「お金を出している方が偉いんだ。嫌なら出ていけ!離婚だ!」たった三万円の封筒を私の顔に叩きつけるように差し出し、夫はそう怒鳴った。専業主婦になって最初の給料日、家賃十二万円すら足りないその金額に私は言葉を失った。結婚前はあんなに優しかったのに、仕事を辞めた途端、人はこうも変わるのかと震えた。実家の父は温厚で、怒鳴られることなど人生で一度もなかった私にとって、その日は恐怖の始まりだった。封筒を…

「お金を出している方が偉いんだ。嫌なら出ていけ!離婚だ!」たった三万円の封筒を私の顔に叩きつけるように差し出し、夫はそう怒鳴った。専業主婦になって最初の給料日、家賃十二万円すら足りないその金額に私は言葉を失った。結婚前はあんなに優しかったのに、仕事を辞めた途端、人はこうも変わるのかと震えた。実家の父は温厚で、怒鳴られることなど人生で一度もなかった私にとって、その日は恐怖の始まりだった。封筒を...

結婚活動で知り合った夫は、結婚前は本当に優しかった。私が仕事を辞めて専業主婦になった途端、人が変わったように横柄になった。

私は直美、三十二歳。つい半年前に結婚したばかりだ。結婚当初から夫の強い希望で専業主婦になることになり、仕事を辞める準備を進めていた。ただ、後任が見つからず、ようやく引き継ぎを終えて完全に辞められたのは先月のことだ。私は小さな会社で事務を一人でこなしていた。会社の立ち上げから関わって、パソコンでプログラムを組み、事務体制を整えてきた。会社は大きく成長したけれど、私は平社員のまま給料も上がらず、やりがいだけで十年近く続けてきた。

専業主婦になって最初の月、夫は「ほら、生活費だ」と封筒を差し出してきた。今時、現金で手渡しされるとは思わず、私は驚いて「わざわざ銀行から下ろしてきたの?」と聞き返した。

夫は「ああ。だって、お前が総額を知る必要はないからな」と答えた。この時点で、嫌な予感がした。封筒は明らかに薄い。

恐る恐る「これで一週間分?」と聞くと、夫は馬鹿にしたように笑った。

「バカか。そんなわけないだろ。一ヶ月分だ」

封筒の中身は三万円。私は頭が真っ白になった。

「ちょっと待って。家賃が十二万よ。これじゃ足りないでしょ」

「全部コミだ。家賃も水道光熱費も食費も、全部この中でやれ」

「そんなの無理よ。単純計算してもうマイナスでしょ」

「うっせえな。ガタガタ言うんじゃねえ。誰のおかげで食べていけると思ってるんだ。これからは専業主婦なんだから、お前がなんとかしろよ」

夫が初めて頭ごなしに怒鳴り、拳を振り上げて睨みつけてきた。実家の父は温厚な人で、私には争い事が全然無縁だったから、恐怖で体が震えた。反射的に「ごめんなさい」と謝ってしまう。

「まったく、手間をかけさせるなよ。退職金とか貯金とかあるだろ? 足りない分はそれで工面しろ。もう専業主婦なんだ。お前の個人の金なんて必要ないだろ。内職くらいなら認めてやる。女が外で働くなんて、男の甲斐性がないみたいで格好悪いからな」

私はぞっとした。結婚前に稼いだお金は、法律で保証された私個人の財産だ。それなのに夫は平然と、自分の貯金を生活費に注げと言う。私はとんでもない人と結婚してしまったかもしれない。頭を離婚の二文字がよぎったけれど、まだ結婚したばかりだ。今日はたまたま機嫌が悪いだけで、後から「冗談だよ」と言ってくれるかもしれない。私は自分に言い聞かせて、「わかった。足りない分は内職で補うね」と笑顔で返した。心の中では、絶対に貯金には手をつけないと決めた。

この三万円事件をきっかけに、夫の態度はあからさまに変わった。私を小馬鹿にし、暴言を吐いてはストレスを発散する。ワイシャツにアイロンがちゃんとかかっていないと不機嫌になる。できるだけ安い材料で栄養バランスの良い食事を作っても、粗末だと言って罵る。

「まったく、貧乏臭いものを食わせるなよ。嫁失格だぞ」

「だって、三万円でやりくりしろって言ったから……」

「は? バカか。お前の分だけ節約しろよ。どうせ家にいるだけだ。飯なんか一日一食で十分だろ。俺の残り物でも食っとけよ」

ひどすぎる。私は涙が出た。すると夫はさらに追い打ちをかける。

「ああ、女ってずるいよな。泣けば許してもらえると思ってるんだ。でも残念、俺は騙されないぞ。自分の分は食べなくても、亭主にはまともなものを食べさせる。それが妻の勤めだ。母さんを見習え」

