風の強い夕暮れ、川口屋の門の前に、幼い娘をふたり連れた女が立っていた。腕には泣きじゃくる赤ん坊を抱き、裾には四つの娘がしがみついている。息はまだ整わず、何度も咳き込みながら、それでも女は倒れずに立っていた。
門の内側では、男の子を産んだばかりのオレンが赤子を抱き、祝いの声に包まれていた。慎介は妻を見ようとせず、目を伏せたまま「お前たちの居場所はない」とだけ告げた。
お春は何も答えなかった。ただ、四つのおすずが母の袖をそっと引き、「おばあ様の置き物も置いていくのか」と小さな声で尋ねた。泣きながら連れ出した荷物も、住み慣れた家も、手元の銭も、すべて残して出ていかねばならなかった。
しかし誰も知らなかった。この日、何ひとつ持たずに追い出された女の指先にだけは、川口屋がやがて失うことになる大切な技が残されていたこと。そして、針箱の底には泣きシュートの残したほんのわずかな赤い糸が、誰にも気づかれぬままひっそりと残っていた。
—
話は七年前に遡る。川の国道筋の宿町に、川口屋という店があった。野号だけを掲げるこの店は苗字を名乗ることこそ許されぬ町人の家であったが、海では古くからも面ど屋として名を知られていた。店の裏手には広い織場があり、朝な言うな木の音が絶えることはなかった。
この土地は古くから綿の栽培が盛んで、秋になれば近隣の畑一面に白い綿が実り、冬の間中、女たちが繰り車を回す音があちこちの家から漏れ聞こえてくるような里だった。
その家にお春が嫁いできたのは十七の年だった。生まれは隣村の小さな百姓で、決して裕福な育ちではなかったが、幼い頃から張仕事や糸を手伝わされ、人より器用な指先を持っていた。
嫁入りの日、姑となるお金はお春の手を取って「手は良いが、良い手だ」と呟いたという。その言葉をお春はいくつになっても忘れずにいた。
嫁いだ当初、慎介はまだお春の織る布を誰よりも褒めてくれる人だった。仕上がったばかりの反物を手に取り「これは良い出来だ」と目を輝かせていた頃もあった。お春はその頃の慎介の顔を、時折り思い出すことがあった。
—
川口屋に嫁いで七年、お春は二十四になっていた。二十歳でおすずを産み、二十三でおみよを産んだ。二人目のおみよを産んでから、お春の体は目に見えて弱くなっていた。思いをかぐことも寒さに長く当たることも叶わなくなり、幾晩も伏せることが多くなった。それでもその指先だけは誰よりも確かだった。
お春がまだ嫁いで間もない頃、小さな騒ぎが起きたことがあった。古参の職人が仕立てた木の調子がどうにもおかしいのに、誰もその原因を見つけられずにいた。お春は木に近づきもせず、遠くから音を聞いただけで「右の三筋だけ張りが強すぎます」と呟いた。
周りの者は皆、取り合わなかった。来たばかりの小娘に何が分かるのかと鼻で笑う者さえあった。古参の職人は「長年やってきた己の目より、若い嫁の耳の方が確かだというのか」と激しく機嫌を損ねた。
お金は何も言わずに木へ歩み寄り、お春の言った三筋を一つ一つ確かめた。果たしてお春の言う通りだった。お金は職人たちを見回し「この木を直せ」と短く命じた後、お春の方には何も言わなかった。
古参の職人はその後もしばらくお春に対してどこか不機嫌な態度を崩さなかったが、幾月か経った頃には、木の調子で分からないことがあると、自ら進んでお春に尋ねに来るようになっていた。
しかしその晩、お金はお春を自らの部屋に呼び「明日から木の傍らに座れ」とだけ告げた。この日を境に、お金はお春に糸の選び方、木にかける段取り、針の保ち方までを手をかけて教え込むようになった。それはお金がお春を真に己の後継と認めた瞬間だった。
—
もう一つ、お春が生涯忘れられぬ日があった。おみよを身ごもった頃、顔色の優れぬままに働き続けるお春から、お金はある日黙って針を取り上げた。
「布は織り直せる。だが人の体は織り直せぬ」とお金は静かに、しかし言い包めを許さぬ調子で言った。お春が「仕上げが控えている」と訴えると、お金は「良い布を織る者が己の命を粗末にしてどうするのか」と重ねて言った。お春が仕事に戻ろうとすると、お金はその手をしっかりと抑え「仕上がりなど遅れれば頭を下げれば済むこと。お前の命はそうはいかぬ」と珍しく声を荒げた。
お春はその剣幕に驚き、素直に床に着くことにした。お金はその晩、粥を作ってお春の枕元まで運び、湯の盞を差し出しながら、しばらく黙ってその傍らに座っていた。
お金はまた、水を張り終えた布の橋に、決まって小さな赤い糸を結ぶのを常としていた。その糸はただの飾りではなかった。布端に通して二重の結び目を作り、糸の端は必ず裏に隠す。水に漬けて確かめた布地にしか結ばぬというのが、お金の譲れぬ決まりだった。
ある日、まだ一人前になりたてのお春が、早く認められたい一心で確かめを済ませぬまま布を仕上げにかけようとしたことがあった。お金はその手を静かに止め、赤い糸巻きを取り出しながら「これは飾りではない」と言った。
「この糸を結ぶということは、もしこの布が客の手元で誇びたなら、己がその攻めを負うという証なのだ」とお金は一言一言区切るように語った。お春はその重みに思わず手を引っ込めた。「まだ攻めを負えぬものに、己の印を結んではならぬ」とお金はお春にそう教えた。お春はその手つきを、幾度も息を詰めて見つめたものだった。
—
その頃、慎介にはオレンという目かけがいた。お金の存命中は、オレンも家の中で大きな顔をすることは許されず、表向きはお春を立てて振る舞っていた。
お金が要う去ったのは、お春がおみよを身ごもっていた頃だった。長らく患っていたわけではなく、ある朝突然に胸を抑えて倒れた。そのまま三日と立たずに息を引き取った。
葬儀で営まれた法事の間、お春は幼いおすずの手に手を添えながら、これから己はどうやって木に向かえば良いのかと心細さに震えていた。おすずは祖母の棺に向かって「なぜ目を覚まさないのか」と無邪気に問いかけた。誰もその問いに答えることができなかった。
棺を送る列の中で、慎介でさえ声を殺して泣いていたが、オレンの目に涙はなかった。
シートという杖を失った家の均衡は、その境を境に、少しずつしかし確実に崩れていった。初めのうちオレンはまだ控えめだった。お金が存命の間はいかにオレンと雖も、お春を追い詰めることはできなかったからである。
