「中卒のおっさんに修復できたら、俺が会社をやめてもいいぞ」——有名大学卒の課長が、破損したデータを押し付けてきて、得意げにそう言い放った。普段から中卒だと馬鹿にされ、見せしめのようにされた俺は、怒りが込み上げた。だが、そのエラーメッセージを見た瞬間、本当の罠が見えてきた。課長は俺がパソコンに疎いと思い込んでいたが、これは誰かの仕組んだことだった。俺は宣言した。「5分で終わらせますよ」課長の笑…

「中卒のおっさんに修復できたら、俺が会社をやめてもいいぞ」——有名大学卒の課長が、破損したデータを押し付けてきて、得意げにそう言い放った。普段から中卒だと馬鹿にされ、見せしめのようにされた俺は、怒りが込み上げた。だが、そのエラーメッセージを見た瞬間、本当の罠が見えてきた。課長は俺がパソコンに疎いと思い込んでいたが、これは誰かの仕組んだことだった。俺は宣言した。「5分で終わらせますよ」課長の笑...

課長が俺のパソコンに顔を近づけ、ニヤニヤしながら言った。「中卒のおっさんに修復できたら、俺が会社をやめてもいいぞ。」

普段から俺を中卒だと馬鹿にし続けてきた、有名大学卒業の課長が、破損したデータを押し付けてきたのだ。俺が戸惑うのを見て、課長はおかしそうに笑い声をあげた。きっとこれは俺を落とし入れるための罠だ。そんなものに騙されてたまるか。「いいんですね。5分で終わらせますよ」

俺の言葉を聞いた課長が、にやりと笑う。1時間でできるはずがないと思って命じたことを、俺が自ら短縮していったのだ。俺が挑発に乗ってどつぼにはまったと思ったのだろう。この笑顔には、できなかった俺をどういじってやろうかという意地の悪さがある。だが、生憎俺は課長の思い通りになるつもりはない。

俺の名前は菅田純一。中学を卒業後、わけあって高校進学はしなかったが、流通系の会社に就職して現在も勤務している。入社当時は会社にコンピューターを導入したばかりで、パソコンを扱える人もあまりいなかった。社員は全員パソコンの研修を受けることになり、皆必死に勉強していた。俺もパソコンを触ったこともなかったが、研修を受けるうちにだんだんと面白くなり、思い切って夏のボーナスでパソコンを買ったことを覚えている。それからは独学だったが、仕事が終わると毎晩夜中までパソコンの勉強をしていた。いつしか社内では一目置かれるようになり、パソコンの使い方をみんなが俺に聞いてくるようになった。パソコンの社内マニュアルを総務から依頼されて作成したのもその頃で、通常業務と並行して子会社でのコンピューター導入にも携わっていたので、毎日忙しかった。

そして手掛けていたシステムが出来上がったところで、指導係も兼ねて子会社に出向することに。無我夢中で働いたが、業務のシステム化が功を奏し、業績は右肩上がりになった。その後20年余りの間に時代は変わり、コンピューターやパソコンが当たり前の時代になった。俺は子会社での使命は果たしたと思う。そしてこれまでの業績が認められ、本社に部長待遇で復帰することになった。長く務めた子会社を去るのは名残り惜しく、同僚たちとの別れも辛いものがあったが、本社に戻って働くことはやはり嬉しい。

今回本社に復帰するにあたって、俺には少し考えがあった。20年ぶりの本社で俺を知る人はほぼいないので、部長という肩書きを隠し、研修という名目で各部署を回ることにしたのだ。

本社に戻り1ヶ月が過ぎたが、週代わりで違う部署へ研修に行っていた。月曜の朝、今週の研修先の営業部で一通り挨拶を済ませ、部屋の隅のデスクに座ろうとした時だった。企画部の田口さんが部屋に入ってくるのが見えた。「よ、久しぶりだなあ」ニコニコして俺に近づいてくる。田口さんは同期入社だったが、大卒だから俺よりかなり年上で、当時はよく仕事帰りに食事に誘ってくれた。少し白髪が目立っていたが、笑った顔は以前のままだった。

「はい、ご無沙汰しています。この前メールで伝えましたけど、俺、久しぶりの本社復帰で研修中ということになっていますから」俺は田口さんに久しぶりに会えて嬉しかったが、他の人の手前、声を潜めて話した。「ああ、そうだったな。それより、もう牧野課長に会ったか。あの人は有名大学を出ていることを鼻にかけていて、すごく面倒なんだ」田口さんも周囲を伺いながら小声で話している。今朝は得意先と打ち合わせがあるとのことで、牧野課長はまだ出社していない。営業部長が体調を崩して休養中で、部長代行の牧野課長が実質現在営業部の責任者ということになる。田口さんによると、牧野課長は相手の学歴によって態度を変えるなど、派閥のようなものを作って皆に圧力をかけているそうだ。

