「貧乏旦那の嫁は帰れ。」高校の同窓会で、幹事のレイナが私の作業着姿の夫を笑った。18年前から私を一段下に見る彼女は、名刺に「霧島メディカル主任」と印刷していた。私の夫は、その霧島メディカルの内視鏡部品を作っている新川精密の社長。でも私は黙った。夫が一番嫌うのは、肩書きで人を並べることだから。夫に迎えに来てもらって、車に乗って初めて泣いた。なのに、翌朝、夫はあの取引を白紙に戻した。9000万円…
グラスの触れ合う音が一瞬だけ止まり、それから小さな笑い声が広がった。駅前のホテルの宴会場だった。私は壁際のテーブルのそばに立っていた。その笑い声は私に向けられていた。声の主は高校時代から私を一段下に置いて話す癖のある同級生で、この日の同窓会の幹事でもあった。彼女は真っ赤なワンピースの裾を指でつまんで、わざとらしく首をかしげて見せた。 「油の匂いとかしないの?大変ね。」 そして彼女は笑いながらこう言ったのだ。 「貧乏旦那の嫁は帰れ。」 私は笑おうとした。笑って流せばそれで終わると思った。自分が笑われるだけならいくらでも我慢できる。学生の頃からずっとそうしてきた。でもその日笑われていたのは私ではなかった。夜が明ける前に起きて、誰よりも早く工場の鍵を開ける人。私が世界で一番尊敬している人。その人のことをこの部屋の誰も知らなかった。私は自分の指先が冷たくなっていくのを感じていた。ここで何か言い返せば場が荒れる。荒れれば迎えに来てくれる夫にまで迷惑がかかる。そう思って私は口を閉じたまま椅子の背に手をかけた。 この夜が私たち夫婦の何を変えることになるのか。その時の私はまだ何も分かっていなかった。 私の名前は深川しおり、36歳。夫と一緒に小さな工場の事務をしている。夫の名前は新川憲、39歳。新川精密という会社の二代目だ。社員は26人。市の外れにある工業団地の一番奥の区画に工場がある。夫は毎朝の作業着に袖を通して家を出る。胸のところに白い糸で「新川」と縫い取りがある。それは義父が着ていた作業着で、私が袖と裾を直したものだ。 結婚して7年になる。その7年の間に私たちの会社は一度本当に終わりかけた。取引先が離れて機械が止まって、社員の給料をどうやって作るかだけを毎晩考えていた時期がある。終わりかけて、それでも終わらなかった。なぜ終わらずに済んだのか。その答えを私はずっと自分の中だけに置いてきた。人に話すようなことではないと思っていたからだ。だから私は人に夫の仕事を聞かれるといつもこう答えていた。 「夫は工場で働いています。」 それは嘘ではない。一つも嘘ではないのだ。 朝の4時50分に目覚ましが鳴る。夫は音が一つ鳴り切る前に手を伸ばして止める。7年間、一度も寝坊したところを見たことがない。私は先に起きて台所に立っている。味噌汁の鍋を火にかけて卵を焼いて弁当箱に詰める。夫の弁当は昔から量が多い。工場に立つ人は朝に食べた分を昼までに使い切ってしまうのだと義父が言っていた。 「今日は寒いな。」 「うん。手袋、新しいの入れておいたよ。」 「あ、ありがとう。」 夫の会話はいつも短い。それがそっけないわけではないと分かるまで、私は少し時間がかかった。この人は言葉を惜しんでいるのではなくて、言葉より先に体が動いてしまう人なのだ。玄関で夫は作業着に袖を通す。紺色の生地は洗いすぎて色が薄くなっている。肘の辺りに小さな継ぎ当てがある。それは去年私が当てた。その作業着を着ると夫の背中は少し大きく見えた。私はそれをいつも玄関で見送っていた。 新川精密は、岐阜の新川修が40年前に立てた会社だ。最初は街中の小さな印刷屋の裏に旋盤を1台置いただけの工場だったと聞いている。義父はそこから始めて社員を26人まで増やした。その26人が今も26人のままだ。うちが作っているのは医療の装置の中に入って、外からは見えない部品ばかりだ。