「お母さん、今日もちゃんと働いてきてくださいね。奴隷は火星で何歩ですから」——朝5時、台所で3人分の朝食を作る私の背中に、実の息子夫婦が投げつけたのは、そんな言葉だった。40年真面目に働き、退職金も家も全て彼らに譲るつもりだったのに、同居1ヶ月で家賃・食費・光熱費と称して毎月15万円を徴収され、熱があっても朝食を作らされ、誕生日は「今日も15万円の日だよ」とだけ言われた。そして遂に、「退職金…

「お母さん、今日もちゃんと働いてきてくださいね。奴隷は火星で何歩ですから」——朝5時、台所で3人分の朝食を作る私の背中に、実の息子夫婦が投げつけたのは、そんな言葉だった。40年真面目に働き、退職金も家も全て彼らに譲るつもりだったのに、同居1ヶ月で家賃・食費・光熱費と称して毎月15万円を徴収され、熱があっても朝食を作らされ、誕生日は「今日も15万円の日だよ」とだけ言われた。そして遂に、「退職金...

今月もちゃんと役に立てよ。朝5時の静寂を破る息子の声に、私は手にしていた茶碗を落としそうになった。台所で3人分の朝食を準備していた私の背中に、冷たい言葉が突き刺さる。40年間市役所で働き、定年退職後も再任用で働き続けているのに、なぜこんな言い方をされなければならないのか。

「母さん、給料日だろ?15万円、忘れるなよ」
「そうね、お母さん、今日もちゃんと働いてきてくださいね。奴隷は火星で何歩ですから」

階段を降りてきた嫁に、軽蔑のこもった目で言われた。奴隷。まさか実の息子夫婦からそんな言葉を投げつけられるなんて。胸の奥で何かが軋んだ。私は何も言い返せず、ただ俯いた。味噌汁の香りが立ち込める台所で、震える手で弁当箱の蓋を閉めた。64歳の私が、なぜこんな屈辱的な扱いを受けなければならないのか。退職金をもらって再任用で働いているというだけで、まるで金づるのように扱われる日々。私は自分の置かれた状況の異常さを改めて痛感していた。

実はこの扱いは、3年前から始まっていた。思い返せば、夫が亡くなった直後は違った。葬儀の席で、息子は私の肩を抱き、「母さん、これからは俺たちが支えるから、一緒に住もう」と優しく言ってくれた。その言葉に私は涙を流して感謝した。長年連れ添った夫を失った悲しみの中、息子夫婦の温かさが心に染みた。私は実家を売却し、息子夫婦の家に同居することになった。40年間市役所の戸籍課で真面目に務め上げ、60歳で定年退職。退職金1000万円を受け取り、再雇用制度で引き続き働くことができた私は、老後の不安もなく息子家族との穏やかな生活を夢見ていた。

しかし、同居してわずか1ヶ月で状況は一変した。
「母さん、家賃8万円、食費5万円、光熱費2万円、合計15万円。毎月頼むよ」
息子の言葉に耳を疑った。再雇用の給料は、ほぼ全額徴収されることになった。さらに朝ごはんの準備、炊事全般、孫の世話。全てが私の仕事になった。
「お母さんは退職金ももらったんでしょう。これくらい当然でしょう」
嫁の言葉に、私は何も言い返せなかった。優しかった息子夫婦は、もうどこにもいなかった。

日に日に、息子夫婦の要求はエスカレートしていった。朝5時に起床し、まず3人分の朝食と弁当を作る。息子は味噌汁の味が薄いと文句を言い、嫁は弁当のおかずが地味だと嫌みを言う。それでも私は黙って耐えた。市役所に出勤する前に洗濯物を干し、掃除機をかけ、風呂掃除まで済ませる。これら全てを1人でこなさなければならなかった。
「お母さん、私のワンピース、洗濯で縮んだじゃない。これ3万円したのよ。弁償して」
ある朝、嫁が怒鳴り込んできた。洗濯表示通りに洗ったはずなのに、私の説明など聞く耳を持たない。
「表示通りに洗いました」
「言い訳しないで。私の大切な服を台無しにして、謝罪もないの?」
結局、その日の給料から3万円を差し引かれた。理不尽だと思いながらも、息子が「母さんの不注意だから仕方ない」というので、私は諦めるしかなかった。

