夕食の後片付けを終えたその瞬間、嫁のリナが冷たい声で言った。「お母さん、二度とうちに来ないでください」…

夕食の後片付けを終えたその瞬間、嫁のリナが冷たい声で言った。「お母さん、二度とうちに来ないでください」...

夕食の後片付けが終わった頃、リナが静かな口調で言った。「お母さん、はっきり言わせてもらいます。二度とうちに来ないでください」

その言葉は、まるで氷水を浴びせられたような衝撃だった。「リナさん、それはどういうこと?」

「もう限界なんです。お母さんの存在自体が、私たちの生活を乱しているんです」

リナの瞳には一片の迷いもなかった。隣に座る息子の新一を見る。助けを求めるように視線を送ったが、新一は目をそらした。その仕草が私の心臓を締め付けた。

「新一。あなたも同じ気持ちなの?」

長い沈黙の後、新一がようやく口を開いた。「母さん、リナの言う通りだ。もう、家族として付き合うのは無理だよ」

家族。その言葉が虚しく響いた。

三十五年前、夫を亡くしてから、必死で育ててきた一人息子。その息子が、今、私を家族ではないと言い切った。

「あなたたち、本気で言っているの?」私の声は震えていた。

リナが追い打ちをかけるように言い放った。「本気です。今日限り、絶縁させていただきます」

絶縁。その言葉が私の人生を根底から否定したように感じられた。

三十五年前の記憶が走馬灯のように蘇ってくる。夫が他界したのは、新一が三歳の時だった。幼い子を抱えて途方に暮れた私は、保険営業の仕事を始めた。朝から晩までかけ回り、必死で契約を取った。雨の日も風の日も、新一のためだけを思って働き続けた。

「母さん、今日も遅いの」

幼い新一の寂しそうな声を思い出す。それでも私は歯を食いしばって頑張った。おかげで年収八百万円を稼げるようになり、新一を私立の進学校に通わせることができた。教育費だけで総額二千万円。大学の学費も全て私が払った。新一が結婚する時には、結婚式の費用として五百万円を援助した。さらにマイホーム購入時には頭金八百万円を提供した。

「お母さん、本当にありがとうございます」

あの時のリナの笑顔は嘘だったのか。

孫が生まれてからの三年間、私は無償で孫の世話をした。保育園の送り迎え、病気の時の看病、全て私がやってきた。それだけではない。今でも毎月十万円の生活費を援助し続けている。新一の給料だけでは住宅ローンが厳しいと聞いて、黙って振り込み続けてきた。総額にすれば三千五百万円以上。私の人生の全てを注ぎ込んできた。

