電話の向こうで、織田は天気の話でもするように軽く言った。「あのさ、今後うちは息子の会社と取引するから、この間の10億の契約はキャンセルな。もうお前のところみたいなちっちゃい会社に用はないから」。あまりの一方的な通告に慌てて引き止めると、彼は鼻で笑って「高が下請けのくせに口ごたえしてんじゃねえよ」と吐き捨てた。二十年前からエンタームーブの下請けとして、不眠不休で働いてきた。週に何日も会社に泊ま…

電話の向こうで、織田は天気の話でもするように軽く言った。「あのさ、今後うちは息子の会社と取引するから、この間の10億の契約はキャンセルな。もうお前のところみたいなちっちゃい会社に用はないから」。あまりの一方的な通告に慌てて引き止めると、彼は鼻で笑って「高が下請けのくせに口ごたえしてんじゃねえよ」と吐き捨てた。二十年前からエンタームーブの下請けとして、不眠不休で働いてきた。週に何日も会社に泊ま...

電話の向こうの織田は、まるで天気の話でもするかのような軽い調子で言った。「あのさ、今後うちの会社は息子の会社と取引するから、この間の10億の契約はキャンセルな。もうお前のところみたいなちっちゃい会社に用はないから、そのつもりでな。それじゃ」

電話を切ろうとする織田を、俺は慌てて呼び止めた。「ちょっと待ってください。そんな一方的に契約をキャンセルするなんて、あんまりじゃないですか」

すると織田は鼻で笑うように言い放った。「いや、これはもう決定事項だから。お前がとやかく言ったところで、こっちは何も変えるつもりなんてないし。高が下請けのくせに口ごたえしてんじゃねえよ。もう今後一切、うちの会社からそっちに仕事を頼むことはないからな」

俺の名前は城之内淳。先日五十歳を迎えたばかりのサラリーマンだ。

物心ついた頃からテレビっ子だった俺は、数ある番組の中でも特にバラエティが好きだった。お笑い芸人がコントや漫才を繰り広げる姿を見ては、ゲラゲラ笑い転げたものだ。あまりに笑いすぎて呼吸が苦しくなった経験も一度や二度ではない。

やがて大学生になった俺は、テレビ番組を作りたいと思うようになった。見るだけでは物足りなくなっていたのだ。そして俺はアンドビデオという映像制作会社に就職した。

アンドビデオは小さな会社で、下請けのさらに下請けとしての仕事を主に受け負っている。俺は会社の規模にこだわりはなかったので、採用が決まった時は心から嬉しかった。これで自分が作りたい番組を自由に作れると思い込んでいたからだ。

だが現実は甘くなかった。アンドビデオは下請けの下請けだから、基本的に自分で企画書を書いた番組を制作することはない。元受けの会社の社員が考えた企画書に沿って、番組の一部を作るのがほとんどだ。例えばバラエティなら、その中の一コーナーだけをうちの会社が担当したりする。

入社してしばらくの間、俺は理想と現実のギャップに苦しんだ。だがいつまでも下を向いてはいられない。俺は自分に言い聞かせて、このアンドビデオで頑張っていこうと改めて決意した。

それからあっという間に、入社して二十年以上の歳月が過ぎた。苦しいことも数えきれないほどあったが、思い返せばみんないい思い出になっているから不思議だ。

ここ二十年ほど、うちの会社は主にエンタームーブの下請けとして機能している。エンタームーブは大手の映像制作会社で、在京キー局のバラエティ番組を多く担当している。その中には俺が子供の頃から見てきた番組も多い。自分の好きだった番組の制作に携われている状況に、俺は満足していた。

エンタームーブの社長は織田という男だ。かなりのやり手で、その名前を業界で知らない人はいない。一方で傲慢なタイプなので、俺は奴のことは人間として全く尊敬していなかった。

そんな織田から先日、新たにおよそ十億円の契約を結ぶことができた。これも今まで一生懸命頑張ってきた結果だと思っている。

映像業界はぶっちゃけ、無理してなんぼの世界だ。はっきり言って働き方はかなり時代遅れで、俺も含めて社員たちは今だに残業が当たり前という感覚でいる。週に数日は会社で寝泊まりすることも珍しくない。健全な環境で働いている人が見たら驚くことだろう。

それでも俺たちは、とにかく面白い映像を作りたいという一心だけで生きている。だからこの状況に特に不満を抱いたりはしていない。

そんなある日、織田から電話がかかってきた。その内容が冒頭のキャンセル通告だったのだ。

「そんな過去の話を持ち出されてもなあ。いいか、下請けが俺に文句を言える権利なんてないんだよ。今俺が何かを青色だと言えば、たとえそれが赤色のものであっても青色なんだ。ここでは俺がルールだ」

