社長は満面の笑みを浮かべながら、俺の前に置かれた小さな日の丸弁当を指さした。
「こいつは給料泥棒だからな。働きに似合った弁当だろう。」
2年ぶりに本社へ戻ってきた俺の歓迎会。他の社員の前には豪華な焼肉弁当が並んでいるのに、俺の席だけが白米と梅干だけの質素な弁当だった。会議室の空気が一瞬で凍りついた。
2年前、俺はこの会社のセキュリティ部門のエースだった。情報セキュリティスペシャリストとして、会社の機密情報を守り、国内外からのサイバー攻撃や産業スパイからシステムを防御していた。実質一人でセキュリティ業務を回していたのだ。しかし、新しく就任した佐藤社長は、システムやセキュリティの知識がほとんどなかった。彼の目にはIT部門は単なるコストセンターにしか映らず、「セキュリティなんて目に見えない。そんなものに金をかける必要はない」と公言するようになった。
セキュリティ予算は次々と削られ、代わりに俺にも通常のシステム開発業務が振られるようになった。当然、セキュリティ業務は後回しにせざるを得ず、毎日深夜まで残業する日々が続いた。すると佐藤社長は「また残業か。お前は会社の金を食いつぶす気か」と言い放ち、ついには「お前はこの会社には不要なんだな。明日から地方の支社に出向しろ」と告げた。あの時、俺は何も言い返せなかった。ただ、母との写真を見つめながら、どうすればいいのか分からずにいた。
それから2年。本社のセキュリティに問題が発生したため、俺は呼び戻された。複雑な気持ちだったが、同僚の高野さんが「あなたがいなくなってからセキュリティ関連のトラブルが増えたの。戻ってきてくれて本当によかった」と言ってくれて、少しだけ心が軽くなった。しかし、佐藤社長は相変わらずだった。「お前を呼び戻したのは他に適任者がいないからだ。だが勘違いするなよ。お前の無駄な残業は許さんからな。」
そして迎えた歓迎会。俺は静かに立ち上がり、会議室を出た。廊下で携帯を取り出し、ある番号にかけた。要件を伝えて電話を切ると、ほっとため息が漏れた。
「社長、これであなたは終わりです。」
俺はこの行動が、社長とこの会社の運命を巻き込む大スキャンダルにつながるとは、この時は知る由もなかった。
会議室に戻ろうとした時、高野さんが心配そうに声をかけてきた。「大丈夫? 部屋の外にも聞こえてたんだけど、社長の言動、本当にひどいわ。」
「大丈夫です。心配かけてすみません。」
すると突然、IT部の若手社員の山田君が慌てた様子で駆け込んできた。
「坂田さん、大変です! 会社のセキュリティシステムがハッカーに破られました。データが消去されています!」
俺の背筋が凍った。最悪の事態だ。
急いで会議室に戻ると、社員たちは同様し始めていた。ノートパソコンの画面にはハッキングによる不正アクセスの警告が表示されている。
「坂田、お前が何とかしろ! これが解決できなかったらお前は首だ!」
佐藤社長が怒鳴り散らす。すると高野さんが凛とした声で言い放った。
「彼が首なら私もやめます。」
すると次々と声が上がる。「私も」「私もやめます!」「坂田さんはいつも私たちのために頑張ってくれた。そんな彼を首になんてできない!」
社長が完全に取り乱したその時、落ち着いた声が聞こえた。
「その時首になるのは、あなたですよ。」
振り返ると、そこには寺田支社長が立っていた。俺が2年間お世話になった、地方の支社の支社長だ。彼は静かに、しかし力強く言った。
「本社及び支社の役員全員一致で、佐藤社長の解任を決議しました。」
「なんだと? バカなことを言うんじゃない!」
「これは冗談でも何でもありません。あなたの傲慢な経営方針、従業員への無理な勤務体制の強要、そして会社資金の横領。これら全ての証拠が揃っています。」
寺田支社長はポケットからUSBメモリを取り出した。
「ここに全て記録されています。あなたは会社の資金を私的に流用し、従業員たちを不当に扱ってきた。これ以上の経営は許されません。」
佐藤社長は「これは捏造だ! お前らの陰謀だ!」と叫びながら、出口に向かって走り出した。しかし、ドアを開けた途端、そこには警察官が立っていた。
「お話を伺いたいことがあります。」
