あの日、駅前で突然男が刃物を振り回した。俺はとっさに学生をかばって、代わりに刺された。受験直前だった。人生が一変する夏だった。ところが、病院のベッドで見た彼女からのメッセージには、こう書かれていた。「弁護士になれないあんたに価値がない」。十年後、高級ホテルのロビーで偶然再会した彼女は、婚約者を自慢しながら俺を嘲笑した。「あなたみたいに勝ち組になれなかった底辺でしょ?」。彼女がそう言った瞬間、…
あの高級ホテルのロビーで彼女に会ったのは、本当に偶然だった。約束の時間まで少しあって、俺はソファに腰かけようとしていた。すると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。 「え、もしかしてエイジ君とか?」 振り返ると、そこには十年ぶりの元カノ、川口リエが立っていた。きれいに化粧をした顔に薄い笑みを浮かべて。 「何年ぶり? こんなところで会うなんて偶然だね。……相変わらずしょぼい顔してるから、すぐにわかったわ。何そのスーツ? 格好だけ一人前にしても、あんたみたいなバカにはこのホテルは場違いでしょ」 彼女はそう言って、肩を揺らして笑った。俺が何か言う前に、さらに続ける。 「あの時さ、受験できないとか言い訳してたけど、要は落ちるのがわかってて逃げたんでしょ?」 俺は静かに口を開いた。「なあ、リエ。今更だけど、あの時は本当に事情があって」 だが、彼女は鼻で笑った。「何よ、まだ言い訳考えてるの? 何年前のことだと思ってるのよ。もしかして、まだ私に未練あるわけ? うわ、キモい」 周りの目も気にせず、彼女はさらに続ける。「私に言わせれば、貴重な半年間を返してほしいくらいよ。法学部受験するって聞いたから付き合ったのに、結局あんたは逃げ出したクズでしょ?」 そして、彼女は突然、周囲に向かって大声を上げた。「皆さん、聞いてください! ここにいる大西エイジは、私を騙した卑怯者で嘘つきで、自分が頭いいと思ってる男です!」 ロビーの人々がこちらを向く。俺はただ、その場に立っていた。すると彼女は得意げに続けた。 「あ、そんなバカなエイジ君にいいこと教えてあげる。私の婚約者、なんと現役の弁護士なの。今日もここで挨拶する予定で……あ、来た」 彼女が手を振ると、スーツ姿の男性がこちらへ歩いてきた。彼は俺の姿を見て一瞬驚いたように目を瞬かせたが、それに気づかないリエは嬉しそうに紹介した。 「こちら、沢田ケイタさん。学生のうちに司法試験に合格した優秀な弁護士さんよ。あ、ケイタさん、こちらは大西さん。あなたみたいに勝ち組になれなかった元弁護士志望の底辺よ」 彼女がそう言って笑った瞬間、ケイタの表情が変わった。 「君、なんてことを言うんだ」 彼は怒りを抑えた低い声で言った。リエは驚いて固まる。 「こちらの方が今日、君に紹介する予定だった先輩だよ。俺が高校一年の時に巻き込まれた通り魔事件で、動けなくなった俺をかばってくれた人だ。君にもいつも言ってるだろう? 俺が弁護士を目指すきっかけになった人のことだって」 そう。ケイタはあの日の事件で、俺が助けた学生だった。あの日、駅前で突然男が刃物を振り回し始めた。学生が襲われそうになっているのを見て、俺はとっさに飛び込んだ。俺は刺されたが、内臓は外れていて命は助かった。ケイタも腕に傷を負い、俺たちは同じ病院に運ばれ、同じ病室になった。 彼は俺を深く感謝し、弟のように慕ってくれた。そして俺も、素直な彼を可愛がった。退院後、俺は一年遅れで法学部に合格し、在学中に司法試験にも合格した。ケイタも俺の後を追うように法学部に進み、弁護士になった。同じような犯罪に巻き込まれる人を助けたいという気持ちが芽生えたと、彼は言っていた。 「ち、違うの、ケイタさん。今のはちょっとした言い違いっていうか……」 リエが真っ青になって言い訳を並べ始めるが、ケイタは冷たい目で彼女を見た。 「何が違うの? 俺には君が先輩にひどい暴言を吐いているようにしか聞こえなかったよ。君には失望した。婚約も考え直す」 「いや、待って! 私の話を聞いて、ケイタさん!」 彼女が涙を浮かべて取り縋るが、ケイタの目にはもう何の感情も浮かんでいなかった。 「とにかく、少し考える時間が欲しい。落ち着いたら俺から連絡するから、君からは連絡を控えてくれ」 そう言い残して、ケイタは俺を連れてその場を立ち去った。背後でリエの叫び声が響いていた。 それからしばらくして、俺とケイタは再び会った。彼は改めて謝った。 「迷惑をかけてすみませんでした。婚約は正式に解消しました。元々、合わないと思うところはあったんです。でも、彼女の献身的な態度に俺が流されてしまって。きっと、彼女は弁護士と結婚したかっただけなんでしょう」 俺は無言で頷いた。弁護士と結婚すること。それが彼女の理想なら、否定するつもりはない。だが、それが他人を傷つけていい理由にはならない。 俺は小さく笑って、ケイタの肩を叩いた。 「お互い、弁護士になる夢は叶えたけど、結婚にはしばらく縁がなさそうだな」 「本当に」 「じゃあ、今夜は久々に飲みに行こうか。先輩として、可愛い後輩を慰めてやるよ」 「はい。もちろんエイジさんの奢りですよね」 ケイタがふざけたように笑った。 「奢りって言ったかな? まあ、いいでしょう。俺、いい店知ってるんだ」 その夜、俺たちの賑やかな会話が、居酒屋の片隅に響いていた。