「この子、本当に恥ずかしい子ね。」
嫁のその一言で、せっかくの家族の食卓が凍りついた。
久しぶりに息子の家族が揃った我が家。私、井川はる子は、心を込めて作った料理を囲んで、楽しい夕食の時間を過ごしていた。息子の勇気、その妻で嫁のみさき、そして小学1年生になった孫の陸人。幸せな家族の風景のはずだった。
ところが、食事も終わりに近づいた頃、陸人が突然立ち上がり、キッチンからタッパーを持ってきた。そして、震える小さな手で、テーブルに残った料理を次々と片付け始めたのだ。
みさきの一言は、まさにその瞬間に放たれたものだった。
「陸人、どうしてそんなことをするの?」と私が声をかけると、陸人は涙目で振り返った。
「おばあちゃん、お腹空いた時のために…学校から帰っても、ママがいない時のために…」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。小学1年生の孫が、食べ物を必死に確保しようとしている。痩せた方、小さい体、そして怯えた表情。今まで見過ごしていた全ての違和感が、恐ろしい真実として立ち現れた。
私は陸人を別室に連れて行き、優しく話しかけた。
「陸人、いつもお家でご飯食べてるの?」
陸人は小さく首を横に振った。
「パパとママはお仕事忙しいから、朝ご飯も夜ご飯も僕1人で食べるの。でも、冷蔵庫に何もない時が多くて…」
胸が締めつけられる思いだった。そういえば、最近会うたびに、陸人の服のサイズが去年のままで、明らかに小さくなっている。学校の給食は…
「給食は大好き。いつもお変わりするんだ。でも、先生にもうないよって言われちゃう。」
私は震える手でスマートフォンを取り出し、みさきのSNSを確認した。そこには衝撃的な投稿が並んでいた。
「今日も高級フレンチ、最高!」
「六本木の新しいイタリアン、1人8000円のコース!」
豪華な料理の写真が次々と表示される。投稿日を見ると、ほぼ毎日のように外食している。
年収100万円を超える息子夫婦が毎晩高級レストランで食事をしている一方で、小学1年生の陸人は空腹に耐えていたのだ。
「これは虐待じゃないの?」
私の中で、母親としての怒りが静かに、しかし確実に燃え上がり始めた。銀行員として37年間培ってきた冷静さを保ちながら、私は証拠を集める決意を固めた。
翌日、息子夫婦が仕事で出かけた隙に、私は息子の家に行き、陸人の部屋を調査することにした。
「おばあちゃん、何してるの?」と陸人が不安そうに見ている。
「大丈夫よ、陸人。おばあちゃんはあなたを守るために動いているの。」
部屋のクローゼットを開けると、奥から小さなビニール袋が出てきた。中を見て、私は息を飲んだ。パンの耳、切れ端の乾麺、しなびたリンゴの芯。陸人が密かに集めていた食べ物だった。
机の引き出しからは、1冊のノートが見つかった。表紙には「秘密の日記」と書かれている。震える手でページをめくると、そこには衝撃的な内容が綴られていた。
「今日も朝ご飯なかった。学校の給食まで我慢。お腹空いた。」
「ママたちはレストランに行った。僕は留守番。」
「給食を3回お変わりした。先生に心配された。」
涙が止まらなかった。しかし、ここで感情的になってはいけない。銀行員としての経験が、冷静に証拠を集めるよう私に告げていた。
次に、息子夫婦の家計簿を確認した。勇気の部屋にあった通帳とクレジットカードの明細を照合すると、驚くべき事実が判明した。月収は夫婦合わせて100万円を超えているにも関わらず、食費として計上されているのは月5000円程度。一方で、外食費は月30万円以上。ブランド品の購入履歴も山のようにある。エルメスのバッグ150万円、ロレックスの時計100万円。
「陸人の食事代が月5000円? 小学生1人の食費にも満たない金額じゃない。」
私は全ての証拠を写真に納め、データとして保存した。その後、陸人の小学校へ向かい、担任の里田先生に面会を申し込むと、先生は深刻な表情で私を迎えてくれた。
「実は陸人君のことで、私たちも心配していたんです。」
里田先生の言葉に、私の不安は確信へと変わった。
「陸人君は毎日給食を必ず3回はお変わりします。それもものすごい勢いで食べるんです。まるで、次いつ食べられるか分からないような…」