それなのに絶縁だという。私の三十五年間は一体何だったのだろうか。涙が頬を伝い落ちた。

思い返せば、リナの態度が変わり始めたのは半年前からだった。最初は些細なことから始まった。

「お母さん、この煮物の味付け、ちょっと古臭くないですか?」

リナが眉をひそめながら箸を置いた。私が心を込めて作った肉じゃがを一口食べただけで、まるで毒でも口にしたような顔をした。

「今時こんな濃い味付けする人いませんよ。塩分取りすぎは体に悪いんです」

それからリナの攻撃は日に日にエスカレートしていった。

「お母さんの服装、もう少し今風にした方がいいんじゃないですか。正直、一緒に歩くの恥ずかしいんです」

買い物に行った先で、今は私から距離を取って歩くようになった。まるで他人のふりをするように。私は深く傷ついたが、息子の妻だからと我慢した。

「お母さん、また同じ話してますよ。最近物忘れひどくないですか?」

普通の会話をしているだけなのに、リナは大げさにため息をついた。

「認知症の検査受けた方がいいんじゃないですか? 早期発見が大事らしいですから」

私はまだ六十八歳。保険営業の仕事も現役でこなしている。年収八百万円を稼ぎ、部下の指導もしているのに、リナは私を認知症扱いした。

「もう本当に時代遅れなんですよ。お母さんの考え方って」

リナの言葉は日に日に辛辣になっていった。私が何か意見を言うたびに、リナは鼻で笑った。

「そんな昭和の価値観、今の時代には通用しませんから」

最も傷ついたのは、リナの実母が訪ねてきた時のことだった。

「うちのお母さん、本当に素敵でしょう。センスもいいし、話も面白いし」

リナは実母の隣で嬉しそうに微笑んでいた。実母には高級な和菓子でもてなし、私にはスーパーで買った安い茶菓子を出す。その差別は露骨だった。

「お母さんは元大手企業の秘書だったんです。品があって教養もあって」

私との比較を匂わせた言葉だった。リナの実母は上品に微笑みながら、私を睨むような視線を向けてきた。

「あら、あなたは保険の営業をされているんですって。大変なお仕事ですわね」

その口調には明らかな見下しが含まれていた。保険営業という仕事を、まるで下賤な職業のように言われた。

新一も最近ではリナに同調するようになった。

「母さん、もう少しリナの言うことも聞いてよ。確かに母さんの料理、ワンパターンだし」

息子の裏切りが何より辛かった。幼い頃、新一は私の作る料理が世界一美味しいと言ってくれていたのに。

「母さんの話、確かに同じことの繰り返しが多いよ。リナも疲れてるんだ」

私が孫の世話をしていても、感謝の言葉一つない。朝七時に家を出て孫を保育園に送り、夕方迎えに行き、夕食を作り、お風呂に入れる。それを週六日続けているのに、当たり前のように私を使い、都合が悪くなると邪魔者扱いする。

