宿泊客のチェックインで忙しい午後、掃除をしていた従業員が血相を変えて私を呼んだ。玄関には派手なスーツに金のネックレス、入れ墨を見せつける男が五人。「女将さん、ヤクザは宿泊お断りだって?」とリーダーの和田が笑う。丁重に断ると、「シマで商売するならみかじめ料を払え」と脅され、翌日には個人的な要求だと言いながら館内を滅茶苦茶にされた。五百万を要求され、私は悔しさで拳を握りしめた。夫に相談すると「俺…
ある日の午後、私は旅館の受付で帳簿を確認していた。すると入口で掃除をしていたはずの従業員の女性が、妙に硬い声で私を呼んだ。顔を上げると、彼女の表情は真っ青で、何か問題が起きたことは一目で分かった。 「私が対応するから、あなたは他のところをお願いね」 早口で指示を出し、私は旅館の入口へ向かった。玄関には派手な柄のスーツに金のネックレス、だらしなく開いたシャツから入れ墨が見える、いかにもヤクザといった風体の男たちが五人立っていた。その中のリーダー格らしい男が、私を見て一歩前に出てくる。 「おお、ここの女将はてめえか。年の割にはまあまあ綺麗じゃねえか。俺はさっき掃除してた若い女の方が好みだけどな」 「ご用件でございますか。本日はご予約をいただいておりますでしょうか」 私は営業スマイルを崩さず、冷静な態度で尋ねた。 「ああ、ようやく来たか。そんなもんしてねえよ。でも部屋は開いてるんだろ。サイトを見ると、今日は予約なしで泊まれるって書いてあるぜ」 男は眉をひそめ、スマートフォンを取り出して私に見せてきた。 「本日は確かに部屋のご用意はございますが――失礼ですが、暴力団関係者の方々でいらっしゃいますか?」 私が慎重に言葉を選びながら尋ねると、男たちは一瞬顔を見合わせた後、リーダー格の男が不敵な笑みを浮かべた。 「ああ、見て分かるだろ?俺たちは林田組のヤクザで、俺は若頭の和田だ」 「林田組の和田様でございますか。大変申し訳ございませんが、当館では暴力団関係者の方々のご宿泊はお断りしております。今日のところはお引き取りください」 私は深く頭を下げてそう伝えた。すると和田が声を荒げる。 「なんだと?職業差別ってやつじゃねえか。ヤクザだからダメってのか。そもそもこの旅館のサイトにはそんなこと書いてなかっただろうが」 「旅館のサイトにもその記載はございます。分かりにくいということでしたら申し訳ございません。ですが、これは当館の方針でございますので、ご理解いただけますと幸いです。もし一般のお客様として再度お越しいただける場合は、適切な服装でいらしてください」 「ああ?適切な服装って何だよ。ドレスかスーツでも着て来いって言うのか」 和田の声が大きくなり、後ろにいた男たちも騒ぎ始めて旅館へと上がり込んでくる。ロビーやラウンジにはチェックインを待つ客たちがおり、何事かとこちらをチラチラと見ている。 「お客様に不快な思いをさせるような行為は、どうかお控えください」 私が落ち着いた声で警告すると、和田はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。 「ふざけんな。俺たちだってここにいる時点で客だろ。それなのに職業で判断して帰れって言われて、不快な思いをしてるのはこっちなんだよ」 そこへ、予約をしているらしい年配の夫婦が入口に現れた。和田はその夫婦を見るや否や、にたりと笑って老夫婦の肩を軽く叩いた。 「おい、今日泊まるのか?あんたら、この旅館の料理はどうだい?うまいのか?それよりも、ヤクザは入れてもらえないらしいぜ。ひどい話だと思わねえかなあ」 突然話しかけられた夫婦は驚き、困惑と怯えの入り混じった表情を浮かべながら、足早に入口を通り過ぎて館内へ入っていった。 これ以上話しても彼らは帰らないだろうと悟り、私は強く拳を握りしめた。 「他のお客様にお声をかけるのはおやめください。先ほども申し上げた通り、当館は暴力団関係者の方はお断りさせていただいております。