あの晩、倉の鍵を握る私の手は震えていました。外から誰かが戸を叩いていました。声を上げれば誰か来るでしょうか。しかし、私の言葉を信じる大人は一人もいませんでした。「この小僧、倉に何かあったと騒ぎ立てる者に限って、自分の手が汚れておらぬものなど見たことがない」と、番頭様は私を叱りつけたのです。五日間の留守を狙う盗人たち。私だけが気づいていたその罠。そして、最後の夜、私は大人たちが眠る中、ひとりで…

あの晩、倉の鍵を握る私の手は震えていました。外から誰かが戸を叩いていました。声を上げれば誰か来るでしょうか。しかし、私の言葉を信じる大人は一人もいませんでした。「この小僧、倉に何かあったと騒ぎ立てる者に限って、自分の手が汚れておらぬものなど見たことがない」と、番頭様は私を叱りつけたのです。五日間の留守を狙う盗人たち。私だけが気づいていたその罠。そして、最後の夜、私は大人たちが眠る中、ひとりで...

像に何かあったと騒ぎ立てる者に限って、自分の手が汚れておらぬものなど見たことがない。

鋭い怒鳴り声が屋敷中に響き渡ったのは、その朝のことでございます。倉の鍵穴には、黄色い蝋がべったりとこびりついておりました。

日頃はうるさいほど吠え続ける犬さえ、もう三晩も声を立てません。大きな屋敷が丸ごと五日も空になる日が、明日にまで迫っておりました。この屋敷に起こる恐ろしい罠に気づいていたのは、倉の前で眠るだけの十歳の子供、ただ一人だけでございました。けれども、大人たちの誰一人として、その小さな言葉に本気で耳を傾けようとはしなかったのでございます。

さて、話は少しばかり時を遡るところから始まります。

昔々、地方の国のとある村に、大国屋という具眼者が代々受け継いだ屋敷に住んでおりました。田畑から万国もの米が上がると表され、屋敷は二棟を超え、倉が三つございました。そのうちの一つ、表も近くの米倉、ただ一つがこの物語の舞台でございます。裏の鍵はいつも女将のお常の腰に下がり、お常が庭を横切るたび、チャラリチャラリと音が鳴りました。その音が鳴りますと、屋敷中が静かになるのでございます。

その米倉の脇に、物置きに扉を一枚つけただけの小さな部屋がございました。冬は息が凍りつき、夏は鼠が天井を駆け回る、そのような場所でございました。そこで眠る子供が一人おりました。服松、年は十でございます。幼い頃に親を失い、四つ五つの頃にこの家へ来て、それ以来ずっとその部屋で眠っておりました。奉公人受け場には、名前の代わりにただ「松」とだけ記されておりました。丸顔で、嬉しそうに笑うと目が三日月のようになる子供でございましたが、この家の大人たちは滅多に頭を撫でてはくれませんでした。

倉の前で眠る子供は、倉に付属する道具のようなものでございましたから、一日は他の者より二時ほど早く始まりました。まだ星の残る時刻に、子供は倉の隙間にまず目を当てるのでございました。暗くて何も見えぬはずでございますが、その目には見えるのでございます。俵の背にかかった縄の結び目がどちら側に倒れているか、俵と俵の間がどれほど開いているかまで。昨日と変わらなければ、頷いてまた横になります。日が登ると鼠取りの罠を取り替えました。縄は一筋と枝二本、拳ほどの石ころ一つ。それだけあれば罠を一つ、立ち所に作ってしまうのでございました。番頭が町で買ってきた罠よりも、松の罠の方がよほど鼠がかかりました。松は自分がこの屋敷の何であるかを、もう考えぬようにしておりました。夜のうちに倉を見張ること。それが自分の役目でございます。可愛がられるためにここにおるのではない。そう自分に言い聞かせて過ごしてまいりました。

ただ、この家で松は、叱られることだけはございました。布団を寄せて眠る時、松はよく、自分の輪郭がだんだんと薄くなっていくような心地がいたしました。それでも子供は、倉の隙間から差し込む星明かりを見るたび、少しだけ思うのでございました。見ておるものはある。数えておるものはある。それだけは誰にも奪えぬものでございました。

そこへ後ろから足音がいたしました。

「松」

と呼ぶ声がして振り返りますと、七つになる千代が立っておりました。この家の末娘でございます。

「お嬢様。また忍んでいらしたのですね」

「忍んで来ておらぬ。ただ歩いてきただけじゃ。それを忍んだと申すのでございます」

千代はちらりと倉の奥を眺め、声を低めました。

「あの中に星がない。あろう」

「あります。二十三でございます」

千代は目を丸くしました。

「そなた、どうしてそれが分かるのじゃ」

「数えておりますゆえ」

「なぜ数える?」

「数えねば、なくなっても気づきません」

千代はその答えが気に入った様子で、松の前にしゃがみ込みました。松がため息をついて倉へ入り、星書きを一つ持って出てまいりました。

「一つだけでございますよ」

千代はもぐもぐと噛みながら尋ねました。

「そなたはなぜいつもここで眠るのじゃ」

「ここが私の場所でございますゆえ」

「冬は寒かろう」

「寒うございます」

「ならば私が出よう。私がここで眠り、そなたが奥の間で眠れば良い」

松が笑い出しました。

「それでは私はその日のうちに叱られましょう」

「なぜじゃ。私が出たのに」

「それも私が誘ったと言われましょう」

千代は眉をひそめました。十歳の子供に分かる話ではないはずでございますが、なぜか分かったような顔をしておりました。

「私はその話が気に入らぬ。私も嫌いじゃ」

それきり返事も聞かず、千代は奥の方へ駆けていきました。松は倉の前にしゃがみ込み、罠を仕上げました。縄の結び目が一つ、先ほどより少し緩くなっておりました。

この屋敷でただ一人、松を道具ではなく人として見ているものがあるとすれば、それはこの七つの子供だけでございました。千代は松に何かを頼む時、決して命じるような口を聞かず、いつも尋ねるように話しかけました。それがどれほど珍しいことか、千代自身は気づいておりませんでしたが、松はよく分かっておりました。