しかし法要が済むと、オレンは台所や銭勘定に少しずつ口を出すようになった。米の量り方から味噌の仕込み方まで、これまでお春がシートから任されていたことに、あれこれと注文をつけるようになった。やがてオレンは、お春が伏せるたびに「また寝ているのか」と皮肉を言うようになった。初めは独り言のようにつくだけであったが、次第にお春の耳に届くところで、わざと大きな声で口にするようになっていった。お春はその度に言い返すこともできず、ただ布団の中で息を潜めるほかなかった。かつてお金がいた頃には決して聞くことのなかった言葉だった。
さらに月日が経つと、オレンは「女二人では川口屋は継げませぬ」と繰り返すようになった。後継ぎのいない家がどれほど心細いか、近隣の噂話を引き合いに出しては慎介の不安を煽った。
オレンが身ごもったと知れた時、家中の空気が一変した。もし男子であればという期待が、誰の口にも登らぬまま、しかし誰の胸にも重くのしかかっていた。お春はその重さを日々肌で感じながら、それでも変わらず木に向かい続けた。せめて木の前にいる間だけは、家の中の不穏な気配を忘れることができたからである。
ついには、ある時オレンが反物を持ち出し、お春が一反仕上げるのに四日かかるところ、早織りの職人ならばわずか二日で仕上げると慎介に見せつけた。数字を並べられると、慎介は言葉を返せなかった。最後にオレンはこう言うようになった。「母上はオハル殿の技を買いかぶりすぎていたのではございませぬか」と。
慎介は初めのうちこそ取り合わなかったが、幾月もかけて繰り返される同じ言葉に、次第に思い込むようになっていった。慎介は生来悪な男ではなかった。ただ弱く、実利にほされやすい男だった。滴り落ちる水が石を穿つように、その心はいつしかオレンの言葉に染まっていった。
—
その均衡が完全に崩れたのは、オレンが男子を産んだ日だった。産屋から力強い赤子の声が響くと、女中が転がるように駆け出し「若様、お断事でございます」と声を張り上げた。慎介は思わず立ち上がり、家中が祝いの声に沸いた。近隣からも祝いの品を携えた人々が次々と訪れ、店先はにわかに花やいだ。
お春はその声を離れの隅で聞きながら、もし今お金が生きていたら、この騒ぎをどう見たであろうかとふと思った。答えの出ない問いだった。
台所ではお春がおみよに粥を食べさせていた。おすずが「弟が生まれたのか」と尋ね、お春は「そうだよ」と答えた。おすずが「では、自分たちも会えるのか」と重ねて尋ねた時、お春はどう答えれば良いのか分からず、ただ黙り込むほかなかった。おすずはそれ以上尋ねることはせず、ただ膝の上のおみよの手を握りしめていた。
台所の隅から漏れ聞こえる祝いの声をおすずはしばらく黙って聞いていたが、やがて「自分たちは呼ばれないのか」と今度は小さな声で呟いた。お春はその問いにも答えられず、ただ娘の頭をそっと撫でるだけであった。
その夜、座敷には大きな祝いの膳が並び、琴の音と笑い声が絶えなかった。廊下を通りかかった女中の一人がちらとお春たちの方を見て、何も言わずに目を伏せた。台所の隅では、三人だけが素っ気ない粥を静かにすすっていた。おすずは幾度も座敷の方を振り返っていたが、やがて何も言わずに粥の椀を見つめ続けた。おみよはまだ何も分からぬ様子で姉の膝にもたれかかったまま、うとうとと舟を漕いでいた。
お春はその小さな寝顔を見つめながら、この子たちにはせめて今日という日の惨めさを覚えていて欲しくないと静かに願った。
—
それから幾月も経たぬうちに、慎介はついにお春と二人の娘を家から出す決心をした。
その日、お春はまだ産後の抜けぬ体を押して身支度をしていた。おみよは微熱に頬を赤らめ、泣き続けていた。おすずはその妹を懸命に抱きしめ「大丈夫だよ」と幼いながらに妹を慰めようとしていた。
女中が持ってきたのは、着替えを包んだ小さな包み一つだけであった。お春はせめて泣きシュートの形見である古い針だけは持たせて欲しいと願い出た。オレンはそれを一瞥すると「川口屋のものは何ひとつ持ち出すな」と冷たく言い放った。その口ぶりには、これまで積もり積もった苛立ちのすべてが滲んでいるかのようだった。
女中は命じられるまま包みの中身を一つ一つ改めた。着物の襟や袖の裏まで念入りに探られる間、お春はただ黙って俯き、屈辱に耐えていた。針箱の底にわずかに残った赤い糸の切れ端にだけは、誰も気づかなかった。
「せめておばあ様の置き物だけは持っていってはいけないのか」とおすずはもう一度同じことを尋ねようとしたが、母の手がそっと肩に置かれたのを感じて口をつぐんだ。オレンは冷ややかな目でその様子を眺めながら「木は店の信頼であって、出ていく者に持たせる筋合いはない」と誰へともなく言い放った。傍らで赤子をあやしていた女中の一人がちらとお春の方を見て、何も言わずに目を伏せた。
慎介は娘たちの目を避け続け、地面ばかりを見つめていた。お春は最後に夫の方へ向き直り「せめてこの子たちだけは、あなたの子であったことを忘れないでください」とだけ告げた。慎介はしばらく黙り込んだ後「……ああ」とだけ絞り出すように言った。
怒鳴られるよりもその弱々しい一言の方が、お春の胸には深く突き刺さった。かつて誰よりもお春の織る布を褒めてくれた男が、今はこれほどまでに弱々しく、目を合わせることすらできずにいる。お春はその言葉を悲しみよりもむしろ静かな諦めと共に受け止めた。
門を出る時、お春は一度だけ振り返ったが、慎介はついに顔を上げることはなかった。
—
風の吹く道をお春は幼子を二人連れて歩き出した。日はすでに傾き、行く当てもなかった。
まず頼ったのは、かつて世話になった織り仲間の家だった。戸を叩くと中から人の気配はしたが、川口の名を出した途端「すまないが」と言って、戸は静かに閉じられた。次に尋ねた古い知り合いの家も同様だった。三軒目には遠い親戚筋に当たる家を頼ってみたが、そこでも舅が渋い顔をし「川口との縁を切りたくないので」とやんわり断られた。川口屋を敵に回すことを、誰もが恐れていたのである。
戸が閉じられる度にお春の足取りは重くなっていったが、それでもおすずは「次の家で、きっと誰か助けてくれる」と無理に母を励まし続けた。
ある茶屋の軒先で、お春はせめて水だけでものどを潤したいと頼み込んだ。店のあるじは哀れんで湯を差し出してくれたが、泊めることだけはできぬと申し訳なさそうに首を振った。