先生は続けた。
「余った牛乳やパンをお家で食べたいと持ち帰ろうとすることもあります。断ると、とても悲しそうな顔をするんです。」
さらに衝撃的な証言が続く。
「朝の会でも、いつも元気がなさそうにしていて、朝ご飯食べた?と聞くと、『昨日の夜から何も…』と小さな声で答えることが何度もありました。」
養護教諭の山下先生も同席してくれた。
「身長・体重測定の結果ですが、陸人君は標準を下回っています。成長曲線から見ても、明らかに栄養不足の兆候が見られます。」
私は先生方の証言を録音させてもらい、成長記録のコピーも受け取った。
「お願いします。陸人君を助けてください。」里田先生が頭を下げた。学校側も対応に苦慮していたのだろう。
家に戻ると、陸人が1人でテレビを見ていた。
「陸人、おやつ食べる?」私がクッキーを差し出すと、陸人は目を輝かせて飛びついてきた。その必死な様子に、また涙がこぼれそうになった。
夕方、息子夫婦が帰宅した。2人とも高級ブランドの服に身を包み、みさきは新しいバッグを持っていた。
「今日も疲れた。母さん、夕飯は適当でいいよ。」勇気の言葉に、私の中で何かがプツンと切れた。
「適当? 陸人は毎日、適当どころか、何も食べていないようだけど。」
「何を言ってるんですか?」
「全て知っているわ。証拠も揃えた。銀行員の本領を見せてあげる。」
私は冷静に、しかし断固とした調子で告げた。もう後戻りはできない。陸人を救うための戦いが、今始まったのだ。
3日後の日曜日、私は親族全員を自宅に招集した。勇気の兄である長男の健太とその妻、私の妹夫婦、そして勇気の従兄弟たち、総勢12名が集まった。
「急に集まってもらって申し訳ありません。でも、どうしても皆さんに知ってもらいたいことがあるんです。」
リビングに全員が揃うと、私は立ち上がった。勇気とみさきは、まだ事の重大さに気づいていない様子でスマートフォンをいじっている。
「今日は、陸人のことでお話があります。」
その瞬間、みさきがため息をついた。
「お母さん、また陸人のことで大げさに…」
「大げさ? 小学1年生が飢えているのが、大げさなことですか?」
私の言葉に、親族全員が顔を上げた。
「母さん、何を言って…」勇気が慌てて立ち上がろうとしたが、私は手で制した。
「まず、これを聞いてください。」
私は録音した担任教師の証言を再生した。
「陸人君は毎日給食を必ず3回はお変わりします。」
「余った牛乳やパンを持ち帰ろうとします。」
「朝の会でもいつも元気がなさそうにしていて、朝ご飯食べたと聞くと、『昨日の夜から何も…』と。」
静寂が部屋を包んだ。健太の妻が口を押さえて息を飲む音が聞こえた。
「これは嘘だ!」勇気が叫んだが、私は冷静に続けた。
「嘘? では、これはどう説明するの?」
私はプロジェクターを使って、集めた証拠を次々と映し出した。陸人の部屋から見つかったパンの耳の写真、お腹空いたと書かれた日記、そして成長曲線のグラフ。
「標準体重を5キロも下回っているのよ。小学1年生でよ。」
妹が立ち上がった。
「はる子姉さん、これ本当なの?」
「勇気君、あなた年収100万もあるって自慢してたじゃない。それがこれよ。」私は家計簿の分析結果を見せた。
「月の食費5000円。でも外食費は30万円以上。先月なんて、一晩で10万円のフレンチレストランに行ってるわね。その日、陸人は何を食べたの?」
みさきが青ざめた顔で反論しようとした。
「それは…仕事の付き合いで…」
「仕事の付き合い? SNSには『結婚記念日』って書いてあるけど。」私はスマートフォンの画面を見せた。豪華な料理の写真と共に、幸せそうにワインを掲げる2人の姿。
健太が勇気に詰め寄った。
「本当なのか? 陸人を飢えさせてたのか?」
「兄貴には関係ない!」
「関係ない? 俺の甥っ子だぞ!」
従兄弟の1人が立ち上がった。彼は小児科医をしている。
「この成長記録を見る限り、明らかに栄養不良の兆候があります。このままでは発達に深刻な影響が出る可能性があります。」
みさきがまだ言い訳をしようとした、その時、陸人が部屋に入ってきた。
「あ…」
親族の視線が一斉に陸人に注がれた。痩せた方、小さな体、そして怯えた表情。誰の目にも、この子が十分な食事を与えられていないことは明らかだった。