ある日、リナが友人との電話で話しているのを偶然聞いてしまった。

「うちの義母、本当に鬱陶しいの。いつも家に来ては余計なことばかりして、正直顔を見るのも嫌になってきた」

私は凍りついた。孫の世話を頼まれてきているのに、余計なことだと言われた。

「保険の営業してるらしいけど、きっと迷惑がられてるわよ。あの年で図々しく働いてるなんて」

私の仕事まで侮辱された。三十五年間築き上げてきたキャリアを、図々しいの一言で片付けられた。

「早く施設にでも入ってくれないかしら。そうしたら解放されるのに」

施設。まだ元気で働いている私を、もう施設に押し込めたいらしい。

「新一も同じ意見よ。あの人がいなくなればもっと自由に暮らせるのに」

息子まで同じように思っていたのか。胸が張り裂けそうだった。

リナの本音を知ってから、私は息子の家に行くのが怖くなった。それでも孫の顔を見たくて通い続けた。しかしリナの態度はますます冷たくなるばかりだった。

「お母さん、玄関で靴ちゃんと揃えてください。だらしないんです」

「お母さん、また忘れ物してますよ。しっかりしてください」

「お母さん、孫の教育に口出ししないでください。時代が違うんです」

些細なことで攻められ、人格を否定される日々。私の存在そのものが否定されているような気がした。

そして今夜、ついに最後通告を受けた。絶縁。もう家族ではないと。三十五年間、全てを捧げてきた息子とその妻から、私は完全に切り捨てられたのだ。

絶縁宣言から数分後、リナが立ち上がった。その表情には、これから本題に入るという決意が見て取れた。

「お母さん、実はもう一つ大事な話があるんです」

リナの口調が急に事務的になった。まるで仕事の交渉でもするような冷たさだった。

「お母さんの通帳と印鑑、それから保険の証書、全部こちらで管理させていただきます」

私は耳を疑った。絶縁するといった直後に、今度は財産の管理を要求してきた。

「どういうことかしら? 私はまだしっかりしているわよ」

「だからこそ、今のうちに整理しておく必要があるんです」

リナは用意していた書類を机の上に広げた。財産管理委任状と書かれていた。

「これにサインしていただければ、お母さんの財産は私たちが責任を持って管理します」

新一も横から口を挟んできた。「母さん、これは母さんのためなんだ。最近高齢者の詐欺被害が増えているし」

「詐欺? 私は三十五年間保険営業をしてきたのよ。お金の管理くらいできるわ」

私の反論を、リナは鼻で笑った。

「保険営業なんてもう時代遅れの仕事でしょう。今はネットで簡単に加入できる時代なのに」

その言葉に私は深く傷ついた。私の人生の大半を費やしてきた仕事を、一瞬で否定された。

「それにお母さんの年収八百万円って本当ですか? きちんと申告してますよね」

リナの目が疑いに満ちていた。まるで私が脱税でもしているような口ぶりだった。

「当然よ。全て正当に稼いだお金です」

「だったら、もっと援助できるはずですよね。毎月十万円なんて少なすぎます」

私は息を飲んだ。毎月十万円の援助でも少ないというのか。

「リナさん、私はもう十分援助してきたはずよ」

「十分? 冗談でしょう。新一の親なんだから、もっと援助するのが当然です」

リナの理屈は完全に破綻していた。絶縁すると言いながら、金銭的援助は要求する。

「どうせお母さんもそのうち認知症になるんです。その前に財産の整理をしておかないと、後で大変なことになります」