おみよの熱はいよいよ上がり、小さな体は火のように熱くなっていた。お春はもはや二人を同時に抱く力さえ失いつつあり、幾度も道端にしゃがみ込んだ。それでも四つのおすずは己の小さな袖を精一杯広げ、風から妹の顔を守り続けた。
「おみよは死なないか」とおすずが震える声で尋ねると、お春は「死なせはしない」と己に言い聞かせるように答えた。その言葉を言い終えるのとほぼ同時に、お春の膝が力なく折れ、その場に崩れ落ちた。おすずは妹を抱いたまま母の袖を懸命に引いたが、お春はもう立ち上がる力さえ残っていなかった。
—
そこへ通りかかったのが、六十を幾つか超えた音与という老婆だった。かつて糸を買い、木を追って生計を立てていた女で、今は小さな一軒屋に古びた木を一台据え、一人暮らしをしていた。夫は流行り風邪で早くに亡くし、子には恵まれぬまま、幾十年もの間糸一本で己の口を養ってきた身だった。
音与は、倒れた母親と、その傍らで妹を懸命にあやす幼い姉の姿を一目見るなり、迷う様子も見せずに駆け寄った。何も聞かず、何も問わず、生き倒れた三人をそのまま家に連れ帰った。
その晩、音与はわずかな布団を子供たちのために並べ、自らは板の間に薄い敷物一枚で横になった。お春が「せめて己れだけでも、お前は子供たちに暖かい方から寝かせるものだ」と音与に礼を言うと、音与はただそれだけを答え、明りを消した。
暗闇の中、お春は音与に「なぜ水知らぬ己たちをここまでしてくれるのか」と小さな声で尋ねた。音与はしばらく黙っていたが、やがて「放っておけば夜が明け、目覚めが悪いだけだ」とぶっきらぼうに答えた。その声には隠しきれぬ優しさが滲んでいた。
幾日かして、おみよの熱がようやく下がった朝、音与はお春の手を取ってしげしげと眺め「木の使い方を知っているか」と尋ねた。お春がこれまでの身の上をぽつぽつと語ると、音与は何も言わず、部屋の隅に置かれた古い木の埃を払い始めた。長らく使われていなかった木は、所々糸掛けが緩み、機音も遠かったが、音与はそれを丁寧に直しながら「糸さえあれば食っていける。それだけでも上等だ」と独り言のように呟いた。
それからしばらくして、おすずが初めて歩き出した日には、その小さな体はよろけながら、そのまま音与の膝に転がり込んだ。音与は誰よりも先に手を叩いて喜び「この子らのためなら、この老いた体もまだ役に立つ」としみじみと言った。夜になれば、おすずもまた音与の膝に頭を預けて眠るようになった。
ある日、お春が小さな熱を出して倒れると、音与は粥を作った後に「母親が倒れれば子が困るだろう」と珍しく厳しい声で叱りつけた。お春はその横顔を見つめながら、思わず「お母」と呼びかけそうになり、辛うじて言葉を飲み込んだ。音与はそれに気づいているのかいないのか、ただ黙って粥の椀を差し出すだけであった。
—
音与の家には古い木が一台ある切りだった。お春と音与はまずその木で一反の布を織り始めた。おすずは初めのうち人見知りをして部屋の隅に固まっていたが、木の周りに散らばった糸屑を見つけると、それを一つ一つ拾い集めて束ねる仕事を自ら見つけ出した。音与はその小さな手つきを見て「この子も母親譲りだ」と目を細めた。おみよはまだ人見知りをする齢でもなく、音与の背に追われては、木の音に合わせるように小さな声で笑うのが常だった。
お春もまた、初めのうちは慣れぬ土地の暮らしに戸惑うことが多かった。井戸の場所も近隣の顔も分からぬまま、音与の後について回る日々が続いた。音与はその度に「時期になれればいい」とことあるごとに笑って見せた。
ある日、おすずが母に「なぜ木のことをそんなに大事にするのか」と尋ねたことがあった。お春は少し考えた後「これはただの布ではない。困った時に己を助けてくれる腕そのものなのだ」と答えた。「自分の金も家も、誰かの情けも、いつかは尽きることがある。しかし指先に染み込んだ技だけは、誰にも奪うことができぬ」とお春は言い添えながら、いつかおすずとおみよが女に生まれたことを理由に何かを諦めずに済むようにと、心の中で強く願った。おすずはその言葉の意味をすべては理解したわけではなかったが、母の真剣な眼差しだけはいつまでも胸に残った。
—
音与は若い頃、糸商いと機織りの両方を渡り歩いて生計を立ててきた女だった。積み取ったばかりの綿から種を抜く弓打ちの加減、繰り車にかける手つき、よりの強さによって糸がどう変わるか、そうした一つ一つを音与は長年の指の記憶として身につけていた。ある時、音与はお春に「良い糸は、よりの強さがちょうど良いところにある。強すぎれば片口ずまり、弱すぎればすぐにほつれるのだ」と語って聞かせた。
お春が姑のト金から授かったのは主に木にかけてからの技であったが、音与が持つのはそれよりもさらに手前、糸そのものを生み出す段階の知恵であった。ある日、お春が「この糸は木にかければ切れる」と呟くと、音与は「切れるのは糸が悪いからではない。よりが強すぎるのだ」と言った。二人はこの時初めて、互いの持つ知恵が噛み合っていることに気づいた。お春は「己は布のことしか見てこなかった」と言い、音与は「己は糸までしか見てこなかった」と答えた。糸から布まで一貫して見通せることこそが、この日を境に二人の織場の何よりの強みとなっていった。
—
半分ほど織り進んだところで、残りの糸が後四十五日分しか残っていなかった。音与はすでに追いの果てに蓄えた僅かな銭のほとんどを、この一反分の糸束に費やしていた。おみよにはそろそろ薬も必要な頃だった。夜になるとおみよが小さく咳込むことがあり、お春はその度に胸を締め付けられる思いがした。
この布さえ売れれば、当面の暮らしはしのげる。しかしお春が水に閉めて確かめた時、目の乱れにはっきりと気づいてしまった。売れば今日の米にはなるが、次の客を失うことになる。お春はそう言った。音与は「次の客所か、明日の米がないのだ」と声を荒げて重ねた。
お春は長いこと黙り込んでいたが、やがて絞り出すように「それでも、これには赤い糸を結べない」と答えた。この一言こそ、赤い糸が初めて立場を明らかにする選択として使われた瞬間だった。