「陸人ちゃん、お腹空いてない?」妹が優しく声をかけると、陸人は小さく頷いた。
「うん。朝から何も…」
その言葉に、親族から怒りの声が上がった。
「朝から何も食べてないって? 今も午後よ! 勇気! みさきさん! これはどういうことだ?」
私は最後の証拠を取り出した。それは児童相談所への相談記録と、学校から提出された報告書のコピーだった。
「実は、すでに児童相談所に通報済みです。学校からも正式な報告書が提出されています。」
勇気とみさきの顔が真っ青になった。
「銀行員として37年。私は数字を扱ってきました。数字は嘘をつきません。年収100万円で、子供に月5000円の食費。小学1年生が給食を3回お変わりし、残りものを持ち帰ろうとする。これが虐待でなくて、何だというのですか?」
私は親族全員を見渡した。
「皆さんに集まってもらったのは、証人になってもらうためです。これから私は、この夫婦に対して正式な制裁を始めます。」
勇気が膝から崩れ落ちた。
「母さん、待ってくれ!」
「待つ? 陸人はどれだけ待ったの? お腹を空かせて、どれだけ我慢したの?」
私の声は冷たく、固い決意に満ちていた。私は準備していた書類を取り出し、テーブルに並べ始めた。銀行員として培った経験で、全ての書類は完璧に整理されていた。
「まず、法的制裁から始めましょう。」私は児童相談所からの正式な通知書を取り出した。
「児童福祉法に基づく調査が開始されています。ネグレクトの疑いで、すでに一時保護の検討も始まっています。」
みさきが叫んだ。
「一時保護って…陸人を取り上げるってこと?!」
「取り上げる? 違うわ。保護するのよ。あなたたちから。」
「次に、弁護士からの書類を見せます。」私は別の書類を取り出した。
「親権喪失の申し立て準備も完了しています。私が代理人として申請します。証拠は十分すぎるほど揃っています。」
勇気が震え声で言った。
「母さん、そんなことしたら、俺たちの人生が…」
「陸人の人生はどうなるの? 小学1年生で栄養不良になりかけている子供の人生は?」
健太が弟を睨みつけた。
「勇気、お前は自業自得だ。子供を飢えさせるなんて、人間のすることじゃない。」
私は次の書類を取り出した。
「続いて、経済的制裁です。」それは信託銀行からの書類だった。
「陸人の教育資金として用意していた1500万円の信託。これを即座に解約します。もちろん、あなたたちには1円も渡しません。」
「それは…陸人のためのお金でしょう!」みさきが必死に食い下がった。
「ええ、だからこそ陸人のために使います。ただし、私が直接管理します。あなたたちの手には渡しません。」
さらに別の封筒を取り出した。
「入学祝いとして用意していた100万円。これも当然、取り消しです。代わりに、陸人の生活費として私が管理します。」
勇気が土下座した。
「母さん、お願いします。反省してます!」
「反省? 今更?」
私は最後の書類を取り出した。
「これが、最も効果的な制裁になるはずです。最後に、社会的制裁です。」それは、勇気の勤務先である大手商社の人事部長宛の文書と、みさきの勤務先である外資系企業のコンプライアンス部門への報告書だった。
「明日、両者に正式に報告します。社員が児童虐待を行っているという事実を。」
勇気が顔面蒼白になった。
「それだけは…それだけは首になる…」
「小学生を飢えさせている親が、大手企業で働く資格があると思う?」
妹が口を開いた。
「はる子姉さんの言う通りよ。会社の信用問題にも関わるわ。」
従兄弟の小児科医も頷いた。
「医療従事者として、私も通報の義務があります。これは明らかなネグレクトです。」
みさきが泣き崩れた。
「お母さん、お願いします! 私たちが悪かったんです!」
「悪かった? それで済む問題? 私は陸人の日記を読み上げるわ。」
「今日もママたちはレストランに行った。僕はお腹空いた。」
「これを書いた時の、陸人の気持ちを考えたことある?」
親族全員が息を飲んだ。健太の妻が涙を流していた。
「はる子さん、私たちも協力します。こんなひどいこと、許せません。」
私は親族全員を見渡した。
「皆さん、お願いがあります。今後、勇気とみさきさんには、一切の経済的援助をしないでください。彼らは年収100万もありながら、子供を飢えさせていたのです。」
