「なんだこのボロ工場は?」
取引先の責任者が挨拶に来ると聞いて待っていたのに、相手の第一声がこれだった。俺はなんとか感情を抑え、「よろしくお願いします」と頭を下げたが、内心とんでもない男が来たものだと警戒した。そして俺の予想は当たることになる。
俺の名前は佐藤。45歳で、父から受け継いだ工場を経営している。うちの強みは、薄い金属やプラスチックを目に見えないほど精密に加工する技術だ。工場の建物は父が昔買い取った古いものを使っているため見た目はボロいが、中には最新設備を導入し、常に時代を先取りして技術力を向上させている。
古い付き合いの取引先も多く、その中でも様々な容器を製造している中田さんは父の代からの付き合いだ。中田さんは俺より年上の50代で、顔が広く業界の重鎮と言っても過言ではない。昔中田さんに教えてもらった釣りが今では一番の趣味で、たまに中田さんとも一緒に釣りに出かける。おかげで釣り仲間も増え、そこから仕事の付き合いに発展することもあった。
そんな中田さんが、とあるプロジェクトにうちの工場を推薦してくれた。コンビニの商品開発部が新商品の弁当を全面リニューアルするという話で、パッケージや弁当容器から見直したいとのこと。俺が特許を持っている容器の蒸気抜き弁の製造を頼まれたのだ。
弁当は店に並んでいる間、外気や菌が入らないようにピタッと密着している。このまま電子レンジで温めたら中が膨張して爆発してしまう。蒸気抜き弁を使うことで、温めた時だけ蒸気を外に逃がすことができる。俺の特許は、以前中田さんに頼まれて弁当屋の容器開発に携わった時に開発したものだ。爆発しない程度に蒸気を逃しつつ、美味しさを保つための蒸気は中に閉じ込める。この絶妙な加減が特許技術というわけだ。
10年かけて開発したこの技術がなければ、コンビニ弁当の温め機能は実現できない。業界では知る人ぞ知る技術として評価されている。
プロジェクトには、コンビニの商品開発部を始め、ラベル印刷を担う工場や地元の農業法人など、12者が関わることになった。発足会議に参加すると、今まで関わりのなかった業種の人たちとも知り合うことができた。そしてついに来週から本格的な製造に入るという段階だった。
12者合同で契約を更新したいというので、俺は久しぶりにスーツを出した。普段は工場にいるので作業着だが、正談や顔合わせなど外部の人と会う時はスーツを着ている。個人的にはスーツは堅苦しくて、作業着の方が気楽なのだが。
そんな時、中田さんから連絡があった。
「佐藤君、忙しいところ悪いんだけど、今村さんのところの商品開発部の部長が挨拶に行きたいと言っていたそうだよ。連絡があると思うから、よろしく頼むよ」
うちは別の納品が迫っていて工場はフル稼働だった。それを知っている中田さんとはしばらく連絡を取っていなかったが、わざわざ連絡をくれたのだ。今村さんというのは、この12社合同プロジェクトの取りまとめ役で元受けの会社の社長だ。中田さんからの電話の後、しばらくすると商品開発部の担当者から連絡があり、後で部長が挨拶に来るとのこと。
発足会議の時は出張でこの部長は出席していなかったので、俺は初対面だった。忙しい時ではあったし、来週会うのだから別に挨拶に来なくてもいいのではと思ったが、それでも来てくれると言うなら礼儀はきちんとしようと部長を待った。
ほどなくして、商品開発部の部長で高木という男が来た。見た目は俺より年下で40歳くらいだろうか。高そうなスーツを着ている。
挨拶を交わし、工場を案内しようとすると、高木は冒頭の言葉を吐いたのだ。
「なんだこのボロ工場は」
俺は「建物自体は古いですが、中には最新設備もあります。よろしければお見せしますが」と言ったのだが、高木は首を横に振った。
「結構です。安っぽい油の匂いが漂っていますし、私のスーツにそんな匂いがついてしまったらたまりませんからね。あなたのように作業着を着ているわけではありませんし」
そう言って笑った。高木の浅ましい態度に、俺は言葉が出ない。初対面で失礼すぎるだろう。
高木は腕を組むと、切り出してきた。
「ところで佐藤社長、御社の特許使用料、正直なところ高すぎませんか? この規模の工場であの金額を要求するなんて」