「認知症になると決めつけるのは失礼じゃないかしら」

私の抗議を、リナは完全に無視した。

「実はもう施設も探してあるんです。月額十五万円の良いところです」

施設。その言葉に私は凍りついた。

「ちょっと、私はまだ元気よ。仕事もしているし」

「いつまでも働けるわけじゃないでしょう。現実を見てください」

新一が追い打ちをかけてきた。「母さん、施設に入れば安心だよ。介護のプロがいるし、同年代の友達もできる」

息子の言葉とは思えなかった。まるで厄介者を始末したいだけのように聞こえた。

「入居金は五百万円です。お母さんの貯金から出してもらいます。残りの財産は私たちが管理します。毎月のお小遣いは三万円で十分でしょう」

お小遣い。六十八歳の私が、息子夫婦からお小遣いをもらう立場になるというのか。

「ちょっと待って。私の財産は私が管理します」

「お母さん、意地を張らないでください。これはみんなのためなんです」

みんなのため。その言葉の裏に、私は発作を覚えた。

「本当のことを言いましょうか?」

リナの表情が急に険しくなった。

「お母さんの存在が、私たちの生活を壊しているんです」

「壊している?」

「そうです。お母さんがいるせいで、私たちは自由に生きられない」

リナの本音が次々と溢れ出してきた。

「友達との旅行も行けない。外食も気を使う。休日も孫の世話を押し付けられる」

孫の世話は、頼まれたからしていたのに。押し付けられたと言われた。

「正直、お母さんなんていない方がいいんです」

その言葉は私の心臓を鋭く突き刺した。

「リナさん、それは言いすぎよ」

「言いすぎ? 本当のことじゃないですか?」

リナは見下すように私を見た。

「お母さんはもう用済みなんです。お金だけ置いて消えてください」

用済み。その残酷な言葉に、私は言葉を失った。

新一を見た。息子なら妻の暴言を止めてくれるはずだと期待した。しかし新一は黙って下を向いていた。

「新一。あなたも同じ気持ちなの?」

長い沈黙の後、新一が顔を上げた。その目は冷たかった。

「母さん、正直に言うよ。母さんの存在が邪魔なんだ」

息子の言葉に、私は崩れ落ちそうになった。

「僕たちには僕たちの人生がある。いつまでも母さんに縛られたくない」

縛られる。まるで私が息子を束縛しているかのような言い方だった。

「あなたを育てるために、私は全てを犠牲にしてきたのよ」

「誰も頼んでない。母さんが勝手にやったことだろ」

新一の言葉は、私の三十五年間を完全に否定した。

「とにかく、この書類にサインしてください」

リナが再び契約書を突きつけてきた。

「サインしなければ、本当に二度と会いません。孫にも合わせません」

孫を人質に取られた、卑劣な脅しだった。

「こんな脅しには屈しません」

私は震える声で言った。

「脅し? これは提案です。お母さんのためを思って言っているんです」

リナの偽善的な言葉に怒りが込み上げてきた。しかし、その時、私の中で何かが変わった。怒りが急速に覚めていき、代わりに冷静な思考が戻ってきた。

この人たちは、もう私の家族ではない。お金だけが目当ての他人だ。

悟った瞬間、不思議と心が軽くなった。私は深く息を吸い込んだ。そしてゆっくりと顔を上げた。不思議なことに、もう涙は出なかった。代わりに、三十五年間の保険営業で培ってきた交渉の勘が戻ってきた。

