仕事から帰ると、テーブルの上に署名済みの離婚届が置いてあった。夫のクローゼットは空で、スマホにはたった一言。「駆け落ちする。探すな。」 直後、私の幼馴染みから電話がかかってきた。「私のお腹には彼の子供がいるの。あなたにはできなかった子供よ。悔しかったら、あなたも妊娠してみなさい。」…

仕事から帰ると、テーブルの上に署名済みの離婚届が置いてあった。夫のクローゼットは空で、スマホにはたった一言。「駆け落ちする。探すな。」 直後、私の幼馴染みから電話がかかってきた。「私のお腹には彼の子供がいるの。あなたにはできなかった子供よ。悔しかったら、あなたも妊娠してみなさい。」...

仕事を終えて家に帰ると、リビングのテーブルに離婚届が置かれていた。の彦の署名がされている。彼の部屋に行くと、クローゼットから服も貴重品も消えていた。

まさか家を出たのか。そう思った瞬間、スマホが鳴った。の彦からだ。

「駆け落ちする。探すな。」

たったそれだけのメッセージ。電話をかけても応答しない。彼は音信不通になった。

数分後、今度は彩佳から電話がかかってきた。私の幼馴染みで、の彦の不倫相手だ。

「追いかけても無駄よ。の彦は私が救ってあげる。」

「救う?」

「ええ、実はね、私のお腹には彼の子供がいるの。あなたにはできなかった子供よ。悔しかったら、あなたも妊娠してみなさい。」

彩佳は勝ち誇っていた。私は静かに言った。

「そう。分かった。好きにしなさい。」

電話を切った私は、その足で離婚届にサインし、役所に提出した。の彦への未練などなかった。幼馴染みと知っていて彩佳と関係を持ち、子供まで作った彼を許せなかった。二度と会いたくなかった。

私はの彦の要望通り、二人のことを探さないと決めた。

あれから6年。私は書店員として働きながら、気楽な一人暮らしをしている。あの日のことを思い出すのは、もう珍しいことではなくなっていた。

の彦と出会ったのは、友人に紹介されたのがきっかけだった。有名大学を卒業し、大手企業で働くエリートだという話だった。正直なところ、玉の輿に興味はなかったが、どうせ結婚するなら経済力のある人がいいと思った。高学歴で高収入の人には癖のある人も多いと聞いていたので、会ってみて合わなければすぐに断ることを条件に会いに行った。

待ち合わせのカフェに現れたの彦は、Tシャツにジーンズというラフな格好で、穏やかな話し方をする男だった。学歴を鼻にかけることもなく、一緒にいると心地よかった。二年の交際を経て、私たちは結婚した。

しかし、結婚して半年が経った頃、試練が訪れた。の彦が会社をリストラされたのだ。世界情勢の変化で海外事業が縮小され、大幅な人員整理が行われたらしい。わずかな退職金は出たが、の彦は無収入になった。結婚と同時に購入した家のローンを考えると、私の収入だけではやっていけない。

の彦は再就職活動を始めたが、仕事は決まらなかった。私は貯金を切り崩しながらの生活に不安を感じ、彼が再就職するまでの間と割り切り、書店の仕事が終わった後に飲食店やコンビニでアルバイトをすることにした。掛け持ちの仕事は負担が大きかった。の彦は家事が全くできなかったため、私は働きながら家事も全てこなさなければならず、睡眠時間はどんどん削られていった。

「仕事はまだ見つからないの?」

「あるにはあるけど、気乗りしないんだ。」

の彦は高学歴の自分ならすぐに就職が決まると高をくくっていたが、現実は半年経っても仕事が決まらなかった。採用の返事をもらった会社も、給与がこれまでより下がることが嫌だと言って断っていた。