全員が頷いた。
「当然です。こんな人たち、親族とも思いたくない。」
勇気が必死に訴えた。
「待ってくれ! 俺たちにも言い分が…」
「じゃあ、聞きましょう。なぜ陸人の食費が月5000円なの? なぜ小学1年生が給食を3回もお変わりするの? なぜ朝食も夕食も用意しないの?」
沈黙が流れた。
「答えられない。当然よね。言い訳のしようがないもの。」
私は立ち上がり、陸人を抱き寄せた。
「陸人、今日からおばあちゃんと一緒に暮らそうね。」
陸人が小さく頷いた。
「うん。おばあちゃんと一緒がいい。」
その言葉に、勇気とみさきは完全に打ちのめされた。実の息子に拒絶された親の顔は、もはや見る影もなかった。
私は最後に宣言した。
「これが、あなたたちへの制裁です。法的、経済的、社会的。全ての面であなたたちの行いの報いを受けることになります。小学生を飢えさせた罪は、それほど重いのです。」
制裁宣言から1週間後、事態は急速に動き始めた。児童相談所の職員が自宅を訪問し、正式な調査が開始された。勇気とみさきは必死に取り繕おうとしたが、陸人の部屋から見つかった隠し持っていた食べ物、空っぽの冷蔵庫、そして陸人自身の証言により、ネグレクトは明白だった。
「母さん、お願いします! もう1度だけチャンスを!」勇気が私の家に土下座しに来た。高級スーツは泥だらけになっていた。
「チャンス? 陸人にチャンスはあったの? 空腹に耐えながら、あなたたちが帰ってくるのを待つしかなかった。小学1年生に、選択肢はあった?」
みさきも膝をついた。
「お母さん、陸人を返してください! 私たち、変わります!」
「返す? 陸人は物じゃないのよ。それに、私は陸人に聞いたの。」
陸人は私の後ろに隠れるようにして出てきた。
「陸人、パパとママのところに戻りたい?」
陸人は激しく首を横に振った。
「やだ。おばあちゃんといる。おばあちゃんは、ご飯作ってくれるもん。」
その言葉に、みさきが泣き崩れた。
「陸人! ママが悪かったの! ママ、いつも『恥ずかしい子ね』って言うもん。僕、恥ずかしい子じゃないもん!」
私は陸人を抱きしめた。
「そうよ。陸人は恥ずかしい子なんかじゃない。恥ずかしいのは、小学1年生を飢えさせていた、あなたたちよ。」
その頃、勇気の会社では大きな騒動が起きていた。人事部に提出した報告書が役員会で議題に上がり、勇気は即座に呼び出された。
「君、これは本当なのか? 息子さんを飢えさせていたって?」
上司の言葉に、勇気は何も答えられなかった。
「年収をもらっている社員が、小学生の子供に月5000円の食費だと? 我が社の評判に関わる。」
結果、勇気は無期限の自宅待機処分となった。事実上の退職勧告だった。みさきの会社でも同様の処分が下された。外資系企業はコンプライアンスに厳しく、児童虐待は解雇に値する理由となった。2人とも無職。
私の元に、健太が報告に来た。
「自業自得だ。俺も会社で聞かれたよ。弟さんが児童虐待を…って。恥ずかしくて死にそうだった。」
親族からも完全に見放された2人は、次第に経済的にも追い詰められていった。家賃30万円の高級マンション、月々のローン、高級車の維持費。収入が途絶えた今、それらは全て重荷となった。
「母さん、お金を貸してください!」勇気が再び懇願しに来た。
「お金? 陸人には月5000円しか使わなかったあなたが、私にお金を借りに来るの? それは、あなたたち、先月の外食費はいくらだった? 30万円よね。そのお金があれば、陸人は何ヶ月食べられたかしら?」
私は冷たく計算した。
「30万円あれば、小学生1人なら半年は十分な食事ができるわね。でも、あなたたちは1ヶ月の外食に使った。」
みさきが泣きながら言った。
「反省しています! 本当に反省…!」
「じゃあ、聞くけど、なぜ陸人を飢えさせたの? 本当の理由を言いなさい。」
長い沈黙の後、みさきが口を開いた。
「子育てが…面倒だったんです。」
「面倒?」
「私たち、まだ若いし、自由でいたかった。子供がいると、好きなレストランにも行けないし…」
その言葉に、私の怒りは頂点に達した。
「自由でいたかった? だったら、最初から子供を作らなければ良かったじゃない!」