音与は深いため息をついた後、しばらく天井を見上げて何かを考えていたが、やがて「お前がそこまで言うなら」と、糸のより分けに取りかかった。その夜二人は明りを絶やさぬまま、朝まで糸と向き合い続けた。
織り直した一反が仕上がったのは、大市の前夜だった。与織り続けたため、お春の指先は所々血が滲んでいたが、それでも手を止めることはなかった。お春は最後にもう一度水に閉めて、陰干しし、灯りの下で布端を隅々まで確かめた。歪みはどこにもなかった。音与はその布を抱きしめるように受け取り「これならば」と久しぶりに笑顔を見せた。
—
翌朝、二人は夜明け前から支度をし、まだ薄暗いうちに大市の立ち場へと向かった。背負ったお春の足取りは重く、幾度も息を整えねばならなかったが、音与が黙って重い方を引き受けてくれた。薄物を預かるおすずとおみよは、二人が出かける姿を戸口まで見送り、無事に帰ってくることをただ祈るしかなかった。
並ぶ店の中で、二人の品物はいかにも小さく心細いものであった。しかし通りかかった客の一人が何気なく布に触れ、その手触りの違いに気づいて足を止めた。値段を聞き、しばし思案した末に、その客は一反を買い求めた。お春は震える手で銭を受け取りながら、深く頭を下げた。ついでもう一人、また一人と、少しずつではあるが客がついた。中には「これほど丁寧な仕事をする者は初めて見た」と、わざわざ声をかけてくれる客もあった。
日が傾く頃には、東座の米は元より、次の糸を仕入れるだけの銭も手元に残った。音与は帰り道、何も言わずにお春の手を握った。おすずはその日の夕食に久しぶりに白い飯が出たことを、いつまでも覚えていた。
—
それから幾月かは大きな波風もなく過ぎ、川口屋ほどではないが、布は長持ちすると評判が立ち始めた。遠方の村からわざわざ求めに来る者さえ現れるようになり、宿町を往来する旅人の中にも土産にと布を求める者が出てくるほどであった。
彼岸の頃には、お春はおすずの手を引き、遠く離れた母の寺まで足を運び、お金の墓に手を合わせた。おみよはまだ幼く、道中の大半を音与の背に追われて過ごした。墓前には線香の煙が細く立ち昇り、お春はこれまでのことを一つ一つ心の中で語りかけた。追い出されたこと、音与に拾われたこと、赤い糸を再び結べるようになったこと。おすずは墓前に向かって、ほとんど覚えていない祖母に「糸のより分けを覚えた」と得意に報告していた。お春はその横顔を見ながら、お金の教えは血の繋がりを超えて確かに次の世代へと引き継がれているのだと感じた。
この一年ほどは、四人にとって初めて心安らかに過ごせる日々であった。音与が街で買い求めた小さな飴を土産に持ち帰り、おすずとおみよに与えて喜ばせた。お春は少しずつ体力を取り戻し、咳込むのも目に見えて減っていった。粥の合間に、音与が若い頃に旅した土地の話をして聞かせると、おすずは目を輝かせて聞き入り、おみよは母の膝の上で眠りに落ちるのが常であった。
おすずはこの頃、音与から指で針の運び方を教わり始め、拙いながらも小さな巾着を縫い上げては、得意げに皆に見せて回った。正月には四人で近くの社代にも詣で、質素ながらも膳を囲んだ。音与は「こんな正月を迎えられるとは思わなかった」と幾度も同じ言葉を繰り返した。
ある晩、お春はふと「この暮らしがいつまで続くのだろうか」と不安になったが、音与は「続く続かぬを案じるより、今日織れる分をきちんと織ることだ」と無理に笑って見せた。その言葉にお春はいくらか心が軽くなるのを感じた。
—
しかし、この静かな日々は長くは続かなかった。
お春を追い出した後も、オレンの保身は緩まなかった。お春が惨めに暮らしていれば、追い出したことも一言で片付けられる。しかし立て直しつつあると知れば、なぜあれほどの腕を持つ女が二人の子とも表に放り出されたのかと、心ある者は必ず問うようになる。オレンはその一点をこそ、何よりも恐れていた。追い出した女が惨めなままであれば、それで良かったはずだった。しかし現実はオレンの望んだ通りには運ばなかった。
ある夕方、オレンは幼いわが子を抱きながら店先に立ち、遠くに見える市の賑わいに目をやった。人だかりの中に、お春の織場の赤い糸印を持つ客の姿を見つけると、オレンの胸には言い知れぬ苛立ちが込み上げた。腕の中の赤子の寝顔を見下ろしながら、オレンは「この子にこそ、何ひとつ揺るがぬ地盤を残してやらねば」と繰り返し己に言い聞かせた。この子の代に継がせる地盤が、追い出したはずの女の評判によって脅かされることだけは、決してあってはならぬとオレンは思い定めた。
オレンの仕返しは、ただの悪口を言い触らすだけの繰り返しではなかった。一度ごとに、秋内の違う節目を狙い打ちにした。
オレンはまず、川口屋の贔屓の糸屋を回らせ、良質の糸を先買いして買い占めさせた。糸屋のあるじは困った顔をしながらも、大棚である川口屋の意向には逆らえず、お春には格安の糸しか下ろさなくなった。ある糸屋はお春に事情を詫びつつ、「これも商い故、許してくれ」と済まなそうに頭を下げた。お春の手元に残るのは、色も太さもまちまちな糸ばかりとなった。仕上がりは遅くなり、無駄になる糸も増え、儲けは目に見えて減った。
初めのうちは「これでは満足な布など織れぬ」と、お春も音与も夜な夜な肩を落とした。米粥の続く日々の中、おすずは灯りの下で糸を一本ずつ手に取り、母たちの真似をしてより分けを手伝うようになっていった。指先で糸を撫でながら「これは硬い、これは柔らかい」とたどたどしいながらも口にするおすずの姿に、お春と音与は幾度も顔を見合わせた。お春はその小さな手を取り「良い糸というのは、撫でた時に指に吸いつくように感じられるものだ」と教えた。おすずは分かったような分からぬような顔をしながらも、幾日もその稽古を続けた。
しかしこの苦境こそが、お春と音与により強固な糸のより分けの仕組みを、夜鍋をしてでも作り上げさせることとなった。指先だけで糸の強さを見分けられるようになるまでには幾月もの月日を要したが、これが後にこの織場ならではの強みとなっていった。糸を色ごと、太さごと、よりの強さごとに幾つもの束に分け、それぞれに合った織り方を定めるという仕組みは、この苦しい時期があったからこそ生まれたものであった。
—