「だったら定職が決まるまでアルバイトでもしたら?」

「アルバイトなんか学生のやることだ。俺が欲しいって会社がきっといる。」

の彦は言い訳ばかりで、一向に仕事に着こうとしなかった。気づけば1年が経っていた。

ある日、朝起きると関節に激しい痛みを感じた。熱を測ると38度を超えている。風邪を引いてしまったらしい。その日は仕事を休ませてもらい、一日中休養を取ることにした。

「朝飯はどうした?」

の彦が自分の朝食がないと怒りながら寝室に乗り込んできた。

「体調が悪いの。今日は自分で用意して。」

「高が風邪くらいで大げさだ。」

の彦は私を叩き起こし、朝食の用意を強要した。高熱で頭がふらつく中、なんとか朝食を準備してベッドに潜り込むと、数時間もしないうちに今度は昼食を作れと起こされた。喉が乾いた、風呂に入りたいと、自分の世話を押し付けてくる。

毎日家計を支えるために働き、家事も全て行っている私に一言の感謝もない。それに加えて、体調が悪い私を心配するそぶりさえ見せずに自分のことばかり押し付けてくるの彦に、私は怒りが爆発した。

翌日、熱が下がった私はの彦と一言も口を聞かずに仕事へ出かけた。帰宅すると、の彦がテレビを見て笑っている。

「仕事は決まったの?」

「まだだ。」

悪びれる様子もなくへらへらと笑うの彦に、怒りが止まらない。

「このままじゃ二人とも路頭に迷うわよ。好き好んで貧乏になりたいの?」

「なんだよ、どうしたんだ?」

の彦と出会ってから私が怒ったのは初めてだった。彼はひどく動揺した様子を見せた。

「このまま家でだらだら過ごすなら、離婚も考えるわ。」

「分かった。分かったから。でも本当に採用してくれる会社がないんだ。」

の彦は就職活動は続けていると言うが、給与面での折り合いがつかず採用を見送られてしまうのだと言う。

「当然でしょ。大手企業をリストラされて無職のくせに、何偉そうに給与の交渉なんかしてるのよ。」

の彦は必死に言い訳を繰り返したが、いくら言い訳を聞かされても納得できるはずがない。

「私の幼馴染みのお父さんが会社を経営しているの。話は通してあるから、頭を下げてきなさい。」

少し前に、幼馴染みである彩佳の父、黒川哲夫にの彦のことを相談していたのだ。彩佳の父は会社を経営しており、中小企業ながらその手腕は業界でも一目置かれている。私の父が早くに亡くなってからというもの、彼は父のような存在だった。の彦のことを話すと、哲夫は「彼が本気で仕事したいと思っているなら、私を尋ねてくるとよい」と言ってくれたのだ。

「給料はそれなりにもらえるのか?」

「何も知らない業界でしょ。いくらでも働かせてもらえるだけありがたいと思いなさい。」

この後に及んでも逃げ腰だったの彦だったが、雇ってもらわなければ私に捨てられると分かったのか、翌日哲夫の会社へと出かけていった。哲夫はの彦の本気度を図ろうと様々な試練を与えたらしい。の彦はどろどろだったようだが、それでも働かなければならないと必死に頭を下げたそうだ。その結果、なんとか雇ってもらえることになり、私はほっと胸を撫で下ろした。

の彦が稼いでくれるようになれば生活も安定する。私もアルバイトから解放され、自分の時間も確保できるようになる。結婚してから生活に追われていた毎日に、ようやく区切りを打てるのだ。

半年ほどが過ぎ、の彦は少しずつ仕事に慣れ、次第にやる気を見せるようにもなった。しかし、生活の安定と同時に、の彦の態度が変わっていった。

ある日、の彦が仕事から帰ってきた時、夕飯の準備がまだ途中で、先に風呂に入ってほしいと頼んだ。すると彼は急に怒り出した。

「一家の主が帰ってきたっていうのに、飯ができてないってどういうことだ?」

「ごめん。私もさっき帰ったばかりだから、お風呂に入ってる間にできるから。」

「口答えか。俺が養ってやってるのに、偉そうに。」

これまで見せたこともないような顔で、の彦は私を罵倒した。

「仕事で何かあったの?」

「嫁としてのお前がなってないから、怒ってるんだ。」

その日から、の彦は何かにつけて文句を言うようになった。食事がまずい、掃除ができてないと、家事にダメ出しをしてやり直しを強要してくる。そればかりか、私のお小遣いまで制限し、家計のお金を細かくチェックするようになった。夕飯の買い物に一つでも無駄だと思うものがあれば、容赦なく暴言を投げつけてくる。

