結婚式当日、私は息子のために800万円を支払い、亡き夫の形見の和服を着て式場へ向かった。なのに息子から届いたLINEは「貧乏人は空気読んで帰れ」だった。実の母親を「疫病神」と呼び、新婦の家族の前で「とっくに親子の縁を切った」と言い放った息子。私は一人、式場を後にした。タクシーの中で娘からのビデオ通話が鳴った時、私はまだ知らなかった——あの結婚式に出席していた人たちが、誰のために集まっていたの…

結婚式当日、私は息子のために800万円を支払い、亡き夫の形見の和服を着て式場へ向かった。なのに息子から届いたLINEは「貧乏人は空気読んで帰れ」だった。実の母親を「疫病神」と呼び、新婦の家族の前で「とっくに親子の縁を切った」と言い放った息子。私は一人、式場を後にした。タクシーの中で娘からのビデオ通話が鳴った時、私はまだ知らなかった——あの結婚式に出席していた人たちが、誰のために集まっていたの...

あの日、私は息子の結婚式のために、亡き夫の形見の和服を着て式場へと向かった。息子の三彦が結婚すると聞いた時は、本当に嬉しかった。夫が亡くなってから、三彦は私を「疫病神」と罵り、まるで他人のように避けてきた。それでも、息子の晴れ姿を夫に見せてあげたいと思ったのだ。

しかし、式場に向かう道中、三彦からLINEが届いた。
「あんたが親族席にいたらみんなに迷惑だ。死んでも俺の親だなんて言うな」

実の母親に向ける言葉とは思えなかった。夫が亡くなってから、私は必死に働いて子供たちを育ててきた。泥だらけになって、庭師としての夫の会社を守りながら。それでも三彦には何も伝わっていなかった。大人になれば分かってくれると思っていた私が愚かだったのか。

式場に到着すると、三彦は「何しに来た」と私を睨みつけ、それ以降完全に無視した。新婦の瞳とその両親に挨拶しようと控え室を訪れても、彼らは私を無視し、スタッフに声をかけて追い払った。まるで汚いものでも見るかのような目で。

「結婚式が終わったら、三彦とは縁を切ろう」

そう心に決めた直後、またLINEが届いた。
「俺の家族は姉さんだけってことになってるから、貧乏人は空気読んで帰れよ」

私はただ「帰るね」と返信し、一人静かに会場を後にした。夫の形見の和服を抱きしめながら、涙が止まらなかった。

それから10分後、結婚式は騒然となった。

私は吉木ケ子、64歳。2人の子供が育ってからは、亡き夫が営んでいた造園会社を引き継ぎ、庭師として働いている。夫が亡くなったのは、三彦が小学3年生の頃だった。造園作業中の事故で、病院に駆けつけた時にはすでに息を引き取った後だった。

突然の出来事に現実を受け入れられないまま、私は夫の会社を継ぐ決意をした。夫はいつか世界に通用する庭を作りたいと夢見ていた。その夢の半分も叶わずに逝ってしまった彼のためにも、私が立ち上がらなければならなかった。

それからというもの、私は職人たちと一緒に会社を支えてきた。まだ未熟な技術を教わりながら、一日中泥だらけになって働いた。朝早くから夜遅くまで、休む暇もない日々。それでも、娘のミキが「ママかっこいいよ」と応援してくれたのが何よりの支えだった。

しかし三彦は私のことをよく思っていなかった。思春期を迎えていたこともあるだろうが、泥だらけで帰る私のことを「不潔な貧乏人」と嘲った。同級生の母親は綺麗な服を着て、きちんとお化粧もしている。それに比べて私はいつも作業着で泥にまみれている。「みっともないから俺の母親だって言わないでくれ」と、中学に入る頃には口も聞いてくれなくなった。

それでも、いつか親のありがたみに気づく時が来ると信じて、私は耐えていた。やがて子供たちは大学を卒業し、それぞれ独立した。ミキは結婚し、三彦はデザイン会社に就職。それぞれの道を歩み始めたことが、私の自慢だった。