結婚前の優しかった夫はもうどこにもいない。私は悲しくて仕方なかった。それにしても、姑は本当に三万円で生活していたのだろうか。姑を見習えと言われても気持ち悪いだけだ。

姑には後で相談してみようと思いながら、私は新聞を読むことにした。夫は新聞を二紙も取っている。男たるもの世の中に詳しくないとダメらしいけれど、結局積んであるだけでほとんど読まない。もったいないので、私が隅々まで読んでいた。求人広告を見ても内職の募集はほとんどない。たまたま弁護士事務所の広告を見かけて、離婚相談の電話をかけてみたけれど、一番早くても予約が取れるのは三週間も先だった。

そんな時、退職した会社の社長から、「戻ってきてくれ」と泣きの電話が入った。後任として入った社員が「こんな仕事量は絶対に無理です」と辞めてしまったらしい。社長は代わりに私の残したマニュアルを頼りに仕事をしたけれど、全然片付かない。それはそうだろう。私がこなしていた仕事量は、普通の事務職員の三倍以上だった。社長は「給料を安くしてすまなかった。君は超優秀な人材だったんだ」と謝ってくれた。私は長年、みんなの給料を管理して支払い処理をしてきた張本人だから、新入社員ですら私より給料が高いのは面白くなかったのは事実だ。

私は事情を話して断ったけれど、社長は「給料を倍にする。在宅勤務でいい。今まで正当に払っていなかった分も遡って払う」と言ってきた。在宅勤務なら内職みたいなものだ。夫も内職ならいいと言っていたし、私はまた仕事を始めることにした。在宅とはいえ、慣れた業務だし、外との関わりができて、沈んだ気持ちが少しずつ回復していくのを感じた。

次の給料日。夫はまた私に三万円を差し出した。私は無言で受け取ろうとすると、夫は封筒を引っ掴んで怒鳴った。

「やり直しだ。ちゃんと頭を下げて『ありがとうございます』って言え。母さんはちゃんと父さんに頭を下げていたぞ」

正気なのか、この人。全く足りていない生活費を渡して、そこまで偉そうに振る舞える夫を私は理解できなかった。言い返すのも馬鹿らしくなって、私は「ありがとうございます」とだけ言った。

先週、弁護士に相談して分かったことは、夫のやってることは経済的DVだということ。そして姑も、もしかしたら同じ被害を受けていたかもしれない、ということだった。

また一ヶ月が経ち、給料日が来た。今日は土曜日だから、いつもと違って朝に渡される。私は食後のコーヒーを出し、家事を片付けながら夫の呼び出しを待った。ソファでくつろいでいた夫が「生活費を渡すから来い」と私を呼ぶ。テーブルの上には、見慣れた薄っぺらい封筒。中身を確認すると、やっぱり三万円。

「おい、やり直せ。ちゃんとお礼を言ってないぞ」

夫がまた怒鳴る。私はふっと笑ってしまった。

「あなたに感謝することなんて、何もないのに。たった三万円で、よくもそんなに偉そうにできるわね」

夫は激怒し、顔を真っ赤にして怒鳴った。

「誰に向かって言ってるんだ! 母さんはこれでちゃんと生活してたんだよ。十分だろ! お前は一円も入れてないだろ。金を出している俺の方が偉いんだ。嫌なら出ていけ! 離婚だ!」

最初に怒鳴られた時は、私は怖くて謝った。でも、今日の私は絶対に引くつもりはない。

「あのね、私は毎月三十万円入れてるわよ。お金を出している方が偉いなら、あなたより私の方が十倍偉いってことね」

夫は驚いて固まった。

「お前は無職だろ!」

「外の会社の社長が在宅勤務で雇ってくれたのよ。あなたも内職ならいいって言ったでしょ。私、一応会社の立ち上げから関わってるし、今は役職にもついたの。三人分の仕事量をこなしてるって認められて、給料も三人分もらってるのよ」