「わかりました」

私の返事に、リナと新一は顔を見合わせた。予想外に素直な反応だったのだろう。

「お母さん、サインしていただけるんですね」

リナが契約書を差し出してきた。私は静かに首を横に振った。

「いいえ。サインはしません。でも、あなたたちの望み通りにしてあげます」

「どういうことですか?」

リナの表情に警戒心が浮かんだ。

「絶縁したいんでしょう。二度と私に会いたくないんでしょう。だったら、その通りにしてあげます。今日限りで、本当にお別れしましょう」

新一が慌てたように口を開いた。「母さん、財産の管理は財産。それは別の話だろ」

「絶縁した他人の財産を管理する必要はないでしょう」

私の論理的な返答に、新一は言葉を詰まらせた。

「それより、私からも一つ提案があります」

私はゆっくりと立ち上がった。もうこの家で用はない。

「今まで援助してきた分は、全てなかったことにしましょう」

「なかったこと?」

リナが眉をひそめた。

「え、毎月の十万円の援助も、今月で終わりです」

「ちょっと待ってください。それは困ります」

リナが声を荒げた。本音が出てきた。

「困る? でも絶縁するんでしょう。他人にお金を渡す理由はありません」

私の正論に、リナは反論できなかった。

「新一。あなたの教育費二千万円、結婚費用五百万円、マイホームの頭金八百万円」

私は淡々と金額を上げていった。

「全部で三千五百万円以上、援助してきました。でも、もうこれで借りはなしね」

新一の顔が青ざめた。「母さん、それは贈与だったはずだ」

「贈与? そんな契約した覚えはないわね」

私は保険営業で培った法律知識を活用した。法的には、親子間でも金銭の貸借は成立する。特にこれだけの金額となると。

「脅すつもりですか?」

リナが睨みつけてきた。

「脅し? 私は事実を述べているだけです。あなたたちが絶縁を選ぶなら、私も自分の権利を主張するだけ」

二人は完全に言葉を失った。私はバッグから手帳を取り出した。三十五年間、全ての出費を記録してきた手帳だった。

「全て証拠があります。振り込み明細、領収書、全て保管してあります」

リナの顔が引きつった。

「まさか、本当に返せというつもりですか?」

「それはあなたたち次第です」

私は冷静に答えた。

「絶縁を撤回して、普通に家族として付き合うなら、今まで通り援助も続けます」

これは交渉だった。三十五年間の営業経験が、ここで生きた。

「でも、絶縁するなら、私も相応の対応をさせていただきます」

新一が慌てて口を開いた。「母さん、ちょっと待ってよ。話し合おう」

「話し合い? さっき、もう家族じゃないって言ったじゃない」

私の言葉に、新一は黙り込んだ。

「私は明日、弁護士に相談します」

その一言で、二人の顔が真っ青になった。

「弁護士?」

「ええ、私の顧問弁護士です。保険の仕事で長年お世話になっている方」

実際、私には信頼できる弁護士がいた。相続や贈与の問題にも詳しい専門家だった。

「親子間の金銭問題、きちんと法的に整理した方がいいと思いますので」

リナが新一の腕を掴んだ。「ちょっと、どうするのよ」

小声で相談する二人を見ながら、私は静かに荷物をまとめ始めた。

「お母さん、待ってください」

リナが慌てて呼び止めた。

「何かしら」

「その、少し考えさせてください」

「考える? 絶縁は撤回するということ?」

リナは答えられなかった。金が欲しいが、私との関係は切りたい。その矛盾に苦しんでいるのが見て取れた。

「いいでしょう。でも、私の決意は変わりません」

私は玄関に向かった。

「今夜でお別れです。もう二度と、この家には来ません」

「母さん」

新一が追いかけてきたが、私は振り返らなかった。

「さようなら。お元気で」

私は静かにドアを閉めた。

夜道を歩きながら、私は不思議な解放感を覚えた。三十五年間の重荷から、やっと自由になれた気がした。

家に帰ると、すぐに行動を開始した。まず銀行の通帳を全て確認した。定期預金を含めて三千万円以上の資産があった。次に援助の記録を全て整理した。振り込み明細、領収書、全てファイルにまとめた。そして、明日一番で弁護士に連絡することにした。