しかし社会人になっても三彦の態度は変わらなかった。ミキは時々顔を見せてくれるが、三彦が帰ってくることはない。私から電話しても応じることはなく、たまに様子を見に行けば「来るな」と怒鳴られた。彼は私のことを「疫病神」と呼んで嫌っていた。

私は三彦にできるだけ関わらないようにし、彼の様子はミキから聞くようにした。ミキは3年前に離婚し、それを機に政治の世界へ飛び込み、市議会議員になった。その後、市長選にも出馬し、見事に当選。今は史上最年少の女性市長として活躍している。ミキが市長でいられるのは、私を慕ってくれている政治家たちが推薦してくれたからだが、三彦はそれを知らない。

三彦は大沢住宅デザインに入社し、社長令嬢の瞳と交際を始めた。ある日、ミキが家に尋ねてきて言った。「三彦、婚約したらしいわ。半年後に結婚式をあげるって」

三彦が結婚すると聞き、私は胸がいっぱいになった。夫が亡くなってから、三彦は人が変わったように荒れていた。高校生になって少しは落ち着いたものの、大学に進学して家を出てからは、まともに話した記憶もない。そんな息子が自分の家庭を持とうとしている。それが嬉しかった。

数日後、三彦の家を訪ねた。一言「おめでとう」と言いたかっただけなのに、三彦は私の顔を見るなり言い放った。
「不潔なババアが来ると不幸が映る。お前に祝われても嬉しくないんだよ」

それでも私は母親だ。亡き夫に息子の晴れ姿を見せてあげたい。
「まさか結婚式に来るつもりなのか?」
「そのつもりよ」
「だめだ。新婦は社長令嬢だぞ。お前みたいな貧乏人が来ていい場所じゃない」

三彦は結婚式への参加を拒絶した。私はどうしても参加したくて、言った。
「費用は全額払う」
「はっ、800万だ。貧乏人のお前には到底支払える額じゃないだろう」
「分かった。費用は全額払う」

私が支払うと言ったことが意外だったのだろう。三彦は驚いた顔を見せていた。これまでコツコツ貯めてきた貯金を使えば支払える。これが息子の母親としてやってあげられる最後のことだと思い、私は承諾したのだった。

そして迎えた結婚式当日。三彦の新しい門出を祝うため、私は夫の形見の和服に着替え、髪もきちんと整えて式場へと向かった。しかし道中、あのLINEが届いたのだ。三彦は、私の存在そのものを否定したかったのだろう。

会場では参列者が私に気づき、ざわめきが広がった。私が近づくたびに、彼らはまるで汚いものでも見るように距離を置いた。三彦が私のことを悪く伝えているのだろう。悔しさと虚しさが押し寄せ、涙が止まらなかった。

タクシーに乗り込んで10分ほど経っただろうか。ミキからビデオ通話がかかってきた。
「ママ、今どこにいるの?」
「三彦が帰れって言うから、もうタクシーの中よ」
「こっちは大パニックよ」

画面の向こうでは、騒然とした式場が映し出されていた。実はこの日の結婚式には、政界の重鎮たちが多数出席していた。彼らが出席した理由はただ一つ。吉木ケ子の息子の晴れ姿を見ようと集まったのだ。大沢社長は娘の結婚式を華やかにしようと、市や県の議員だけでなく、地元に拠点を置く衆議院議員たちにも招待状を送っていた。彼らは「吉木三彦」という名前を見て、すぐに私の息子だと分かったらしい。そこから話を聞いた文化庁や外務省の大臣までもが式に出席していた。

しかし三彦たちは、それを瞳の父の人望だと勘違いしていた。最初は和やかな雰囲気で始まった式だったが、議員の一人が親族席に私の姿がないことに気づいたことで、会場に動揺が走った。

その時、瞳の父が経営する会社のメインバンクであるM銀行の頭取が、三彦に尋ねた。
「ところで、君の母親はどこにいるんだ?」
「俺の家族は姉さんだけです。あの小汚い貧乏人は他人ですよ。とっくに親子の縁を切っているんです」

三彦は私の存在そのものを否定するように、堂々と胸を張って答えた。それを聞いた頭取の表情が一変した。
「それはどういう意味だね?」

そこに瞳の父である大沢社長が追い打ちをかける。
「三彦君から聞いてますよ。彼の母親は泥にまみれながらわずかな賃金を稼ぐしかできない。小汚いだけの疫病神は我々と住む世界が違う。追い出して正解でしたなあ」

