あの日、コンペの会場で私は人生で一番の屈辱を味わった。塚本さんのデザインを盗んだ上司が、堂々と「私が提案するデザインはこちらです」と嘘のプレゼンをするのを見て、ただ呆然とした。あの卑怯者に、私は昔の痛い思い出を重ねていた。そして、彼の顔がニヤリと笑った時、私は決めた。「もう終わりだ」と言いたげなその表情を、絶対に後悔させてやると。でも、私の秘密の準備が成功するとは限らない。万が一、失敗したら…

あの日、コンペの会場で私は人生で一番の屈辱を味わった。塚本さんのデザインを盗んだ上司が、堂々と「私が提案するデザインはこちらです」と嘘のプレゼンをするのを見て、ただ呆然とした。あの卑怯者に、私は昔の痛い思い出を重ねていた。そして、彼の顔がニヤリと笑った時、私は決めた。「もう終わりだ」と言いたげなその表情を、絶対に後悔させてやると。でも、私の秘密の準備が成功するとは限らない。万が一、失敗したら...

「俺の名前は石田、三十五歳。憎らしい上司の顔を思い浮かべながら、俺は静かに息を整えていた。この日のために、ずっと準備してきたんだ。」

塚本まみさんが配置転換で俺の上司としてやってきたのは、今年に入ってからだった。年下の彼女は抜群のルックスで最初は話題になったが、すぐにその実力で周囲の尊敬を集めていた。デザインのセンス、流行を掴む感覚、仕事の正確さと速さ。俺がこれまで出会ったどんな上司よりも優れていた。

ある時、塚本さんが誰よりも早く出社し、誰よりも遅く帰る日々が続いているのに気づいた。気になって声をかけると、彼女は創立五十周年イベントのファッションショーを飾るメイン・デザイナーを決めるコンペに出たいのだと言う。

「私は早く皆さんに実力を認めてもらいたいんです。」

その気持ちは若い頃に持っていたから痛いほどわかった。俺は彼女の作品を手伝うことを申し出た。彼女は果たして優秀で、俺の手伝いは補助程度で済んでしまった。

ある日、別の部署の課長・岡島が突然うちの部署に現れた。岡島は塚本さんのデザイン画を覗き込み、にこやかに褒めてから立ち去った。俺はその背中に嫌な予感を感じて、塚本さんに忠告した。

「岡島さんには少し気を付けてください。何かあってからでは遅いので。」

塚本さんは「部署が違いますから」とあまり気にしていなかった。だが俺は、もしもの時のために彼女に内緒で準備を始めた。

コンペ当日。始めは参加者四人の予定だったが、当日になって一人増え、五人になっていた。増えた一人は、あの岡島だった。

トップバッターの岡島がプレゼンを始める。彼が発表したデザインを見て、俺は血の気が引いた。あの日、俺と塚本さんが作り上げたデザインを、配色を少し変えただけでほとんどそのまま使っていたのだ。完全に盗作だった。

「どうしましょう… 」

塚本さんは今にも泣き出しそうだった。俺は彼女を安心させるように言った。

「大丈夫です。俺に考えがあります。急いで準備しましょう。」

外に出ると、岡島と目が合った。彼はニヤリと笑って、俺たちが諦めて逃げ出したのだと思ったようだった。

俺と塚本さんは大急ぎで準備を整え、自分たちの番に備えた。そしてついに俺たちの番が来た。大会場の前に立ち、塚本さんが緊張した面持ちで俺を見つめる。俺は頷いて答えた。

「私が提案するデザインはこちらです。」

彼女は堂々と発表した。そのデザインの完成度の高さに、会場からは驚きの声と拍手が起こった。俺が事前に用意していた予備のデザインを、塚本さんはその場で自分の言葉でプレゼンし、より高みへと昇華させていた。素晴らしかった。

プレゼンが終わり、大きな拍手が響く。頭を上げた塚本さんの顔には安堵の表情が浮かんでいた。俺も笑顔で頷いた。

二人で壇を降りると、岡島に呼び止められた。

「お前ら、なんであんなもの作れたんだ?」

「あんたの考えそうなことだったからな。事前に対策させてもらったよ。」

岡島は悔しそうに顔を歪めて立ち去った。

だが、結果発表の時が来た。選ばれたのは、岡島の作品だった。俺も塚本さんもがっかりして、言葉を失った。元々あのデザインは俺と塚本さんが何日もかけて作り上げた傑作だった。予備のデザインでは、あの日の完成度には敵わなかったのだ。

岡島は満面の笑みを浮かべて賞を受け取った。悔しくて、悔しくて仕方がなかった。

結果を受け入れられないまま、俺と塚本さんは打ち上げの食事に出かけた。喉を潤すビールは苦くもあり、美しくもあった。

「あの卑怯者がよ。」

「岡島さんのこともそうなんですけど、石田さんもなんであんなデザインを作れるんですか?私、正直驚いちゃいました。」

俺は自分の過去を話すことにした。昔は周囲から「デザインで飯が食える」と言われるほどの腕前だったこと。コンテストでも度々入賞し、入社した時は鳴り物入りだったこと。しかし、当時の上司が岡島だったこと。

「俺の仕事も作品も、全部岡島の仕事として報告されて、俺の名前はどこにもなかったんだ。」

俺は上の上司にも訴えたが、逆に「会社とは組織だ。チームでやってる仕事なのに、お前個人の力ばかり主張するとはどういうことだ」と叱られてしまった。

「その時に『ここで頑張っても無駄なんだ』って悟って、心が折れちゃったんだ。」

塚本さんはじっと話を聞いていた。そして、はっきりと言った。

「岡島さんがしたことも、上の人の言ったこともひどいと思います。でも、そこで頑張るのをやめてしまった石田さんの考えも、私は間違っていると思います。」

その言葉に、恥ずかしいような、気が引き締まるような思いだった。確かに、俺は怖がっていた。昔と同じ思いをするのが怖くて、一歩を踏み出せずにいたのだ。

「またガムシャラに頑張ってみようと思います。」

「そうしてください。それに安心してください。今の石田さんの上司は私ですから。」

塚本さんの号令で、再びジョッキをぶつけた。そのビールは、さっきよりずっと美味しく感じられた。

後日、部長から意外な話を聞かされた。あの日のコンペで、岡島のデザインが優秀作品に選ばれたことが撤回されたというのだ。岡島の直属の部下たちから内部告発があったらしい。最近全くデザインを描いていない岡島が人並み優れた作品を作れるはずがないと疑問に思った部下たちが独自に調査し、岡島のこれまでの不正をすべて暴き立てたのだ。盗作の事実も、もちろん明らかになった。

それを聞いて、俺は率直に羨ましいと思った。当時の俺にも、あんな風に団結してくれる仲間がいたら、腐らずに済んだかもしれない。

「悔しがってる場合じゃないですよ。石田さんにはこれからもっともっと頑張ってもらわないといけないんですから。」

この内部告発で岡島は退職となった。そして、塚本さんがリードデザイナーとしてそのプロジェクトを引っ張っていくことになった。

「これから忙しくなるんですから、私の仕事をしっかり支えてもらわないと困ります。だから、ちゃんとしてくださいね。」

「わかりました。精一杯やらせてもらいます。よろしくお願いします。」

塚本さんのおかげで、この会社の環境も、俺の仕事に対する姿勢も、正しい方へと変わってくれた。このきっかけをくれた彼女に恩返しをするべく、俺は昔のように頑張っていくことを心に誓ったのだった。

Thumbnail