「お兄さんと2人で身の丈にあった相手を探してくださいね」 上品な声だった。兄の結婚式の日、私はその言葉を聞いた瞬間、携帯電話を取り出した。あの一家は、まだ私が誰なのか知らない。兄は「妹は海外で美容関係の仕事をしている」とだけ紹介していた。私が銀行の名前を口にするまで、兄は何も知らずに笑っていた。 「東和中央銀行でしたよね」…
宴会場は暗いままだった。テーブルにはクロスがかかり、皿もグラスも花もない。私は新婦控え室の扉を開けた。そこに兄が一人、白いタキシード姿で座っていた。両手を膝に置き、まっすぐ前を見ている。目だけが赤かった。 「お兄ちゃん」 「ああ、来たのか。エリさんは来ないって。式もやらないって。結婚も全部、ドッキリだったって」 それが、すべての始まりだった。 私は柏木ミレイ、35歳。化粧品会社ミレイビューティグループの創業者で、グループの会長をしている。社員は国内外合わせて4000人を超える。ただし、日本のテレビや雑誌に私の顔が出たことは一度もない。仕事では柏木という苗字を名乗らない。ブランドと同じ「ミレイ」という名前だけで通している。だから、私を知っている人は、私が誰の妹なのかに気づかない。 兄の名前は柏木琢磨、43歳。名和経という中堅の建設資材メーカーで、資材の主任をしている。勤続22年、年収は620万円だと、本人が笑いながら言っていた。 23年前の2月、両親は国道で事故に遭い、亡くなった。私は12歳で、兄は21歳だった。葬儀の日、おばの静さんが台所で静かに話しているのを聞いた。「男の子はもう働けるけど、下の子はね。施設も考えた方がいいんじゃないの?」 悪気があったわけではないと思う。47歳の主婦に12歳を引き取れという方が無茶だ。だから、私はその声を恨んでいない。恨んでいないのは、あの日に別の声があったからだ。 「僕が育てます」 兄が言った。21歳の兄は大学2年生だった。兄は本当に大学をやめ、翌月から昼と夜に分けて働いた。朝は建設現場の倉庫、夜は居酒屋。私は制服を着て高校に通い、そのまま大学まで出た。学費がどこから出ていたのか、私はずっと聞かなかった。聞けば兄が困ると分かっていたからだ。 「金の心配はするな。お前は勉強しろ」 それが兄の口癖だった。 化粧品の会社に入りたいと言った時、反対しなかったのも兄だけだった。会社が軌道に乗ってから、私は何度か兄に金を渡そうとした。家を買ってやると言ったこともある。全部断られた。「俺は妹から金をもらうために育てたんじゃない」。その一言で毎回終わった。 その兄から電話が来たのは、5月の連休が明けた夜だった。 「俺、結婚することになった」 相手は園部エリさん、38歳。2年前に登山サークルで知り合ったらしい。向こうの家族は銀行家で、父が東和中央銀行の会長だと聞いた。東和中央銀行。うちのグループが最も大きな金額を預けている銀行の名前だ。 「お兄ちゃん、今、東和中央って言った?」 「言った。奇遇だよな。お前に貸してくれたとこだ」 「向こうに行ったの? 言うわけないだろ。あれは終わった話だ。持ち出したら恩を潰すことになる」 私は言いかけた言葉を飲み込んだ。言えば、兄は必ず結婚をやめる。それだけではない。あの銀行にうちの金が置いてある理由を口にすれば、この人は二度と私の前で笑わなくなる。私は知っていた。兄が私のために、連帯保証人になったことを。1000万円の初回融資の保証人に。それが、今の300億円という取引の始まりだったことを。 6月、兄は園部家へ初めて挨拶に行った。話を聞くと、想像以上にひどい扱いだったらしい。エリさんの父、周一さんは言った。「柏木さん、あなたの娘の何が気に入ったのかな?」。母の正子さんは「あのね、あなた、うちの家と釣り合うと思ってるの?」と。 私はその話を聞きながら、手帳に一行書いた。「釣り合い」「三代」「見ている人が多い」。あの家が兄に言った言葉だ。そして、その後のこと。 7月、私はエリさんと初めて会った。駅裏の定食屋で、兄が選んだ店だ。想像していたよりずっと小柄な人で、日に焼けていた。兄のことを「琢磨さん」と名前で呼ぶ。