こんな傲慢極まりない人間がいてもいいものだろうか。以前から織田の他人を見下す態度は気になっていたが、まさかここまでひどい男だとは思わなかった。

織田は続けて息子自慢を始めた。「俺の息子は天才だからな。アンドビデオなんかに仕事を頼むより、息子の会社に頼んだ方がこっちにとって何かと好都合なんだよ」

聞いてもいないのにベラベラとよく喋る男だ。話によると、自慢の息子は先日映像制作会社を起こしたばかりらしい。この業界で働いた経験は一度もないそうだが、織田曰く天才らしい。

今回の契約キャンセルはつまり、映像制作のノウハウもないような会社に、うちの仕事を根こそぎ奪われるということだ。そんなことがあっていいわけがない。

俺は何度も考え直してほしいと懇願したが、織田は聞く耳を持たない。

「お前の会社と契約がなくなったらどうするんだ?アンドビデオは仕事が遅い上に雑だからな。どこにも相手にしてもらえないんじゃねえの」

念のため言っておくが、こいつが今口にしたことは全て出鱈目だ。うちは同じ規模の映像制作会社と比べても仕事が早く、且つ丁寧だと評判だ。それなのにこんな風に馬鹿にされては腹が立つ。

まあ、織田のような愚かな人間の言葉はスルーしてしまえばいいのかもしれない。しかし、もしこいつに出鱈目な噂を広められたら風評被害を受ける可能性もある。それだけは何としても避けなければ。

やがて織田は攻撃のターゲットを俺個人に向けてきた。「ところでお前、うちと取引し始めた二十年前からずっと独身だよな。いい加減相手でも見つけたらどうだ?ああ、でもお前みたいな不細工な男には結婚なんて無理か」そう言って大笑いした。

一体今の発言のどこが面白いのだろう。そもそも俺は好きで独身でいる。それを赤の他人にとやかく言われる筋合いはない。今の時代、生涯未婚の人だって珍しくも何ともない。こいつの感覚はかなり時代遅れだ。

もしかすると、若者のテレビ離れが進んでいる原因は織田のように時代錯誤な人間が番組を作っているからかもしれない。だとすれば、テレビを愛する者としては一刻も早くこいつを業界から排除してしまいたい気分だった。

プライベートなことまで馬鹿にされた俺は、とうとう我慢の限界を迎えた。こんな理不尽で愚かな男を説得することは、きっと世界中の誰にも不可能だろう。

そう思った俺は、織田にきっぱりと言った。「わかりました。契約のキャンセル手続きは全てこちらで行いますのでご心配なく。その代わりと言っては何ですが、織田さんはもう二度とうちの会社に来ないでくださいね」

すると織田はむっとした様子で「はあ?何偉そうなこと言っちゃってんの?そんなこと言われなくたって、用もないお前の会社に忙しいこの俺が行くわけないだろ」と不機嫌そうに言った。

俺はそれには答えず、「では失礼します」と短く言って電話を切った。

それからおよそ一ヶ月が経った。うちの会社は新しい元受け会社から依頼された仕事で、社員一同忙しい日々を送っている。

そんな中、俺の元に一本の電話がかかってきた。相手はあの織田だ。

電話に出ると、織田は妙に焦った口調で言った。「じょ、城之内か、大変なんだ。助けてくれ」

急にそんなことを言われても意味が分からない。俺が事情を尋ねようとすると、織田は「とにかく今すぐうちの会社に来てくれ」と言った。

どこまでも自分勝手な男だ。俺が断ろうとすると、織田は「そこをなんとか頼むよ。一生のお願いだ」と懇願してきた。

事情は分からないが、ここまで織田が困窮しているのはかなり珍しい。いつもの傲慢さが電話から感じられないのも気にかかった。助けを求める男の姿を直接見たいという野次馬的な好奇心に駆られた俺は、結局会ってやることにした。

エンタームーブの本社に到着し、社長室へ通された俺は、憔悴しきった織田の姿を目の当たりにした。いつも大量のヘアワックスでセットしている髪も、今日はボサボサだ。

俺が室内に入ると、織田は「助けてくれ」と繰り返し、縋りついてきた。

「そんなことを急に言われても困りますよ。一体どうしたんですか?エンタームーブさんはうちの会社と一切の取引を行わないって、あなた自身が一ヶ月前に言っていたでしょう」

俺がそう尋ねると、織田は「俺もそのつもりだったんだが、事情が変わったんだ。アンドビデオとの契約をキャンセルした後、息子の会社に仕事を全部頼んだんだけど、それが酷いありさまでな」と打ち明けた。

織田の後悔の言葉を要約すると、どうやら息子の会社に頼んだ仕事は、どれも最悪のクオリティだったらしい。おまけに納期も当初の約束から三倍近く延長されたせいで、番組の完成が間に合わない状況に陥ってしまっているようだ。エンタームーブの元受けである放送各局からもクレームの電話が鳴りやまないという。