もう我慢する必要はない。正当な権利はきちんと主張する。三十五年間必死に働いてきた。今こそ、その成果を自分のために使う時が来たのだ。

翌朝、私は一番で顧問弁護士の田中先生の事務所を訪れた。田中先生は保険業界では有名な法律家で、私とは二十年近い付き合いだった。

「岡本さん、どうされました? 顔色が優れませんが」

「実は、息子夫婦から絶縁を言い渡されまして」

事情を説明すると、田中先生の表情が険しくなった。

「三千五百万円もの援助をしてきて、絶縁ですか? しかも財産管理を要求してきたと」

「はい。もう完全に縁を切るつもりです。徹底的にやってください」

田中先生は眼鏡を直しながら書類を確認し始めた。

「岡本さん、これだけの証拠があれば、法的措置は確実に通ります」

「全額返還請求をお願いします」

「わかりました。贈与の撤回と不当利得返還請求、両方で攻めましょう」

田中先生の目が鋭く光った。

「特に、妨害行為による贈与の撤回は確実に認められます。それから、詐欺の要素も立証できそうですね」

「詐欺?」

「はい。最初から財産目的だった可能性が高い。この侮辱的な発言の数々、録音はありますか?」

「実はあります」

私はスマートフォンを取り出した。保険営業の習慣で、重要な会話は録音していた。

「素晴らしい。これなら慰謝料請求も可能です」

「慰謝料?」

「ええ、精神的苦痛に対する賠償です。五百万円は取れるでしょう」

田中先生はすぐに書類の作成に取りかかった。

「今すぐ内容証明郵便を送ります。返還請求三千五百万円、慰謝料五百万円、合計四千万円です」

「お願いします」

「それから、仮差押えの手続きもしましょう。相手の財産を凍結します」

その日の午後、内容証明郵便が息子夫婦の元に届いた。同時に、銀行口座の仮差押え命令も執行された。

私の電話が鳴り始めたのは、それから三十分後だった。

「母さん、銀行口座が使えない。これはどういうことだ?」

新一の叫び声が響いた。

「法的措置を取らせていただきました」

「四千万円だって? ふざけるな」

「ふざけていません。むしろ安い方です」

電話の向こうで、リナの悲鳴が聞こえた。

「給料が引き出せない。生活できない」

新一が電話を変わったようだった。

「お母さん、これは犯罪です」

リナの声は金切り声だった。

「犯罪? 正当な法的手続きです。文句があるなら裁判所にどうぞ」

「住宅ローンが払えません」

「それはあなたたちの問題です」

私は冷静に答えた。

「母さん、話し合おう。今すぐ会ってくれ」

新一が必死に懇願してきた。

「会う? 『二度と来るな』と言われましたが」

「謝る。全部謝るから」

「謝罪? もう遅いです」

私は電話を切った。

三日後、新一夫婦が自宅にやってきた。インターホン越しに必死に呼びかけてきた。

「母さん、開けてください。お母さん、お願いします。謝ります」

私は一切応じなかった。警察を呼ぶと伝えると、二人は逃げるように去っていった。

一週間後、田中先生から連絡があった。

「岡本さん、面白い事実が判明しました」

「何でしょう?」

「リナさん、過去に同じような事件を起こしていました。前の夫の親からも、多額の金銭をだまし取っていたんです」

私は息を飲んだ。

「これは計画的な犯行です。刑事告訴も視野に入れましょう。詐欺罪で立件できる可能性があります」

その情報を新一に伝えると、彼は完全にパニックになった。

「母さん、リナは関係ない。俺が悪かった」

「関係ない? 共犯でしょう」

「母さん、お願いだ。刑事告訴だけは勘弁してくれ」

新一の声は、もはや悲鳴に近かった。

「勘弁? 私を母親と思っていないんでしょう」

「思ってる。母さんは大切な人だ」

「嘘ですね。『用済み』だと言ったじゃない」

私は淡々と事実を突きつけた。

二週間後、新一夫婦の家に競売の通知が貼られた。住宅ローンが払えず、差し押さえられたのだ。

「母さん、助けて」

新一から最後の電話があった。

「もう遅いです。自分たちで蒔いた種でしょう」

「でも、孫が」

「孫を盾にしないでください。あなたたちが孫の生活を壊したんです」

私は電話を切った。

一ヶ月後、裁判所から連絡があった。新一夫婦が自己破産を申請したという。

「しかし、悪意による免責は認められません。つまり、四千万円の債務は残るということです」

田中先生が説明してくれた。

「一生かけて返済してもらいます」

「その通りです。給料の差し押さえも可能です」

新一は会社を解雇された。横領の疑いがかけられたらしい。必死でお金を工面しようとして、会社の金に手を付けたのだ。

リナは実家に逃げ帰った。しかし実家もリナを受け入れなかった。周囲に知られ、縁を切られたのだ。

「因果応報ですね」

田中先生が静かに言った。

「ええ、全て自分たちが選んだ結果です」

私は息子夫婦の末路に、一切の同情を感じなかった。三十五年間の献身を踏みにじった報い。それは想像以上に重いものとなった。

新一からの手紙が届いた。刑務所からだった。横領罪で実刑判決を受けたのだ。

「母さん、俺が間違っていました。でも、もう遅いですね」

手紙はそれだけだった。

リナは行方不明になった。借金取りに追われ、夜逃げしたらしい。孫は施設に預けられた。私は養育権を求められたが断った。もう関わりたくなかった。

これが私の完全勝利だった。情けも容赦もない、徹底的な復讐。でも後悔はない。彼らは私の人生を否定した。だから、私も彼らの人生を否定した。これが三十五年間の献身への答えだった。

あれから半年が経った。私の生活は完全に生まれ変わっていた。朝六時に起きて、高級ホテルのスイートルームからの景色を眺める。そう、私は自宅を売却し、ホテル暮らしを始めたのだ。