昼になりますと、松は台所の入り口に腰かけておりました。この屋敷の台所を三十年守ってきたお杉という者がおりました。皆に捨てられ、よその家の子供に飯を食わせながら年を重ねてきた人でございます。お杉が杓文字を手にしたまま振り返りました。

「食え」

松の前に、お焦げが一切れ置かれました。

「近頃、飯が半分になった気がするの」

「元から半分でございましたが」

「元は一つだった」

松が笑いました。目が三日月になりました。お杉は子供が台所の前を通るたび、何かしら手に握らせてやりました。口ぶりはけんか腰でも、手はそうではなかったのでございます。松にとって、お杉の台所はこの屋敷の中で唯一、倉の心配をせずとも良い場所でございました。誰も松に何かを尋ねず、誰も松の言葉を疑わない。そのわずかな間だけは、子供は道具ではなく、ただの十歳の子供に戻ることができたのでございます。

日が傾きますと、倉の鍵を下ろすものがございました。番頭の六兵衛でございます。年は五十。この家の倉を三十年、数え続けてきた人でございました。感情が細かく、仕事に抜かりがないので、人々も、六兵衛が数えたといえば二度は数え直しませんでした。三十年、一日も欠かさず鍵を下ろしてきたという自負が、六兵衛の背筋を伸ばしておりました。その自負故に、六兵衛は自分の目で見たものしか信じませんでした。六兵衛は松に興味を持っておらぬ様子でございましたが、ある冬の晩、倉の前の部屋に薄い布団しかないのを見かねてか、離れにあった古い綿入れが一枚、いつの間にか置かれていることがございました。当て木の悪くなった戸を、いつの間にか大工に直させていたこともございました。台所の残り飯が少ないと気づいたのも、口には出さぬまま、帳面の隅にそっと書き留めていたのも六兵衛でございました。それでも、誰が置いたか、誰が言いつけたかは、つい語られませんでした。朝、顔を合わせながらも、六年の間、六兵衛が松の名を呼んだことは一度もございませんでした。

村の四番の仕事は、鼠を追い、山猫を追い、かの日種を守ることでございました。松は屋敷に目を付けていても歩けるほどでございました。中庭はどの石が揺れること、縁側はどこを踏むと鳴ることも、六年、松とその上を通い続けて身についたことでございました。教わって知ったことではございません。ただ黙って、屋敷の呼吸を聞き続けてきただけでございました。

月に一度、六兵衛が倉の検分をする日がございました。

「三十三でございます」

と、戸口から言いますと、六兵衛の指が止まりました。

「三十三であったな」

「はい」

「そなた、それをどうして知った?」

「毎朝、倉の隙間から見ております」

六兵衛はちらりと子供を見やり、何も言わず、帳面を閉じて出ていきました。それでも六兵衛は、倉の中へ入れとは一度も言ってはくれませんでした。

朝の俵運びが始まりますと、この家で一番力の強い力松が俵を運び終えて庭に腰を下ろすのが、松にとって一日で一番良い時でございました。相撲一番、二人が腰紐を握りますと、力松がほんの少し力を込めるだけで、松は中に浮いて、畑の束の上に落ちてしまうのでございました。この家で松の頭を撫でる大人は、力ただ一人でございました。

長屋の半助と佐田吉は、力仕事の合間の使い走りを松に言いつけておりました。倉の裏の兵の下に、脇丸という犬が繋がれ、夜になると人影が通っただけで吠え立てるので、盗人の心配を一度もしたことがないのはこの犬のおかげでございました。

その頃、屋敷の外の兵の下に男が二人、しゃがみ込んでおりました。一人は骨と皮ばかりに痩せていて、傘だけは妙にきちんとたたんでおりました。もう一人、枠のような大男でございます。夕暮れの闇の中、痩せた男が指を立てて、屋根の数を数えておりました。

「兄貴、何をしておいでで?」

「煙だ。煙の多い家は米も多いものだ」

「ならばそのまま見ればよろしいでしょう」

「兵の向こうが見えるか」

と聞き返され、「見えませぬ」と答えると、

「だから煙を数えるのだ」

痩せた男は熊吉に持ち上げさせて兵を超えようとし、そのまま向こう側へ転がり落ちてしまいました。しばらくして這って戻ってまいりますと、傘を直し、落ち着いた声で申しました。

「これもすっかり計算のうちだ。兵の内側の土が柔らかいか硬いかを確かめるために、わざと落ちたのだ」

「さすが兄貴は頭が用ざいますな」

熊吉は感心したように申しました。この二人が何者であるかは、後ほどお話いたしましょう。

その頃、大国屋の屋敷は上を下への騒ぎでございました。長男の修限が、祝言に迫っていたのでございます。この地方の習わしでは、婿となるものが嫁の実家へ赴いて祝言を上げ、数日をその家で過ごしてから帰るのでございます。嫁の里は三つ村を越えた遠方で、道中はまるまる五日を要しました。庭には嫁入りの長持ちが六棹も積み上げられ、人が皆、嫁の家の面目ばかりを気にかけておりました。

