親戚の集まりで、妹が婚約者を紹介してくれた。
「お姉ちゃん、紹介するね。こちら、今度私が結婚する佐橋時夫さん」
その言葉を聞いた瞬間、私は固まった。
そこに立っていたのは、私の婚約者である佐橋時夫だったからだ。
「は? 嘘。どういうこと? 佐橋時夫は私の婚約者なんですけど」
私たち姉妹は、佐橋時夫に騙されていたのである。
時夫は、私には市役所勤務の安定した公務員という顔を見せ、妹には大企業のエリートという刺激的な夢を見せていた。
まんまと彼の嘘に騙された自分に腹が立つ。
私とお姉ちゃんを騙したあいつが許せない。
「そうね。ギャフンと言わせてやりましょう」
私と妹は、時夫にきついお仕置きをすることにしたのだ。
時夫がどこにも逃げられない状況で、かつ彼の居場所が最も惨めに崩れる場所で、彼がやったことを全てぶちまけることにしたのである。
数日後、私は時夫が働いている市役所を訪れた。
平日の午後は、彼が窓口担当をしている。
多くの市民が手続きに訪れ、後ろには時夫の上司が控えている。
この状況であれば、彼に逃げ場はない。
「婚姻届けには、私の名前と妹の名前、どっちをあなたの妻として書けばいいのかしら?」
合唱部で鍛えた声は、市役所内に響き渡っていた。
私は美、26歳。大手化粧品メーカーで事務をしながら一人暮らしをしている。
三ヶ月前、交際一年半になる彼氏、佐橋時夫と婚約し、結婚に向けて準備を進めているところだ。
当時の私は、結婚願望があるものの自分に合う男性と巡り合えておらず、心のどこかで焦っていた。
そんな中、友人から誘われた合コンで、二歳年上の時夫と出会ったのだ。
時夫に会った瞬間、私は運命を感じた。
時夫は見た目に派手さはないものの落ち着いた雰囲気を持っており、将来を見据えた話しぶりに誠実さも感じられる。
仕事も市役所勤務と聞き、将来にわたって安定した収入が約束されていた。
話していても時夫は穏やかな口調でユーモアを混ぜながら楽しい話をしてくれる。
私と同じ読書が趣味ということにも親近感が湧いたのだ。
意気投合した私たちはお互いに連絡先を交換し、時々二人で出かけるようになり、やがて交際することになった。
デート中も時夫は優しく語りかけ、決して私に無理をしない。
金銭的な面も無駄遣いを嫌いながらも、使うところは使う。
時夫はまさに私の理想の相手だったのだ。
時夫とであれば、結婚しても穏やかで安定した生活が送れるだろう。
そう感じていたのだ。
そのため、時夫からプロポーズされた時は迷いなく受け入れた。
「必ず幸せにするよ」
時夫は私を抱きしめ、約束してくれたのだ。
婚約が決まった数日後、挨拶のため実家の母を訪ねた。
「不束者ですが、美さんとの結婚を認めてください」
時夫は深々と頭を下げ、母に許してもらえるよう願い出たのだ。
「いいご縁があって本当に良かったわ。美のこと、よろしくお願いしますね」
母は涙を流して私たちの結婚を喜んでくれたのである。
子供の頃に父が事故で亡くなって以来、女手一つで私と妹を育ててくれた母の唯一の悩みが、私の結婚だった。
私は昔から男勝りなところがあり、曲がったことが大嫌いで、どれほど周りが正しいと主張しても自分が間違っていると思えば意見を言わずにはいられない。
おしとやかな大和撫子とはほど遠い私が結婚できるのだろうかと母は気を揉んでいたらしい。
その数日後には、親戚を集めて私の婚約パーティーを開いてくれた。
残念ながら当日は時夫に用事があり、私だけの参加となってしまったのだが、親族たちも「手堅く相手を選んだ」と公務員である時夫との結婚を祝福してくれ、私は幸せの絶頂にいたのである。
「お姉ちゃん、おめでとう」
四歳年下の妹、雫も私の結婚を喜んでくれていた。
雫とは子供の頃から仲がいい。
母が仕事に出かけている間、姉妹二人で家事をしながら母の帰りを待っていた。
雫が中学になるとお互いの恋愛話もし合うようになり、社会人になってからはそれぞれ一人暮らしをしながらもお互いのことを支え合ってきたのだ。
「次は雫の番ね。雫にもいい人が見つかればいい」
私は心から願っていたのである。
その願いが届いたのか、三ヶ月後、雫が運命の人に出会ったと婚約したことを報告してきた。