次にオレンは、近隣の小だなを一件ずつ回らせ、「お春の布を店先に置く者には卸値を立てる」と申し渡させた。小だなのあるじたちは、目に見えて質の良いお春の布を惜しみながらも、日々の商いを守るために仕方なく従わざるを得なかった。ある店の主などは、お春の元にわざわざ足を運び「長年世話になった川口屋に逆らうことはできぬ」と涙ながらに詫びた。それでも「店先には置けぬが、裏口からなら求めたい。これまで通り仕入れさせてくれ」と頭を下げて申し出るほどだった。
お春はそのあるじを責めることなく「事情はよく分かる。無理はしてくれるな」と答えた。幾月か経ち、川口屋の評判が傾き始めると、その主は密かにお春の元を訪れ「今度こそ店先に堂々と並べさせて欲しい」と頭を下げた。お春は心よくこれを受け入れ、恨み事の一つも口にしなかった。寝技で返さぬという音与の教えを、お春はいつしか己のやり方として受け継いでいた。
もはや古い売り先には頼れず、お春と音与は客を一人一人直接尋ね、井戸端で言葉を交わし、信用を一から積み上げねばならなくなった。初めのうちは、見知らぬ女が布を抱えて尋ねてくることを不審がり、遠ざける家も少なくなかった。途方に暮れて帰ってきたお春に、音与は「客の心は一度で開くものではない。同じ道を三度歩けば、向こうも顔を覚えるものだ」と語って聞かせた。お春はその教えを胸に刻み、断られても恨めしそうな顔を一つ見せず、また日を改めて尋ねることを繰り返した。
何日も売れぬ日が続き、嘲笑されることもあれば、「追い出された女の布など縁起が悪い」と激しく嫌われることさえあった。ある日、おすずが母について回っていた時、ある家のあるじから「川口屋を追われた者の子か」と嫌な顔をされたことがあった。おすずは俯いたまま何も言い返せなかったが、家に帰る道すがら、母の袖をぎゅっと握りしめていた。お春はその手の強さに娘の胸の内を察し、何も言わずに、ただ握り返した。お春はその度に「いつかこの子たちが胸を張って歩けるように」と心の中で強く誓い直すのであった。
ある日、夕暮れ時、おすずが近所の子から「母親が機織りをして生計を立てているのか」と聞かれ、恥ずかしくて何も答えられなかったとお春に打ち明けたことがあった。お春は手を止め「恥ずかしいことなど何もない。この手で織った布が、遠くの村の人の暮らしを温めているのだ」と静かに、しかし力強く語った。おすずはその晩なかなか寝つけずにいたが、翌朝、井戸端で同じことを聞かれると「母は機織りの名人だ」と胸を張って答えたという。それを伝え聞いたお春は、涙をこらえるのに苦労をした。音与もまたその話を聞き、おすずの頭を撫でながら「良い子だ。それでこそこの家の娘だ」と目を細めた。
—
お春は表向きは穏やかに振る舞ったが、夜になると「このまま誰にも受け入れられぬまま終わるのでは」という不安に、幾度も眠れぬ夜を過ごした。それでも、ある貧しい母親が、哀れみからかそれとも本当に良いものを求めてか、ありったけの銭で小さな反物を一枚買い求めた。幾月後、その母親は再び訪れ「幾度洗っても崩れなかった」と目を輝かせて告げた。手にしていた反物は、幾度も使い込まれた後があるにも関わらず、織り目一つ乱れていなかった。
口コミの評判は、こうして少しずつ、しかし確かに広がり始めた。祭りの日には、お春の織場の赤い糸印を目当てに、朝早くから並ぶ客の姿さえ見られるようになった。ある商人などは「これほどの布ならば浄化でも十分に通用する」と太鼓判を押し、以後、季節ごとにまとまった数を仕入れに立ち寄るようになった。お春はその度に値段を吊り上げることなく、これまで通りの確かめを崩さぬことだけを心がけた。評判とは一度得ても、たった一つの手抜きで脆くも崩れるものだということを、お春は身を持って知っていたからである。
—
最後に、オレンは最も大きな一手を打った。これまでの二つの手段がいずれも思うような成果をあげなかったことに、オレンは苛立ちを募らせていた。見た目の丁寧な、安値の布を織らせるだけでは飽き足らず、劣った布を一反密かに作らせ、そこに赤い糸を似せて結ばせ、人間を間に挟んで市場に流させた。その布が客の手元で無惨に溶けた時「これはお春の織りに違いない」という噂が、またたく間に広まった。
この一手が世に出る前、お春には己自身の真の失敗があった。良質の糸を買い占められていたため、お春は病むほかない糸売りが持ち込んだ雑多な糸を買い求める他なかった。音与と共に幾日もかけて一本一本より分け、弱そうなものは容赦なく捨てたが、それでも持ちの悪すぎる糸が紛れ込んでいた。
織り上げた布は、水につけた途端、一部が無惨に溶けてしまった。客が布を持ち帰ったのに立ち、洗い張りをしたところが「ほつれた」と大きな声を上げた。近隣の女たちが何事かと顔を出す中、お春はただ深く頭を下げ「これは確かに己が織った布でございます」と言い訳一つせず認めた。金を返し、代わりの品を渡し、深く頭を下げて詫びた。客はなおも不満げに引き上げていった。その一部始終を家の中から音与もまた黙って見守っていた。その様子をおすずは柱の影からじっと見つめていた。母がこれほどまでに頭を下げる姿を見るのは、おすずにとって初めてのことであった。
その夜、お春は久しぶりに声を上げて泣いた。「悪い糸でも、なんとかできると思っていた」とお春は音与に打ち明けた。音与は「人の腕にも、救えぬ時はあるのだ」と静かに答えた。「それでも、謝りに行った己は間違っていたか」とお春が尋ねると、音与は首を振り「間違えたことを間違えたと言えるなら、それはもう端ではないのだ」と答えた。お春はその言葉を胸の奥深くにしまい込んだ。隣の部屋で、おすずもまた眠れぬまま、母の鳴き声にじっと耳を澄ませていた。
この日を境に、お春は「地の悪すぎる糸は、材料が足りずとも捨てる」という定めを己に課すようになった。それは己の技を過信せぬための、痛みを伴う戒めであった。
—
まさにこの時、あの偽の赤い糸印の布が客の手元で完全に溶けたという知らせが届いた。
大きな注文を失うのと、信用が根底から揺らぐのと、二つの打撃がほぼ同時に襲いかかった。赤い糸のついた布が次々と突き返され、大きな注文が消え、他の客も足踏みをするようになった。それまで通ってくれていた客のあるじ一家もしばらく足を運ばなくなった。織場で働く女たちの間には「給金が払えなくなるのでは」という不安が広がり、朝の挨拶にも覇気がなくなっていった。ある女は「他の働き口を探した方が良いのでは」と、音与にこっそり相談を持ちかけた。音与は「今しばらく待ってみよう」とだけ答えたが、その声には隠しきれぬ心細さがあった。おすずもまた、そうした女たちの不安げな様子に気づき「母は必ず何とかしてくれる」と努めて明るく声をかけて回った。己自身それを信じきれているわけではなかったが、誰かが気丈でいなければという思いが、幼いおすずを突き動かしていた。