健太も怒りをあらわにした。
「お前ら、人間じゃないな。陸人が可哀想すぎる!」
家庭裁判所での親権停止の審判も、予想通りの結果となった。裁判官は厳しい表情で言った。
「これは明らかな育児放棄です。児童の健全な成長を著しく阻害していると認められます。」
親権は一時的に停止され、私が陸人の養育者として認められた。
「今後、定期的な面会は認めますが、それも児童相談所の監督下で行うこととします。」
勇気とみさきは、月に1度、児童相談所で陸人と会うことしか許されなくなった。
学校でも、大きな変化があった。私が陸人を迎えに行くと、里田先生が駆け寄ってきた。
「井川さん、陸人君が変わりましたよ! 給食のお変わりも多くて1回になりましたし、授業中も集中できるようになりました!」
養護教諭も嬉しそうに報告した。
「体重も少しずつ増えてきています。このまま順調に行けば、半年後には標準体重に戻れそうです。」
陸人は学校でも明るくなり、友達も増えた。
「おばあちゃん、今日ね、友達とサッカーしたよ!」
「そう、楽しかった?」
「うん! でも、お腹空いちゃった。」
「大丈夫よ。今日は、陸人の好きなハンバーグよ。」
陸人の目が輝いた。
「本当? やった!」
その様子を見て、私は改めて思った。これが、本来の小学1年生の姿なのだと。
一方、勇気とみさきの状況は悪化の一途を辿った。失業保険も尽き、高級マンションを放さざるを得なくなった。かつての友人たちも、児童虐待の噂を聞いて離れていった。
「これが因果応報というものよ。」私は最後の面会で2人に告げた。
「あなたたちは、小学生の陸人から食事を奪った。その報いが、今のあなたたちの状況なの。」
勇気が絞り出すような声で言った。
「母さん、俺たち、どうすればいい?」
「それは、自分たちで考えなさい。ただ、あの時、1人で考えてタッパーに食べ物を詰めることしかできなかった子がいたわ。あなたたちも、自分で考えて生きていきなさい。」
私は陸人の手を握り、面会を後にした。もう振り返ることはなかった。
あれから半年が経った。陸人と私の新しい生活は、穏やかで幸せな日々の連続だった。
「おばあちゃん、おはよう!」
毎朝、陸人の元気な声で目が覚める。以前のようにぐったりとした様子はもうない。頬はふっくらとして、健康的な赤みを帯びている。
「おはよう、陸人。今日の朝ご飯は何がいい?」
「えっとね、おばあちゃんの作る卵焼きがいい!」
台所で朝食の準備をしていると、陸人が後ろから抱きついてきた。
「おばあちゃん、大好き!」
その言葉に、私は手を止めて陸人を抱きしめた。
「おばあちゃんも、陸人が大好きよ。」
朝食のテーブルには、炊きたてのご飯、味噌汁、卵焼き、焼き鮭、そして陸人の好きなイチゴが並んだ。
「いただきます!」
陸人は嬉しそうに食べ始めた。もう、ガツガツと急いで食べることはない。ゆっくりと味わいながら食べている。
「おばあちゃん、もうお代わりしなくていいんだよね。」
ある日、陸人がぽつりと言った。
「そうよ。好きな時に、好きなだけ食べられるから。」
「前はね、給食でお代わりしないと、次いつ食べられるか分からなかったから。」
私は陸人の頭を優しく撫でた。
「もう大丈夫。おばあちゃんがいる限り、陸人がお腹をすかせることは絶対にないから。」
学校での陸人の様子も劇的に改善した。里田先生から嬉しい報告が届いた。
「陸人君、クラスのムードメーカーになっています。勉強にも積極的で、この前の算数のテストは100点でした。」
養護教諭からも良い知らせがあった。
「身長も体重も、ほぼ標準値に戻りました。成長曲線も正常な軌道に乗っています。」
私は安堵の息をついた。陸人の健康が回復したことが、何より嬉しかった。
ある土曜日、陸人と公園に出かけた。陸人は友達と元気に走り回っている。その姿を見ていると、健太が隣に座った。
「お母さん、陸人、本当に元気になったね。」
「子供は、環境次第でこんなにも変わるのね。」
「勇気たちは…」
私は首を横に振った。
「知らないわ。もう、私の息子ではないから。」
健太は複雑な表情を見せた。
「でも、一応弟だし…」
「健太、あなたは優しいわね。でも、許してはいけないこともあるのよ。」
健太は頷いた。
「そうだね。陸人のこと、俺も見守るよ。」