夫は悔しそうな顔をしたけれど、私は話を続ける。

「あのね、お母さん、自己破産したんですって」

「はあ? うちの母が借金なんてあるはずないだろ」

「私、電話で聞いてみたの。本当に三万円で生活してたのかって。そしたらね、やっぱりお父さんから三万円しかもらえなくて、消費者金融でお金を借りてなんとか凌いでたんだって。交通事故で亡くなったお父さんって、あなたそっくりのダメ男だったらしいわね。お母さんにお金を渡さず、自分は遊び放題で、たまにしか家に帰ってこなかった。借金が膨らんで自己破産するはめになったし、離婚したくてもお父さんが断固拒否してできなかった。お母さんは子供に父親の悪口を言いたくないってずっと我慢してた。皮肉なことに、そのせいであなたの価値観はねじ曲がってしまったみたいだけどね」

私はスマホをスピーカーにして、夫に向けた。電話の向こうで姑は全てを聞いていた。

「全部聞いたわ。あんたはあの最低男と同じよ。あんなクズにならないように一生懸命育てたつもりが、いつの間にか父親そっくりのダメ男になってしまったわけね」

姑の怒った声が響く。大好きな母からの衝撃の事実に、夫はぐったりと座り込んだ。

「直美さん、本当にごめんなさい。私も変な意地を張らずに、もっと早く気づくべきだったわ」

「高尾。直美さんは、あなたのようなバカ夫にはもったいないお嫁さんよ。直美さんは離婚したがってるの。あなたみたいなゴミから、早く解放してあげなさい」

私は姑にお礼を言って電話を切った。すると夫は、「俺が悪かった。やり直そう」と言ってきた。

「あなたのそういうところが無理なのよ。最初から私を見下してたでしょ。一回口先で謝ったくらいで、信じられると思ってるの? あなたと結婚生活を続けるメリットが、私には全くないのよ。私の方がお金を稼いで、全部家事もしてるのに、見下されて嫌な目に合わされるなんて、どんな罰ゲームよ」

「俺のこと、愛してないのか? 別に浮気したわけでもないぞ」

「結婚した当初はもちろん愛してたわよ。あなたは私を見下して『誰のおかげで食べていけるんだ』って言ったけど、逆に言わせてもらうわ。誰のおかげで、きちんと栄養を考えたバランスの良い食事を食べられて、ピシッとアイロンをかけたシャツで仕事に行けると思ってるの? お金を稼ぐから偉いわけじゃない。夫婦は平等なのよ。それが分からないあなたとは、もうやっていけない。離婚の話は全部弁護士を通して進めるわ」

私はそう言うと、隣の部屋に準備していた荷物を持ってきた。夫は呆然として、涙を流して座り込んでいた。実はアパートも借りてあるし、ほとんどの私物は運び出してあった。弁護士に言われた通り、モラハラの記録もつけていたし、家計簿だってしっかりつけている。生活費として私が毎月出していた三十万円も、財産分与の計算に入れてもらうことにした。

「さようなら」

私は夫を見限って家を出た。その後、無事に離婚が成立して、財産分与と慰謝料が一括で支払われた。相場より多めの金額でこちらの希望が通ったのは、姑が頑張ってくれたからだ。自分の息子だから責任を持って矯正すると言ってくれて、私は元夫のことを忘れることにした。ちゃんと評価してくれる人、味方になってくれる人がいるのは本当に嬉しい。結婚は失敗したけど、人生はまだこれからだ。今日も頑張ろう。

私の名前はさえ子、三十四歳。二つ年下の夫と結婚して四年になる。私は幼い頃に母を事故で亡くして父に育てられた。その父も私が大学を卒業して間もなく病で亡くなり、私は天涯孤独の身になった。だから夫との結婚で家族ができたことが、本当に嬉しかった。夫婦仲も良く、互いに仕事をして支え合う私たちは、順風満帆な夫婦生活を送っていると思っていた。しかし、今私たちはある大きな問題に直面していた。

発端は半年前に遡る。この日、私は仕事が休みで、義母とお茶をしに街へ出ていた。義母と出かけることはそう頻繁ではなかったけれど、私はこの時間を嫌いではなかった。「私のことは、本当の母親だと思って甘えてちょうだいね」。これは結婚が決まった時に義母がかけてくれた言葉だ。優しい笑顔とこの言葉に、私は涙が出るほど嬉しかったのを今でも覚えている。