「お前みたいな役立たずの嫁と結婚してやったんだ。文句があるなら今すぐ出ていけ。」

再就職できただけで、これほどまでに傲慢な態度が取れるものだろうか。の彦の変貌ぶりは、私を家から追い出そうとしているようにも見えた。必要以上に私をいびり、もうやっていけないと家を出ていくのを待っているのかもしれない。

そう思った私は、の彦の行動を注意深く見るようになった。朝は定時で仕事に出かけていくの彦だが、帰ってくると私に冷たく当たる。役立たず、クズと私をののしり、寝室まで別にするようになった。しかしその反面で、スマホを握りしめ、誰かとやり取りをしているのだ。

の彦は浮気しているのかもしれない。そう思い始めた時だった。

仕事から帰ってきたの彦から、女性の香水の匂いが漂った。

「誰かと会ってたの?」

「お前に関係ないだろう。男のやることにいちいち文句つけるな。」

の彦は大声で怒鳴った。自分の都合の悪いことがあると大声で怒鳴る。つまり、それが認めたことなのだ。

しばらく経ったある日、自宅に彩佳が訪ねてきた。

「急にどうしたの?」

「この時計、どう思う?」

彩佳は私に高級腕時計のカタログを見せた。

「いい時計だと思うけど、高いんじゃないの?」

「そうね。あんたには縁がないものだろうけど、の彦さんにはこういうのが似合うわ。」

彩佳の発言の意味が分からなかった。彩佳は父である哲夫から経営を学ぶため同じ会社で働いているが、の彦とも接点があるということだろうか。

「の彦さんは選ばれたエリートよ。そんな彼にはもっといいものを身につけてもらわないと。」

彩佳がこれほどまでにの彦のことを褒めまくるのには理由があるはず。

「の彦とどういう関係?」

「あら、ただの同僚としてのアドバイスよ。じゃあ、不満かしら?」

彩佳の口ぶりは、の彦と特別な関係があると言っているようだった。子供の頃から彩佳は私のものを欲しがる癖がある。学生の時に付き合っていた彼氏も、いつの間にか彩佳に心を移されていた。それもあって、私は誰とも付き合わないと決め、一人でいたのだ。

しかし、結婚した夫まで狙ってくるだろうか。彩佳は私よりも見た目も可愛らしく、学生時代から人気があった。それを鼻にかけ調子に乗るところはあるが、社会人となり哲夫の元で働くようになってからは落ち着いていた。偉大な父の目を気にしてのことだろう。

そうであれば、私の夫と不倫をするとも思えない。それでも彩佳ならやりかねないとも思う。半信半疑になりながらも、私は彩佳の行動にも注意を払うようになった。

数日後の週末、の彦は朝からリビングのソファーに寝転び、スマホを眺めていた。着替えもせず、食事を食べる時とトイレに行く時以外立ち上がることもなく、だらだらと過ごしていた。

「休みだからってだらだらしてばかりいないで、せめて着替えくらいしたら?」

「うるさい。俺がどう過ごそうと勝手だろ。」

「仕事は休みでも、私は一日中家事に追われているっていうのに。」

「だったら自分の部屋でして。ここでゴロゴロされたら掃除もできないわ。」

の彦は舌打ちをして部屋にこもった。

その翌日、彩佳が家を訪ねてきた。

「の彦さんを怒鳴りつけたんですって?」

「夫婦の問題よ。あなたには関係ないわ。」

「あるわよ。あなたが口うるさく言うことが、彼の出世の妨げになっているのよ。」

彩佳は、私が怒鳴ったことで仕事に身が入らなくなり上司の印象を悪くしていると、私を攻め立てた。

「の彦さんがいなきゃ生活できないくせに、偉そうにするなんて生意気よ。」

の彦と彩佳が特別な関係にあるのは間違いない。そう確信した。彩佳は自分が好意を持っている男性のことになると、攻撃を仕掛けてくる。相手が既婚男性でも気にしないのかと呆れてしまう。