お春はこの重圧に、再び床に伏った。伏せった床の中で、お春は幾度も「己の判断は本当に正しかったのか」と自問した。天井を見つめながら、もしここで織場が潰れれば、御仁である音与の晩年まで巻き添えにしてしまうという恐れが、お春の胸を締め付けた。折りしもおみよもまた軽い風邪を引き、咳込む夜が続いた。
音与は枕元に座り、お春の額に手を当てながら「案じるな。まだ何も終わってはいない」と静かに言い聞かせた。その声は、かつてお金が病いの床にあった時、粥を春に届けてくれた言葉とどこか重なるものであった。
—
ある日、おすずは水汲みの帰り道、表で「やはり川口を追い出された女だ」という声を耳にした。言葉のあるじはお春の顔を知らぬ様子で、井戸端でその噂を面白おかしく語っていた。おすずは俯いたまま、逃げるように家へ駆け戻った。家に着くとおみよが何事かと駆け寄ってきたが、おすずは何も言わず、ただ首を振るばかりであった。
恥ずかしさのあまり、おすずは密かに仕上がった品から赤い糸を一本抜き取ってしまった。この印さえなければ、川口のことを言われずに済むのではという、幼い考えからであった。
お春はそれを見つけたが、娘を叱ることはしなかった。傍らに座らせ「その糸は、上手に織れた印ではないのだ」とお春は静かに言った。おすずが「では、何の印なのか」と尋ねると、お春は「間違えた時に、逃げないという印なのだ」と答えた。おすずはしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく頷いた。抜き取った糸を返そうとするおすずに、お春は「それはお前が持っていて良い。困った時にこそ、思い出せるように」と、娘の手にそっとその糸を握らせた。おすずはその糸をしばらくの間、胸の内側に忍ばせていた。この一言は、これから先おすずの胸に長く残ることになる。
—
お春はこの窮地を、大市の場で決着させることに決めた。一時は「これ以上目立てば、川口屋を刺激するだけではないか」と案じたが、お春は「黙っていては、噂だけが一人歩きしてしまう」と答えた。
前夜、お春は幾度も反物の布を並べ直し、話す順序を頭の中で確かめた。おすずと音与も母の傍らで布を丁寧に畳み、風呂敷に包む手伝いをした。眠る前、おすずは母に「明日は怖くないか」と尋ねた。お春はしばし考えた後「怖くないと言えば、嘘になる。それでもやらねばならぬのだ」と正直に答えた。音与もまた傍らで、その言葉を静かに聞いていた。
並べたのは四反の布であった。川口屋の布、己が過去に失敗した本物、糸から木まで手をかけ直した新しい布、そして世間を騒がせている問題の赤い糸の布。
大市の日、人々が少しずつ集まり出し、何が始まるのかと囁き合った。中には川口の肩を持つ者もいれば、お春の噂を面白がって見に来ただけの者もいた。
お春はまず「己の失敗からお見せします」と告げ、集まった人々を驚かせた。声はわずかに震えていたが、目はまっすぐに人書きを見据えていた。音与は両手を固く握りしめながら、その様子を見守っていた。
かつて失敗した布を水に漬けると、案の定、誇びが広がった。「これは己が織ったもの。これは己の失敗でございます」と、お春は隠さず認めた。人書きの中から「なぜ己の失敗談をわざわざさらすのか」と怪しむ声も聞こえた。お春はそれに構わず「まずこれをご覧いただかねば、この先の話に真実味を置いていただけぬからでございます」と静かに続けた。
続いて川口の布を試すと、歪みがはっきりと現れた。誰もが息を飲んで見守っていた。人書きはいつしか、大市の周辺からも人が集まるほどに膨れ上がっていた。川口の方の人間らしき男が人書きの後ろでそわそわと落ち着かぬ様子を見せていたが、誰も気に留める余裕はなかった。
最後に問題の布を試すと、ひどく解けてしまった。「それでも赤い糸があるではないか」という声が人書きの中から上がった。周りの者たちも「そうだそうだ」と頷き合った。
お春はその布を静かに手に取り「赤い糸は、ただ結べば印になるものではございません」とはっきりとした声で告げた。布端を丁寧に裏返し、本物は濡れ縁に通した二重の結びで、糸の端が裏に隠れていること。この布はただの波の結びに過ぎぬこと。それを一つ一つ差し示した。集まった人々はお春の指先の動きを食い入るように見つめた。この糸の結び方を知る者は、泣きお金以外にはお春しかいなかったからである。
人書きの中から「なるほど、そういうことか」という声が漏れ、次第にどよめきへと変わっていった。見物していた老人が「己の失敗まで並べる商人を初めて見た」と感じ入ったように呟いた。その老人は杖をつきながら「長年市場を見てきたが、これほど見事な立ち回りは初めてだ」と周りの者にも聞こえるように繰り返した。
その場の空気は、ゆっくりと、しかし確かに変わり始めた。人書きの中には、かつて「お春は過ぎた」と嘲ったあの機織りの女もいた。女はしばらく黙って立ち尽くしていたが、やがてお春の傍らに歩み寄り「あの時、余計なことを言った」と罰が悪そうに詫びた。お春はただ首を振り「あの時言われたからこそ、己の考えをはっきりさせることができたのだ」と答えた。
最後に、お春は新しく織った布を試した。並べた布の中では最も落ち着いていたが、それと決して壊れぬものではなかった。「この布も、いつかは痛みます。布である以上、永遠ではございません。ただ、売る前に私たちはできる限り確かめております」とお春は告げ、決して壊れぬとは誓わなかった。その正直さこそが、かえって人の心を強く動かした。傍らに立っていた音与の目にも、涙が滲んでいた。長年連れ添った技が、こうして人々の前で認められる日が来るとは、音与自身、思っても見なかったことであった。
お春は人書きの中におすずとおみよの小さな姿を見つけた。二人とも母の一挙一動を、瞬きも忘れたように見つめていた。お春はその視線に気づき、ほんのわずかに頷いて見せた。おすずは「いつか自分もあの結び方を、この手で覚えるのだ」と幼心に強く思った。