丸い棒を削って穴を開けて外側を磨く。手のひらに乗るような小さな部品を、ミクロンという許される誤差の幅の中に収める。ミクロンというのは0. 002mmのことだ。目では見えない。手でも分からない。だから現場では削ったそばから1個ずつ測る。空気の圧で太さを見るゲージで、針がほんの少し動いただけで機械を止める。最後の合否だけは工場の奥の空調の効いた測定室で出す。1年中同じ温度に保った部屋で、外側の直径は直径だけを測る専用の機械にかけ、穴の位置や触れは三次元測定機で見る。そこで初めて検査の記録に合格の判が押される。その後洗って油を落として専用の袋に入れる。私はあの工場に行くまで、そういう世界があることを知らなかった。 結婚前の私は文房具メーカーの営業事務をしていた。伝票を打って電話を受けて在庫を数える。真面目にやったけれど、自分の仕事が誰の役に立っているのか実感したことは一度もなかった。今は違う。うちの部品は病院に行く。正確に言えば、うちの部品はまず医療機器のメーカーへ行って、そこで組み立てられて内視鏡になる。その内視鏡が病院に運ばれて、誰かのお腹の中に入る。夫が削った、小指の先ほどの部品が、どこかの誰かの体の中で動く。夫がそのことを口にした夜のことは今もよく覚えている。結婚してすぐの頃、夫が珍しく晩酌をして、そのまま眠りかけながら言ったのだ。 「俺たちの作るもんでな。いつか人が助かるんだ。」 そう言って夫は照れたように笑った。私は週に4日、工場の事務所に出ている。経理と受注の入力と電話番、あとはお茶を出すのが仕事だ。事務所は工場の入り口の横にあって、ガラスの引き戸一枚で現場と繋がっている。だから私は出勤する日はいつも機械の音を聞きながら仕事をしている。朝一番の音は油圧のポンプが立ち上がる低い唸りだ。夫が5時半に鍵を開けるのは、この音を先に起こしておくためだ。機械は冷えているうちは寸法が出ない。人より先に機械を起こしておく。それから旋盤の主軸が回り出して、切削油の匂いが事務所まで流れてくる。人によっては嫌がる匂いらしい。私はもうこの匂いがしない日の方が落ち着かない。 工場には義父の代から働いている人が今も残っている。一番古いのが谷口正一さん、68歳。定年をとっくに過ぎているのに1年ごとに契約を結び直して、今も現場に立っている。背中が少し丸く、無口で言葉より先に手が動くところは夫とよく似ている。というより、夫が谷口さんに似たのだろう。私が結婚してからの3年半ほど、谷口さんは私のことを「奥さん」とも「しおりさん」とも呼ばなかった。ただ黙ってお茶を飲んで、湯呑みを流しに置いて出ていくだけだった。それが変わったのは、会社が一番苦しかった時期の一番終わりのことだ。 若い人もいる。森本大地君は25歳。高校を出てすぐに入って、今年で8年目になる。母親と2人暮らしで給料の半分を家に入れている。秋山幸恵さんは45歳。検査を担当しているパートさんだ。仕事が早くて目がいい。同じ姿勢で何時間でも座っていられる人で、うちの検査はほとんどこの人が支えている。娘さんが看護学校に通っている。みんな私にとっては家族のような人たちだった。私には親も兄弟もいない。父は私が高校生の時に亡くなって、母もその後病気で亡くなった。兄弟はいない。だから母を送ってから結婚するまでの半年ほど、私は本当に1人だった。その私が朝の8時から夕方の5時まで、この人たちと同じ建物の中にいる。事務所の椅子に座って機械の音を聞きながら、誰かの湯呑みを洗っている。それがどれだけありがたいことなのかを、私は毎日思っていた。 昼になると私は事務所のポットでお茶を沸かして休憩室へ運ぶ。休憩室と言ってもパイプ椅子と長机が置いてあるだけの部屋だ。壁には安全標語の紙が張ってあって、その端が少しめくれている。 