「行列がみすぼらしければ、後々まで陰口を叩かれるものだ。人を十分に連れて行かねばならぬ。それでは屋敷が空になりますが」

番頭が鍵を下ろしますと、千代は駕籠に乗れることが嬉しくてたまらぬ様子で、庭を駆け回っておりました。

「私は駕籠に乗るのじゃぞ」

「存じております」

「それはなりませぬ」

と松が言いますと、

「なぜじゃ。よし、私はもう言わぬ」

千代が松の袖を引っ張りました。

「私はそなたがそういうことを申すのが嫌いじゃ」

「わかりました。もう申しませぬ」

「約束じゃぞ」

千代が小指を差し出し、松がその指に自分の指を絡めました。

新しい奉公人が入ってまいりましたのは、それより十日ほど前のことでございました。名を熊吉と申しました。体は枠のようで、肩はほとんど戸に届くほど。顔つきは穏やかでございました。笑うと口が耳まで届くように広がり、誰に何を言いつけられても、一度として口ごたえをしたことがございませんでした。屋敷中のものがすぐに熊吉を気に入ってしまいました。ただ、松だけがこの屋敷で、ただ一人だけは熊吉を歓迎しておりませんでした。嫌っていたわけではございません。松が見るところ、熊吉は仕事をしながら、手よりも目の方がよほど忙しいのでございました。米を運びながら屋根を見ておりました。庭を掃きながら倉の戸を見ておりました。

ある日、松が倉の裏へ縄を運んでおりますと、熊吉が兵に手のひらを当てて叩いておりました。杖をつくように支えているのではなく、叩いているのでございます。

「そこで何をなさっておいでで?」

「おう、この壁が丈夫かどうか見ておったのよ」

「この家の壁は崩れませぬ。去年の長雨でも平気でございました」

「そうか。そりゃよかった。それではもう叩かずとも住みますね」

熊吉が目をぱちくりさせ、大きな手で松の頭を撫でていってしまいました。松はその場に立ったまま、兵を見つめておりました。熊吉が叩いていたのは三箇所。倉の裏の壁、豚小屋との境の壁、倉の裏の低くなっている角でございました。松は数えました。それから何食わぬ顔で俵束を運び終えました。

その晩、松がご飯を持って倉の裏の兵の下へ行きますと、脇丸が前足に顎を乗せて横になっておりました。何の音がしても起き上がりません。

「飯は食わぬのか」

松はそこにしばらく座っておりました。そういえば昨夜も一昨夜も、脇丸は吠えておりませんでした。松が立ち上がろうとしたところ、足先に骨が一本当たりました。肉のついていた跡が、まだ湿っておりました。兵の外から投げ込まれたということもございましょう。ただ、それには、その者が三晩続けてその兵の前を通らねばなりませんでした。

その頃、村外れの宿に、佐蔵と言う痩せた男がいく日も同じ部屋を取っておりました。宿の主人には、自装備だと名乗っておりましたが、無論嘘でございました。佐蔵は自分をこう思っておりました。世に盗人とは、木ではなく森を見る力を持つ盗人は自分ただ一人であると。その男は、まだこの屋敷の中に、自分よりも先に森を見ているものがいることを知りませんでした。

その晩、熊吉が宿の裏口から入ってまいりました。

「犬はどうなった?」

と問われ、

「三晩肉を食わせたら、もう足音だけで尻尾を振ります」

佐蔵は満足に頷きました。

「それ身よ。犬は消すものではなく、我らの味方につけるものだというであろう。霊が多く、人が飽き、吠える犬のいない家こそ良い家だ」

と語り、あの家が五日空くと聞いて、この村に入ったのだと明かしました。番頭が一人、長屋が二人、新入りの熊吉、倉の前で眠る子供が一人、合わせて五人残ると聞いても、佐蔵は笑いました。

「人がおれば誰も疑わぬ。それ故、縄を一本つけて眠らせてしまえば良いのだ」

倉の前で眠る子供のことを問われると、佐蔵はからからと笑いました。

「十歳が何を見よう。例え見たとて、その言葉を誰が聞き入れよう」

その翌朝のことでございました。松は倉の前で鍵を取り、しばらくじっと見つめておりました。鍵はこの家でも指折りの上等な品でございました。鉄を打ってこしらえたもので、手のひらほどの大きさがあり、ずしりと重うございました。番頭が鍵を下ろし、鍵はお常の腰へ参ります。その間、その鍵に触れるものは誰もおりませんでした。

ところがその朝、鍵穴の内側に黄色いものがこびりついておりました。松は爪でそっとこすりました。柔らかく滑らかなものが爪の下に挟まりました。蝋でございました。鼻に近づけてみますと、台所で使う油の匂いではなく、物置に伴う蝋の匂いがいたしました。この家で蝋を使うのは離れと仏間だけでございました。倉の鍵に蝋がつく通りはございません。松は鍵を離れて番頭の元へ参りました。六兵衛は庭で嫁入りの長持ちの数を数えておりました。

「番頭様、倉の鍵に蝋がついております」

六兵衛が数える手を止めました。それから、体をゆっくりと振り返りました。

「なんと申した」

「鍵穴の内側でございます。蝋を差し込んでは抜いたような跡がございます」

六兵衛の目が細まりました。

「その鍵を与っておるものは誰じゃ?」

「私でございます」

「その鍵の前で眠っておるものは誰じゃ?」

「私でございます」

「ならば、蝋を触ったものは誰であろうな」

松が口をつぐみました。六兵衛が一歩詰め寄りました。松が思わず身を縮めました。

「この小僧。倉に何かあったと騒ぎ立てる者に限って、自分の手が汚れておらぬものなど見たことがない。お前が何か減らしておいて、先に言い訳をしておるのだろう」

「違います」

「もう一度その話をしたら、倉の近くに寄せぬようにするからな」

松は唸られて下がりました。その日、子供は初めて思い知りました。倉の話を持ち出した途端、この家で一番先に疑われるのは自分だということを。それでも松は、倉から目を離すという道を選びませんでした。思っても、誰も見ておらぬ。破られれば我が身の落ち度になる。それが分かっていてなお、子供は倉の前に座り続けることを選んだのでございます。