どうしてもという場合は、せめて適切な服装で一般人として来館してください。それに従えないというのであれば、申し訳ありませんが当館のお客様として扱うことはできかねますので、どうぞお帰りください」 私は内心の怒りを抑えながら、はっきりとした口調で和田の目を見て告げた。 「そう言われて素直に帰るかよ。宿泊目的だけで来てねえんだよ。止まるのはおまけみたいなもんなんだよ」 「他の目的でいらしたということですか。どういうことでしょうか」 夫の組でもないヤクザが、宿泊以外に用事があるなんて全く検討がつかない。ましてや、事情を知らない従業員や客の目の前で何か言われてしまってはたまったものではない。私がどうしたらいいか言葉を失って黙っていると、和田は突然怒鳴り始めた。 「何をとぼけてんだよ。ああ?誰に断って商売しとんじゃ。クソが」 私はその言葉に驚いて目を見開いた。和田は私のそんな姿を見て、強い言葉で怒鳴れば言うことを聞くと思ったのだろう。他の四人の男たちも同調して声を荒げ、他の客たちに凄み始める。客たちは悲鳴を上げて怯え、従業員たちも心配そうにこちらを見ているが、恐怖心からか誰も助けに入ることはできずにいた。 「お待ちください。こちらとしては心当たりが全くございません。一体何のご用事でいらっしゃったのですか」 これ以上は営業に支障を来たしてしまうと思い、仕方なく目的を尋ねると、和田はこちらを見て薄ら笑いを浮かべた。 「この辺りは林田組のシマなんだよ。もちろんこの旅館も例外じゃねえ。シマで営業するには、もちろんみかじめ料ってやつを払うのが筋だろ」 「みかじめ料ですか。そのような違法な要求にはお答えできません。そもそもここが林田組のシマというのも初耳ですが」 「ああ、ヤクザに盾突こうっていうのか。てめえや従業員たちがひどい目に会うのはもちろん、大事な大事なお客様たちにも迷惑かけることになるぞ。あるいは旅館の評判がガタ落ちして、経営が立ち行かなくなるかもしれねえな」 和田の脅しに、従業員と客たちは皆一様に青い顔で引きつった表情になる。私は怒りで唇を噛みしめ、大きなため息をついた。これ以上話していても平行線で、私が何を言っても彼らが帰ることはないだろう。 私は覚悟を決めると、女将として作っていた表情を崩し、厳しい視線を和田に送った。 「みかじめ料を支払って欲しいなら、組長をここに呼び出しなさい」 「ああ?何言い出すんだ、てめえ」 和田は私の変わりように困惑するも、強気な視線は崩さずに睨みつけてくる。しかし私はそんな程度では全く動じなかった。 「組長と直接話をつけたいって言ってるんだよ。それとも、あんたらは若い衆だから組長を呼んでも来てくれないって言うのかしら」 私が煽るように鼻で笑うと、和田は怒りで見るみる顔が赤くなっていく。 「ふざけやがって。いいぜ、今から呼んでやるが、後で後悔して泣いたって知らねえぞ」 和田はすぐさま組事務所へスマートフォンで電話をかけ始めた。それから五分ほどして、組長が黒塗りの車に乗って現れた。 組長は旅館に入った瞬間、私の顔を見るや否や、はっとした顔をすると素早い動きで土下座をした。 「お嬢、ご無沙汰しております」 「桜井、あれから十五年か。随分と出世したようじゃない。小僧の頃は随分目をかけてやったのに、ばったり連絡してこなくなって」 「そ、それは……その、組を立ち上げてから忙しかったもので」 和田たちは私たちのやり取りを呆然としたまま見つめている。元々、組長が強く出て私が素直に金を払うと思っていたのだろう。 「まあいいわ。それよりも、林田組はシマを取りているの?」 「ああ、それは……まさか、そんなことあるわけないじゃないですか」 私の問いかけに、明らかに動揺した様子の組長は乾いた笑い声をあげる。 「あら、おかしいわね。そこにいるあんたの部下たちが、林田組のシマのみかじめを払えって旅館に来たんだけど」 私が目を細めてわざとらしく問いかけると、組長は顔を上げて目を見開いた。 … Read more