陸人が駆け寄ってきた。
「おばあちゃん、見て! 逆上がりできるようになった!」
「すごいじゃない!」
陸人は誇らしげに逆上がりを披露した。以前は体力がなくてできなかったことが、今では簡単にできるようになっている。
夕方、家に帰ると、陸人が真剣な顔で聞いてきた。
「おばあちゃん、パパとママは、どうして僕にご飯くれなかったの?」
私は陸人の目を見つめて、正直に答えた。
「パパとママは、大人として、親として、やってはいけないことをしたの。陸人は何も悪くない。」
「僕、悪い子だったから?」
「違う。陸人は素晴らしい子よ。パパとママが間違っていたの。」
陸人は少し考えてから言った。
「おばあちゃんがいてくれて、よかった。」
その言葉に、私は涙が溢れそうになった。私は陸人を抱きしめながら、これまでのことを振り返った。
銀行員として37年間、数字と向き合ってきた私にとって、証拠を集め、論理的に相手を追い詰めることは難しくなかった。でも、本当に大切だったのは、陸人を救うという強い決意だった。理不尽に屈してはいけない。特に、弱い立場の子供が苦しんでいる時は、大人が立ち上がらなければならない。血の繋がりがあっても、許してはいけない悪がある。私が学んだのは、正義は必ず実現するということ。努力と正当性を持って戦えば、必ず勝利できるということだった。
小学1年生が給食を3回もお変わりし、残りものを持ち帰ろうとする。これは明らかな虐待のサインだった。朝から何も食べていない子供を放置して、高級レストランで食事をする親。こんな親が許されるはずがない。年収100万円もありながら、子供に月5000円の食費。この数字の異常さに、なぜもっと早く気づけなかったのか。でも、気づいた時点で行動を起こせたことは、良かった。
児童虐待は決して他人ごとではない。身近なところで起きているかもしれない。給食を異常なほどお代わりする子。いつも空腹そうな子。そういったサインを見逃してはいけない。私は息子夫婦に対して容赦なかった。法的、経済的、社会的、あらゆる面から制裁を加えた。それは復讐ではなく、正義の実現だった。陸人を守るため、そして2度と同じことが起きないようにするための、必要な行動だった。
今、陸人は本当の子供らしさを取り戻した。毎日3食きちんと食べ、友達と遊び、勉強にも励んでいる。これが、本来あるべき小学1年生の姿なのだ。
ある日、陸人が書いた作文を見せてくれた。「僕のおばあちゃん」というタイトルで、こう書かれていた。
「僕のおばあちゃんは、世界で1番優しいです。毎日美味しいご飯を作ってくれます。もう、お腹が空いて泣くこともありません。おばあちゃんは、僕を助けてくれました。僕も大きくなったら、おばあちゃんみたいに、困っている人を助けたいです。」
涙が止まらなかった。陸人の純粋な心が、私の選択が間違っていなかったことを教えてくれた。
もし、あなたの周りに理不尽な扱いを受けている人がいたら、特に声を上げられない子供がいたら、どうか見逃さないでください。勇気を出して、行動を起こしてください。我慢することが美徳とされがちな社会ですが、許してはいけない悪もあります。正義のための戦いに、遠慮は不要です。
私は63歳にして、人生で最も重要な決断をしました。息子であっても、孫を虐待する者は許さないという決断を。そして今、陸人と過ごす毎日が、私の人生で最も幸せな時間となっています。陸人が大人になった時、この経験を糧にして、優しく強い人間になってくれることを願っています。そして、困っている人を見過ごさない、正義感のある大人になってほしい。
「おばあちゃん、僕、将来、先生になりたい。」陸人が言った。
「どうして先生になりたいの?」
「だって、里田先生みたいに、困っている子を助けたいから。」
陸人は、あの時の担任の先生の優しさを覚えていたのだ。
「素敵な夢ね。おばあちゃん、応援するわ。」
「うん、頑張る!」
陸人の笑顔は、太陽のように輝いていた。これが、私たちの新しい人生。理不尽に勝利し、正義を実現した先にある、本当の幸せだった。勇気とみさきのその後は知らない。ただ、彼らが本当に反省し、更正することを願うばかりだ。でも、2度と陸人に近づくことは許さない。それが、陸人を守る私の責任だから。