孫の世話も全て私の仕事になった。5歳の孫は可愛いが、保育園の送り迎え、習い事の付き添い、宿題の面倒まで全て押しつけられる。仕事から帰っても休む暇はない。
「あんたの仕事でしょ。退職金もらったんだから当然よ」
嫁はソファーでスマホをいじりながら、平然と言い放つ。息子も「母さんは暇だろう。俺たちは仕事で疲れてるんだ」と援護する始末だった。私だって再任用とはいえフルタイムで働いているのに、その疲れは無視される。

ある日、体調を崩して熱を出した。38度を超える熱で、立っているのもやっとだった。ベッドから起き上がれず、震えが止まらない。
「母さん、朝食は?弁当は?」
息子が私の部屋に来て、不服そうに言った。私の心配をすることもなく、ただ食事の心配だけ。
「ごめんなさい。熱があって、今日だけは休ませて」
「まだ63歳でしょ。甘えないで」
嫁が横から口を挟む。
「私たちの朝食どうするのよ。これじゃ遅刻するじゃない。お母さんが寝込んでも、世の中は回ってるの」
結局、熱がある中で朝食を作らされた。手が震えて包丁を持つことも危なかったが、誰も心配してくれない。フラフラしながら台所に立つ私を、息子夫婦は当然のように見ていた。

「お母さん、今日の夕食は豪華にしてね。私の友達が来るから」
嫁の要求は続く。友人が来る日は、普段の倍以上の料理を作らされる。前菜からデザートまで、フルコースのような献立を要求される。材料費は私持ちだ。
「これ、スーパーの食材?手抜きね。恥ずかしいわ」
必死で作った料理も、嫁の友人の前でけなされる。
「うちのお母さん、料理下手なのよ」
笑いながら言う嫁。友人たちは苦笑いを浮かべていたが、誰も私をかばってくれなかった。

土曜日、久しぶりに友人とランチの約束をした。3ヶ月ぶりの外出だった。市役所の同僚たちとの食事会で、皆が心配してくれていた。玄関で靴を履いていると、息子が私を呼び止めた。
「どこ行くの?」
「友人と会う約束があって。家事は朝済ませました」
「は?遊ぶ暇があるなら、もっと家のことやってよ。退職金もらって再任用で働いて、余裕あるくせに」
「そうよ。私たちがいない間に勝手に出かけるなんて。泥棒が入ったらどうするの?留守番も仕事でしょ」
嫁が追い打ちをかける。私は靴を脱いだ。結局その日も外出は諦めた。友人には体調不良と嘘をついた。本当のことなど、恥ずかしくて言えなかった。「のり子さん、最近顔色悪いけど大丈夫?」という心配のメッセージが、余計に辛かった。

別の日、私の誕生日だった。64歳の誕生日。市役所では同僚たちが小さなケーキでお祝いしてくれた。でも家に帰ると、
「母さん、今日も15万円の日だよ。忘れてないよね」
息子は私の誕生日だと覚えていなかった。いや、覚えていても関係ないのだろう。
「お母さん、今日は揚げ物にして。私、唐揚げ食べたい気分」
嫁も同じだった。私は黙って財布から15万円を取り出し、そして台所に立った。夜遅く、1人台所で泣いた。40年間真面目に働いてきた。市民の方に信頼され、後輩にも慕われてきた。区役所では「大沢さんがいれば安心」と言われ、定年後も「是非残ってください」と懇願された。それなのに、実の息子夫婦からは奴隷のように扱われている。人としての尊厳すら認められていない。もう限界かもしれない。でもどうすれば……と呟いた時、リビングから息子夫婦の会話が聞こえてきた。

「母さんの退職金、まだ1500万くらい残ってるよな。俺たちが管理した方がいいんじゃない?」
「そうね。お母さんって無駄遣いしそうだし。私たちが管理してあげましょう」
私の中で、何かが音を立てて崩れていった。長年の我慢が限界を超えた瞬間だった。