—
大市の帰り道、おすずは母に「なぜ川口の布と偽物の布と、二つも並べて見せる必要があったのか」と尋ねた。お春は少し考えた後「一つだけでは、たまたま運が悪かっただけだと思われてしまう。幾つも並べて初めて、人はそこに筋道を見い出すものなのだ」と答えた。おすずはその答えに深く感じ入った様子で頷いた。音与は煙管を加えながら「今日という日を、きっと一生忘れぬだろう」と独り言のように呟いた。
問題の布を扱った中間商人を一人ずつ辿っていくと、その仕入れ元はやがて川口屋へ行き着いた。さらに布端に赤い印を似せて結ぶよう頼まれた職人の話とも、食い違いなく重なり、偽物がどこから流れたものかは、少しずつ明らかになっていった。誰か一人の告白によって暴かれたのではない。幾つもの小さな事実が、一本の糸のように繋がったのである。
慎介は、この噂がすっかり広まった後、ようやく気づいた。得意先の一人から「川口がお春の印を潰しているという噂は誠か」と問い詰められ、慎介は初めて事の全貌を知った。血の気が引く思いで、慎介はその足でオレンの部屋へと向かった。
その夜、慎介はオレンの部屋に向かい「店の名を使って、何をしているのか」と厳しく問い詰めた。オレンは初め目をそらしたが、やがてまっすぐに慎介を見返し「この子のためでございます」と答えた。その声には、悪びれた様子はひとかけらもなかった。
慎介は「その子に残そうとした店を、お前自身が壊しているのだ」と静かに、しかし強く返した。オレンは何も言い返せなかった。戸の下の影で、二人はしばらく黙って向き合っていたが、やがてオレンは眠るわが子の方へ顔を向け、何も言わずに部屋を出ていった。
その後、川口屋の品は次々と突き返され、古くからの客は次第に去り、店は少しずつ傾いていった。慎介は長場に座り、日に日に薄くなっていく帳面をめくりながら「母がこの有様を見たら、何と言うであろうか」と幾度も考えるようになっていた。かつて忙しく働いていた番頭たちの数も減り、店先は時間ごとに寂しくなっていった。長年仕えてきた奉公人でさえ、暇を願い出て店を去っていった。かつて祝いの膳が並んだ座敷も、今では埃をかぶった道具が積まれるだけの部屋になっていた。
売れ残った安値の布が積まれる中、オレンは幼いわが子の傍らに黙って座っていた。子はまだ幼く、母の周りで起きていることの意味を、何ひとつ理解してはいなかった。子が無邪気に「なぜ店に人が来なくなったのか」と尋ねた時、オレンは答える言葉を持たなかった。この子のために全てをやってきたはずが、己のやり方こそが、店の命を己の手で失わせていた。それは誰かに下された罰というより、怨念と巡ってきた報いであった。オレンは時折り、お春の織場が日に日に賑わいを増しているという噂を耳にしたが、もはやそれに対して何をする気力も残っていなかった。
—
幾月か経ったある日、慎介はお春の織場を尋ねた。噂を頼りに辿り着いたその場所には、育台もの木が並び、女たちが忙しく手を動かしていた。ここまで来る道すがら、慎介は幾度も引き返そうかと迷ったが、店の暖簾をくぐるたびに感じる、かつての賑わいの失われた寂しさに耐えかね、結局は足を進め続けていた。
おすずは新入りの女に糸のより分けを教え、おみよは木に向かい、音与は縁側で日向ぼっこをしていた。誰もが実の家族のように呼び合い、笑い声さえ聞こえていた。慎介は門の外に立ち尽くし、しばらく中に入ることができなかった。かつて己が捨てた家族が、己の預かり知らぬところで、これほどまでに温かい場所を築いていたことに、慎介は言葉にならぬ思いを抱いた。
おすずは父の姿を見ても、すぐには誰か分からなかった。もう二年以上も会っていない父の顔は、記憶の中の姿とはすっかり変わっていた。慎介が娘の名を静かに呼ぶと、おすずはまず母の方を見た。それは助けを求めるというより、この人にどう答えば良いのかを確かめるような眼差しであった。
お春は駆け寄ることも、声を荒げることもしなかった。ただ静かに木の手を止め、夫であった男を見つめた。おみよは木の影から顔だけを覗かせ「あの人は誰」と姉に小声で尋ねていた。おすずはそれには答えず、ただ妹の方に手を置いた。
「せめて、父親として……」と慎介が言いかけると、お春は「この子たちが会いたいと、申し出ましたか」と尋ねた。一呼吸を置いた後「しかし、己が川口屋へ戻ることはございませぬ」とお春は静かに、しかしはっきりと告げた。
慎介は何かを言いかけたが、言葉にならず、ただ深く頭を下げた。しばらくそのまま立ち尽くしていたが、やがて「これまで済まなかった」とだけ絞り出すように呟き、門を出ていった。おすずはその背中をしばらく見送っていたが、母の袖を引くことも、呼び止めることもしなかった。
その夜、お春はおすずに「父を恨んでいるか」と尋ねたことがあった。おすずはしばらく考えた後「恨んではいないが、もう昔には戻れないのだと思う」と答えた。お春はその言葉に、娘がいつしか己が思う以上に大人になっていたことを知った。
—
音与もまた、歳月と共に少しずつ老いていった。かつては誰よりも早く起き、誰よりも遅くまで働いていた音与が、いつしか縁側で日向ぼっこをして過ごす時間の方が長くなっていた。お春とおすずは、そんな音与の様子に気づくたびに、代わる代わる傍らに座り、糸の手を止めて世間話に付き合った。音与は幾度も「もう己のことは良いから、木に戻れ」と言ったが、誰もその言葉を真に受けることはなかった。
ある日、お春が音与に「仕事のことで分からぬことがあれば、いつでも聞く」と言うと、音与は笑いながら「もう教えることは、あり余るほど教えた。あとはお前たちが好きにやれば良い」と答えた。それでも夕方になると音与は決まって織場に顔を出し、女たちの手元をひとしきり眺めてから「うんうん」と満足に頷いて去っていくのが常であった。
織場が幾人もの女を抱えるようになると、お春は誰にも無理な同じ仕事を強いることはしなかった。古い木一台と乏しい米だけを頼りに始まったこの場所に、これほど多くの人が集うようになるとは、お春自身、思っても見ないことであった。