「ねえ、さえ子さん」

義母はアイスティーの氷をストローで突きながら、いつもの穏やかな笑顔で言った。

「百万円、貸してくれないかしら?」

突然のことに、思わずコーヒーを吹きそうになった。少し逆流して鼻が痛い。

「ひゃ、百万円ですか?」

「ええ、そうなの。なんとか頼めないかしら。ちょっと欲しいバッグがあるのよ」

聞き間違いではないらしい。義父は長年郵便局に勤める堅実な人で、実家は経済的に余裕がある方だと思う。しかし義父はお金に関して潔癖な人で、特に貸し借りなんてとんでもないという人だ。生活費とわずかな義母のお小遣いを、義父が毎月手渡ししている。何か急に必要な時は、その都度義父に下ろしてもらうという生活を、夫が子供の頃から続けているらしい。だから義母は小遣い稼ぎにパートをしている。給料がまるまる小遣いになっているだろうから、急にお金を貸してと言われるのも違和感が大きい。

義母にはよくしてもらっているし、手助けしたい気持ちも少しはあった。けれど百万円は大金だ。私の一存で貸せる金額ではない。

「夫に相談してもいいですか?」

夫の名前を出すと、義母は表情を変えた。

「ああ、いえ、夫には言わないでちょうだい。怒られちゃうわ」

「すみません。それじゃ、お役に立てそうにないです」

申し訳ない気持ちで断ると、義母はいつもの優しい表情を曇らせた。苛立ったようにストローで氷をガシガシと鳴らし、アイスティーを吸い上げる。そしてぽつりと言った。

「私、さえ子さんに嫌われるようなことしたかしら?」

「あ、いえ、そういうわけでは……」

睨みつけるような義母の視線に、私は言葉を詰まらせた。

「でも、貸してくれないのよね」

「あ、はい。すみません」

義母は大きくため息をつき、顔を背けた。

「いいのよ。所詮、私とあなたは嫁と姑という間柄だものね。娘だと思っていたのは、私だけだったんだわ」

手のひらを返したような言い方に、私は悲しい気持ちでいっぱいだった。何も言い返さない私に、義母は「お会計しておいてね。それじゃ」と自分の荷物を持って帰ってしまった。残された私は、伝票をしばらく無言で眺めるしかなかった。

帰宅後、私は義母にお金を貸して欲しいと言われたことを夫に話した。義母は夫に話さないで欲しいと言っていたけれど、どうにも義母の様子が変だったのが引っかかっていた。

夫は驚きながらも真剣に聞いてくれて、「母さんがそんなことをしたのか。嫌な気分にさせたな、ごめん」と言った。

「あ、それはいいのよ。ただお母さんが心配で。欲しいバッグがあるなんて言ってたけど、本当は何か別の理由がある気がするの」

そんな話をしていた時だ。噂をすればなんとやらで、義母から私へ着信があった。夫にも聞こえるようにスピーカーにして出ると、義母は「今日話した百万円のことだけど、もう一度考え直してもらえないかしら。パート代から毎月返すって約束するわ」と言ってきた。まだ諦めていない様子に困り果てて、ちらりと夫を見ると、夫は電話を代わってとジェスチャーしている。スマホを渡すと、夫は義母と話し始めた。

「話は聞いたよ」

私のそばで夫が聞いていたと思わなかったのだろう。「さえ子さんたら、告げ口したのね」と義母が怒る声が聞こえてくる。夫は子供じみた義母の言葉に首を振り、「どうしてもって言うなら、せめて俺に相談しろよ。さえ子を困らせるな」と注意してくれた。

「だって、さえ子さんなら優しいから、すぐに貸してくれるかと思ったの」

確かに、義母の頼みに一瞬でも迷ってしまった私の甘さは、義母の見立て通りだっただろう。夫はしばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。

「仕方ない。今回だけだからな。この金は俺とさえ子が一生懸命働いた金だってことは、くれぐれも忘れないで使ってくれ。借用書もちゃんと書いてもらうし、もちろん返済もきちんとしてもらう」

夫の決断に、義母は何度も「ありがとう」を繰り返した。後で夫に聞いたことだが、義母は潔癖を好む義父に合わせて、自分の買いたいものもほとんど買わずに過ごしてきたらしい。人の金を借りてまでというのは褒められたことではないが、夫にも思うところがあったのかもしれない。

後日、夫との約束通り借用書を書いて百万円を受け取った義母。しかしこれが悪い流れを呼び込んでしまった。義母は頻繁に「お金を貸して欲しい」と言ってくるようになった。日に日によって一万、三万と金額はバラバラだけど、少しずつ確実に借金の額は増えていく。私も夫も「どうしても」と言われて、結局は貸してしまっていた。返済を求めるも、義母は「家族なんだから」と持ち出して拉致があかない。返済日を明確に決めていなかった私たちも悪いのだが、義母はそれを逆手に取り、一円も返してはくれなかった。親しい中にも礼儀ありという言葉がある。借用書を書いた義母の言動に、私も夫も次第にうんざりし、義父に全てを打ち明けることも視野に入れ始めていた。