家賃三十万円など、今の私には何でもない。

保険営業の仕事は、過去最高の成績を記録していた。精神的な重荷がなくなってから、年収は千万円を超えた。

「岡本さん、また全国一位ですよ」

部下の声が弾んでいた。六十八歳にして営業成績全国一位。これが「認知症扱い」された私の真の実力だった。

ある日、高級レストランで夕食をとっていると、見覚えのある人物を見かけた。リナだった。ウェイトレスとして働いていた。

目があった瞬間、リナの顔が青ざめた。

「お母さん……」

「人違いです。私はあなたを知りません」

私は冷たく言い放った。リナはうつむきながら下がっていった。

後で支配人から聞いた話では、偽名を使って働いていたらしい。借金取りから逃げているのだろう。時給九百五十円で、必死に働いているという。

新一の近況も耳に入ってきた。刑務所から出所後、日雇い労働をしているという。月収十五万円程度で、その大半が返済に消えるらしい。

「岡本さん、息子さんから連絡はないんですか?」

田中先生が心配そうに聞いてきた。

「ありません。もう息子ではありませんから」

「後悔はないですか?」

「全くありません。むしろ、清々しています」

本心だった。あの二人は私の人生を否定した。だから、同じ報いを受けただけだ。

最近、新しい生きがいを見つけた。恵まれない子供たちへの支援活動だ。

「岡本さんの寄付で、十人の子供が大学に行けます」

施設の理事長が涙を流して感謝してくれた。年間五百万円の寄付。本当の家族に裏切られた私が、縁のない子供たちを支援する。皮肉なものだが、この活動が私に新しい喜びを与えてくれた。

ある日、孫から手紙が届いた。施設から送られてきたものだった。

「おばあちゃん、会いたいです。パパもママもいなくなっちゃった」

正直、心が揺れた。孫に罪はない。でも、私は決めていた。過去は振り返らないと。

手紙の返事は出さなかった。代わりに、施設に匿名で教育資金を寄付した。一千万円。これで孫は大学まで行ける。それが私にできる最大限の償いだった。

新一から一度だけ手紙が来た。

「母さん、俺は地獄にいます。毎日十二時間働いても月収十五万円。そこから十四万円が返済に消えます。でも、これは自分で選んだ道です」

短い手紙だった。返事は出さなかった。書く必要もなかった。

最近、自伝を書き始めた。タイトルは『裏切りからの再生――六十八歳からの第二の人生』。出版社から「ベストセラー間違いなし」と言われた。印税は恵まれない子供たちに寄付するつもりだ。

リナの実母から連絡があった。

「あなた、リナが行方不明なんです。助けてください」

「知りません。警察に相談してください」

私は電話を切った。後で聞いた話では、リナは借金に追われ、夜逃げを繰り返しているらしい。

今、私の周りには、本当に私を大切にしてくれる人たちがいる。絵画教室の仲間たちとは、月に一度、豪華なランチ会を開いている。

「あなたの絵、本当に素晴らしいわ。今度の展覧会、楽しみにしてるわね」

褒められ、認められる喜び。三十五年間、息子夫婦からは一度も感じることができなかった感情だった。

保険の仕事では、若い後輩たちから尊敬されている。

「岡本さんは、私たちの目標です。六十八歳で全国一位なんて、伝説ですよ」

認知症扱いされた私が、今では「伝説」と呼ばれている。

ある日、テレビのニュースで新一の姿を見た。ホームレス支援の特集で、支援を受ける側として映っていた。やつれ果てた息子の姿。髭は伸び、服はボロボロ。かつて私に「邪魔」と言った息子が、今では社会から見放されていた。

でも、私の心は動かなかった。自業自得。その言葉しか浮かばなかった。

私は今、人生で最も充実した時間を過ごしている。年収千万円、資産五千万円以上。そして、心から信頼できる仲間たち。失ったのは、偽りの家族関係だけ。

時々思う。もしあの時、息子夫婦が絶縁を言い出さなかったら、きっと私は今も奴隷のような生活を続けていただろう。認知症扱いされ、財産を奪われ、最後は本当に施設に送り込まれていただろう。

そう考えると、絶縁宣言はむしろ私を救ってくれた。でも、感謝はしない。許すつもりもない。一生、許すつもりはない。

これが私の選んだ生き方。後悔はない。三十五年間の献身を踏みにじった者たちへの、完璧な復讐。それは、私自身が誰よりも幸せになることだった。

新一が地獄で苦しんでいる間、私は最高の人生を謳歌している。これが因果応報というものだ。悪いことをした人間は必ず報いを受ける。そして、理不尽に耐え抜いた人間は必ず報われる。私の人生が、それを証明している。

「二度と来るな」と言われた私は、二度と戻らない。そして、「二度と来るな」と言った者たちは、二度と幸せになれない。

これが、私の完全勝利の物語。

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