夫の次郎が突然、階段の踊り場で倒れたとき、私はすべてを悟った。この1年半、私たちの静かな暮らしを蝕んできたすべての決断が、この瞬間に彼の心臓を止めたのだと。私は何度も叫んだが、エレベーターは稼働を停止しており、誰も来なかった。
私たちは35年間、この12階のマンションで暮らしてきた。毎月、必ず返済する住宅ローンが、ようやく終わったのは8年前だった。あの日、私はいつもより手の込んだ筑前煮を作り、次郎は珍しく日本酒を出した。「終わったな」と彼が言った。私はその一言に35年分の重みを感じて、ただ頷いた。
しかし、その翌朝、玄関のポストに赤い封筒が届いた。管理組合理事長の塚本茂からの通知だった。建物が新しい安全基準を満たしておらず、配管とエレベーターの改修が必要で、各世帯から特別徴収として300万円を拠出しろという内容だった。期限は6ヶ月。管理費も来月から4倍になるという。
私たちの貯金は合わせて400万円。ローンを払い終えたばかりの、これからの老後のための金だった。
2週間後の臨時総会。次郎は後方の席で、提出された書類の真偽を問いただした。診断会社と理事の関係はないのか、300万円という金額の根拠は何だと。しかし、塚本は穏やかな笑みを崩さず、「これは第三者機関の診断結果です。皆さんの安全のためです」と、丁寧に答え続けた。会場の空気は、いつの間にか次郎に敵意を持つ方へと変わっていった。採決の結果、特別徴収は賛成多数で可決された。反対の意思を示したのは、ほんの数人だけだった。
家に帰ると、次郎は「おかしい」と言った。「あの男の話し方、全部おかしい」しかし、具体的に何がおかしいのか言語化できないことに、彼は苛立っていた。夜、私はどうしても息子のり太に相談したくなった。彼に300万円を貸してもらえないかと電話をした。
しかし、電話口でり太が泣き出した。彼は事業の運転資金で行き詰っており、保証人である自分が刑事責任を問われるかもしれないと言うのだ。「母さんたちの蓄えがあるなら、俺に貸してくれないか」と。助けを求めるはずの電話が、逆に助けを求められる電話になっていた。私は400万円のうち300万円を翌日、何も告げずにり太の口座へ振り込んだ。残りの100万円を現金で引き出し、封筒に入れた。
次郎に知られた時、彼の顔には怒りよりも冷たい失望が浮かんでいた。「俺はお前のために何とかしようとしているのに」と彼は言った。
その数週間後、私は次郎のスーツのポケットから見慣れない名刺を見つけた。「ライフサポート フィナンシャル株式会社」という会社だった。次郎が私たちの部屋を担保に、300万円を借り入れていた。しかも、その担保評価額は実際の市場価格よりも明らかに低く、返済が少しでも滞れば、家を取られる仕組みになっていた。そして、最後のページには、仲介担当者として「塚本茂」の名前があった。管理組合の理事長が、代行会社の仲介人を兼ねていたのだ。
私は次郎の頬を打った。「守ろうとした結果がこれなの?」と。彼は何も言わず、寝室へと消えた。
それでも私たちは息を潜めて暮らし続けた。次郎の借入金は管理組合の特別徴収として消えたが、今度は月々27日の返済が始まった。私は生活費を削り、深夜のデータ入力の仕事を増やした。り太にはあれから連絡が取れなかった。
2月、私は思い切ってり太の妻に電話をした。彼女は事務的に言った。「り太は家を出ました。負債を残したまま、別の女性のところへ行きました。もうこちらには関係ないので、連絡はご遠慮ください」。
私は、息子にすべてを奪われたことを悟った。私たちの貯金も、そして次郎の人生そのものも。
区役所の無料法律相談で、弁護士は静かに言った。「この契約書は、形式的には法的に問題ない。争うのは現実的に難しいでしょう」。あの手で私たちは、合法的に家を失おうとしていた。
そして、次郎の心臓は、その重荷に耐えられなかった。
葬儀の後、私は一人であの古い、日の当たらないアパートへと引っ越した。ダンボール箱は、何日も開けられなかった。開けてしまうと、次郎がもういないことが現実になってしまう気がしたからだ。やがて、私は箱を開けた。そこには、次郎の書きかけの数学の問題集と、あの住宅ローン完済証明書があった。どちらも、何かの途中で止まっていた。
私はその夜、小さなテーブルにそれらを並べた。貯金はほとんど残っていなかった。翌月から、また深夜の仕事を再開する。明日も、またこの明りの下で目を覚ます。それだけは、はっきりと分かっていた。