松は一人でやり、釘を二本、鍵穴の内側にそっとはめ込み、先を内側に曲げておきました。この家の鍵ならば、穴の真ん中へまっすぐ入りますので、引っかかる通りはございません。ただ、蝋がついていたなら次には鉄が来る。来るものがあれば、引っかかるようにしておけば良い。そう思ってのことでございました。

その日の昼、六兵衛が鍵を差し込む時、松は思わず息を詰めましたが、鍵はいつも通りすんなりと開きました。そこへ熊吉が名乗り出て、倉の俵運びを買って出ました。あまりの働きぶりに、半日でその仕事が終わってしまいました。

日が傾き、松は最後に倉を見回りに入りました。そしてその場に立ち尽くしました。米俵の前列が動かされておりました。減ってはおりません。ただ、置かれている場所が違っておりました。松の目には、いつもと違う並びが一目で分かりました。奥の方へ四つ。その後ろにまた四つ。縄の輪が全て奥の方を向いておりました。八つ全ての結び目が、同じ側に倒れておりました。松はそれをしばらく見つめ、の静かに倉を閉めました。

その晩、松は大人を一人ずつ捕まえてまいりました。まず神兵の元へ参りましたが、顔も上げてもらえませんでした。次にお常の元へ参りましたが、値する話をせねば聞かぬと知り、解けられました。奥のお出ましになりますと、千代が松の顔をじっと見上げ、

「そなた、どうしたのじゃ。顔がおかしいぞ」

と申しました。

「怖いことがあったら私に言うのじゃぞ」

最後に台所へ参りますと、お杉は子供の話を終わりまで聞いてくれました。途中で遮ることも、跳ねつけることもございませんでした。

「人に信じてもらえずとも、そなたの見たことがなくなるわけではないのじゃから」

お杉は松の頭にそっと手を乗せました。松はその手の温かさを、しばらく忘れませんでした。

その足で松は倉の裏へ参り、灯りを掲げて兵の下を照らしますと、熊吉が手のひらで叩いていた場所に、大人一人が腹ばいになれば通れるほどの穴が開いておりました。外側から掘られたものでございます。松は塞ぐ力はございませんでした。板を当てようにも、釘を打つ槌を持ち上げる腕がなかったのでございます。そこへ庭の方から足音がいたしました。力松でございました。松が袖を引いて見せますと、力は指で土に触れ、獣の爪で掘りぬけぬ滑らかな跡だと見抜きながらも、何も尋ねませんでした。

「待っておれ」

と力は言い、頭を持ってまいり、穴を塞ぎ始めました。松が、右下の一箇所だけ軽く打って欲しいと頼みますと、力が頭を持ったまま振り返りました。

「なぜじゃ」

「それはお尋ねにならずに済ませていただけますか?」

力松はしばらく子供を見下ろしておりましたが、何も言わず、その一本だけ半分ほど打ち込み、残る四本は最後まで打ち込みました。槌の音が響き渡りました。松はさらに、豚小屋と接した境の壁も一箇所壊して欲しいと頼みました。力松の手が止まりました。

「倉の壁をかせいだところがあれば、開いたところも一ついりますゆえ」

力松はしばらく子供を見つめておりました。子供はどこまでも真剣でございました。力松は何も言わずに拳で壁を打ち抜き、倉から豚小屋へ通じる穴を開けてやりました。それから立ち去りながら、

「五日だけ持てよ」

とだけ言い残しました。

よく朝、家の者たちが出立しました。お常が先立ち、神兵が馬に乗りました。神兵は残る者たちを庭に呼び集めました。

「五日だ。番頭が家を預かれ。ご懸念には及びませぬ。倉の鍵は奥が持っていく。皆、手を触れず。五日の後に開けよう」

神兵が馬に乗りました。行列が表門を出ていくところで、千代が突然駕籠から飛び降りてまいりました。

「しばし待て」

お常が呼び止める声も聞かず、庭を駆け抜けて戻ってまいりました。それから帯留めから花柄の巾着を外し、松の手にぎゅっと握らせました。花が重なり合った、手のひらほどの巾着でございました。

「お嬢様、これはなりませぬ」

「しばし持っておれ」

「私がこのようなものを持っておりますと、盗んだと言われましょう」

「ならば誰にも見せねば良い。五晩じゃ、五晩だけじゃ」

千代は返事も聞かずに駕籠へ駆け戻っていきました。駕籠に乗りながら一度振り返り、手を振りました。表門が閉じられました。門扉の落ちる音が、静かに大きく響き渡りました。

百軒を超える屋敷に、五人が残されました。番頭の六兵衛、長屋の半助と佐田吉、新しく入った熊吉。そして、大人が四人、子供が一人でございました。松は、大人が四人おれば心強かろうと思っておりましたが、なぜかそうは感じられませんでした。四人のうち一人は、すでに壁を掘っているものでございましたから。

その晩、熊吉は酒壺を携えて長屋へ入ってまいりました。

「旦那様がおらぬ間、家を守ってくださっておるのですから」

と半助に進め、自分の猪口だけそっと飲む真似をして、後は全て注いでやりました。松が水を汲みに出てまいりますと、半助がフラフラと出てきて、松の額を指でこつんと押しました。