ああ、そういうことか。どうやら高木は値下げ交渉のつもりで来たらしい。だから最初からこんな高圧的な態度だったのだ。
「適正な価格だと思っていますが」
俺がそう答えると、高木は鼻で笑った。
「適正? 10年かけて開発した技術だからとでも言いたいんでしょうが、正直、似たような技術なんていくらでもありますよ。もっと安く作れる業者も知っていますしね」
俺は思わず言い返しそうになった。似たような技術だと? 俺の特許がどれだけ精密な調整を必要としているか、この男には何も分かっていない。だが中田さんから紹介された身なので、御迷惑をかけるわけにはいかないと感情を飲み込んだ。中田さんの顔を潰すわけにはいかない。それだけが俺を踏みとどまらせた。
どうやら高木は現場に入ったことがないようで、とにかくコストカットをすると気の空論を俺に語った。やんわりと否定してみたが、俺の話には一切耳を傾けない。高木は他業種からの引き抜きで今のポジションにいるらしく、コストカットをして昇進してきた人間のようだ。
最後に高木は言った。
「来週の月曜日、うちの本社でやりますんで。一応言っておきますが、そんな作業着で来ないでくださいよ。それと、特許使用料の件、もう一度考え直しておいてください。まあ、考え直さなくても代わりはいくらでもいますけどね」
そう言って鼻で笑いながら帰っていった。
何とも言えない感情だけが残ったが、俺はビジネスと割り切り、工場の作業に戻った。
翌週、俺は用意しておいたスーツに袖を通し、本社へ向かう。慣れない場所なので迷ったら困ると思い早めに出たのだが、思ったよりもすんなり着いてしまった。中に入り受付に「すみません、少し早く着いてしまったのですが」と言うと、会議室の場所を教えてくれたのでそちらに向かう。
すると会議室の前で、高木が缶コーヒーを飲んでいた。
「おはようございます」
俺が挨拶をすると、高木が顔を上げた。俺の顔を見るなり、高木は鼻で笑った。
「ああ、忘れてたな。あんたのことを呼んでないんだけど」
さすがに俺は「え、でも今日の会議で契約の更新もというお話でしたよね」と聞き返した。
高木は悪びれもなく言った。
「そのことなんだが、他にいい業者が見つかったんだ。部下に連絡させるつもりだったけど、忙しくて忘れてたわ。代わりはいくらでもいるんだよ」
工場を経営していると分かるが、俺たちのことを下請けとしか思っていなくて、上から目線で命令してくる企業というのもいる。現場を知らない連中がコストカットだけを叫び、技術の価値を理解しない。俺はその瞬間、反論することも諦めた。高木はその類いなのだろう。
俺が視線を落とすと、高木は続けた。
「ああ、他の奴らがもう来るな。あんた帰っていいよ。あんなボロ工場にうちの大切な新商品を任せるわけにいかないだろ。このプロジェクト、車運もかかってるし。というわけで、ボロ工場一社は契約中止な」
俺を手で追い払った。俺は「うちの特許がないと作れないのに」と思ったが、口に出すのも馬鹿らしく、無言で踵を返した。
会社を出るところで、中田さんとすれ違った。
「佐藤君、どうしたんだ」
「門前払い食らいましたよ。ボロ工場は契約中止ですって」
中田さんは「佐藤君の特許がなければ、うちだって容器を作れないのに」と言い、「後で連絡する」と走って中へ入っていった。
俺はため息をつき、そのまま工場に戻った。すると、今日までに納品しなければいけない分の作業がちょうど終わったところだった。
俺は従業員たちに先ほどの出来事を報告する。
「なんだよそれ。社長、そんな奴のために俺たちが休み返上で働いたんですか?」
従業員たちは怒った。当然だ。
「多分、こんな小さい会社に高額の特許料金を支払うなんて馬鹿らしいと思ったんだろう。でも、うちの技術を馬鹿にするようなところに、わざわざ提供してやる義理はない」
それでも従業員の不満は収まらなかった。
俺はスケジュールを確認し、このコンビニのプロジェクトがなくなるとしばらく稼働を抑えて大丈夫だと分かると、従業員たちに言った。
「今日までの納品でかなり無理をしてもらったし、この分ボーナスも出せる。休みを取りたい人は休んでもらって、旅行でも行っておいで」
すると従業員たちの不満は即座に解消し、「やった!」という声が上がった。