「驚かさないでくださいよ。それより、またあそこのたこ焼きを食べに行きましょう」「お、いいね。そうしよう。じゃあ俺はもう戻るよ」田口さんはにっこり笑うと手を振って帰っていった。田口さんは俺のことを心配して、わざわざ忠告してくれたのだと思い、感謝しながら見送った。

1時間ほどすると牧野課長が戻ってきた。「菅田君、今日からだったね。これ見ておいて」牧野課長はデスクに座ると封筒を手に持ち、ひらりとさせる。挨拶しようと思ったが、横にいる男性社員と何やらひそひそと話し出し、俺と目も合わせる様子もない。封筒の中を見ると「新入社員用マナーと心構え」という冊子が入っていた。何かおかしい。俺は一瞬思ったが、研修扱いだし営業部も忙しいのかなくらいに思い、そのまま忘れていた。しかしそれが田口さんの言っていた「面倒なこと」の始まりだった。

ある日、昼食後に隣の席の社員と雑談をしていた。「ごゆっくりですね。中卒なんだし。休んでいないで人よりは働いたらどうですか?」牧野課長がニヤニヤと笑いながら近づいてきた。昼休みが終わるにはまだ十分時間があったし、何のことか分からず、俺はパソコンを開こうとした。「中卒のおじさんはパソコン作業は苦手でしょう。あれを倉庫に運んでおいてくださいよ」牧野課長はわざとらしい大声を出し、部屋の隅に積み上げてあるダンボールを指さした。ダンボールは必要な書類が入っているので急ぎで持ってきてほしいと言われて、俺が昨日倉庫から出してきたものだ。ダンボールを開けた様子もないし、また倉庫に運ばせるとは。「さっさとやってくださいよ。それともおっさんはお疲れかな」牧野課長は薄笑いを浮かべながら言った。隣の席の社員がチラチラとこちらの様子を伺っているが、気まずそうに下を向いている。

それからは牧野課長の嫌がらせとも思われる言動は、遠慮のない露骨なものになっていった。他の社員たちも俺が話しかけると急に黙ってしまうようになり、仕事にも支障が出るようになった。「すみません。菅田さんと関わるなって牧野課長に言われているんです」そんな俺を気の毒に思ったのだろうか。隣の席の男性社員がそっと教えてくれる。大の大人がなんて馬鹿馬鹿しいことをしているんだ。どうかしている。俺は信じられない思いだった。「いいご身分ですね。中卒のくせに、ろくに仕事もしないで給料がもらえて」そこへ牧野課長が割って入ってきた。どうしても俺の邪魔をしたいようだな。何なんだ、有名大学がそんなに偉いのか。俺だって好きで中卒なわけじゃない。色々な思いが頭の中をぐるぐると回る。父が中学の時に亡くなり高校に進学したが、学費のためにアルバイトに明け暮れているうちに単位が足りなくなり、退学せざるを得なかった。中卒でこの会社に入社できたのは、父の友人だった当時の社長が特別に計らってくれたおかげだ。ここまでやってこられたのは、中卒だから人より頑張ろうと働いてきた結果なのだが、学歴のことでこれほどあからさまなことを言われたのは初めてだった。なんだ、俺に恨みでもあるのか。しかし何を言われようが、研修の任務を果たすのが俺の今の仕事だと自分に言い聞かせた。

そんなある朝、俺が出社するなり営業部に大声が響いた。「おい、おっさん、一体どうなってるんだ?」牧野課長がひどく激昂した様子でこちらを睨んでいるが、俺は出社したばかりで何のことか分からずにそのまま自分のデスクに座った。「おい、聞いてるのか?ぼさっとしやがって。これはお前が送ってきた資料だ。データが完全に破損して開かないぞ」ズカズカとこちらにやってくると、ノートパソコンを俺のデスクに置き、画面を指さした。データが開かない。俺はノートパソコンの画面を見ながら言われた通りに確認してみるが、確かにデータが開かない。「見てみろ。これはどうしようもないぞ」牧野課長が怒鳴り続けるので、社員たちが皆心配そうにこちらを見ている。そしてひそひそと話したり、「始まったよ。またか」というはっきりとした声も聞こえてきた。牧野課長は威圧するように腕組みをして俺の横に立っている。「どうしてくれるんだ?今日の午前中にクライアントへ送らないといけないのに」牧野課長はいつものわざとらしい、芝居がかった言い方をした。クライアントに送るという言葉を聞いて皆黙ってしまい、部内は静まり返った。やはりクライアントが関わってくると一大事だ。「ま、中卒のあんたにパソコンのことを言っても無理な話か」