翌朝、息子夫婦は行動に出た。
「母さん、ちょっと話がある」
朝食後、息子が改まった様子で切り出した。嫁も隣に座り、まるで面接官のような表情で私を見つめている。嫌な予感が背筋を走った。
「単刀直入に言うよ。母さんの退職金、俺たちに預けてくれないか?」
やはりそう来たか。私は黙って息子の顔を見た。かつて「お母さん大好き」と抱きついてきた幼い頃の面影は、もうどこにもなかった。
「理由を聞いてもいい?」
「母さんももう64歳だろ。正直いつまで働けるかわからないし、認知症のリスクだってある。俺たちが管理した方が安全だ」
認知症。まだ現役で働いている私に対して、よくもそんな言葉が出るものだ。区役所では複雑な手続きも完璧にこなし、後輩の指導もしているというのに。
「お母さん、これはお母さんのためでもあるのよ」
嫁が優しい口調を装って続ける。
「詐欺とか多いじゃない。高齢者が騙されて全財産失うニュース、よく見るでしょう。私たちが守ってあげないと」
「でも、私はまだ……」
「まだ何?」
息子が嫌な感じで遮った。
「母さん、俺たちを信用してないの?実の息子だよ。家族でしょ?」
家族。その言葉を聞いて、私の心は冷えていった。家族ならなぜ私を奴隷と呼ぶのか。家族ならなぜ、病気の時も心配一つしないのか。
「考えさせて」
「考える?何を考えるの?」
嫁の声が急に冷たくなった。
「お母さん、私たち3年間もお世話してきたのよ。住む場所も食事も全部提供してきた。その恩を忘れたの?」
月15万円も徴収し、家事を全て押し付けておいて、恩とは……私は言葉を失った。
「それに、この家のローンもまだ残ってるんだ」
息子が追い打ちをかける。
「母さんの退職金があれば一括返済できる。そうすればみんな楽になるだろう」
でもそれは、私の老後の蓄え。嫁が鼻で笑った。
「お母さん、失礼だけどあと何年生きるつもり?70まで?75まで?そんなにお金必要?」
その言葉に、私は息を飲んだ。まるで早く死ねと言われているようだった。
「正直に言うよ、母さん」
息子が身を乗り出してきた。その目は、獲物を狙う獣のようだった。
「俺たちだって生活がある。子供の教育費、住宅ローン、老後の準備。母さんだけが贅沢する権利はないんだ」
贅沢。朝5時から夜遅くまで働き、自分の時間など一切ない生活のどこが贅沢だというのか。
「それに、母さんが持ってても意味ないでしょ。どうせ使わないんだから」
「そうよ。お母さんなんてどこにも出かけないし、服も買わないし、友達もいないし」
友達がいないのではない。合わせてもらえないのだ。私は唇を噛みしめた。
「で、どうするの?」
息子が詰め寄ってきた。
「今すぐじゃないと困るんだよ」
突然、息子が声を荒げた。テーブルを叩く音が響く。
「実はな、俺、投資で少し失敗してさ。今月中に300万必要なんだ」
投資で失敗。そんな話は初めて聞いた。
「300万って……」
「母さんなら余裕だろ。1500万もあるんだから」
「でも、それは母さん……」
「俺は息子だぞ。困ってる息子を助けないのか?それでも母親か」
「そうよ、お母さん。私たち、こんなにお母さんのことを思ってるのに」
嫁も立ち上がり、私を見下ろした。
「正直、邪魔なのよ」
突然、嫁の本性が現れた。
「毎日毎日暗い顔して、私たちの生活に水を差して。お金だけ置いて、施設にでも入ってくれない?まだ64歳なら、安い施設もあるでしょう」
施設。まだ現役で働いている私を、施設に押し込めようとしている。
「あのな、母さん」
息子が最後通告のように言った。
「これは提案じゃない。決定事項だ。曜日、銀行に一緒に行く。通帳と印鑑、用意しておけ。もし拒否したら……」
「拒否したら?」
「じゃあ今すぐ出て行ってもらう。住所不定の高齢者になりたいか?」
「再任用の給料だけじゃ、アパートも借りられないわよ」
嫁が畳みかける。
「保証人もいない。身寄りもない。お母さん、路上生活者になるつもり?」
2人は私を完全に追い詰めていた。逃げ場はどこにもないように見えた。
「分かった。考えさせて」
「月曜日までに、懸命な判断を期待してるよ」
息子はそう言い残して部屋を出ていった。嫁も「お母さん、正しい選択をしてね」と言って後に続いた。