雫はよほど嬉しかったのだろう。顔を赤らめて興奮気味に私に駆け寄ってきたのだ。
「その人はね、超有名企業のエリートなのよ」
雫が言うには、お相手は国内有数の大企業である陽正社に務め、将来有望だと期待されているらしい。
住まいは都内にあるタワーマンションで、年収は二千万を超えているそうだ。
「玉の輿よ。すごいでしょう」
週末ごとのデートには必ず高級フレンチや夜景の見えるバーに連れて行ってくれ、数十万するブランドバッグやアクセサリーを毎回のようにプレゼントしてくれるのだとか。
「見てお姉ちゃん、信じられる?」
雫は婚約者にもらったというブランド品を私に見せてくれた。
しかし、どこか違和感を感じたのである。
「お姉ちゃんの旦那よりハイスペでごめんね」
雫は悪気なく婚約者自慢をしているが、本当に信じていいのだろうか。
「その人、会社ではどんな仕事をしてるの?」
「うーん、詳しくは分からないけど、近いうちに部長になるって言ってたわ」
雫の話によれば、相手の男性は役職が約束されているらしく、会社もフレックス制で自由に時間が使えるらしい。
出張がある時は週末のデートは流れになるものの、日帰りが多いらしく夜には必ず連絡をくれるのだとか。
「彼、営業成績が社内トップらしいのよ。社長の椅子も遠くないって言ってたわ」
「その人、何歳なの?」
「28だよ」
雫の婚約者は偶然にも時夫と同じ年齢だった。
しかし年齢が正しいのであれば、おかしな点がいくつかある。
陽正社といえば有名大学を卒業したエリートがたくさん働いているのだが、三十歳までに部長に昇進する人はいない。
雫の話では婚約者は地方にある大学を卒業しているそうだが、一般大学出身で「近いうち社長」というのも考えにくいのだ。
これに加え、陽正社がフレックス制度を取り入れているとは聞いたことがない。
「その人、本当に陽正社で働いてるの?」
「間違いないわ。名刺も見せてもらったし」
雫の話だけで判断するわけにはいかないが、どこか不自然さを感じてしまう。
その時、机の上に置いてあったネックレスが目に入った。
まだ買ってもらったばかりなのか、きちんと箱に納められ鑑定書も置かれている。
しかし、その鑑定書に私は違和感を感じたのだ。
本物のようにも見えるが、コピーされたもののようにも見える。
その上、店員が押された日付に書き換えられたような跡がついていたのだ。
「これって、一緒に買いに行ったの?」
「違うよ。いつも彼が買ってきてくれるの」
雫の話では、プレゼントは決まって婚約者が購入したものを持ってくるらしく、どこの店で買ったのかは分からないという。
雫の婚約者の素性が怪しい。
私は直感的に、雫が騙されているのではないかと思ったのだ。
「その人、本当に信じてもいいの?」
「あ、お姉ちゃん。もしかして私に焼き餅焼いてるの?」
雫は私の話を軽く聞き流してしまったのである。
しかし、騙されているかもしれない妹をそのまま放っておくわけにはいかない。
数日後、私は趣味で探偵をやっている本田恵を訪ねた。
「雫が怪しい男に騙されてるかもしれないの」
恵は真剣になって話を聞いてくれたのだ。
「確かに怪しいわね。分かった。ちょうど仕事も落ち着いてるし、一度調べてみるわ」
恵の調査は趣味とはいえ本格的なもので、これまでも多くの友人が救われてきた。
以前、「本業にしないのか」と尋ねた時は「趣味だから続けられるの」と笑っていたが、彼女が興味を持ったことだけ調べる方針から本業にはしないそうだ。
その彼女が興味を持ち調べてくれると言ってくれ、私はほっとしていた。
これで雫の婚約者の本性が分かる。
雫が信じている通りの男性であれば、私も心から祝福してあげられる。
しかし、もし騙されているのであれば、早い段階で目を覚まさせてあげなければならない。
可愛い妹だからこそ、姉として真実を明らかにしようと思ったのである。
三週間後、恵から調査が終わったと連絡が入り、彼女の事務所へと向かった。
「とんでもないことが分かったの」
恵は言いにくそうに言葉を濁らせている。
「やっぱり、雫は騙されてたの?」
「うん。そうなんだけど、それだけじゃなくて」
恵は気まずそうに調査報告書を手渡してきた。
