父の葬儀から三日目、遺産の話を聞くために弁護士さんが家に来たのはまだいい。母も兄も、目を輝かせて「車が買えるな」なんて言ってた。でも、遺言書が読み上げられた瞬間、兄は血相を変えて怒鳴った。「おかしいだろう!…

父の葬儀から三日目、遺産の話を聞くために弁護士さんが家に来たのはまだいい。母も兄も、目を輝かせて「車が買えるな」なんて言ってた。でも、遺言書が読み上げられた瞬間、兄は血相を変えて怒鳴った。「おかしいだろう!...

父の葬儀から三日後、弁護士を名乗る男性が家を訪ねてきた。母と兄は「遺産の話だ」と、目を輝かせながら彼を居間へ通した。

「遺産はほぼ末っ子のさヨ子さんのものです」

その言葉に、部屋の空気が凍りついた。私は何を言われたのか、一瞬理解できなかった。父の財産、この家、そして株。そのほとんど全てを私に譲るという内容の遺言書が、法律的に有効な形で残されていたのだ。

「おかしいだろう! 父さんを騙して一人占めしたな! 裁判だ!」

兄が怒鳴る。母も私を睨みつける。私はただ呆然とするだけだった。遺産の話なんて、これっぽっちも知らなかったのに。

「君はお父さんに何をしてあげたのかね?」

弁護士さんが静かに言った。彼は父の昔からの友人だという。

「お父さんはいつも言っていたよ。自分のところへ来てくれるのは妹さんだけだって。奥さんとお兄さんは、一度も面会に来なかったそうだね」

「あなたに関係ないでしょ! さヨ子が見に行ってたんだから問題ないじゃない!」

母が声を荒げる。それなのに、ため息混じりにこう言ったのだ。

「入院費だってバカにならないのよ。貯金がなくなるじゃない」

その言葉を、私は今でも忘れることができない。

私は思い出していた。父が入院してからの半年間、毎日のように病院に通ったのは私だけだった。洗濯物を持ち帰り、父の好きな本を差し入れ、病室でたくさん話をした。仕事の話、日常の話、そして一番多かったのは本の話。母と兄は最初の数日だけで、その後は一度も来なかった。私が何度誘っても、二人は何かしら理由をつけて断り続けた。

「俺はいくらもらえんの?」

黙り込んでいた兄が、ようやく口を開いた。弁護士さんは、入院や葬儀の費用は貯金から支払うこと。家の権利は通常の遺産分割通り。残りの貯金と株券は全て私に譲るという旨を淡々と説明した。

「はあ? なんだよそれ。あの親父、何の役にも立たねえな。財産くらいもっと残しとけよ」

「そうよ。私たちの人生のこと、何にも考えてないんだから」

この人たちは、ただの金の亡者なのか。怒りが込み上げてくる。兄は私に詰め寄った。

「お前も何とか言えよ。お前はさ、金もらったところで使い道のないつまんない人生だろ。だったら俺に譲れよ」

守ってくれる父はもういない。私がしっかりしなければ。

「どうして兄さんに譲らなくちゃいけないのよ。どうせあんたは車にしか使わないでしょ。給料は全部車に注ぎ込んで、家には一銭も入れないし。親を大事にするって言うなら、この家を支えなさいよ」

自分でも驚くほど、言葉がするりと出てきた。

「お前、誰に向かってそんな口聞いてんだよ!」

「何の役にも立たない長男様に言ってるんですけど。私はもう家にお金なんて入れない。この家も出ていく。もちろんお父さんの財産は、遺言通りにありがたくもらうから」

「あんた、妹のくせに随分偉そうな口を聞くようになったのね。お母さんとお兄ちゃんに尽くすのが、あんたの役目でしょ。頭を冷かしなさい」

冷静な口調の割には、とんでもないことを言う。私はこんな人たちと暮らしてきたのか。父の言う通り、さっさと家を出ていれば、もっと楽しい人生を送れていたのかもしれない。父がいなくなって、私にかけられていた呪縛がようやく解けた気がした。

すると、弁護士さんが私に助け舟を出してくれた。

「お父さんは君のことをずっと心配していたよ。この家にいることで、自分の人生を台無しにさせてしまったと後悔していた」

そうか。父は私をこの家から解放させたくて、家を出ることを勧めていたのか。どうして気づかなかったんだろう。

弁護士さんは、まだ遺言があると言って続きを読み上げた。そこには、母と兄に私から金銭を取ることを禁じる、という内容が書かれていた。父は生前、何度も母に言っていたらしい。しかし母は、私が「喜んでお金を差し出している」と父に言っていたという。喜んで差し出した覚えはないが、文句を言うのも抵抗するのも無駄だと思い込んでいたのは事実だ。