「奥さん、今日のお茶ちょっと濃いね。」 「あ、ごめんなさい。茶葉を入れすぎたかも。」 「うん。いいの。私、濃い方が好き。」 そういう他愛のないやり取りが私はとても好きだった。夫は昼休みでも事務所に座っていることがほとんどない。休憩室で弁当をかき込んですぐに現場へ戻ってしまう。社長室というものはこの会社には最初からない。義父がそう決めたのだと聞いた。社長の机は事務所の窓際に置いてある。書類が積んであるけれど、夫がそこに座っているのは1日に合わせて1時間もない。あとはずっと機械の前にいる。その机の上に写真が1枚立ててある。義父の写真だ。工場の前で作業着のまま腕を組んで映っている。カメラの方を見ていない。誰かが呼んで振り向いたところを撮ったのだと思う。その写真の義父もやっぱり作業着を着ている。 夫の手のことも書いておきたい。夫の指は太くて短い。爪が四角い。関節のところに硬い皮が乗っていて、握手をすると相手が驚く。結婚する前、私はこの人の手を綺麗だと思ったことはなかった。今は違う。この手はうちの部品を1つずつ拾い上げて、指の腹で撫でて傷がないかを確かめる手だ。何ミクロンは指では分からないとこの人はいつも言う。それでも必ず1度は指で触る。だから夫はいつも作業着なのだ。銀行の人が来る日も、取引先の偉い人が来る日も、夫は作業着のまま表に出る。汚れた手だけは洗って、それから頭を下げる。最初の頃、私はそれを少しだけ心配していた。 「あの上着だけでも羽織った方がいいよ。」 「これでも相手の方がうちを見に来てるんだから、うちの格好でいいだろ。」 そう言われた時、私は何も言い返せなかった。言い返せなかったというより、この人はそういう人なのだと納得してしまった。夫は自分の会社の名前を外であまり口にしない。同業の集まりにもほとんど顔を出さない。何かの賞をもらった時も、地元の新聞に写真が載るのを最後まで嫌がって、結局は写真のない小さな記事だけが載った。 「誰かの役に立ってるのは事実だけど、それは俺が偉いって話とは違うだろう。」 そういう人と暮らしていると、だんだん自分の物差しも変わってくる。高い服を着ている人がすごいのではない。名刺の肩書きが立派な人がすごいのでもない。誰かの見えないところで毎日同じ場所に立ち続けられる人がすごいのだと、私は思うようになった。もっとも、その物差しは家の外ではあまり通じなかった。保険の外交員に夫の職業を聞かれて「工場です」と答えた時のあの一瞬の間。子供の頃からの友達に「旦那さん何してるの」と聞かれて「工場で働いてる」と答えた時の、返事に困ったような笑顔。そういうものに私は何度も手が合ってきた。その度に私は思っていた。この人たちはうちの工場を見たことがないだけなのだと。見たことがないから、という言葉から油と埃と汗しか思い浮かばない。あの測定室の静けさも、谷口さんが指先一つで機械の調子を聞き分ける瞬間も、この人たちは知らない。けれど正直に言えば、その一瞬の間が刺さらなかったわけではない。刺さっても、それを夫に話したことは一度もなかった。話したら夫がきっと自分のせいだと思ってしまうからだ。 夜、洗濯機を回す前に、私は夫の作業着を風呂場に持っていく。そのまま洗濯機に入れても油のシミは落ちない。だから固形石鹸をつけてブラシで下洗いをする。袖口と胸の辺りと膝。汚れる場所は大体決まっている。水がだんだん灰色になっていく。それを流してまた石鹸をつける。7年やっているうちに、私はこの作業が嫌いではなくなった。むしろこの時間だけは私も工場の一部になれるような気がしていた。 胸の「新川」の縫い取りは、私が糸を変えて縫い直したものだ。義父が着ていた時のものは、洗いにほつれて読めなくなっていた。 岐阜の新川修像は6年前に亡くなった。