「おい、小僧。それでもし本当に倉に何かが来たら、誰が真っ先に引っ立てられるか分かるか。私でございます」

半助は言葉につまり、へらへらと笑いながら長屋へ戻っていきました。

松は、まだ大きな罠を仕掛けませんでした。骨が一本、鍵に蝋がついたろう。動かされた米俵。掘られた穴が一つ。それだけでは、この屋敷の中の何が、いくつで、どこにいるのか、まだ分かりませんでした。そこで子供は、確かめることから始めました。

第一に、犬の餌を昼日中、何気ないふりで井戸端へ移し、繋ぎ直しました。兵の外から放り込むものならば、犬が移されたことを知らぬはずでございます。第二に、倉の裏壁の前には、かの灰を古い布にかけ、薄く敷きまし�た。雨が降っても崩れぬほどの薄さでございます。立った跡が残るようにと考えたことでございました。第三に、倉の戸のかけがねと柱の間に糸を一本結んでおきました。戸を開ければ切れるほどの細さでございます。

日が暮れました。松は部屋に入って鍵をかけ、握り飯の包みを枕元に置いて、壁に背をつけて座りました。一日目の夜が始まりました。

真夜中、兵の外で佐蔵が熊吉に倉の裏を見張らせ、自らは兵を超えて内側の様子を確かめてまいりました。つま先で庭を渡り、倉の裏へ回り、板の隅をそっと指で持ち上げてみて、満足そうに頷きました。

「安の城の計算通りだ」

松は部屋の中で、庭を渡る足音が熊吉のものとは違う、軽くつま先で歩く足音だと気づきました。熊吉の足音は重く広く響くもので、廊下を踏めば戸が鳴るのでございます。掛け金を握ったまま、その音を最後まで耳で追いかけました。井戸を過ぎ、離れ脇の縁側を踏まずに回って、倉の裏からまた引き返して、部屋を越えていきました。隣の家から聞こえていた鼾が、いつの間にか三つになっておりました。熊吉が入って横になったということは、庭を渡って兵を越えていったものは熊吉ではなかったのでございます。

夜明け前、松は日が登るより先に部屋を出ました。まず井戸端へ参りますと、骨が新しい食い痕の後に落ちておりました。犬がどこへ移されたか知るものが、手で与えたものでございます。次に裏壁へ参りますと、灰の上に足跡が二つつきました。一つは熊吉の大きな足。もう一つは幅が狭く、つま先の尖った幾久の跡でございました。この家で幾久を履くのは神兵ただ一人。その神兵は前日の朝、馬に乗って出なさいました。松は灰をそのままにして六兵衛の元へ参りましたが、熊吉であろうと、すら道を間違えることもあろうと知り解けられ、灰は片付けよと言われました。松はそれでも灰を片付けませんでした。

その日の昼、畑子では佐蔵が鍵を打たせておりました。その晩、熊吉はそれを携えて倉の戸の前に立ちましたが、朝仕込んでおいた釘が中で引っかかり、鍵は途中で止まりました。佐蔵は釘が四つを吸って膨らむのだと言いつつも、内心では別のことを考えておりました。鍵穴の内側に、罠を仕掛けたように釘が仕込まれていたのでございます。鼠がかじった後でもなければ、雨で錆びた後でもございません。

「これは都細工だ」

と、倉の影でつぶやきました。

「これは大人の細工ではないな。誰かがこの家の鍵を、我らより先に読んでおる」

佐蔵はしばらく倉の方を見つめておりましたが、倉の前で眠る十歳の子供に思い至ることはございませんでした。

「今宵は別の手を打とう」

と、倉ではなく奥の間のほうへ忍び入りました。翌朝、松が庭に出てみますと、奥の間の障子が半分開いており、縁側にはつま先だけの足跡が残っておりました。この家に忍び入っておるものは、倉を狙っているのではございませんでした。

その日の昼、熊吉が訪ねました。

「松よ。お前は夜、どこで眠っておる?」

「あの戸は内側から閉まるか、外側から閉まるか」

「それはなぜお尋ねになります?」

と松が問い返しますと、熊吉はからからと笑い、

「夜、恐ろしければ開けてやろうと思ってな」

と答えました。

「内側から閉まります」

この家で、部屋の戸が内から閉まるか外から閉まるかを尋ねたものは、六年の間一人もございませんでした。

その晩、松は横になっておりましたが、ふと目を開けました。戸のかけがねが、かすかに揺れました。子供は息を止め、声を立てず身を起こし、内側から両手で掛け金を握りました。外から力が加われば子供も力を加え、外が緩めれば子供も緩めました。松の手首で、熊のような大男を敵に回せるはずはございません。けれども、掛け金が揺れるだけで開かなければ、外に立つものは内側から閉まっていると思うのでございます。その隙間から息遣いが入ってまいりました。声を上げれば長屋まで届きましょう。が、長屋の戸は昨夜から酒盛りで鍵が下ろされたままでございました。

今叫んで、一度切り信じてもらえぬのと、黙って耐えて後に証を立てるのと。どちらが良いか。十歳の子供がその晩、その選択をいたしました。松は声をあげませんでした。

佐田吉が朝、用足しに出てまいり、部屋の戸の前に大きな影が立っているのに気づきましたが、半助が寝言のように叫びました。

「戸を閉めよ。風が入る」

佐田吉は見なかったことにして、また横になりました。その晩、この家で一番真実に近づいた大人は佐田吉でございました。そしてその大人は、もう半歩のところで引き返してしまったのでございます。それでも子供は、手を離せませんでした。足音は離れの前で止まり、戸を押し、開き、床を蹴って確かめる音が続きました。松はそこでようやく手を開きました。手のひらに、掛け金の跡が白く残っておりました。