大沢社長は笑いながら私のことを嘲った。しかし、その直後、M銀行頭取が大激怒したのだ。
「君はなんてことをしたんだ?」

頭取の怒声に会場内が静まり返った。
「吉木先生の魂の庭があってこそ、お前のつまらんデザインが最高級ブランドとして成立していたんだぞ。先生がどれほど国家に貢献しているか、まさか知らなかったとは言わせんぞ。吉木先生が設計を手掛けるという条件で、うちは金を融資したんだ。それなのにその先生を侮辱するとは。私を侮辱する会社に貸す金はない」

頭取は取引中止を告げた。大沢社長は「これは誤解です。何かの間違いです」と三彦にすぐに私へ連絡するよう指示したが、私が電話に応じることはない。他の取引先たちも「今後の取引は考えさせてもらう」と席を立ち始めた。

「ご覧の有り様だけど、どうする?」
「放っておきなさい。私は三彦たちの希望に従っただけ。あとは自分たちでなんとかするでしょう」

私のことを何も知らず、一方的に追い出した彼らを助ける義理などない。三彦たちは頭取や取引先に必死に頭を下げているが、彼らの怒りは収まらないようだった。頭取がそのまま会場を後にすると、他の有力者たちも「あの一件に関わるな」と次々に会場を後にし始めた。その結果、豪華だった式場には料理だけが残され、虚しい空気が広がった。

三彦は画面越しにすがりついてきた。
「母さん、なんで自分が有名人だってこと黙ってたんだよ」
「私が有名人かどうかなんて関係ないでしょ。母親としてやるべきことはやってきた。それで十分じゃない」

私はどんなに名前が売れても、子供たちには親の七光で自分を特別な人間だと思って欲しくなかった。そのため生活はごく一般的な家庭と同じ水準で行い、子供たちにも贅沢はさせなかった。三彦は毎月の小遣いもすぐに使い切ってしまい追加を要求したが、その度「うちにはそんなお金はない」と跳ね除けてきた。しかしそのことで「うちにはお金がない」と勘違いしたようだ。仕事で私の名前を目にするようになっても、彼は「貧乏人」と「有名な吉木」は別人物だと思い込み、真実を見ようとしなかった。

「頼む。出席者たちを説得してくれ」

これまで散々私を貶し、馬鹿にしてきたのに、都合が悪くなったからと言って泣きついてくる三彦に嫌気が差した。
「こうなったのは全部あなたが悪いんでしょ。社会人なら自分で責任を果たしなさい」

三彦はミキにもすがったが、ミキもきっぱりと言い放った。
「悪いけど、私はあんたを可哀想だと思えないわ。私が市長でいられるのも全部ママのおかげだからね」

ミキは通話を切った。最後まで三彦たちの絶望的な叫び声が聞こえていたが、もう後の祭りだった。

その夜、ミキが私の自宅を訪ねてきた。しかしその後ろから三彦と瞳、さらには大沢社長までもがついて来ている。
「こんなに大勢引き連れて、勝手についてきちゃったのよ」
「それで、何の用?」

三彦たちは玄関先で一斉に土下座した。
「すまなかった。この通りだ。どうか銀行に口添えしてください」

大沢社長は、銀行から融資を打ち切られたら会社の存続が危なくなると、取引停止の撤回を頼んで欲しいという。
「申し訳ありませんが、それはできかねます」
「どうしてだ?」
「銀行の決定を覆す力など私にはありませんから。M銀行頭取の機嫌を直したいなら、私ではなく頭取の元に行くべきだ。一市民の私に銀行を動かす力などあるはずがない。仮に頭取が私の意向を聞いてくれたとしても、初対面の人間に対して失礼極まりない態度を取る人が社長をしている会社のために動く人間などいないだろう」

「母さん、頼むよ。息子を助けると思って、この通りだ」
「結婚式の費用を負担した時点で、親としての私の役目は終わったの」
「そんな…じゃあ、俺はもう息子じゃないっていうのか」