工場の床で倒れて、そのまま病院に運ばれて、その日のうちに息を引き取った。作業着のままだった。義母は夫が高校生の時に亡くなっていた。だから義父は男手一つでこの工場と息子を育てたことになる。私が義父と過ごしたのは結婚してからのたった1年だ。それでも私はあの人の言葉をいくつも覚えている。 「しおりさん、言うておくがな、この作業着を脱ぐようになったら、そん時は怒ってやってくれ。」 義父はそう言って湯呑みのお茶をすすった。 「どうしてですか?」 「この作業着を脱いだら、うちはただの会社になる。」 意味がよく分からなかった。私は曖昧に頷いただけだった。その言葉の重さを私が本当に理解するのは、それから何年も先のことになる。100人の前でこの作業着が笑われる夜のことだ。 私が新川精密という名前を初めて見たのは8年前の春だった。その時私は28歳で、緑文具という会社の営業事務をしていた。市内の事業所や工場にコピー用紙や封筒や作業用の手袋を届ける仕事だ。私の担当は受注の入力と伝票の作成だった。その頃の私は家と会社を往復するだけの毎日を送っていた。父は私が17歳の時に病気で亡くなっていた。母と2人で暮らしていたけれど、その母も2年ほど前から体を悪くして、家のことがだんだんできなくなっていた。朝は母の食事を作ってから出勤して、夜は母の薬をもらいに病院へ寄ってから帰る。そういう生活が当たり前になっていた。疲れていたのだと思うけれど、自分では気づいていなかった。私はある日、大きな間違いをした。新川精密という会社から作業用の手袋の注文が入った。10ダース。それを私は100ダースと打ち込んだのだ。段ボールが12箱、工場に届いた。電話を受けた時、私は自分の心臓の音が耳の後ろで鳴っているのを聞いた。 本当なら課長が一緒に行くはずだったけれど、その日は別の得意先の約束が入っていた。結局、私が1人でその日のうちに謝りに行くことになった。工業団地の外れにその工場はあった。灰色の壁の平屋建ての建物だった。看板は小さかった。入り口の前に軽トラックが1台止まっていて、その後ろに間違った段ボールが積み上げてあった。事務所の引き戸を開けると油の匂いがした。奥の方から機械の音がしていた。私は頭を下げた。何度も下げた。覚えてきた言葉を全部並べた。「返品の手配はこちらでします。運賃も持ちます」と。顔をあげるのが怖かった。その時、ガラスの引き戸の向こうから男の人が入ってきた。紺色の作業着を着ていた。手に軍手をはめたままで、それを慌てて外してズボンで手を拭ってから私の前に立った。 「すみません。今、機械を止めてきたので。」 その人は私より少しだけ背が高かった。髪に切り子が混じっていた。切り子というのは金属を削った時に出る細かい削りくずのことだと、私は後になって知った。私は覚えてきた言葉をもう一度そのまま繰り返した。 「ああ、それはいいんですけど。」 その人は困ったような顔をした。 「うちも先週、材料の桁を間違えて頼みました。丸棒10本のところ100本。置き場に入りきらなくて、まだ日陰の隅に積んだままです。」 私は顔をあげた。その人は真面目な顔をしていた。冗談を言っている顔ではなかった。 「だから、そういうことはあります。」 その一言で張り詰めていたものが切れた。私は泣きそうになって、それを見られたくなくて手元のファイルに目を落とした。 「あの、座ってください。立ったままだと話しにくいので。」 私は言われるままにすり切れたソファーに腰を下ろした。その人はお茶を出してくれた。急須ではなく、事務所のポットのお湯を紙コップに注いだだけのものだった。それでも私はその紙コップを両手で持って、少しだけ息をついた。 「返品の運賃は御社が持つと言われましたけど」 「はい。12箱分だと結構な額になりませんか?」 … Read more