朝、松は半助の方を揺り起こしました。

「おじさん、昨夜、部屋の戸を叩くものがございました」

「風であろう」

松がこの酒瓶を見せますと、半助は布団を頭からかぶり、

「うるさい。出て行け」

と申しました。松は瓶をそのまま置いて外へ出ました。あと一日でございます。隠す場所は消え、大人たちは遠ざかり、握り飯はあと二つでございました。

松はその足で兵の下へ参りました。縄がございませんでした。兵の向こうから声が聞こえてまいりました。

「これは鼠じゃな。鼠が縄を張ったのであろう」

「ところが、熊吉ち。鼠がおるということは、人が出入りしておるということでもある」

佐蔵の声が低くなりました。

「前に仕込まれた釘といい、この縄といい。まるで我らの手の内を先に読んでおるようだ。誰か探しがこの屋敷の中におるのやもしれぬ。番頭にしては、用人深すぎる。下女にしては、目端が効きすぎる」

佐蔵はしばらく黙り込みましたが、倉の前で眠る子供のことは、やはり思い浮かびませんでした。

「今宵が結構だ」

「今宵でございますか? 明日の晩とおっしゃったではございませぬか」

「家の者どもが、明日の昼には帰ってこよう」

松は兵のこちら側で目を閉じました。あと一日と思っておりましたのに、それが半日に縮んでしまったのでございます。

子供はその足で離れへかけてまりました。六兵衛が帳面に何やら書きつけておりました。

「番頭様。今宵でございます。今宵、倉が破られます。たった今、兵の向こうで二人が話しておるのを聞きました」

六兵衛が筆を置きました。

「兵の向こうに誰がおった?」

「熊吉様ともう一人でございます。顔は見ておりませぬ。兵のこちら側におりましたので。声など、似たものも多いものだ」

松が一歩踏み出しました。

「ならば、倉に鍵をかけ、封をしてくださいませ。掛け金に縄をかけ、結び目は番頭様ご自身のお手でつけてくださいませ。私は指一本触れませぬ」

松は「信じてくれ」とは申しませんでした。縄は一本あれば良いだけのことでございました。六兵衛は筆を持ったまま、しばらく何も言いませんでした。安い灯の火が、二人の間で小さく揺れておりました。松も口をつぐみ、答えを待ちました。長い沈黙でございました。

「陽きけわしはこの家の倉を三十年数えてきた。三十年の間、この家に盗人が入ったことがあるか。ございませぬ。ところがお前は、いくかの間に三度も参ったな。その結び目を、朝一番に見るものは誰じゃ?」

「私でございます」

「それでは、お前が自ら解いておいて、盗人が入ったと申したとて、わしは何を持って違うと申しよう」

松は六兵衛を見上げました。六兵衛も見下ろしておりました。二人ともそれきり何も言いませんでした。

「もう行け」

六兵衛は口を閉ざしました。縁側を降りて一度振り返りました。六兵衛はまた帳面を開いておりましたが、その筆はしばらく紙の上で止まったままでございました。

松は倉の前に座り込みました。日が傾いておりました。台所の桶にはもう飯の残りもなく、脇丸は井戸端で尻尾を振るばかりでございました。家に大人が四人おりました。そのうち一人は盗人であり、二人は酒に弱らされ、一人は子供の言葉を聞き入れませんでした。子供は膝を立て、その間に顔を埋めました。四晩、掛け金を握り続けた手のひらは赤く腫れ、皮が薄くなっておりました。夜が近づき、吐息がうっすらと白く見えるほど冷えてまいりました。目の前には、ただ黙って立つ倉があるばかりでございました。

喉の奥が熱くなりました。子供はそれを飲み込もうといたしました。飲み込めませんでした。六年の間、打たれても堪えた子供でございました。ところがその日は、涙がこぼれました。誰にも信じてもらえぬということが、打たれるよりも痛かったからでございます。子供は袖で顔を抑えました。声は立てませんでした。

そうしてしばらく座っておりますうちに、子供がふと、数日前に自分が千代に申した言葉を思い出しました。

「誰にも知られずとも、その年付きがどこかへ消えるわけではない」

そう言ったのでございます。松はその言葉を自分の口で言うておきながら、これまで一度も自分自身にかけてやったことはございませんでした。子供は袖でもう一度目を拭いました。それから赤く腫れた手のひらを一度握りしめ、膝に手をついて立ち上がりました。破られれば我が身の落ち度になる。それでも良いと松は思いました。信じてもらえるかどうかで、倉を守るか守らぬかを決めるものではない。そう心を定めたのでございます。子供の背丈は六年前と大して変わらぬのに、その晩、松は確かに少しだけ大きくなったような心地がいたしました。

日がすっかり沈む前、松は倉の裏壁の板を指先でそっと持ち上げてみました。力松が半分だけ打ち残しておいた釘が緩うございました。子供の力ならば、盗人が掘った穴を通って倉に入れるのでございます。松はもみ殻を袋に詰めて倉へ運び入れ、前列の本物の米俵を一つずつ奥へ押し込みました。持ち上げるのではなく押すのですから、十歳の力でも叶うことでございました。ところが七俵目を押し込んだところで、俵の縁が俵束に引っかかり、大きな音を立てて崩れ落ちました。松は思わず身を縮め、しばらく息を殺しておりました。長屋からは何の物音もいたしませんでした。胸の鼓動が耳の奥で鳴り続けておりました。子供は崩れた俵を静かに積み直し、俵を運び終えました。代わりにもみ殻を詰めた俵を、結び目の向きまで本物とそっくりに合わせて前列へ並べました。それから裏壁の板を石ころを槌代わりに打ち直して塞ぎ、豚小屋側の壁の穴だけを開けたままにしておきました。倉の中で逃げ道を探すものは、必ずそちらへ向かうはずでございます。最後に脇丸の綱を解き、奥庭の柿の木に結び直して、握り飯を分けてやりました。仕込みは六年の観察の上に立っておりましたが、それでも一つとして確かなものはございませんでした。うまくいくかどうかは、その晩になってみねば分からぬのでございます。松は倉の前へ戻り、部屋に入って鍵をかけ、待ちました。最後の夜が始まりました。