静まり返る中、牧野課長はお構いなしで俺を嘲笑うように大きく手を広げ喋り続ける。それにしてもこの人、どうかしている。クライアントを待たせているというのに、喜んでいるようにさえ見えた。そんなことを俺はパソコンのキーを打ちながら思った。「おい、クライアントも待っているし、1時間以内になんとかしてくれよ。出ないと首にしてやる」脅すような声を出し、画面を見つめる俺の顔を指差してきた。俺を首にするだって。そんな権限がこの人にあるのか。いい気になるのもいい加減にしろ。俺はパソコンの画面を見つめながら心の中で叫んだ。しかし操作するうちに、エラーメッセージを見てあることに俺は気がついた。

「中卒のおっさんに修復できたら、俺がやめてもいいぞ」ニヤニヤしながら俺の肩に手をかけ、譲ってきた。俺を晒し物にしてそんなに面白いのか?これほど馬鹿にされて、このまま終わるわけにはいかない。今までバカにされ、くすぶっていた気持ちが一気に湧き出してきた。どうせ俺にはパソコンのことなど分からないと決めつけている。「本当に本当にやめられるんですか?」「ああ、やめてやる。その代わりできなきゃ、お前が首だ」「どうぞご勝手に。データは5分ほどで修復できますから」俺はエラーメッセージを再確認してから操作を始めた。今こそ傲慢な牧野課長をねじ伏せてやる時だ。

俺のことを哀れんでいるのだろうか。いつの間にかみんなが俺の周りに集まってきて、心配そうに手元を見つめている。牧野課長は俺のデスクに寄りかかり、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。俺が挑発に乗ってどつぼにはまったと思ったのだろう。その笑みには、できなかった俺をどういじってやろうかという意地の悪さがある。だが生憎、俺は課長の思い通りになるつもりはない。

「ほら、データが戻りましたよ」結局1分ほどで作業を終わらせ、俺はファイルを開いてみんなに見えるようにパソコンの向きを変えた。するとみんなから拍手が起こり、「おお」という歓声や「すごい。もうできたの?」という言葉が聞こえてきた。「ほら、いかがですか?」俺は牧野課長の方にパソコンの画面を向ける。「これは一体」信じられないといった表情で、牧野課長はパソコンの画面を覗き込んだ後、がっくりと肩を落とし俯いてしまった。

エラーメッセージから、ファイルのデータ形式が変わっており、それが原因で開けないのだと分かった。俺が送った時はきちんとここのパソコンで開ける形式だったから、送信後にファイルの形式が変わったことは間違いない。そして俺は牧野課長にしかデータを送っていない。データの破損なんて滅多にないことだし、誰の仕業なのかは明白だった。「データは破損ではなく、牧野課長のパソコンで開けない形式に変換されていただけですよ」牧野課長は立ち尽くしたまま、今度はこちらを睨みつけてきた。「意図的に操作しなければ形式は変わらない。俺は牧野課長にしかデータを送っていません。結局あなたの自作自演でしょう。しかもわざわざ形式を非表示にして、一目で分からないようにしている」俺はパソコンの画面を見ながら静かに話す。話を聞いていた社員たちは、呆気に取られたように牧野課長を見た。「パソコンを扱う人ならすぐに気がつく初歩的なことで、形式を元に戻しただけのことですよ。俺がこんなことも分からないだろうと高をくくっていたのでしょう」俺はすっきりした気分になり一気に喋った。「それじゃあ、約束通りやめてもらいましょうか」

「くっ、よくも。中卒のおっさんのくせに生意気だぞ。調子に乗るな」しかし牧野課長は思い通りに行かず、悔しがったのか、また大声を出す。「調子に乗っているのはどっちですか?」俺も負けじと怒鳴り返す。そして自分が元々子会社でシステムの構築にも関わっていて、パソコンは得意なことを打ち明け、今回本当は部長待遇で本社に戻ったことを話した。営業部の社員たちも突然のこの話を聞いて、戸惑ったような表情を見せた。「いい加減なことを言うな。俺よりも上の部長なんて、中卒のくせにそんなはずないだろう」しつこく食い下がるので、俺は自分のパソコンを開き、先日人事から送られてきた辞令のページを見せる。それを見た牧野課長は青ざめた顔で、後ずさりした。口をパクパクと動かし、何か言葉を発しようとしている。まだ食ってかかるつもりか。そう思った直後、牧野課長は膝をつき、いきなりその場で土下座をした。