1人残された私は、涙が止まらなかった。40年間真面目に働いてきた。退職金を息子に奪われようとしている。いや、もはや息子ではない。これは強盗だ。私は立ち上がり、自分の部屋に向かった。そして、戸籍六法を取り出した。40年間の知識が、今私を救うかもしれない。

深夜2時。家中が寝静まった頃、私は机で戸籍六法を開いていた。40年培った知識が、今こそ役立つ時が来た。ページをめくりながら、ある記憶が蘇ってきた。信吾は、実は私の実子ではない。30年前、私は信吾の父と再婚した。当時4歳だった信吾を、私は養子として迎えたのだ。実子ではなく、養子縁組関係。この事実を、信吾は知らない。いや、忘れているのかもしれない。私は該当するページを見つけた。民法811条。養子が若年の場合、協議による離縁が原則だが、協議が整わない場合は家庭裁判所に調停を申し立てることができる。さらに調べると、養親子関係を継続し難い重大な事由があれば、調停を経て離縁が認められることが分かった。重大な事由。経済的虐待、精神的虐待、そして今回の退職金奪取の脅迫。これらは十分な理由になるはずだ。

私は証拠を集め始めた。まず銀行の通帳を確認した。毎月15万円の引き出し記録。3年間で540万円。これは明らかに異常な金額だ。次にスマートフォンで録音アプリを起動した。これから、息子夫婦の暴言を全て記録する。そして、最も重要な書類を探し出した。30年前の養子縁組届の控え。市役所にも原本があるはずだが、念のため確認する。確かに、私と信吾の間には養親子関係しかない。家庭裁判所への申立書の作成を始めた。40年間区役所で働いてきた経験から、必要な書類は全て把握している。

養子離縁調停申立書。申立の理由を詳細に記載する必要がある。パソコンを開き、文書作成ソフトを立ち上げた。
「養子離縁調停申立書 1.申立の趣旨 申立人と養子である相手方との養子縁組を解消する。2.申立の理由 (1)経済的虐待 相手方は申立人に対し、月額15万円という過大な金銭を3年間にわたり要求し続けている。(2)精神的虐待 「奴隷」「お荷物」などの暴言を日常的に浴びせている。(3)労働の強要 高齢の申立人に対し、早朝から深夜まで炊事労働を強制している。(4)財産の強奪 申立人の退職金1500万円を脅迫により奪おうとしている。(5)養親子関係の完全な破綻 信頼関係が完全に失われ、関係継続は不可能である」
書きながら、涙が溢れてきた。こんなことを、息子について書かなければならないなんて。でも、これが現実だ。次に証拠書類のリストを作成した。通帳のコピー(3年分の15万円引き出し記録)、録音データ(暴言の証拠)、日記(日々の虐待の記録)、医療記録(ストレスによる体調不良の診断書)。でも、本当にできるのか。一瞬迷いが生じた。4歳の信吾が初めて「お母さん」と呼んでくれた日のことを思い出す。しかし、その思い出も今の現実の前では色あせていく。私は決意を固めた。月曜日の朝一番で家庭裁判所に行く。申立には費用もかかるが、それは惜しまない。自分の尊厳を取り戻すためなら。さらに重要なことを思い出した。離縁が成立するまでには時間がかかる。その間、息子夫婦と同居を続けるのは危険だ。私は仮処分の申請も検討することにした。