「もういい加減にしてください。私たちが貸したお金は、もう二百万円にもなってるんですよ。パートのお金で少しずつ返してくれるってお話だったじゃないですか」

私がきつく言うと、義母は「でも」と口ごもった。

「とにかく今後は、返済のご連絡以外は受け付けませんから。返済もせずにお金を借りようとしたら、今度こそ義父に言いますからね」

義母はまだ何かを言いかけていたが、私は問答無用で通話を切った。

一週間後、義母からメッセージが届いた。またお金を貸して欲しいという内容だと思って見ると、驚いたことに「返済の用意ができたので、私一人で実家へ取りに来てほしい」という内容だった。

「もちろん俺も行くよ」

夫は心配してくれたが、私は義母の指示通り一人で実家に向かうことにした。その代わり、私は夫にとある頼みをしておいた。

約束の日、私は予定通り義実家を訪れた。

「二百万円、入れておいた」

義父が封筒を差し出す。私は確認のためその場で一円ずつ数え始めた。すると義父が一喝した。

「援助される立場のくせに、その態度は何様だ。まずは礼を言え」

義父の激しい物言いに驚いたが、「援助」という言葉に私の指が止まった。

「援助? むしろ差し上げたのは私と夫の方ですが」

義父は不快そうに眉を寄せた。

「何? 母さんの話では、息子夫婦が困ってるから援助してやって欲しいってことだったが」

私と義父の目が同時に義母へ向く。義母は顔面蒼白で俯き、決してこちらと目を合わせようとしない。おろおろとする義母の様子で、私の言っていることが本当だと分かったのだろう。義父は「どういうことなのか」と聞いてきた。

「半年くらい前から、私たち夫婦がお母さんにお金を貸し続けていて、その額が二百万円まで膨れ上がったんです。パートのお金から少しずつ返すという約束だったのに、一円も返してもらっていません。今日はようやく返していただけると連絡をもらって、伺ったんです」

「違うわ! あなた騙されないで、さえ子さんは嘘をついているのよ!」

義母が必死に取り繕おうと口を挟むが、私は同時に借用書を義父に見せていたため、義母の言い訳は通用しなかった。

「信じられない」

義父は怒りで震えていた。ちょうどそのタイミングで、夫が義実家に合流した。私の頼みにより、夫はある人物を迎えに行っていたのだ。夫が連れてきたのは、夫より五歳年下の義妹だった。それを見た義母はさらに顔を青くする。

「え、ど、どうして、お前がいるんだ?」

首をかしげる義父を他所に、義妹は黙ってその場に座った。

「今まで私たち夫婦が貸した二百万円は、全部、妹さんの生活費に回っていたんですよね」

義母は何か言おうとしたが、言い訳はもう通じないと諦めたのか、がっくりと肩を落として頷いた。義妹は元々、遅刻や無断欠勤、業務中のサボりでスマホゲームをするなど不真面目さを注意されていた。そして、あまりに我慢の限界を超えた大きな仕事上のミスが原因で会社を首になったらしい。その事実を義妹に告げられた義母は「実家に帰ってきなさい」と言ったそうだが、義妹は「お父さんに怒られるから絶対に嫌だ」の一点張りだったのだとか。

「そうだよ。お兄ちゃんたちなら、きっと子供もいなくてお金も余ってるでしょ。ねえ、お母さん、なんとかお金もらってきてくれない?」

義妹はさも当然と言わんばかりに目を輝かせて、義母にそう頼んだらしい。最初の「欲しいバッグがある」という切り出しも、お金を借りるための方便だった。正直、そんな話に乗る義母も義母である。最初の百万円がうまくいったことで味を占めた義妹は、生活費だけでなく趣味のアニメやゲームなどにもお金を使うようになっていた。義母は最初こそ義妹を説得していたが、お金を自由に使う楽しさに目覚めて義妹と共犯関係になっていたらしい。

どうやって義妹の存在にたどり着いたかといえば、私は義母を尾行したのがきっかけだった。義母は私や夫からお金を受け取ると、その足で義妹に会いに行きお金を渡していた。実家に一人で来いと言われた時は少し不安だったが、こうして呼び出してもらえたおかげで全てを暴露する良い機会となった。義母としては、義父に二百万円を払わせつつ私を悪者にしたかったのだろう。