「申し訳ありません。悪気はなかったんです」今にも泣きそうな声を出し、謝罪の言葉を並べる。さっきまでの偉そうな態度とは違い、身を縮め、頭を床にすり付け必死だ。それを見た営業部の社員たちは最初は驚いていたが、すぐにまた呆れたような表情に変わった。確かに、本当に謝罪する気持ちがあるとは思えない。簡単な操作とはいえ、このままファイルは開けずにいたら、クライアントに迷惑をかけるところだったのに、一体どうするつもりだったのだろう。俺は土下座をしている牧野課長に近づく。「牧野課長、あなたの社内で学歴差別など、一定の人を優遇するような態度には目に余るものがあります」牧野課長は驚いた様子で顔を上げる。「しかも今回のことは業務に支障をきたす行為なので、責任重大です。処分については追って連絡しますから、それまで自宅待機してください」「待ってください。今後はこのようなことは」俺はすがるように言う牧野課長を置いて、その場を後にした。

その足で社長室に向かい、牧野課長の俺が実際に見た社内での差別的な言動と、それにより業務が滞ってしまうこと、クライアントに迷惑をかける事態だったことなどを詳しく報告した。社長は黙って俺の話を最後まで聞くと口を開いた。「研修は君が決めたこととはいえ、辛い思いをさせてしまった。だがおかげで、社内の実態は把握できたよ」以前から牧野課長についての言動について、他の社員から苦情が入っていたことは社長も知るところだった。人事で牧野課長を呼び出し直接話したが、うまくごまかされてしまう。他の社員に聞き取りをしても、報復を恐れたり、面倒に関わりたくないので本当のことを話す人もいなくて、対応ができずに困っていたそうだ。「君のような学歴に頼らずに頑張っている社員でないと、今回のような件は解決できない。先代の社長からも君のことはよく聞いている。今回は本当に助かったよ」社長が俺の手を取り、握手を求める。俺も頭を深く下げた。その時、学歴のことで燻ぶっていた辛い思いが頭の中からスーッと消えていった。

その後、委員会に掛けられて、牧野課長は平社員に降格になり、子会社に左遷された。そしてその後、そこでお荷物扱いにいびられてやめていったと、最近噂で聞いた。

俺は営業部の部長が病気療養中の間、営業部長を代行することになった。今までの牧野課長との出来事を見られた後なのでなんとなく気まずい気がしていたが、皆、牧野課長を疎ましく思っていたようで、感謝され温かく迎えられた。部長がいないことをいいことに牧野課長が自分の都合のいいように業務を行い、結局は仕事が滞り、売上も落ちていた。本社に戻り最初から部長の椅子に座っていたら、何も知らずに営業部の業績不振に悩まされて、いつまでも問題は解決しなかったと思う。

「すみません。お待たせしました」俺は会社の近くのある場所で、田口さんと待ち合わせをしていた。「ああ、こっちこっち」俺が店に入ると、田口さんは忙しそうにたこ焼きを焼きながらこちらに手をあげて合図をしてきた。たこ焼き屋は20年間で居酒屋に変わっていたが、以前のように美味しいたこ焼きが売り物だった。「懐かしいな。ここのたこ焼きは出汁がうまいですよね」「なんだよ。お前が『忙しい忙しい』ってうるさいから、なかなか来れなかったんじゃないか。やっとお前とたこ焼きが食べられるよ」そう言いながらも田口さんは手を休めずにたこ焼きをひっくり返す。俺は20年前にタイムスリップしたかのような錯覚に襲われた。「ここのたこ焼きは日本一ですね」田口さんが焼いてくれたたこ焼きを頬張ったら、なんだか胸がいっぱいになった。「おい、お前泣いてるのか?そんなにうまいか」田口さんはニコニコしながら俺の皿にたこ焼きを乗せてくれる。田口さんには叶わない。思えば、入社した頃田口さんとこのたこ焼き屋に来ていなかったら、会社をやめていたかもしれない。当時の社長が父の友人とはいえ、仕事場で会うこともほとんどなく、まだ子供だった俺は心細かった。田口さんが何かと気にかけてくれたおかげで、中卒の俺は頑張れたと思う。

中卒の俺を馬鹿にする奴ばかりじゃない。恩を受けることの方が多く、今まで様々な人にお世話になったことが思い出される。今後も現場や部下の意見を大切にして、より良い仕事ができる環境を作っていこうと決心した。

Thumbnail