
私は少し考えて、引き受けることにした。
初めての講座の日、会場には30人ほどの方が集まっていた。緊張しながら始めたが、話し始めると銀行員時代の感覚が戻ってきた。
「資金管理で大切なのは、まず現状を正確に把握することです」
参加者の皆さんは熱心にメモを取ってくれた。
「質問があります」
一人の女性が手を上げた。
「息子夫婦と同居してるんですが、お金の管理で揉めることが多くて…」
私は自分の経験を踏まえながら、丁寧に答えた。
「大切なのは、経済的な自立です。同居していても、お金の管理は別にすることをお勧めします」
講座の後、多くの方から感謝の言葉をいただいた。こんな風に誰かの役に立てる。それが、こんなにも嬉しいことだったなんて。
一方、大和たちの生活はさらに厳しくなっていたようだ。ある日、スーパーであゆみさんを見かけた。以前の華やかな雰囲気はなく、疲れきった表情だった。安売りの商品ばかりを買い物かごに入れている姿が、何とも痛々しかった。私に気づいたあゆみさんは、慌てて近づいてきた。
「お母さん、こんにちは」
私は冷静に挨拶した。
「お母さん、お元気そうで…」
「ええ、おかげ様で」
「あの…レオが本当に寂しがってて。お母さんに会いたいって、毎日のように…」
「そうですか」
私は短く答えた。正直、レオのことは気がかりだった。でも、情に流されてはいけない。
「お母さん、一度だけでも会ってもらえませんか?」
「申し訳ありませんが、『うんざり』な人間が顔を出すのは、かえって迷惑でしょう」
あゆみさんの顔が歪んだ。
「あの時のことは、本当に…もういいです」
「お互い、別の人生を歩んでいるのですから」
私はそう言って、その場を離れた。
その夜、新しくできた友人たちと夕食会があった。マンションの共有スペースでの持ち寄りパーティーだ。
「水江さんの作った煮物、本当に美味しい。レシピを教えてください」
和気あいあいとした雰囲気の中、私は心から笑っていた。
「私ね、今が人生で一番幸せかもしれない」
ふと、そう口にしていた。
「分かるわ」
友人の一人が頷いた。
「自分の人生を自分で決められる。それが一番の幸せね」
その通りだった。誰かの顔色を伺うことなく、自分の意思で生きる。お金は多くないけれど、必要なものは足りている。何より、心が自由だった。定期預金の2000万円も、手をつけずに済んでいる。年金と講座の報酬で、十分に生活できているからだ。
ある日、西弁護士から連絡があった。
「水江さん、実は…大和さんから相談がありまして」
「何でしょう?」
「住宅ローンの支払いが厳しくて、任意売却を考えているそうです」
私は驚かなかった。月10万円の補助がなくなれば、当然の結果だ。
「それで…水江さんに援助をお願いできないかと…」
「お断りします。援助する余裕はありません。『お荷物』ですから」
西弁護士は苦笑した。
「そうおっしゃると思いました。わかりました。そのようにお伝えします」
電話を切った後、私は深呼吸をした。少しも心は痛まなかった。むしろ、すっきりした気持ちだった。
世帯分離から半年が経った頃、大和から最後の手紙が届いた。家を手放し、小さなアパートに引っ越したこと。あゆみさんとの関係も悪化していること。何より、母親の大切さを今更ながら痛感していること。でも、私にはもう関係のないことだった。
今日も、私は自分のために生きている。朝の散歩、友人とのお茶、趣味の読書、時々の講師活動。全てが、私自身のための時間だ。来月には、友人たちと温泉旅行に行く予定だ。銀行員時代から行きたかった場所だ。今なら、誰に遠慮することもなく行ける。
私は窓の外を眺めた。夕日が美しく町を染めている。私が学んだのは、理不尽に屈する必要はないということ。そして、知識と勇気があれば、いつからでも新しい人生を始められるということ。もし同じような境遇の方がいらっしゃったら、どうか一人で悩まないでほしい。必ず道はある。自分を大切にする勇気を持ってほしい。人生は、最後まで自分のものだ。誰にも、それを奪う権利はないのだから。
今、私は本当に自由で幸せだ。これが私が選んだ生き方。そして、これからも自分のために生きていく。