「これじゃあ放送に間に合わない。だからアンドビデオともう一度契約を結ぼうと思って、お前を呼んだんだ」

それを聞いた俺は、思わず笑みを浮かべた。織田があまりにふざけたことを抜かすので、怒りを通り越して呆れてしまったのだ。

俺は首を横に振り、はっきりと言った。「冗談じゃありませんよ。勝手に契約をキャンセルしたのはそっちじゃないですか。それなのに都合が悪くなったからって、またうちと契約したいだなんて、いくら何でも勝手すぎます。私たちが働いているのは、そんな上手い話がまかり通るような業界じゃありませんよ。織田さんはこの業界で長年働いているくせに、その程度のことも分からないんですか」

俺の容赦ない言葉に、織田は「だって、まさかうちの息子の会社があんなに使えないとは思っても見なかったから」と、わけの分からない言い訳を口にした。

「もしアンドビデオともう一度本気で仕事をしたいとお考えなら、やることは一つでしょう」

俺はそう聞いてみた。こいつの本気度を試してみたのだ。

だが織田は首をかしげるばかりで、「や、やることって、なんだよ」と不思議そうな顔を浮かべている。

これほど愚かな人間がトップにいるなんて、エンタームーブは一体どうなっているのだろう。今すぐ社長を交代した方が会社のためになると思う。

俺は大きなため息をついた。「織田さん、あなたは一ヶ月前、うちの会社と私のことを散々馬鹿にしていたじゃないですか。自分が言ったことすら覚えていないんですか」

すると織田はケロッとした顔で「それはちょっとしたジョークみたいなもんじゃないか。そんなに目くじらを立てることないだろ」と言い放った。

あれをジョークだと思っているこいつの神経はどうかしている。一度病院で頭の中を調べてもらった方がいいのではないだろうか。

「あなたが私とアンドビデオに対して正式に謝罪しない限り、私はエンタームーブと仕事をすることはありませんよ」

そう断言すると、織田は顔をしかめて言った。「はあ?なんでこの俺が下請けのお前に頭なんて下げないといけないんだ。さっぱり意味が分からん」

さらに奴は吐き捨てるように続ける。「あのなあ、あんまり舐めた口を聞くようなら、アンドビデオもお前のことも、すぐに潰してやるぞ」

まるでどこぞのヤクザのようなセリフだ。こんな腐った人間が作った番組なんて、誰も笑うわけがない。

俺は泰然とした態度で言った。「その考え方をあなたは改めるべきです。下請けだの元受けだの、それはただの関係性に過ぎません。別にどちらが偉いというわけではないことを、いい加減理解したらどうですか」

すると織田は激昂して言い返した。「お前、何をふざけたこと言ってんだ。元受けの方が偉いに決まってんだろ。そういう捻くれた考えを変えるべきなのは、お前の方だっつうの」

どうやらこいつとは一生かけても分かり合うことはできないらしい。平行線が交わることはないのと同じだ。

「とにかく、アンドビデオとしては手を貸すわけにはいきませんので。では失礼します」

そう言って俺が社長室を出ようとしたその時、織田が俺の腕をガシッと掴んだ。「お前が俺の言うことを聞かない限り、ここから出してやるわけにはいかないからな」

とんでもない暴君だ。だがこんなやつに屈するわけにはいかない。

俺は織田の急所に、思いっきり蹴りを食らわせた。織田は途端に俺から手を離し、床にうずくまる。

「いい大人がわがままばかり言っているのは見苦しいですよ。全てはあなたの身から出た錆なんですから。自分の尻くらい自分で拭いてください」

そう言い残して、俺は情けなくうずくまる織田をその場に置いたまま、社長室を後にした。

その後、エンタームーブは番組の納期が間に合わなかったことで放送各局から散々叱責されたらしい。今回の騒動でエンタームーブの評判はがた落ちし、仕事の依頼は一切来なくなったという。

仕事がなくなれば、会社が傾くのは時間の問題だ。エンタームーブは一気に経営難に陥り、とうとう倒産してしまったようだ。

会社を失った織田は酒に溺れるようになった。それが原因で家族からも見放され、妻からは離婚届を突きつけられたらしい。一人ぼっちになった織田は、寂しさからますますアルコールに逃げるようになっていった。

そしてある日、泥酔した織田は誤ってマンションから転落してしまったそうだ。

一方、俺はといえば毎日楽しく働いている。長年大手の座に君臨していたエンタームーブがこの業界から姿を消したことによって、うちの会社の仕事は増えている状況だ。棚から牡丹餅とは、きっとこういう状況のことを言うのだろう。

さらに、実は先日俺個人としても嬉しいことがあった。たまたま居酒屋で知り合ったテレビ局のディレクターに俺の企画書を見せたところ、かなり高い評価を得ることができたのだ。

おかげで今度、俺が企画書を書いたバラエティ番組が制作されることになった。放送されるのが今から待ち遠しくて仕方ない。

俺は今日も、面白い映像を作るために働いている。

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