「覚悟して読んで」
調査の結果、一体何が分かったというのか。
私は不安に駆られながら報告書に目を通した。
「嘘でしょ?」
驚いたことに、雫の婚約者の正体は私の婚約者である時夫だったのだ。
恵が証拠として撮影した写真には、雫と仲睦まじく笑い合う時夫の姿があった。
しかし、そこに映る時夫の姿は、私が知っている彼とはどこか違う。
高級そうなスーツに身を包み、髪も遊ばせている。
私と会う時の時夫はいつもラフな格好で髪分けの真面目な印象だが、それとは真逆のイメージを持った。
「だけど、雫の婚約者は陽正社のエリートだって言ってたわ」
「それ、全部嘘だったわ」
恵の調査では、時夫の勤務先は市役所だった。
私には本当のことを言ってたんだ。
そう思ったのだが、時夫は市役所の正規職員ではなく、非正規雇用のアルバイトだったのだ。
さらに、雫に自宅だと見せていたタワーマンションは、撮影やデート用に使用されるレンタルルームで、妹を騙すために短期契約していたらしい。
時夫の本当の住まいは、彼の実家だった。
「驚いた。私には一人暮らししてるって言ってたわ」
時夫は雫だけでなく、私にも嘘をついていたのだ。
「だけど、アルバイトの彼がどうやって高級なブランド品ばかり雫にプレゼントできたのかしら」
「彼の両親は会社を経営してるみたいよ」
時夫は自分の両親に対し、「昇給のため」や「結婚に向けた貯蓄」と嘘をつき、小遣いを無心していたのだとか。
「まさか私にくれた婚約指輪も、おそらく彼の両親のお金で買ったものね」
時夫はただの親の脛かじりだったのである。
私の前では穏やかで安定した公務員を演じ、その裏で雫にはやり手の実業家という刺激的な役柄を演じていた。
巧妙な手口で私たち二人を騙していたことに腹が立つ。
私はその場に雫を呼び出し、全てを告白した。
「そんな…信じられない」
恵が集めてくれた証拠の前で、雫は言葉を失っている。
無理もない。
白馬の王子様だと信じていた彼が、実は姉の婚約者で大嘘つきだったのだ。
私自身、時夫の嘘に全く気づいていなかった。
思い返せば、おかしな点はいくつもある。
時夫は市役所に務めているというが、行政の手続きのことをほとんど知らなかった。
「部署が違う」と言われ納得していたが、市民課で窓口対応をしていると言いながら、婚姻届けの提出に戸籍謄本が必要なことも知らなかったのだ。
さらに、土曜日も仕事があると言い、私とのデートは必ず日曜日だったことも、考えてみればおかしい。
時夫は雫と土曜日にデートするために、仕事だと偽っていたのだ。
本当に公務員なのであれば、毎週のように土曜日に仕事があるはずがない。
「もしかして、私にくれたプレゼントも全部偽物?」
「それは鑑定してみないと分からないけど、少なくともブランドショップで買ったものではないわ」
時夫が雫にプレゼントしていたブランドバッグやアクセサリーの一部は、リサイクルショップで売られていたものだった。
時夫の両親は彼に甘く、要求されるまま小遣いを渡していたそうだが、さすがに正規販売店で購入することはできなかったのだろう。
「全然気づかなかった」
添付されていた保証書は、彼の母親が購入した時のものを加工したらしい。
「だけど、どうしてそんなことを? 私と結婚したらどうするつもりだったのかしら?」
時夫が私と雫が姉妹であることを知らないはずがない。
日頃から彼との会話の中で雫の話題を出すこともある。
「もしかして、お姉ちゃんとの結婚も嘘だったんじゃ…」
雫の推理は、あながち間違ってもいないだろう。
「そうかもしれないわね」
まんまと騙されてしまっていた自分が情けない。
私と雫は深い悲しみに包まれた。
時夫は私たちの理想の相手を演じ、それぞれに結婚を約束することで自分の嘘がバレないように惑わしていたのだ。
そうとも知らず浮かれていた自分に腹が立つ。
「信じてたのに、ひどい」
「でも、こんなことをして一体何が目的だったのかしら」
時夫が何を目的に私たち二人と婚約したのか分からない。
よくある結婚詐欺であれば、私や雫に高額のお金を要求するのだろうが、交際を始めてから彼にお金を要求されたことはないのだ。