「の彦のことが好きなのね。」

「あら、バレちゃった。彼には私の方が似合うと思うのよね。」

彩佳は悪びれる様子もなく、の彦と別れろと言う。

「もし私との彦が別れることになったら、当然あなたにも慰謝料を請求するから。」

「慰謝料って何よ?そんなもの絶対に払わないから。」

彩佳は顔を真っ赤にして出ていった。

その夜、の彦は仕事から帰ってくるなり私を怒鳴りつけた。

「社長令嬢の彩佳に失礼な態度を取ったそうだな。」

「彩佳が私を挑発してきたのよ。あなた、彩佳とどういう関係なの?」

「どういうって、ただの同僚だ。まあ相手は社長嬢だから、それなりに仲良くはしてるけどな。」

「不倫してるんでしょ。」

「誰もそんなことは言ってない。もし俺が浮気してるって言うなら、証拠を見せてみろ。」

の彦はよほど自信があるのだろう。証拠がなければ私の妄想に過ぎないと、話を切り上げてしまった。

数日後、SNSをチェックしていると彩佳の投稿が流れてきた。そこにはの彦と彩佳が二人きりでキャンプを楽しんでいる姿が映し出されている。二人きりでキャンプデートと自慢するような内容に、私は苛立ちを覚えた。

「これは一体どういうこと?」

の彦を追求すると、彼は「相手は社長令嬢だし、誘われたら断れない」と笑った。二人きりで出かけても仕事の延長だと言い逃れられると思っていたのだ。

その後も彩佳のSNSでは、の彦と一緒に映る写真ばかりが投稿された。それでも浮気と断定する証拠としては弱い。そこで私は探偵を雇って二人の行動を調査してもらうことにした。

二人が不倫関係にあることは間違いない。決定な証拠を掴んで言い逃れできないようにし、二人にきちんと責任を取ってもらうのだ。報告を待つ間もの彦は彩佳と行動を共にし、私のことを貶し続けた。の彦は次第に帰りも遅くなり、週末には二人して堂々と出かけるようにもなっていた。その一つ一つも証拠として記録に残し、私は来るべき決戦の日に備えた。

一ヶ月後、探偵から調査報告書が送られてきた。そこには、の彦と彩佳の不倫の事実がいくつも記載されている。同封されていた写真や動画には、二人がホテルに出入りするものや、の彦が彩佳に送った高級品のリストまで記録されていた。

その夜、私はの彦に証拠の数々を突きつけた。

「ブスのお前を嫁にもらってやったんだ。俺に感謝しろ。」

「だからって浮気していい理由にはならないわ。」

「贅沢言うな。毎日こんなブスと一緒にいたら、綺麗な女に惹かれるのは当然だろ。恨むなら自分を恨め。」

の彦は、浮気した理由は私にあると大声で怒鳴りながら、彩佳の方が私より100倍綺麗だと言った。

「だったら慰謝料を払って離婚すれば?」

「慰謝料だと?お前のせいで浮気したのに、慰謝料なんか請求できるわけないだろ。」

めちゃくちゃな理論を持ち出し、勢いだけで乗り切ろうとするの彦に、私は怒りを通り越して呆れてしまった。しかしその日は何を言っても怒鳴るばかりで話し合いにならず、仕方なく後日改めて話し合うことにした。