佐藤社長はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
その後、俺たちは必死になってハッカーの攻撃に対処した。高野さんも他の社員たちも俺の指示に従って動いてくれた。数時間後、ようやく危機は去った。データの大部分を救出し、セキュリティホールも塞いだのだ。
寺田支社長は、正式に新社長として本社に復帰した。彼は俺に言った。
「坂田君、君には重要な仕事を任せたい。我が社のセキュリティ部門のトップとして、本社だけでなく支社へも、全体的なセキュリティ強化プロジェクトを率いてほしいんだ。」
俺は驚きのあまり言葉を失った。数週間前まで左遷されていた自分が、今や会社の重要ポストに就くなんて。
「君以外に適任者はいない。君の能力は誰もが認めるところだ。それに……私は君を信じている。」
その言葉に、俺は何か深い意味を感じた。しかし、その時はまだ、それが何なのか分からなかった。
あれから半年が経った。俺はセキュリティ部門のトップとして、新しいプロジェクトに取り組んでいた。高野さんも一緒だ。彼女とは、いつの間にか特別な関係になっていた。仕事では互いに刺激し合い、プライベートでは愛を育んでいった。
ある日、寺田社長に呼ばれて、俺は二人きりで話すことになった。高級な料亭の個室。寺田社長は重々しい表情で口を開いた。
「坂田君。君に話さなければならないことがある。長年、この時が来るのを恐れていたが、もう逃げるわけにはいかない。」
「はい。何でしょう?」
寺田社長の目には、俺が今まで見たことのない複雑な感情が宿っていた。彼は深く息を吐き、言った。
「実は……私は君の実の父親なんだ。」
その言葉に、俺の世界が一瞬にして停止したかのように感じた。
「25年前、君が生まれてすぐの頃のことだ。私は当時勤務していた会社で、大きなプロジェクトを任されていた。そのプロジェクトに、ある裏の組織が介入してきた。彼らは私を脅迫し、機密情報を売るよう迫ってきたんだ。私は断固として拒否した。すると、今度は君たち家族の身の安全を脅かすようになった。君も誘拐されかけたことがある。」
「私は君たちを守るためには、姿を消すしかなかったんだ。君のお母さんに事情を打ち明け、私が亡くなったと伝えてくれるよう頼んだ。そうすれば、君たちは安全だと思ったんだ。」
父の声は震えていた。俺は言葉を失っていた。幼い頃から父は亡くなったと聞かされ続けてきた。それが全て嘘だったと知り、何を信じていいのか分からなくなった。
「なぜ……なぜもっと早く教えてくれなかったんですか?」
「私は怖かったんだ。君が私を受け入れてくれないのではないかと。でも、もう隠し続けることはできないと思った。君は会社を真剣に変えてくれた。そんな誠実な君に嘘をついたままでいるわけにはいかないと、ようやく決心がついたんだ。私は君を誇りに思う。そして、私は父親として、息子の人生に関わりたいと思ったんだ。」
頭の中は混乱していたが、同時に何かが腑に落ちる感覚もあった。これまでの人生で感じていた、何かが欠けているという感覚。そして、寺田社長に対して抱いていた不思議な親近感。全てが繋がった。
「時間が欲しいです。受け入れるのには、時間がかかるから。でも……あなたが私の父親だということを知れて、嬉しいです。」
その瞬間、父の目に涙が光った。
「ありがとう、光。」
「光るでいいですよ。会社の外でなら。」
「ああ。そうだな。これからゆっくりと、親子の関係を築いていけたらと思う。もちろん、君のペースで。」
その夜、俺たちは長い時間をかけて話し合った。父の過去、俺の幼少期から学生時代、そしてこれからの未来について。時には涙を流し、時には笑い合った。25年の空白を一夜で埋めることはできないが、それでも俺たちは一歩ずつ確実に、親子としての絆を深めていった。
翌日、会社に着くと高野さんが心配そうな顔で近づいてきた。
「光君、大丈夫? 昨日、寺田社長と出かけたみたいだけど。」
「大丈夫です。むしろ、いい話ができたんだ。」
「そうなんだ。よかった。」
彼女に父のことを紹介したら、きっとド肝を抜かすだろうな。俺はそう想像しながら、思わず笑ってしまった。俺の人生は、以前にも増して大きく変わり始めていた。