「お兄ちゃんもさえ子さんも、子供もいないのにたくさん稼いでるじゃん。家族なんだし、仕事をなくした私のことを助けてくれてもいいでしょ。そもそも、お母さんが借りたお金なんだから、私には関係ないし」

周囲の目に耐えられなくなった義妹が早口で言い訳をまくし立て、「私が悪いの? 私が悪いの?」と冷や汗をかいて泣いている。自分の身勝手のために私だけでなく実の家族まで巻き込んでおいて、厚かましいにもほどがある。

私と夫が呆れた目で義妹を見つめていると、義父の怒鳴り声が飛んだ。

「二人とも、いい加減にしないか!」

その剣幕は、さっき私を怒鳴りつけた時とは比べ物にならない。鬼が実際にいるとしたら、こんな顔をしているのかもしれない。

「お前たち、いい年した大人が、人の金を勝手に使いおって。さえ子さんと夫に謝罪しろ!」

義父の怒りに、義母はガバッと畳に頭を擦りつけて謝罪の言葉を繰り返す。まるで念仏のように「ごめんなさい」と言い続ける義母の姿はひどく哀れだった。だが騙されてはいけない。義母は少しでも自分の立場を良くしたいだけだ。一方で義妹はむすっとした顔のまま。

「お父さんが二百万円返したんなら、もういいじゃん」

義妹の言葉に堪忍袋の緒が切れたのだろう。義父は義妹に近寄ると、両肩を掴み、半ばねじ伏せるようにして畳に頭を押しつけた。

「ちょ、ちょっと、何するのよ! やめてよ!」

「謝るんだ! それからこの二百万円は、長い時間がかかってもきちんとお前たちに返してもらうから、覚悟しておけ!」

義父が義妹を張り倒すと、義妹はようやく私たちに謝罪の言葉を述べた。

「……ごめんなさい」

義母と義妹の鳴き声が響く中、義父は改めて私たちに頭を下げて謝罪した。

「二人とも、本当に済まなかった。特にさえ子さん、さっきは怒鳴りつけて申し訳ないことをした」

そして義父は泣いている義母と義妹に目を向け、冷たく言い放った。

「お前たちには、ほとほと愛想が尽きた。もう、縁を切りたいくらいだ」

「縁を切る」イコール「離婚」と結びついた義母が、弾けるように体を起こして私にすがりついてきた。

「離婚なんて嫌よ! さえ子さん! お父さんを止めてちょうだい! あなたも私の娘でしょ! 私の味方をしてくれるわよね! 私は家族を守りたかっただけなのよ!」

もう何度、こんな都合のいい言葉を聞いただろう。私は義母の手をゆっくりと引き剥がした。

「お母さんに初めてご挨拶した時、『本当の母親だと思ってくれ』って言ってもらえて、私本当に嬉しかったんです」

義母の表情がパッと輝いた。私は言葉を続ける。

「でも実際は、お母さんは都合のいい時ばかり私を『娘』と呼んで、私の気持ちを考えてはくださらなかった。そんな母なら、私いりません」

義母は瞬時に顔を歪め、「何よ、その言い方は!」と私を罵倒した。そんな義母を義父が押さえつけて言った。

「あとはこちらで始末をつけるから、お前たちはもう帰りなさい」

私は義母に目を向けることなく、二百万円の封筒を鞄にしまった。

「妹さん。元をたどれば、あなたのせいで家族がこれだけ傷ついて、めちゃくちゃになったんですよ。お母さんも間違っていたけど、あなたのしたことはそれ以上に最低です。しっかり反省して、お父さんにお金を返してくださいね」

義妹にそう声をかけると、私は夫とその場を後にした。

数週間後、義父が私たちの住むマンションを訪れた。

「迷惑をかけた」

差し出した包みを開けると、中には五十万円もの現金が入っていた。私が「返します」と言うと、義父は譲らない。

「ああ、これは少ないけど慰謝料にして欲しい」

夫の手もあり、私はお金を受け取ることにした。改めて謝罪した義父から、その後の話を聞いた。義母は最後まで「離婚は嫌だ」と喚いていたが、義父のカードに無断で手をつけていたことも発覚し、結局離婚となった。義妹と一緒に家を追い出され、今では互いを攻め合いながら、親戚の経営する民宿で住み込みの仕事をしている日々なのだとか。

実は、義実家での騒動の後、私の妊娠が判明した。夫も義父も、とても喜んでくれている。返済してもらった二百万円と義父のくれた五十万円は、生まれてくる子供のために使おうと思う。

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