「お母さん、何してるの?」
突然、廊下から嫁の声がした。私は慌てて六法を閉じ、布団に潜り込んだ。
「何でもありません。寝ようとしてました」
「そう。変な音がしたから。早く寝なさいよ。明日も早いんですから」
足音が遠ざかっていく。危なかった。私は再び起き上がり、もう1つ重要な準備を始めた。遺言書だ。公正証書にすれば、後で覆される心配もない。財産は全て、社会福祉事業に寄付する。離縁が成立すれば、信吾に相続権はなくなるが、念のために明記しておく。そして、最も重要な事実を確認した。この家の名義は、まだ私になっている。夫が亡くなった時、相続で私が引き継いだ。息子は知らないが、住宅ローンもすでに完済している。夫の生命保険で支払ったのだ。つまり、離縁が成立すれば、息子は相続権を失う。この家も預金も、全て息子の手から離れる。そして、私には息子夫婦を家から退去させる権利がある。時計を見ると、もう朝4時になっていた。私は最後に、信頼できる弁護士を探すことにした。市役所の法律相談で知り合った田中弁護士。高齢者の権利に詳しい専門家だ。スマートフォンでメールを送った。
「田中先生。大沢です。養子離縁調停の件でご相談があります。月曜日、お時間をいただけますでしょうか?」
すぐに返信が来た。
「大沢さん、大変な状況ですね。月曜日の朝一番でお会いしましょう。家庭裁判所への申立、全面的にサポートします」
心強い味方がいる。40年間の人脈は裏切らない。私は最後に、亡き夫の写真を見つめた。あなた、見ていてください。私は法律を武器に、自分の人生を取り戻します。曜日、息子夫婦は銀行に連れて行こうとするだろう。しかし、私には切り札がある。月曜日に、全てが動き出す。それまで、もう少しの辛抱だ。夜が明け始めた。決戦の準備は整った。

月曜日の朝7時。夫婦がまだ寝ている間に、私は静かに家を出た。手には申立書類が入った鞄。今日、私の人生が変わる。田中弁護士の事務所に着くと、すでに準備を整えて待っていてくれた。
「大沢さん。書類を拝見しました。これは明らかな経済的、精神的虐待です。必ず勝てます」
「ありがとうございます。でも、息子は激怒するでしょうね」
「その時のために、接近禁止の仮処分も同時に申請しましょう」
9時。家庭裁判所に到着。田中弁護士と共に、離縁の申立を行った。受理された瞬間、私の肩から重荷が一つ降りた気がした。
「調停期日は2週間後です。それまでに相手方に通知が届きます」
田中弁護士の説明を聞きながら、私は次の手続きに移った。公証役場での遺言書作成。全財産を社会福祉事業に寄付する内容で、公正証書として残す。午後1時。全ての手続きを終えて帰宅すると、息子夫婦がリビングで待ち構えていた。
「母さん、どこ行ってたんだよ。今日銀行に行く約束だったろ」
「そうよ。週末ずっと待ってたのよ」
嫁も顔を真っ赤にして怒っている。私は静かに鞄を置き、2人の前に座った。
「銀行には行きません」
「は?何言ってるんだ?」
「退職金は、1円も渡しません」
息子が立ち上がった。
「母さん、ふざけるな」
「ふざけているのは、あなたたちです」
私は冷静に言い放った。
「それから、もう1つお知らせがあります」
私は家庭裁判所の受理証明書を取り出した。
「今朝、離縁を申し立てました」
息子の顔から血の気が引いた。
「離縁?何それ?」
「信吾さん。あなたは私の実子ではありません。30年前、私はあなたを養子として迎えました」
「嘘だ!」
「嘘ではありません。戸籍を確認すれば分かります。そして、私はその養子縁組を解消する手続きを始めました」
嫁が青ざめた顔で口を開いた。
「そんなの、勝手にできないでしょう」
「できます。家庭裁判所が認めれば。そして、あなたたちの3年間の虐待は、十分な理由になります」
私はスマートフォンを取り出した。
「全て録音してあります。『奴隷』『お荷物』『邪魔』。これらの暴言、全てです」
息子が崩れ落ちた。
「母さん、なんで?」
「なぜ?あなたが聞きますか?」
私は続けた。
「月15万円の搾取、3年間で540万円。これも全て記録があります。裁判所はこれを経済的虐待と認定するでしょう」
「待ってくれ。話し合おう」
「話し合い?3年間、私の話を1度でも聞きましたか?」
嫁が泣き始めた。
「お母さん、ごめんなさい。謝ります」
「謝罪は、裁判所でしてください。2週間後が第1回調停です」
そして、私は最も重要な通告をした。
「この家の名義は私です。離縁が成立したら、あなたたちに住む権利はありません」
「ちょっと待てよ」
息子がテーブルを叩いた。
「俺たちを追い出すつもりか?」
「追い出す?」
私は初めて笑みを浮かべた。
「奴隷に家族はいませんよ。あなたが言った言葉です」
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「大沢はな子さんの宅配便です。裁判所からの書類です」
特別送達。接近禁止の仮処分決定通知だった。田中弁護士の迅速な対応に感謝した。
「これは何だ?」
息子が書類を見て絶句した。
「あなたたちが私に暴力的な行動を取った場合、即座に警察が介入します」
「暴力なんて振ってない」
「精神的暴力も暴力です。そして、退職金奪取の脅迫も」
息子が土下座をした。
「母さん、お願いします。やり直させてください」
「やり直す?」
私は立ち上がった。
「3年前、夫が亡くなった時、あなたは言いましたね。『母さん、これからは俺が支える』と。でも、支えるどころか、私から全てを奪った」
「それは……」
「明日から、私は家を出ます。ホテルに滞在します。調停が終わるまで、この家はあなたたちが使っていいでしょう。ただし」
私は鍵を取り出した。
「勝手に物を処分したら、窃盗罪で訴えます。全て写真に撮ってありますから」
嫁がすがりついてきた。
「お母さん、お願いします。妊娠してるんです」
「それならなおさら、きちんと働いて、自立すべきでは?」
私は玄関に向かった。すでにスーツケースは用意してあった。
「待ってくれ。金は返す。540万円。必ず返すから」
息子が叫んだ。
「返済は、調停で話し合いましょう。では、2週間後に裁判所で」
外に出ると、春の風が心地よかった。タクシーで駅前のホテルに向かう。田中弁護士からメールが来ていた。
「大沢さん、第一歩を踏み出しましたね。必ず勝ちます」
ホテルの部屋に入ると、私は深く息を吐いた。3年ぶりに、誰の顔色も窺わない空間。誰にも命令されない時間。夕方、市役所の後輩の市川さんから電話があった。
「大沢さん、聞きました。よく決断されましたね」
「市川さん、私、間違ってないですよね」
「間違ってません。大沢さんは、当然の権利を主張しただけです」
その夜、ホテルのレストランで1人夕食を取った。好きなものを好きなだけ。3年ぶりの本当の食事だった。部屋に戻り、亡き夫の写真を見つめた。あなた、私やりましたよ。64歳にして、人生を取り戻す第一歩を踏み出しました。2週間後の調停で、全てが決まる。でも、もう恐れはない。法律は私の味方。正義は私の側にある。窓の外には町の灯りが輝いていた。新しい人生が、もうすぐ始まる。