翌日、仕事を終えて家に帰ると、リビングのテーブルにの彦の署名がされた離婚届が置かれていた。の彦の部屋に行くと、クローゼットから彼の服や貴重品がなくなっていた。

まさか家を出て行ったのか。そう思った直後、私のスマホが鳴った。の彦からだ。

「駆け落ちする。探すな。」

たったそれだけのLINEが届き、電話をかけても応答しない。の彦はそのまま音信不通となった。

数分後、今度は彩佳から電話がかかってきた。

「追いかけても無駄よ。の彦は私が救ってあげるわ。」

「救う?」

「ええ、実はね、私のお腹には彼の子供がいるのよ。あなたにはできなかった子供よ。悔しかったら、あなたも妊娠してみなさい。」

彩佳はの彦の子を妊娠したと言い、勝ち誇っている。

「そう、分かった。好きにしなさい。」

電話を切った私は、その足で離婚届にサインし役所に提出した。の彦に未練などない。幼馴染みと知っていて彩佳と関係を持ち、子供まで作った彼を許せなかった。二度と彼に会いたくない。私はの彦の要望通り、二人のことを探さないと決めた。

翌日、私は弁護士を通じて離婚の手続きを行い、裁判所に慰謝料請求を行った。の彦たちの居場所が分からなくても、裁判所を通せば法的な手続きができる。少し時間はかかってしまうが、正式に慰謝料を請求することが可能なのだ。

それと同時に、私は彩佳の父、哲夫の元に向かった。の彦と彩佳が不倫関係にあることを、証拠資料を備えて全てを打ち明けるためだ。

私が改まって話があると言うと、哲夫はただならぬことが起きたと察知したようで、仕事の手を止めて話を聞いてくれた。

「一体何があったんだ?」

私の話を黙って聞いていた哲夫は、「娘が済まない」と深く頭を下げた。

「いいえ、おじさんに謝って欲しいわけではありません。ただ、すでに法的手続きも進めています。ご迷惑をおかけすることになると思うので、報告しました。」

「当然のことだ。私のことなら気にしなくていい。」

哲夫が育った家は貧しかった。それでも勉強して立派になれと私の祖父が経済的支援をし、彼の学生時代を支えたのだ。大学を卒業した後も、哲夫が起業するのを助け、それを見届けるかのように祖父は亡くなった。その時の恩をいつか返したいと思っていた哲夫は、私の願いを聞き入れ、の彦を社員として採用してくれたのだ。

「娘のことは感動する。君にも十分な慰謝料を支払うよ。」

哲夫はその場で彩佳に電話をかけ、親子の縁を切ると宣言し、会社からも解雇した。そして宣言通り、私に慰謝料を支払ってくれた。

それから数ヶ月後、私が起こした慰謝料請求裁判が決心を迎えた。の彦が期日に出頭しなかったため、不在裁判となり、私の請求が100%認められたのである。の彦の財産の差し押さえが決まり、私は彼の口座から慰謝料として月々5万円ずつ差し押さえた。預金の額に無頓着なの彦なら、気づくことはないだろう。

全ての手続きを終え、自宅も処分した私は、新居へと引っ越した。書店での仕事をしながら平凡な日常を過ごしていると、自然との彦のことも忘れられる。大好きな本の世界に没頭し、気楽な一人暮らしをしているとの彦と結婚していたことが嘘だったような感覚にもなった。週末には、私のことを気遣った哲夫が食事に誘ってくれる。

気づけば、6年の月日が流れていた。慰謝料の差し押さえも終わり、の彦のことも過去のこととして忘れられていた。

しかし、ある日、私が働く書店にの彦が現れた。

「今更、何の用?」

「頼む。助けてくれ。」

の彦は私に金銭を頼んできた。

哲夫に解雇された直後のの彦には、海外の支社への左遷が命じられたのだという。しかしプライドの高いの彦はその辞令が受け入れられず、自ら退職したのだという。その後は独立して自分の会社を立ち上げたそうだが、数年後、彩佳が秘書の立場を悪用して事業資金を使い込み、ホストクラブに通い詰めていたそうだ。