真夜中、熊吉が倉の前に至りますと、血に花柄の巾着が一つ落ちておりました。松が俵を運ぶ間に懐からこぼれ落ちたものでございました。

「子供の持ち物であろう」

熊吉はそれを己の懐へ押し込みました。戸板を一枚隔てて、松は壁に背をつけて座っておりました。足音が倉の前で止まり、一拍遅れてからまた動きました。体をかがめたのでございましょう。熊吉が鍵を差し込みました。掛け金に結んでおいた糸が、音もなく切れました。戸が入りかけて止まりました。松が曲げて仕込んでおいた釘が引っかかったのでございます。熊吉が力任せにねじりますと、釘がぽきりと折れ、戸が音を立てて開きました。熊吉は前列の俵をかぎ上げ、首をかしげました。

「兄貴、これは米が随分と軽うございますな」

「米というものは夜には軽いものよ」

と佐蔵が言いつくろいますと、熊吉はすっかり感心して、俵をどんどんと兵の外へ渡してまいりました。部屋の中で松が目を開けました。俵の渡る音。六年、数え間違いを違えたことのない子供が、布団の中で数えておりました。六つまで数えたところで、子供は少し大きく息をつきました。七つ目と八つ目は渡ってまいりませんでした。

最後の俵を担いだ熊吉は、裏壁の穴から出ようとしましたが、板は固く塞がれておりました。熊吉が肩で押しました。釘が固く打ち込まれ、縄で何重にも縛られた板は、びくとも動きませんでした。

「兄貴、穴が塞がっております」

「静かにせよ。他のところから出よう」

熊吉は俵を担いだまま、暗い倉の中を手探りで渡り歩き、俵束の片付けられた奥のほうに、開いた穴を一つ見つけました。

「ございました」

熊吉は腹ばいになって、やっとのことで這い出てまいりましたが、そこは豚小屋の真ん中でございました。豚が三匹、一斉に跳ねました。俵が破れ、もみ殻がこぼれ、熊吉は泥にまみれて転がり出てまりました。奥庭で脇丸が、綱を解かれたまま狂ったように吠え始めました。その物音に、松は思わず倉の隙間から顔を寄せてしまいました。ちょうどその時、佐蔵が兵の外から様子を伺い、松のほうへ鋭い目をやりました。松はとっさに身を引きましたが、心臓が喉まで迫り上がるようでございました。もし今、この目を止められれば、全てが仕組まれたものだと気づかれてしまう。子供は息を殺し、二度と隙間に顔を寄せませんでした。

一方、兵の外で六俵を担いで山へ運び終えた佐蔵は、戻ってきて兵を超えようとし、暗がりの中、見慣れぬ足場につま先を滑らせ、そのまま岡に転がり落ちました。傘が脱げて転がる痩せた男を、熊吉は盗人かと思い込んで飛びかかり、二人はもつれ合ったまま納屋の中へ転がり込んでまりました。松はその晩、初めて四晩握り続けた鍵を自分の手で開け、庭を横切って納屋の外から鍵を差しました。差し終えて一歩下がったその瞬間、佐蔵の手が内側から戸板を強く叩き、鍵が跳ね上がりました。松は両手で鍵を抑え、体ごと戸に押し付けました。中から男の力が、幾度も伝わってまいりました。子供の腕は震え、足は土に食い込みましたが、それでも鍵を離しませんでした。しばらくして、中の力がふいに弱まりました。二人が互いを取り違えて、また揉み合い始めたのでございます。子供はようやく息をつきました。恐ろしくないわけがございませんでした。それでも手を離さなかったのは、六年、この家で自分の手が何かを守り抜いたのは、これが初めてのことだったからでございます。

夜が明けると、納屋の戸がはだけ飛んで、二人が転がり出てまりました。互いに先を争って出ようとして、押し合ってしまったのでございます。佐蔵が兵を超えながら叫びました。

「これもすっかり計算のうちだ」

その後も熊吉が埋め合わせるように追いかけました。松は庭に立って、その後ろ姿が兵の向こうへ消えるまで見送り、くすくすと笑いました。それから大きく伸びをして、壊れた納屋の戸を片隅へ寄せ始めました。日が登れば、家のものが帰ってまいります。庭がこのありさまでは、驚かせてしまいましょう。

背後で、戸の開く音がいたしました。振り返りますと、六兵衛が離れの縁側に立っておりました。壊れた納屋、泥に汚れた豚小屋、そして倉の戸が壊れておるのを見て、顔が青ざめました。

「開いておる。開いておるぞ」

「倉は無事でございます」

と松が申しますと、六兵衛は子供を振り返り、そのまま何も言えなくなってしまいました。

日が登ると、力松が真っ先に入ってまいりました。庭の有様を見るなり、まっすぐ松の元へ駆け寄り、怪我はないかといつになく声を荒げて尋ねました。松の手のひらを見て、

「これは何じゃ」

と尋ねますと、

「働いた跡でございます」

と松は答えました。力松は答える代わりに、松の手を引いて倉へ連れてまりました。倉の奥には、本物の米俵が一粒も減らず並んでおり、力松はもみ殻の俵を片手で持ち上げて、庭に響き渡るほど笑い出しました。