「彼がどういうつもりだったのか、本人に直接確認するしかないわね」
恵は時夫への復讐を提案してきたのだ。
「私とお姉ちゃんを騙したあいつが許せない」
「そうね。ギャフンと言わせてやりましょう」
私と雫は時夫にきついお仕置きをすることにしたのだ。
時夫がどこにも逃げられない状況で、かつ彼の居場所が最も惨めに崩れる場所で、彼がやったことを全てぶちまけることにしたのである。
翌日、私は時夫がアルバイトをしている市役所を訪れた。
平日の午後は彼が窓口担当を務めている。
多くの市民が手続きに訪れ、後ろには市役所の正規職員が控えている。
この場所なら、時夫に逃げ場はない。
深ぶかと帽子をかぶり、サングラスをして時夫の前に立つ。
「婚姻届けをください。一枚でいいですか?」
時夫は私に気づいていないようだ。
面倒そうに腰を上げ、婚姻届けを手に戻ってくる。
「必要事項を全て記入して提出してください。できればご主人と二人で来られることをお勧めします」
「そう。じゃあ、今この場で記入するわ。夫の欄はあなたが書いて」
私はサングラスを取り、時夫の目を見つめた。
時夫は驚いた。
「一体、どうしたんだ?」
時夫は不思議そうに私を見つめている。
「結婚式まで数日だし、先に婚姻届を出しておこうと思ったの」
「それなら、休みの日にゆっくり記入しよう」
時夫は仕事中だと言い、記載を拒否したのだ。
「そう言って、これまで全然書いてくれなかったでしょ。本当に結婚する気あるのかなって不安なのよ」
「大丈夫だよ。俺は約束を守る男だ」
時夫は笑顔を見せているが、そもそも嘘ばかりの彼のどこにそんな自信があるのか。
「それじゃ、もしも結婚が破談になったら、予約してある式場のキャンセル料はあなたが払ってね」
「そんなことにはならないよ」
時夫は私との結婚は絶対だと断言して見せた。
そこに、雫が駆け寄ってきた。
「あれ? お姉ちゃん、こんなところで何してるの?」
雫の顔を見た瞬間、時夫は顔を青ざめさせた。
「陽正社のエリートは、市役所の仕事までするのかしら?」
「どういうことだよ。なんで雫がここにいるんだ?」
時夫は激しく動揺を見せ、手を小刻みに震わせている。
「お姉ちゃん、紹介するね。こちら、今度私が結婚する佐橋時夫さん」
雫は周囲に響き渡るほど大きな声で彼を紹介したのだ。
「は? 嘘? どういうこと? 佐橋時夫は私の婚約者なんですけど」
私も雫に負けないくらい大きな声で時夫との婚約を明かした。
その瞬間、周囲にいた全ての人が私たちに注目したのだ。
「一体、どうなってるんだよ。どうして二人がここにいるんだ?」
「あら、姉妹で市役所を訪れたらダメだったっていうルールでもあるのかしら」
私は時夫に冷たい視線を送ったのだ。
「ところで、婚姻届には私の名前と妹の名前、どっちをあなたの妻として書けばいいのかしら?」
合唱部で鍛えた声は、市役所内に響き渡っていた。
「とにかく、落ち着け」
「あら、私は至って冷静よ」
庁舎内は静まり返り、そこに居合わせた全ての人が時夫に白い目を向けている。
「佐橋時夫さん、私と婚約しておきながら、お姉ちゃんと結婚するの?」
「その話は後でゆっくりするから、今日はとにかく帰ってくれ」
時夫は私たちを帰らせようとしたが、簡単に引き下がることなどできるはずがない。
「私と婚約しておきながら、妹とも婚約しているってどういうことかしら? ちゃんと説明してもらいましょうか? 佐橋時夫さん」
私と雫に詰め寄られ、時夫はたじたじだ。
「ところで、正規社員のはずのあなたが、どうして午後しか出勤していないのかしら?」
「今日はたまたま午前中に休みを取ったんだ」
「へえ。じゃあ、正規雇用には間違いないのね」
私は窓口の奥にいる時夫の上司たちに向かって、「佐橋時夫さんは本当に正規雇用の公務員なんですか」と問いかけた。
「違う、誤解なんだ」
上司に睨まれ、時夫はさらに顔を青く染めていた。
しかし、それに構わず私と雫は次々に彼の嘘を暴露したのだ。
「年収二千万以上っていうのは本当なの? 佐橋時夫さん」
「佐橋時夫はパパやママからお小遣いもらって、それでブランド品を買ってたんでしょ」