その時、中田さんから電話があった。出ると、「佐藤君、すまない。今会議が大混乱なんだ」と言われた。
どうやら中田さんが会議室に入って、俺が門前払いされたことを説明したらしい。すると他の参加企業から「佐藤さんの特許がないと容器が作れない。一体どういうことだ」と高木に詰め寄る声が上がったそうだ。元々の担当者も「部長、佐藤社長の技術がないとこのプロジェクトは成り立ちません」と困惑していたという。
しかし高木は「心配いりません。もっと安価な代替案があります。コストは4分の1で済みます」と参加者たちを押し切ったらしい。
「俺も他の参加企業の人たちも高木部長に考え直すよう説得してるんだが、全く聞く耳を持たない。部長という立場を盾に強引に進めてしまっている。今は何も進展がない。本当にすまない」
中田さんは申し訳なさそうに言った。
「中田さん、うちはそのプロジェクトから手を引きますので、もう気にしないでください。中田さんや他の企業の方々には申し訳ないですが、あんな人間とは仕事ができません」
「そうか。佐藤君の気持ちは分かる。高木部長のやり方はおかしいと俺も思う。上に報告することも考えてるよ」
俺はそこからスマホの電源を切り、釣り好きな従業員を連れて釣りに出かけることにした。悔しさを海に流そう。そう思った。
翌日、俺は工場を最低限稼働させるために出社した。スマホの電源を切ったのを思い出し、ようやく電源を入れた。仕事用のスマホなので、電源を切っていても昨日は全く問題はなかった。
だが電源を入れた途端、着信が50件近く入っていることに気づく。着信時間を確認してみると昨日の夕方からで、相手は全て高木だ。最初の数件は短い間隔だが、後半になるにつれてほぼ連続で電話をかけてきている。どうやら相当焦っていたようだ。
とはいえ、こちらから折り返す義理もないので放置していると、スマホが鳴り出す。高木かと思って画面を見ると、中田さんだった。
電話を取ると、中田さんは「佐藤君、すまない。電話が繋がらなくて心配してたんだ」となぜか笑いをこらえたような声で言う。俺は昨日あの後スマホの電源を切っていたこと、今日は最低限の稼働だけするつもりで従業員は休みだと伝えた。
すると中田さんが「それで昨日の話なんだが」と切り出した。
中田さんによると、昨日の会議で高木が契約を決定した後、タイミングよく中国企業のサンプル品が届いたそうだ。高木は「ほら見ろ。これで十分じゃないか」と得意げに参加者たちに配ったらしい。
ところが、そのサンプルを手に取った中田さんたちはすぐに気づいたという。
「佐藤君、あれは蒸気抜き弁じゃなくて、ただの穴が開いているだけの代物だったよ。蒸気の調整なんて全くできない。佐藤君の特許とは大違いだ」
俺の特許はその絶妙なバランスを10年かけて開発したものなのに。
中田さんは続ける。
「それで試しにそのサンプル品を容器につけて弁当を作ってみたんだ。1時間くらい置いただけで中のご飯はパサパサ。鮮度を保つ蒸気まで全部逃がしてしまう。これでは使い物にならない」
高木が選んだ中国企業の製品は、予想通りの粗悪品だったようだ。参加した他の企業からも口々に攻められたらしい。
「高木部長、昨日の夕方から佐藤君に電話しまくってたみたいだね。今日の夕方には社内会議があって、試作品の中間報告をしなきゃいけないそうだ。でもあのサンプル品じゃ話にならないから焦ってるんだろ」
なるほど。だから50件も着信があったのか。自業自得だ。
「しかも、そのパサパサになったご飯をレンジで温めれば元通りになると言われたらしくて、高木部長が参加者の前で自信満々にレンジで温めたら爆発しちゃってさ。あ、手を振ってたよ」
中田さんは笑い出した。粗悪品の蒸気弁によっては空気を全て通してしまうし、逆に穴が塞がってしまい、温めると爆発してしまうものもあるという。偉そうな態度で弁当をレンジで温め、爆発させた高木を想像すると、俺まで思わず吹き出してしまった。
その時、工場の外から声が聞こえてきた。中田さんとの電話を切り、外に出ていくと、高木が立っている。
俺の姿を見た高木は「佐藤社長!」と泣きついてきた。
「どうか御社の蒸気弁を今すぐ納品してくれませんか?」
俺は思わず呆れてしまった。
