パーティー会場に、俺の席だけ空の重箱が置かれていた。
周りの同僚たちは箸を手に、香ばしいタレの匂いを漂わせる特上のウナギを頬張っている。なのに俺の前には何もない。蓋すら開けられていない重箱が、無言の拒絶を物語っていた。
俺の名前は志宮勝次、27歳。映画制作会社でスケジュール管理やスタッフのマネジメントを担当している。今日は会社の創立40周年記念パーティー。ホテルの大広間にはシャンデリアが輝き、関係者が大勢集まっていた。
「おい、志宮、お前の分はないぞ」
嫌な予感はしていた。準備の段階から、俺だけに向けられる冷たい視線があった。振り返ると、花村部長がいつもの嫌味な笑みを浮かべて立っている。俺が入社した頃から、クリエイティブな才能がないと馬鹿にしてきた男だ。
「今日は特別な日だからな。特上のウナギを用意したんだが……社員の分しかないぞ」
わざとらしく周りを見渡し、笑いながら俺の肩を叩く。何が「社員の分しかない」だ。まるで俺が社員じゃないかのような言い草じゃないか。同僚たちは気まずそうに視線をそらし、上司たちも黙って見ている。花村が部長という立場上、誰も逆らえないのだろう。
「お前みたいな無能に、このウナギの価値は分からんだろう」
花村は自分の重箱を開け、たっぷりとタレのかかったウナギを箸で持ち上げた。照りつけるウナギが、まるで俺を嘲っているかのようだ。俺は歯を食い縛った。動揺して見せたら、それこそ花村の思う壺だ。
だが、我慢の限界はもうとっくに超えていた。
「こんな幼稚なことをして、恥ずかしくないんですか?」
俺はその場で立ち上がり、花村に向かって言い放った。静まり返った会場に、俺の声が響き渡る。花村は明らかに動揺していたが、すぐに表情を引き締めて睨みつけてくる。
「お前、何を言ってるんだ?」
「部長、あなたは俺に嫌がらせをしてきたけど、それが何になるんです? こんなやり方、ただのいじめです。あなたの立場でこんなことをして恥ずかしくないんですか?」
花村の顔が怒りに染まるが、俺は構わず言葉を重ねた。ずっと胸に抱えていた思いが、次々に溢れ出す。
「そして、これはあなた個人の問題だけじゃない。この会社のやり方そのものが、もう時代に合っていない」
周囲の社員たちの視線がさらに鋭くなるのを感じた。俺は花村だけでなく、その後ろに立って黙って俺を見つめる池田社長にも視線を向けた。
「社長のやり方もそうです。豪快にやるのがあなたのスタイルかもしれないけど、今の時代には合っていません。無駄な経費を使いすぎるし、会社の規模に見合わない企画ばかり立てている。社長自身の経営スタイルが、かえって会社を苦しめているんです」
池田社長は何も言わず、ただじっと俺の言葉を聞いていた。俺はこれまで社内で感じていたことを、全て吐き出すように話した。現場が疲弊していること、社員の貢献が正しく評価されていないこと、制作費は削られているのに無理な要求ばかりされること。花村のような古い考えの人間が上にいるせいで、社員一人ひとりの成長が妨げられていること。
「このままでは、うちの会社は潰れます」
俺はそう言い切った。会場は水を打ったように静まり返り、誰も言葉を発しない。俺が全てを話し終えた後も、池田社長は口を開くことなく黙って俺を見ている。その無言の圧力に一瞬緊張が走るが、俺は一歩も引かずに社長の目を見つめ返した。ここで声をあげなければ、何も変わらない。これが俺の覚悟だ。
俺の言葉が終わるや、花村の顔は赤く染まり、まるで火を吹くかのような勢いで怒鳴り声をあげた。
「お前みたいな脳なしが、社長に向かって何を言ってるんだ!」
怒りに任せて机を叩き、俺の目の前に詰め寄る。周囲の社員たちは驚いたように後ずさりし、会場全体が騒めきに包まれた。
「お前はただの下っぱだろうが。映画のことも分かっていないくせに、偉そうに社長に意見するなんて100年早いんだよ」
「何が『会社のやり方が時代に合っていない』だ。お前みたいな雑用係が口を出していい話じゃないんだよ。ただのマネジメントしかできない奴が、映画の世界で何を偉そうに語っているんだ」
俺が反論しようとしても、花村の怒鳴り声にかき消されてしまう。俺の言葉は断片的になり、まとまらない。そんな俺を見て、花村は勝ち誇ったように笑った。
「見ろ、この程度のやつだ。お前みたいな奴に現場の何が分かる? そんなに自分が正しいと思うなら、証明してみろよ。お前はただの使い捨てのコマなんだ」
俺は拳を握りしめた。花村は俺の言葉を切り捨て、さらに追い打ちをかけるように社長に向かって振り返った。
「社長、こいつは首です。こんな場で社長を侮辱するなんて、到底許されることではありません。会社の恥ですよ」