「おかげで会社はめちゃくちゃだ。」

「それが私に何の関係があるの?離婚届を置いて出ていったのはあなたでしょ?」

の彦は会社の存続のため資金が必要だと懇願したが、私が助ける義理などない。

「頼むよ。もう銀行からも借りられないんだ。このままじゃ倒産する。」

「だからって私に頼むのは違うと思うけど。」

「恥を忍んで頼んでるんだ。彩佳のせいで貯金もできないし、もう真実を頼るしかないんだ。」

の彦は、貯蓄が増えない理由が全て彩佳のせいだと思っているようだ。その半分は合っているが、この6年、私が彼の口座から慰謝料として差し押さえていたせいでもある。

「実はね、私が差し押さえていたのよ。」

「なんだと?そんなこと、泥棒じゃないか。」

の彦は私が自分に無断で口座から引き出したと叫んだが、裁判所から認められた正式な手続きのもとに行ったことだ。不服なら法廷に訴えればいい。

の彦は反論する気力も失ったらしく、大きく肩を落とし、うなだれてしまった。

「俺はどうすればいいんだ。」

「彩佳に助けてもらえばいいじゃない。家族3人で幸せになるって宣言してたもの。」

「それが、彩佳が産んだ子は俺の子じゃなかったんだ。」

私の元を去った後、彩佳は無事に男の子を出産したらしい。しかし成長した息子は、の彦に1ミリも似ていなかったのだとか。そこでの彦は彩佳には内緒でDNA鑑定を行った。その結果、の彦と子供の間に親子関係は認められなかったらしい。

「あいつの教育資金に300万が必要だって言われて。彩佳は高額な教育資金を要求し、それに答えるため、俺は会社の資金からお金を渡したんだ。でもそのお金も、全部ホストに貢いでしまったらしい。」

の彦はその事実を彩佳に突きつけたようだが、嘘がバレた彼女は我が子を置いて家を出ていったそうだ。

「俺もあいつに騙されてた被害者なんだ。」

の彦は全て彩佳が悪いと言い、私に復縁を迫ってきた。

「勝手なことを言わないで。」

私はの彦を追い返した。しかし、翌日もさらにその翌日もの彦は書店に現れた。

「頼む。俺を見捨てないでくれ。」

私の幼馴染みと駆け落ちして、都合が悪くなったからと復縁を求めてくるの彦に、嫌悪感すら湧いてくる。

「私を捨てたのはあなたよ。これ以上つきまとうなら、警察に通報するわ。」

私の気持ちが変わらないと理解できたのか、の彦は去っていった。

その後の彦の会社は資金繰りがうまくいかず、ほどなくして倒産したらしい。多額の負債を抱え込んだの彦は、自己破産に追い込まれたそうだ。無収入となったの彦は、住んでいたマンションも追い出されることとなり、公園生活を送っているらしい。高学歴の自分がなぜこんな目にと思うのか、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら町を彷徨っているそうだ。

彩佳は、通い詰めるホストがいたことで借金地獄に陥り、夜の店で働き出したようだが、どこも長続きせず、借金取りから逃げ回っているらしい。困り果てた彩佳は哲夫を頼ったそうだが、恥知らずと追い出されたそうだ。その後はどうしているのか分からない。彩佳が産んだ子は、結局実の父親は分からないままだったらしい。噂では、彩佳がはまっていたホストの子ではないかと言われているが、真実は闇のままだ。

子供は、の彦が自己破産に追い込まれた後、児童福祉施設に保護されたらしい。今は子供に恵まれなかった親戚が引き取り、愛情深く育てられている。

私はと言うと、書店員として働きながらSNSを使っておすすめの本を紹介するサイトを開設した。私が好きな本を多くの人に手に取って読んで欲しいと始めたのだが、私の軽妙で温かみのある語り口に惹かれる人が増え、密かに人気を集めている。最近になってフォロワーたちからの要望で、月に一度書店の一角を借りて読書会を開くようになった。本が好きな人はもちろん、これまで本と無縁だった人も私のSNSを見て参加してくれる。世間で言われている活字離れの解消に、少しは貢献できているかもしれない。

プライベートでは、哲夫から紹介された男性と良好な関係を続けている。の彦と違い、彼は私のことを決して否定しない。私という一人の人間を尊重してくれる彼とであれば、新しい未来が見えるのかもしれないと密かに期待しながら、私は穏やかな日々を過ごしている。

もう二度と、身勝手な人たちに振り回されないよう。私は私らしく、自分の人生を生きていく。

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