それが彼女にとって、どれほど特別なことか、私立ち話を聞いて分かった。 「実家のことを最初に言わなかったのは私が悪いんです」 「行ったら、また名前を呼んでもらえなくなると思って」 エリさんはそう言って、泣いた。 8月、招待状の名簿の話になった。エリさんの家から届いた結婚式の席次表には、新婦側の欄にびっしり名前が並んでいる。新郎側の欄には、名前が一つしかなかった。 「柏木ミレイ」。それだけだった。 それを見て、私は兄に電話をかけた。 「どういうこと?」 「式の費用は全額向こうが持つって言われたんだ。総額1340万円。それで、人選もこちらで決めさせてもらうって」 兄が呼ぼうとしていた人は、全部で26人。会社の同僚、高校の友人、元上司、近所の夫婦、おばの静さん夫婦。その全員が消された。兄は、わざわざ定規で線を引いて、何度も書き直して作った名簿だった。その名簿は、エリさんの母親の手に渡り、その日のうちに捨てられていた。私はそれでも、式は1日で終わると自分に言い聞かせていた。 9月、兄はまた園部家に呼ばれた。今度は婚姻届の用紙が用意されていた。兄は言った。「柏木は、両親と妹が残してくれた名前です。これだけは残させてください」。それを聞いた周一さんは「甘いな」と笑った。そして、兄の勤め先の取引銀行が東和中央銀行であることを利用して、電話をかけてきた。役員室に。「柏木琢磨さんは、来年からうちのグループに移ることになりましたので、引き継ぎを早めに」と。 兄は会社で22年で初めて始末書を書くことになった。何も悪いことをしていないのに。兄は言った。「あの電話が、俺が結婚するせいで来たんだ」。 10月13日、式の5日前。園部家で親族の集まりがあった。私は呼ばれなかった。その夜、兄から電話が来た。声はいつも通りだった。「明日雨だってな。週末は晴れるらしい」。それだけだった。後で知ったことだが、その日、兄は座敷の真ん中に立たされ、親族の前で歌を歌わされた。母が台所でよく歌っていた、あの曲を。入場曲に使いたいと言って、断られた曲を。 「庶民が銀行一家に入れると本気で思っていたのなら、それはこちらの教え方が悪かった」 周一さんのその言葉を、従弟のリオさんという人が動画に撮っていた。兄はそれに頭を下げて、「勉強させていただきます」と答えた。私はその映像を、5日後の夜に見ることになる。 式の前日、私はソウルにいた。ドバイの店の内装の検査を終えて、東京へ戻る深夜便を予約していた。ところが、機材の到着が遅れて出発が3時間遅れた。翌朝の便に振り替えられ、羽田に着いたのは9時45分。式は11時からだった。タクシーに飛び乗り、ホテルに着いたのは10時40分。 ロビーに人がいなかった。それが最初の違和感だった。100人以上が集まる式なら、この時間、ロビーには着物や礼服の人で溢れているはずだ。受付の台はあった。白い布がかかって、芳名帳も置いてある。人が一人もいない。 受付の女性に声をかけると、奥から七尾さんという婚礼担当の人が出てきた。 「本日の挙式と披露宴は、朝のうちに取りやめのご連絡をいただいております」 「誰から?」 「お申し込みをいただいたお客様からです。新郎様側のご招待のお客様には、昨日のうちにご連絡が回っております」 「新郎様のご事情で日を改めると。そのようにご連絡が回ったと伺っております」 114人の招待客全員に、兄のせいで式が飛んだと連絡されていた。私は階段を上がり、新郎控え室の扉を開けた。兄はいた。白いタキシード姿で、一人で。 「エリさんは来ないって。式もやらないって。結婚も全部、ドッキリだったって」 兄の携帯には、園部家の人たちが「ドッキリ大成功」と叫ぶ動画が送られてきていた。 「お兄ちゃん」 「ん?」 「もう1回言って。今の言葉。自分が身のほど知らずだったって。もう1回言ってよ。言えないでしょ。お兄ちゃん。違うよ。お兄ちゃんが恥ずかしいんじゃない? 人間が恥ずかしいの。絵を描いたのは、あの人たちのほうだよ」 兄が私の頭に手を伸ばした。23年前と同じ触り方だった。「泣くな」 「泣いてない」 「泣いてるだろ」 … Read more