花村の言葉に会場はさらに騒然とし、社員たちは息を飲んで俺と花村を見比べている。だが、池田社長は相変わらず無表情のままで、一切口を開こうとしない。
「こんなやつ、今すぐ追い出すべきです。創立記念の大切な日に、こんな疫病神を置いておく理由なんてありません。お前みたいな無能は、ウナギどころかこの会社にいる資格すらないんだよ」
花村は俺の前に立ちはだかり、指を突きつけるようにして叫んだ。言い返したい気持ちが胸を満たすが、花村の剣幕に飲み込まれそうになる。
「今すぐ出ていけ」
その言葉が俺の耳に鋭く突き刺さる。会場中の誰もが俺の次の行動を見守っていた。俺は花村の視線をまっすぐに受け止めながら、ゆっくりと微笑んだ。そして、軽く肩をすくめて一言だけ告げた。
「今日で社員は最後なので、大丈夫です」
その瞬間、会場は凍りついたように静まり返った。花村はぽかんと口を開けたまま、まるで何が起こっているのか分からないといった表情で俺を見ている。
「どういうことだ?」
苛立ちを隠せない花村の声が会場に響く。俺は何も答えず、ただ彼の表情をじっと見つめ続けた。その時、ずっと黙って俺たちのやり取りを見守っていた池田社長が、静かに口を開いた。
「お前の言う通りだ」
その一言で、会場全体が騒めきに包まれる。花村は呆然としながら社長の方に顔を向けた。
「し、社長……」
しかし社長は花村には目もくれず、俺をじっと見つめ続けた。
「お前の発言は全て正しい。俺もこの会社のやり方を見直さなければいけないと思っていた。だから、この場で伝えようと思う。お前に社長の席を譲るという、俺の決断は間違っていないと」
社長の言葉に、会場中の視線が一斉に俺に集まった。突然の告白に、社員たちも来賓も誰もが驚きの表情を浮かべている。俺は目を見開き、父である社長を見つめ返した。
「志宮は、俺の息子だ」
社長の声が静かに会場に響いた。周囲がさらにざわつく中、俺はゆっくりと頭を下げた。
実は俺と社長は、実の親子だ。父が母と別れ、会社を優先するために家庭を捨てた時、俺は母と二人で暮らしていた。それ以来、父とはほとんど連絡も取らず、母を支えながら育ってきた。しかし結果的に、父の愛した映画に支えられたのも事実。俺は父の会社へ入社することを決めたのだった。
入社してからは、父の経営が時代に合わないことに気づき、ずっと指摘してきた。父は最初、俺の言葉を軽視していたが、何度も話し合いを重ね、ようやく考えを改めるようになった。そして、この記念の席で退任し、俺が次期社長に就任することが決まったのだ。
「お前が、これからこの会社を率いていくんだ」
俺の肩に手を置きながら、社長は静かに言った。
「最後の仕事として、花村の処分を決めさせてもらう」
社長の視線が花村に向けられた。花村の顔は青ざめ、全身が震えている。
「花村。今まで志宮に対して行ってきた数々のパワハラ、嫌がらせについて、俺は全て知っている。そして、それだけではなく、他の社員にも同じようなことをしてきたな」
社長の声は静かだが、鋭い威圧感が感じられた。花村は言葉を失い、ただ震えながら頭を下げるしかなかった。
「この会社にお前のような人間は必要ない。今すぐ荷物をまとめて出ていけ」
花村は一瞬言葉を発しようとしたが、社長の鋭い視線にひるんで口を閉じた。彼の全身から力が抜け、うなだれたままその場を後にする。
社長は花村に、降格・配置転換の処分を受け俺の指導下で雑務をこなすか、早期退職として少額の退職金を受け取り会社を去るかの二択を突きつけた。花村は顔を真っ赤にして黙り込んだが、最後には退職を選ぶしかなかった。社長は「パワハラで訴えられないだけ感謝しろ」とだけ言い残し、その場を去った。花村の姿は、その日を最後に社内から完全に消え去った。
「志宮、これでいいか?」
俺は深く息をつき、ゆっくりと頷いた。父がこの場でこうして俺のことを認め、社長の座を譲ることを公に宣言するとは思わなかったが、これも一つの決着だろう。
俺は社長として、これから新しい時代の経営を始めることになる。父の最後の仕事として、花村という過去の異物を断ち切ってくれたことに心の中で感謝しながら、俺はゆっくりと会場全体を見渡した。会場の空気は張り詰めているが、確かな手応えを感じる。
これからは、俺がこの会社を変えていく番だ。社長の座につくことに不安もあるが、これだけ大口を叩き、社長を追いやる形で手にした立場だ。気合を入れずにはいられない。時代に合った経営で、映画の可能性を広げていきたい。



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