時夫が経歴を偽って私たちを騙していたこと。親に嘘をついてせしめた高額なお小遣いでブランド品を買っていたことなど、周囲の人々にわざと聞こえるように大声で叫ぶ。
「待ってくれ。冷静に話し合おう」
時夫は周りの職員たちに言い訳しながら慌てふためいていた。
「佐橋時夫が大嘘ついて姉妹に二股掛けてたって話をするのかしら」
「見栄張って買ったブランド品が、実はリサイクルショップで購入したものだって暴露するんじゃないの?」
私と雫が自分の嘘を全て見抜いている。そう悟った時夫は、別人のふりをし始めた。
佐橋時夫とフルネームを何度も連呼され、その場に居づらくなったのだろう。
「俺じゃない。俺のことじゃない」
「いいえ、間違いなくあなたよ」
「そうよ。婚約者の顔を見間違えるはずがないわ」
言い逃れができないと思った時夫は、窓口を飛び出し逃走を図った。
しかし、多くの市民が壁となって立ちはだかり、どこにも逃げることができない。
役所の職員からも冷ややかな視線が送られている。
「どういうことか、ちゃんと説明してもらいましょうか」
私と雫は時夫の前に立ちはだかった。
「俺は、二人を幸せにしたかっただけだ」
「これのどこが幸せなの?」
「家庭的な美と華やかな雫。二人いて初めて俺の人生が完成するんだよ」
時夫は意味不明な主張をしたのである。
その様子を、周囲の職員たちも呆れながら見つめている。
「自分の両親からお金を騙し取って、心が痛まないの?」
「愛する女を喜ばせるために使ったんだ。親孝行みたいなもんだろ」
時夫は両親からお金を騙し取ったことさえも正当化したのだ。
「本当に結婚するってなったら、どうするつもりだったの?」
「その時は、二人と結婚する」
時夫は日本でも一夫多妻制を認めるべきだと言い放ったのだ。
救いようのない自分勝手な理論に、周囲からは呆れ返った声が聞こえてきた。
そこへ、騒ぎを聞きつけた市長が降りてきた。
「一体、何の騒ぎだ?」
「おじさん」
実は、市長である織川茂は私と雫にとっては叔父に当たる人で、昔から私たちを可愛がってくれている。
子供に恵まれなかった叔父にしてみれば、私と雫が本当の娘のように感じていたのかもしれない。
小学校に入学する時のランドセルも、中学の修学旅行の費用も、全て叔父が負担してくれた。
昔から多忙な人ではあったが、時間を見つけては私たち姉妹を旅行に連れて行ってくれ、父親がいない私たちにとっては父親のような存在の人なのだ。
「ちょっと待てよ。市長が、おじさん?」
「ええ、そうよ。現市長が私たちの叔父だと知り、時夫は大いに焦っている」
実はね、私と雫はこの一部始終を叔父に報告した。
「なんてことだ」
叔父は、大事な姪たちが一人の男に弄ばれ、さらに市民の憩いの場である市役所を知略で穢したと激怒したのだ。
「い、いえ、誤解です。僕はどちらのことも真剣に愛してます」
時夫は市長である叔父に必死に言い訳を繰り返している。
「君は、二人と本気で結婚するつもりだったと言いたいのかね?」
「もちろんです」
時夫は、美と雫の両方と本気で結婚を考えていたと言えば叔父が納得すると思ってるのだろうか。自信満々に胸を張ってみせた。
「バカもん!」
叔父の怒号が響き渡る。
「君の代わりはいくらでもいるが、姪たちの心の傷は、君ごときの人生では償えるものではない」
叔父は、非正規雇用の時夫に対し、その場で契約更新を行わないと告げたのだ。
「待ってください。こんなことで首になるなんておかしいです。お願いですから、話を聞いてください」
「これは決定事項だ。著しい職務放棄。市役所の信用失墜。理由なら十分ある」
叔父は必死にすがりつく時夫を冷たく突き離したのだ。
「頼む。お前たちからも、市長に頼んでくれ」
時夫は私と雫に泣きついてきた。
「どうして私が、詐欺師の味方なんてするわけないじゃない」
結婚という幸せな夢を利用し、私と妹を手玉に取った時夫を許せるはずがない。
私たちは泣きすがる時夫を払いのけ、市役所を後にしたのである。
その後、時夫は「不当だ」と市役所のロビーで大暴れしたようだが、駆けつけた警備員によってつまみ出されたそうだ。
その日の夜、テレビでは市役所での事件として、この時のことが話題を呼んでいた。