2週間後。家庭裁判所の調停室。息子夫婦と久しぶりに対面した。2人とも、明らかにやつれていた。
「それでは、第1回調停を始めます」
調停委員が穏やかに告げた。田中弁護士が私の隣で資料を広げる。
「申立人の主張をお聞きします」
田中弁護士が立ち上がった。
「3年間で540万円の経済的搾取、日常的な暴言による精神的虐待、そして退職金1500万円の強奪未遂。これらは養親子関係を継続し難い重大な事由に該当します」
証拠が次々と提示された。通帳のコピー、録音データ、そして私が書き続けた日記。
「『奴隷』『お荷物』『邪魔者』。これらの言葉を、実の親に向けて発することができますか?」
田中弁護士の言葉に、調停委員たちの表情が厳しくなった。息子が口を開いた。
「確かに言いすぎました。でも、母を愛していないわけじゃ……」
「はい」
私は初めて発言した。
「愛している人を、奴隷と呼びますか?愛している人から、金を脅しますか?」
「それは……生活が苦しくて……」
「私も苦しかったんです。でも、我慢し続けました。もう、限界です」
調停委員が息子に尋ねた。
「信吾さん、養子だということは、ご存知でしたか?」
「知りませんでした。まさか……」
「4歳の時、覚えていませんか?家庭裁判所で『これからお母さんになってもらうんだよ』と説明されたはずです」
息子は黙り込んだ。記憶の片隅に、確かにあったのだろう。嫁が泣きながら訴えた。
「でも、私たちには子供が……」
「それは、あなたたちの責任です」
調停委員の1人が、優しく、しかし厳しく言った。
「大沢さんに依存するのではなく、自立すべきです」
調停は2時間に及んだ。結論は明確だった。
「双方の主張を聞きましたが、養親子関係の修復は困難と判断します。離縁を認める方向で進めます」
さらに、金銭問題についても話し合われた。
「540万円の返済については、分割でも構いません。ただし、必ず返済してください」
息子は、頷くしかなかった。調停後、廊下で息子が私を呼び止めた。
「母さん……いや、大沢さん。本当にこれでいいんですか?30年間の親子関係を」
「30年間。最初の27年間は、確かに親子でした。でも、最後の3年間で、あなたはそれを全て壊したんです」
息子は、何も言えなかった。