「いやだって、契約中止だって言ったじゃないですか。うちに特許使用料を払いたくないんでしょ」
高木は首を横に振る。
「いえ、そんなことはありません。契約金はいくらでも出します。急遽に納品お願いします」
「あれだけうちのことを馬鹿にしてきておいて、納品しろですか? 随分勝手なんですね。ふざけるのもいい加減にしてください」
そこまで言うと、高木はその場で土下座を始めた。
「佐藤社長、契約金は2倍。いや、3倍出します。このままでは私はプロジェクトから外されるだけでなく、会社に与えた損害で居場所がなくなるんです」
懇願してきたが、俺の心が動くはずもない。
「代わりはいくらでもいるんでしょう。とりあえずその中国企業に作り直してもらうよう頼んでみたらどうですか」
俺は冷たく言い放った。
高木は首を横に振る。
「いえ、無理です。あの企業が作るのは、ただの穴の開いた代物ですよ。佐藤社長の特許技術とは訳が違う」
さすがに俺は腹が立ち、言い返した。
「その特許技術に金を払えないと言ったのはあんたですよ。今更そんなことを言ってきて、謝罪もなく納品しろだなんて、やるわけないでしょう」
そして工場を見回して、付け加えた。
「それに見ての通り、うちは臨時休業中です。どれだけ金を積まれても、従業員がいないので納品は無理ですね」
高木は絶望して膝をついた。
そこで俺は、ふと思い立ったことを問うた。
「うちと契約を切って中国企業に乗り換えたこと、今村社長にちゃんと報告していたんですか? それとも、独断で決めて失敗したから、バレないうちに新しい容器を作って差し替えたい。なんて考えですか?」
高木の態度があまりに違いすぎる原因を考え、それを口にすると、高木の動きが止まった。どうやら図星だったらしい。
そこへ、中田さんの車が入ってきた。中田さんともう1人、誰か降りてくる。高木がその人物を見て「今村社長……」と青ざめた。
中田さんは高木に向かって言った。
「今村社長から、昨日のプロジェクト会議について知りたいと連絡があったので、洗いざいお話ししましたよ」
今村社長は昨日急な葬儀で不在だったそうで、夕方高木の報告を聞いたそうだ。しかしどこか高木の様子がおかしい。それで中田さんに直接確認してきたそうだ。中田さんは洗いざい話し、今村社長が激怒したという。そういえば、中田さんと今村社長は古い知り合いで、今回のプロジェクトに中田さんの会社を誘ったのも今村社長だったと聞いていた。
社長は高木に告げた。
「高木君、君はこのプロジェクトの責任者だが、プロジェクトは君のせいで中断している。そうなると今後のスケジュールが崩れる。会社に与える損害も大きいし、契約企業への損害賠償も発生する。君には責任を取ってもらうよ」
高木は顔面蒼白だ。言い訳を始めるが、社長は聞く耳を持たない。そんな高木がもう一度俺に向かって「佐藤社長、どうかお願いします」と言ってきた。
俺は首を横に振る。
「無理ですよ。あんたの話を聞く義理はない。馬鹿にされた相手に納品するなんてごめんです」
すると社長が俺に向かって謝罪してきた。
「佐藤社長、この度は大変不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。御社の技術は素晴らしいと中田社長から聞いております。日を改めてお話しさせていただけないでしょうか?」
すぐに信用はできないが、社長として筋は通っていると思う。俺が頷くと、社長は高木に無理やり頭を下げさせた。
「これが君の上司としてできる最後のことだ。きちんと佐藤社長に頭を下げなさい」
高木は顔面蒼白のまま「申し訳ありませんでした」と消えるような声で言い、社長に引きずられて去っていった。
それを見送ると、中田さんが口を開いた。
「佐藤君、申し訳なかったね」
「いえ、言いたいことが言えたので、僕はちょっとすっきりしました」
俺は笑った。
その後、中田さんから聞いたところによると、高木は懲戒処分を受け、依願退職という形になったそうだ。会社から損害賠償を請求される可能性もあるらしい。
俺は社長から改めて新たに相談を受け、適正な金額で取引をすることになった。また忙しい日々にはなるが、リフレッシュしてきた従業員たちはやる気に満ちている。
俺たちは誇りを持って、この技術で勝負していこうと思う。