顔にモザイクがかけられているとはいえ、見る人が見れば当事者が時夫だということが分かるだろう。
コメンテーターは呆れた顔で「正規雇用とはいえ、こんな職員は迷惑だ」とコメントしている。
翌日には、SNSで一連の出来事が流れた。
偶然居合わせた市民の誰かが動画を撮影していたらしい。
コメント欄には「最低」「人として許せない」と批判の声が多数寄せられている。
動画はまたたく間に拡散されたようで、時夫の顔が晒され、実家の住所まで特定された。
その結果、時夫の実家には複数の野次馬が押しかけ、連日スマホのカメラを向けているらしい。
近所からも迷惑がられ、時夫の両親が経営している会社にまで苦情の電話がかかるようになったそうだ。
その結果、嘘を塗り重ね言い訳ばかりの時夫に両親は呆れ返り、ついには彼を勘当し、家から追い出したのだとか。
住む場所も仕事も失った時夫には、ネットでの悪名だけが残ったのだ。
数日後、時夫からメールが届いた。
「外は寒くて冷えるから、一晩泊めてくれ」
同時刻、雫の元にも同じ文面が届いたらしい。
両親から「家の恥晒し」と見放され、社会からも孤立した時夫は、親戚を頼ったそうだが、誰からも相手にされず、友人たちも彼を見捨てたのだとか。
行く当てもなくなった時夫のことを思うと少しかわいそうな気もするが、全て自業自得なのである。
「お姉ちゃん、どうする?」
「無視するに限るわね」
実家で雫と共に母の手料理を楽しんでいた私は、二人で時夫の連絡先をブロックすることにしたのだ。
時夫に鉄槌を下した後、恵からの追加報告として、彼は私と雫の他に複数の女性と関係を持っていたことが分かった。
時夫はそれぞれの女性に別の肩書きで接近し、結婚を約束していたのだ。
もしかしたら彼は本当に一夫多妻制を実現しようとしていたのかもしれない。
しかしSNSで本性が暴露され、全ての女性から突き離された上、数人の女性からは慰謝料を求められているのだとか。
そんな時夫にしてみれば、私たちが最後の頼みの綱だったのだろうが、そんな身勝手なことを考える男に付き合っている暇はない。
誰からも相手にされなくなった時夫は、その後公園で寝泊まりするようになったようだ。
結婚式場からも多額のキャンセル料を請求された時夫は、とにかく収入を得ようとアルバイト先を探したようだが、雇ってくれるところは見つからなかったらしい。
ある日、仕事からの帰りにコンビニによると、見窄らしい格好で彷徨い歩く時夫を見かけた。
何日も食事をしていないのだろう。痩せこけ、正気を失ったような顔をしている。
しかし、もう過去の人である時夫を助ける義理はない。
私は見なかったことにして通り過ぎようとした。
「美!」
私を見つけた時夫は、足元にすがりついてきた。
「頼む。これまでのことは謝るから、もう一度俺とやり直してくれ」
「ちょっと、やめて」
いくら謝られても、時夫とやり直すことなど考えられない。
「それでも、俺が本当に愛していたのはお前だ」
時夫は手を離さなかった。
そこに、警察官が駆け寄ってきた。
ちょうど巡回していたところだったらしい。
警察官に「お知り合いですか」と尋ねられ、私は「知らない人です」と答えた。
その結果、時夫は不審者として警察に連行されたのである。
警察できつく説教され、釈放された時夫は、その後人知れず姿を消した。
おそらく、誰にも相手にされないこの町での暮らしが嫌になったのだろう。
その後、彼がどうしているのかは分からない。
雫は時夫からもらったブランド品を全てリサイクルショップに売り払った。
気持ちの悪い思い出を手元に置いておきたくなかったようだ。
「思ったより高く売れたから、みんなで温泉旅行にでも行こう」
雫の誘いで、親子三人の豪華温泉旅行が実現したのである。
「玉の輿に憧れたけど、もうこりごり」
雫は今回の件で、本当に大切なのは肩書きではなく誠実さであることを痛感したようだ。
時夫の偽りのステータスに目がくらんだと、反省の色を見せた。
「私も、安定した結婚生活を求めすぎたのかもしれない」
私も自分を省みている。
これからは、人の本質を見抜ける自分になろう。
そう心に誓いながら、今日も私は前に向かって歩き出していくのである。