近隣で夫を亡くした女や、実家を早くに離れた娘たちが、少しずつこの家に集まるようになった。ある日、木を織ったことがないという新入りの女がやってきた。お春が「糸に触れたことはあるか」と尋ねると、女は「ある」と答えた。「それなら、そこから始めよう」と、お春は糸を手渡した。手先は不器用でも力のある別の女には、力のいる糸の仕事を任せた。ある女は指先が荒れるほど糸繰りに没頭し、ある女は根気強く糸の痛みを見分ける目を養っていった。誰もが得手なところから始め、無理に一人前の織り手を目指させることはなかった。
集まった女たちの中には、かつて川口屋で下働きをしていた者もいたが、音与もお春も、その身の上を問い詰めることはしなかった。誰であれ、今この場でどう手を動かすかだけが大事なのだというのが、二人の変わらぬ心がけであった。
中には、夫に去られ、行場を失って戸口に立った女もいた。お春はその女の手を見て「この手は畑仕事で鍛えられた手だ」と言い、力のいる糸の仕事を任せた。女は初め戸惑っていたが、幾月か経つ頃には、誰よりも頼りにされる糸繰りとなっていた。
ある日、熱があるのに無理をして働こうとする女がいた。顔色は青白く、手も震えていたが、給金を減らされることを恐れてか、木の前を離れようとしなかった。お春はその手からそっと仕事を取り上げ「布は織り直せる。だが、人の体は織り直せぬ」と告げた。女は初め、金のことを案じて涙ぐんだが、お春は「給金は案じずとも良い。まずは直すことだけを考えよ」と言い添えた。傍らでそれを聞いた音与は、黙って何かを思い出すように振り返っただけであった。誰も多くを語らずとも、その場にいた誰もが、泣きお金の教えをそこに見ていた。この言葉は、いつしかこの織場の誰もが知る決まり文句のようになっていった。
—
織場の中には、幾つもの機音が重なり合い、以前とは比べ物にならぬほどの賑わいが生まれていた。おすずもまた、幼い頃に糸を束ねる手伝いから始め、今では新入りの女たちに糸のより分けを教えるまでになっていた。母の傍らで育ったその手つきは、いつしか母によく似たものになっていた。
ある日、新入りの女が糸をより分ける手に迷っていると、おすずは「良い糸は、撫でた時に指に吸いつくように感じられるものだ」と、幼い頃に母から教わった言葉そのままに語って聞かせた。その言葉を口にしながら、おすずは不意に「母もこうしてお金から教わったのだろうか」と思いを馳せた。
おみよは、木の下で積み木遊びをしていた頃が嘘のように、自ら木に座りたいと背伸びをするようになっていた。まだ手が小さく、杼をうまく使えずにいたが、それでも根気よく繰り返すうちに、少しずつ織れるようになっていった。姉のおすずが根気よく教え、時に失敗しては笑い合う二人の姿は、織場の誰もが目を細めて見守る光景となっていた。
—
洗濯物を取り込む夕暮れであった。それは何の前触れもなく、まるで当たり前のことのように口から出た一言だった。
おすずが音与に向かって「おばあ様、こちらも取り込みます」と声をかけた。音与は手を止め「今、何と言ったのか」と聞き返した。おすず自身も、なぜその言葉が口をついて出たのか、はっきりとは分からなかった。ただ、物心ついた頃からずっと、そう呼びたかったのだという気がした。
おすずが「おばあ様」と繰り返すと、音与は顔を背け、濡れ手で涙を拭った。「そうか」とだけ、音与は低く呟いた。その声は、わずかに震えていた。それを見ていたお春は、泣きお金のことをふと思い出した。しかしその時、お春はもはや、姑ト目の代わりを探しているのではないと気づいた。お金の代わりではなかった。代わりである必要もなかったのだ、と静かに悟った。お金は生き抜くための技を授けてくれた。音与は、その技がまだお春を救いきれずにいた時に、住まう家を授けてくれた。お春の人生には、違う時に二人の母がいたのである。
—
冬の朝、織場では幾台もの木が歯を立てて動いていた。かつては一台の古びた木と乏しい米だけを頼りに始まったこの織場が、今では幾人もの女の手によって支えられるまでになっていた。おすずは新入りの女たちのために糸を改め、音与はついに初めての一反を織り上げようとしていた。音与は縁側でその様子を眺めながら、時折り思い出したように「そこはもう少し力を抜いて良い」と声をかけた。
お春はふと、あの風の吹く夕暮れに、何ひとつ持たずにこの道を歩き出したことを思い返した。あの時、針箱の底に残っていた僅かな赤い糸が、今ではこれほど多くの布端を彩っている。人の運命とは、かくも分からぬものだとお春は静かに思った。傍らでは、音与が茶を入れながらその様子をいつまでも眺めていた。
織り上がったばかりの一反を手に取り、お春は試し織りの部分を水に浸し、乾いた後に丁寧に確かめた。歪みはどこにもなかった。それから、静かに赤い糸を手に取った。
「結んで良いか」とおすずが尋ねると、お春は娘を見つめ、しばし考えた後「己が責任を終えると思うならば」と答えた。おすずは深く息を吸い、濡れ縁に糸を通し、二重の結び目を作り、糸の端を裏に隠した。かつて祖母から母へ、母から己へと伝えられてきた、その手順の通りに。傍らでは、おみよが自分の織った初めての一反を抱きしめるように持ち、いつか自分もあの結び目を作るのだと目を輝かせて姉の手元を見つめていた。
並んだ幾つもの布端に、小さな赤い結び目が、それぞれの手によって静かに残されていった。
—
お春は時折り、この織場を尋ねてくる客に「なぜこの家の布だけがこうも長く保つのか」と尋ねられることがあった。その度にお春は「売る前に、己たちが一番厳しい客になっているだけ」だと笑って答えるのみであった。音与はそのやり取りを縁側で聞く度に、満足そうに頷くのが常であった。
信用とは、一度も失敗せぬことではない。失敗した時、それから逃げずに引き受けることだと、お春は幾星霜の日々を経て、そう思い定めるようになっていた。お金がかつて示した赤い糸の重みも、突き詰めればそこにあった。
家も財産も、女の手から奪われることはある。しかし指先に刻まれた技術と、人から人へと渡された心までは、誰にも奪うことができない。
お金からお春へ、お春から娘たちへ、そして血の繋がらぬ女たちへ。切れかけた糸はその度に結び直され、いつしか一つの家を織り上げていた。織り倒れには今日も絶えることがない。布端では、小さな赤い糸が静かに揺れていた。