三彦の身勝手な発言に、怒りを通り越して呆れてしまう。これまで私のことを母親として認めてこなかったのは三彦の方だ。それなのに、私が世間に知られる有名な人物だと知った途端に手のひらを返す。我が息子ながら情けない。

「私はあなたたちにとってただの疫病神ですから、関わらない方がお互いのためでしょ」
「そんな、それは撤回するから!」
「いえ、一度吐いた言葉は飲まない。それが社会人としてのルールよ。どれほど反省したそぶりを見せても、大勢の前で私を他人だと言い放ったことが許されるわけではない」

大沢社長は唇を噛みしめて震えていた。それから数日後、結婚式での騒動がSNSで拡散され、経済誌でも大きく取り上げられた。M銀行頭取は金融機関協議会を招集し、事実上の資金凍結を決定。頭取が記者会見を開き「当組合の利益を喪失させる」と宣言すると、他の銀行も追随したことで、系列ローンは崩壊した。

系列ローンが崩壊すれば、会社は借入れ金の全てを即座に一括返済しなければならない。しかし数百億もの借入れ金を即座に返済できるはずもなく、会社は資金ショートを起こし、破産することになった。大沢住宅デザインは資材の供給源や職人ネットワークを全て失い、進行中のプロジェクトも全てストップ。手元資金がショートした会社は、取締役会で会社更生法の申し立てを決議し、大沢社長をはじめとする経営陣は退任に追い込まれた。

連帯保証人になっていた大沢社長は、家も財産も差し押さえられることとなった。マスコミは大沢社長の転落を大きく取り上げ、彼は連日カメラを向けられ、「社員たちに謝罪はないのか」と攻め立てられた。世間の冷たい視線に耐えきれなくなった大沢夫妻は、その後夜逃げ同然で姿を消してしまったそうだ。

大沢社長の経営権の喪失と同時に無職となった三彦は、ローンの支払いができず、わずか数ヶ月で自慢の豪邸から強制退去を命じられた。三彦と瞳は泣く泣く安アパートに引っ越したそうだが、売りにかけられた豪邸は購入価格の3分の2程度しか売れず、巨額の残債だけが残った。三彦はなんとか支払いをしようと再就職を試みたようだが、業界で彼を雇ってくれる会社はなかった。仕方なく肉体労働をしながらなんとか生活しているようだが、借金に追われる日々は三彦と瞳の精神を壊していった。

その結果、2人は互いに罵り合うようになり、入籍からわずか半年で離婚してしまった。一人になった三彦は、借金取りに追われる日々に嫌気が差し、その後自己破産したらしい。破産により資産の全てを差し押さえられた三彦は、かつて私がいた現場の末端で泥まみれになって働いているそうだ。三彦が少しでも土の重みを感じてくれればいいのだが、この先立ち直るかどうかは彼次第である。

その後、大沢住宅デザインは更生計画認定を受け、国内有数の財閥であるB財閥がスポンサーとなって再建することとなった。B財閥とは、過去に外交施設の日本庭園を共に手掛けたことがある。その頃から財閥は私が作る庭を気に入ってくれており、今回の再建にも力を貸してくれることになったのだ。

再建の日、私は大沢住宅デザインに向かった。
「この会社は皆さんで作り上げてきたものです。再建の道は遠い道のりかもしれませんが、共に力を合わせて頑張っていきましょう」

社員たちの前で堂々と宣言すると、大きな拍手が湧き起こった。経営陣が刷新されたことで取引先も戻り、私の門下生たちも戻ってきた。頓挫していたプロジェクトも再開することとなり、会社は順調なスタートを切った。

その後、私は南フランスへ向かった。世界的に有名な映画監督から、自身の新作映画の舞台となる庭園を作って欲しいというオファーを受け、監督がプライベートジェットを用意してくれたのだ。三彦からはしきりに電話がかかってくるが、仕事に専念するためスマホの電源を切り、余計な邪念を完全に遮断した。南フランスの陽光のもと、自分を正当に評価してくれる仲間たちに囲まれていると、自然と心が癒される。庭師としての最高の時間を過ごしながら、今日も私は亡き夫への愛を庭に込めている。

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