続いて神兵とお常が入ってまいりました。壊れた納屋を見て、お常はその場に座り込みそうになりました。

「これはどうしたことか」

六兵衛が庭の真ん中へ進み出て、膝をつきました。三十年年、倉を数えてきたものが、庭の土の上に膝をついたのでございます。

「それがし、詮議に値する失態をいたしました。米は一粒も減っておりませぬ。なのに、なぜ膝をつく」

六兵衛は顔を上げられぬまま、こう続けました。

「この子が、それがしの元へ三度も参りました。まずは鍵に蝋がついていると申し、次は倉の裏に足跡が二つあると申し、倉が破られると申しました。それがしは三度とも、知り解けました。倉の近くによるなと申し、見間違えておるのだと申しました。この家の倉を守ったのは、それがしではなく、この子でございます」

力松がその後を継ぎ、昨夜、この子が裏壁を見せてくれたことを、庭に響く声で語りました。そこへ千代が人々をかき分けて参りました。真っ先にしたことは、松の両手をひっくり返して、手のひらを確かめることでございました。

「私は五晩だけ待てば戻ると申したではないか」

松は答えられませんでした。豚小屋の方に、荷物が一つ転がっておりました。力松が拾いますと、中から鍵の束と、倉の見取り図らしき紙、そして花柄の巾着が出てまいりました。お常は自分の鍵と見比べ、言葉を失いました。千代がその巾着を受け取り、

「これがなぜ盗人の手に」

と尋ねますと、

「俵を運ぶ間に懐からこぼれ落ちたのでしょう」

と答えました。

「お嬢様が盗人を捉えたのでございます」

と松が言いますと、千代は大喜びで庭を駆け回りました。お常は前に進み出て、あの日、子供を叱りつけた自分の言葉を思い出し、腰の鍵の束を静かに外しました。

神兵が半助に何を飲んで眠ったか問い詰めますと、松が持ってきた酒瓶の残りを見て、半助は膝から崩れ落ち、

「わしの耳より、十歳の耳の方が効いておったとは」

と詫びました。神兵は庭の真ん中に立ち、屋敷中のものを見渡しました。

「我が家には鍵が四つあると常々申しておった。表門の門扉の鍵、倉の鍵、番頭、そして台所の鍵と。ところが、五つ目があったのだな」

その日、松の奉公人受け場は庭の日なたに置かれ、橋から黒書に、やがて籍になりました。神兵はその足で人を大所へやり、人別帳に松を一員として登記させました。当の名義に分け、こう申しました。

「今日よりそなたは、この家の道具ではない。この家の身内じゃ」

その日の夕方、離れの広間に膳が並びました。倉の前で眠っていた子供が広間に座るのは、この家に来て以来のことでございました。白い飯から湯気が立っておりました。お杉が子供の椀に肉をどんどんと乗せてやりました。

「食え」

千代がとことこと駆けかけてきて隣に座り、松の両手を取って、赤く腫れた手のひらをそっと撫でました。

「まだ痛むか?」

「もう痛みませぬ」

千代はそれでもしばらく手を離しませんでした。それから松の袖をぎゅっと握りました。

「父上に申したぞ。そなたの言うたことはみんな誠だったと。これからは、私がしんでも、そなたはもう、倉の前だけの子供ではないのじゃな」

松が笑いました。目が三日月になりました。千代はそれを見て、しばらく黙って松の顔を見つめておりました。それから小さな声で言いました。

「よかった。そなたが泣かずに済んで」

松は何も言えませんでした。膳が終わりました頃、六兵衛が立ち上がり、子供の前まで歩いてまいりました。

「松」

六年ぶりに呼ばれた名でございました。それも、これまでのように呼び捨てるためではなく、まるで初めて口にする言葉のように、丁寧に呼ばれたのでございます。

「はい。番頭様」

「お前がごしたことを、誰も見てはおらなんだ。わしはその五晩、ずっとこの家におったのに、それでも見えなんだ」

松が、以前に自分が六兵衛に申した言葉を思い出させますと、六兵衛の目が赤くなりました。

「わしにも、隠したものがあったのだな」

それから、お常が返した鍵の束を、子供の手にそっと握らせました。重くひんやりとしたものが手のひらに乗りました。

「これからは、お前が開けよ」

一方、山のほら穴で俵を開けた佐蔵と熊吉は、中身が全てもみ殻だと知り、言葉を失いました。佐蔵はしばらく無言で座り込んでおりましたが、やがて低い声で、

「あの屋敷には、わしの目をも欺くものがおったのだな」

とだけ申しました。笑い事では済まぬ相手だったと、佐蔵はその晩初めて悟ったのでございます。数日の後、質屋で盗品を売ろうとした佐蔵は、大黒の使いのものに見つかり、熊吉ともども捕らえられ、奉行所で叩きの目に遭い、縄につながれました。

その晩、松は倉の夜番になって初めて、倉の戸の前ではなく、自分の部屋の中で眠りに着きました。布団が温かく、床が温うございました。手にはまだ鍵の束が握られておりました。窓の外には見慣れた星ではなく、天井の木目が広がっておりました。外の靴石のそばでは、脇丸がいびきをかいておりました。

それから後、大国屋の倉の鍵は、十歳の子供の腰に下がって回るようになったと申します。五晩の間に子供がしたことを見たものは、誰もございませんでした。それでも、その五晩はどこにも行きはいたしませんでした。掛け金を握りしめて白くなった手も、誰にも信じてもらえぬまま一人で耐えた夕暮れも、見たものがおらぬからと言って、亡くなるわけではございません。皆様が過ごしてこられた夜も同じでございましょう。誰にも見られずとも、確かにそこにあったものは、確かにそこにあったのでございます。

お話はここまででございます。長らくのお供、誠にありがとうございました。

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