「奥さん、お兄さん、分かりましたか?」

弁護士さんが冷静に諭すが、母と兄は気に入らないようで、さらにヒートアップする。

「遺言だかなんだか知らないけど、この子が好きでやっていたことなのよ」

「そうだよ。末っ子なんだから、長男に尽くすのは当然だろ」

二人の言い分に、弁護士さんは深いため息をついた。

「これを見てください」

差し出された書類を見て、最初に青ざめたのは兄だった。

「おい、これって…」

「君は、お父さんの実子ではないんだよ」

それはDNA鑑定の結果だった。兄が父の子ではないことが、はっきりと記されていた。母は顔を背け、何も言わない。私は驚愕の事実を目の前にして、ただ立ち尽くすしかなかった。

弁護士さんは、母が自分から話さない場合に備えて、父が全てを話してほしいと託していたのだという。母は独身時代、かなり遊んでいたらしく、二股は当たり前だったという。当時、彼氏がいたにも関わらず、会社の先輩だった父と親しくなり、その後、父とは別の男性の子を妊娠したらしい。何も知らない父に結婚を迫り、無事に結婚、出産。しかしその後も浮気を繰り返していたそうだ。父は長い間証拠を集め、離婚を考えたこともあった。しかし、仕事人間の父が私の親権を取るのは難しいと言われ、離婚を断念した。父がいなくなったら、私の扱いがもっとひどくなる。それだけは避けたかったからだ。兄の実の父親は役者を目指していた人で、かなりのイケメンだが仕事はなく、常に貧乏生活。母が生活費を払うこともあったが、それでも好きだったらしい。確かに、兄は父とも私とも似ていない。あの時、父はどれほどの衝撃を受けたのだろう。

「だからって、戸籍上は息子だぞ。なんで俺が遺産の正当な取り分をもらえないなんて話になるんだよ」

兄はまだ遺産のことを言っている。私は一度収まっていた怒りが、また込み上げてきた。

「息子らしいこと一つもしないで、よく言えるよ。一度でもお見舞いに来た? 一度でもお父さんに差し入れをした? そもそもお父さんの好きなものなんて知らないでしょ。お父さんは家族のことを最後まで心配してたのに、血の繋がりなんて関係ないよ。でも、あんたたちはお金のことばっかり。これからは、自分たちで勝手に暮らしなさいよ」

翌日、私は少ない荷物を持って家を出た。兄の言う通り、私はほとんど趣味がなかったから、荷物は最小限だった。でも、これからは自分のためにお金を使おうと思う。

ビジネスホテルでゆっくりしていると、弁護士さんから連絡が来た。父から私への手紙を渡したいという。ホテルのロビーまで来てくれた弁護士さんは、優しく言った。

「今までよく頑張ったね。困ったことがあれば、すぐに相談するんだよ」

部屋で一人になって、父からの手紙を読み始める。それは私への謝罪から始まり、毎日病院に来てくれたこと、好きな本を持ってきてくれたこと、たくさん話をしてくれたこと、全てへの感謝が綴られていた。父は不器用だったけど、私を大切に思っていてくれた。それが伝わってくる手紙だった。私は父がいなくなってから、ようやく泣くことができた。悔しい気持ちも、悲しい気持ちも、父への愛しさも。全ての感情を出し切ったら、気分はすっきりした。

父が見ていたら、一体どんな顔をするだろう。ふと考えてみたけど、殻を破ることができた私に頷いてくれると思う。

それから私は仕事を辞めて、地元を離れた。本が好きな私の夢は、出版社に勤めることだった。今までは就活で受かった、やりがいを感じない仕事を淡々とこなしていただけだった。いくつか出版社の面接を受けて、私はこの場所にたどり着いた。

母と兄からは時々連絡が来るが、居場所は伝えていない。ただ、お金の無心をしてくるだけだ。

「兄さんだって働いてるでしょ。車みたいな女に注ぎ込むお金があるなら、生活費に使いなさいよ。私に連絡する暇があったら働きな」

母は泣きながら電話をかけてきたけど、あまりにも大根役者の泣き演技より下手だった。父を追い出した彼らに、私はもう何の未練もない。

実家では二人で暮らしているらしいが、よく喧嘩のような声が聞こえるようになり、兄の車も軽自動車に変わったという。私にお金の無心ができなくなった今でも生活水準を下げることができず、結局貯金もなくなり、貧乏生活をしているようだ。家の掃除も庭の手入れもする人がいなくなり、家は荒れ放題らしい。

一方で、私は今、楽しくて仕方がない。ヨガも始め、メイクやファッションにも気を使うようになり、彼氏もできた。あの日を境に、私は今までの生活を捨てて生まれ変わったのだ。唯一変わっていないのは、父への思いだけ。

この生活を手に入れることができて、本当に良かった。

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