1ヶ月後、離縁が正式に成立した。戸籍から息子の名前が消えた。正確には、私との親子関係が消えた。その日、私は自宅に戻った。息子夫婦は、すでに引っ越していた。家の中は荒れていたが、大切なものは無事だった。掃除をしていると、息子の子供の頃のアルバムが出てきた。運動会、入学式、卒業式。幸せそうに笑う親子の写真。でも、もうそれは過去のこと。私は静かにアルバムを閉じた。その後の息子夫婦の生活は、予想通り困窮した。離縁により将来の相続権を完全に失った信吾。私の財産は、もう永遠に手に入らない。風の噂では、アパートも借りられず、嫁の実家に身を寄せているらしい。月5万円ずつ、540万円の返済も始まった。完済まで9年。その重みを、今更ながら実感しているだろう。

一方、私の生活は劇的に良くなった。まず、月15万円の支出がなくなった。再雇用の給料は、全て自分のために使える。朝ごはんの世話の必要もない。7時に起きてゆっくり朝食を取り、8時半に出勤。定時で帰宅し、好きなことをする。週末は3年ぶりに友人たちと会った。
「のり子さん、すごく元気になったね」
「ええ、生まれ変わったみたいでしょ」
市役所でも、私の変化は評判になった。
「大沢さん、最近明るくなりましたね」
「やっと、自分の人生を取り戻したんです」
ある日、市川さんがこう言った。
「大沢さんの勇気、本当にすごいです。私の母も、同じような状況で……」
「市川さん、伝えてあげて。我慢する必要はないって。法律は、弱者の味方だって」
65歳の誕生日。市役所の同僚たちが、盛大に祝ってくれた。去年は1人寂しく台所で過ごした誕生日。今年は、心から祝福してくれる人たちに囲まれている。
「大沢さん、定年まであと5年。まだまだ頑張ってくださいね」
「ええ、70歳まで思いっきり働きます。自分のために」
最近、新しい趣味も始めた。絵画教室、ヨガ、読書会。3年間できなかったことを、1つずつ取り戻している。

そんなある日、一通の手紙が届いた。差出人は、信吾だった。
「大沢はな子様。もう『母さん』と呼ぶ資格はありませんね。この手紙を書くのに1ヶ月かかりました。謝罪の言葉をどう並べても軽く感じてしまいます。でも、伝えたいです。本当に申し訳ありませんでした。あなたが与えてくれた30年間の愛情を、私は3年で踏みにじりました。返済は必ず続けます。それが、せめてもの償いです。あなたの幸せを、心から願っています。信吾」
手紙を読み終えて、涙が1粒こぼれた。怒りではなく、悲しみの涙だった。でも、もう過去には戻れない。戻る必要もない。夕暮れ時、私は亡き夫の仏壇に手を合わせた。あなた、私やり遂げました。64歳で始まった第2の人生。今、本当に幸せです。窓の外を見ると、夕日が美しく輝いていた。明日もまた、新しい1日が始まる。自分のための、自由な1日が。テレビをつけると、高齢者虐待に関するニュースが流れていた。私と同じような境遇の人が、きっと全国にいるのだろう。
「諦めないで」
私は画面に向かって呟いた。
「必ず道はあります。法律も、味方してくれる人も、必ずいます」
この3年間の苦しみは、決して無駄ではなかった。それは、自分の強さを知るための試練だったのかもしれない。64歳にして学んだこと。それは、自分の人生は自分で守る、ということ。今、私は本当に自由だ。誰にも支配されず、誰にも奪われず、自分の意思で生きている。これこそが、本当の幸せなのだと心から実感している。明日は絵画教室の日。新しい作品のテーマは「再生」。3年間の苦しみを乗り越えて、新しく生まれ変わった自分を描こうと思う。人生は、何歳からでもやり直せる。64歳で離縁をした私が、その証人だ。もし今、家族から理不尽な扱いを受けている人がいたら伝えたい。我慢の限界を超えたら、行動する勇気を持ってください。必ず、新しい人生が待っています。

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