アパートの扉を開けた瞬間、見知らぬヒールが玄関に並んでいるのが目に入った。明らかに私のものではない。足音を殺してリビングへ向かうと、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「つぐ、いつになったら私と結婚してくれるの?」
「ごめんな、まや。もうすぐだから。絶対に今の嫁とは離婚して、まやと結婚するから」
その瞬間、私は勢いよくドアを開けた。夫のつぐと、彼の隣に座る若い女性がこちらを見る。
「か、帰ってきたのか。今日は飲み会だったはずじゃ…」
「キャンセルになったって送ったはずよ。取引先の都合で延期になったの」
私は震える声を抑えて言った。「つぐ、あなた、この人と不倫してたのね」
つぐは開き直ったように笑った。「バレたなら仕方ない。俺はまやと結婚したいんだ。だから今すぐ離婚してくれ」
彼は勝ち誇ったような顔で、署名済みの離婚届を差し出した。
私は高校卒業後、父が経営する会社に入社した。父は私が29歳の時に脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀の間中、私は呆然とするばかりだった。父の遺した会社は二つ。私がビルのメンテナンスと管理を行う会社を継ぎ、兄のミキトが不動産会社の社長となった。私たちは兄弟で助け合いながら、父の遺志を継いでいた。
つぐと結婚したのは約1年前。うちの会社が管理するビルのエレベーター点検に来た業者の担当者が彼だった。礼儀正しく、仕事も丁寧な好青年だった。父が亡くなった時、彼は真っ先に電話をかけてきてくれた。「お父様のご不幸を聞きました。いてもたってもいられず電話してしまって」と。涙する私の話を静かに聞き、優しく寄り添ってくれた。電話を切る直前、彼は「あなたのことが好きだから」と告白してくれた。私も彼に惹かれていた。交際を始め、1年後には結婚した。
つぐとの生活は穏やかで、彼は家事も積極的に手伝ってくれた。「金さんは会社を経営して大変だろ。家事くらい任せてよ」と。私は本当にいい人と結婚したと思っていた。
ただ、義母との関係には悩まされていた。彼女は頻繁に電話をかけ、同居を迫ってきたのだ。「いつになったら私との同居を受け入れてくれるの?私はもう60歳近いの。体も痛くて家事なんてできないわ」。義父は5年前に亡くなっていて、義母は一人暮らしだった。気持ちは分かるけれど、彼女はきっと私に家事を押し付けてくるに違いない。私が仕事をしていると伝えると、義母は激怒した。「社長だからって何様のつもり?あなたはつぐの嫁でしょ。彼を支えようとは思わないの?」。いくら話し合っても彼女とは分かり合えなかった。
ある日、義母から金の無心の電話がかかってきた。「今月お金が足りなくて。同居反対するなら仕送りくらいしてくれないかしら」。最初は10万、次は20万と要求してくる。私はつぐと相談して断ることにした。つぐは「俺が母親と話をする」と言ってくれた。結局、つぐが毎月10万円を義母に送ることで話がついた。しかし、つぐの収入では厳しいようで、彼は気に入っていたゲーム機を売ろうとしていた。「お母さんへの仕送りが足りなくて」と暗い顔で言う彼を見て、私は胸が締め付けられた。私が同居を断ったせいで、彼が苦しんでいる。「今月分は私が負担するわ」と言うと、彼は何度も感謝してくれた。それから毎月、私はつぐの口座に5万円を振り込み、義母への仕送りの半額を負担していた。
半年後、義母から再び電話がかかってきた。「金さん悪いんだけど、お金くれない?」。私は断った。「つぐから仕送りをもらってますよね。友達だって苦労して送ってるんです。あまり甘えないでください」。すると義母は激怒した。「あんたみたいな冷たい女、いつかつぐに捨てられるわ」。そして、つぐに相談すると、彼は困った顔で言った。「母さん、調子に乗ってるんだと思う。すまない」。
しばらくして、つぐが深刻な顔で切り出した。「母さん、詐欺に遭ったらしいんだ。警察官を名乗る奴にキャッシュカードを騙し取られて、父さんの遺産を全部奪われたって」。「それは大変ね。被害届は出したの?」。「警察には行ったらしいけど、犯人はまだ見つかってない。だから俺が毎月20万円送ろうと思ってる」。彼の収入では無理だと思ったが、私は仕方なく月15万円を負担することにした。
それから3ヶ月ほど経った夜のこと。なかなか眠れずにいると、隣で寝ているつぐのスマホの画面が光った。何気なく見ると、そこにはこう書かれていた。「つぐ、早く会いたいよ。今月も金ヅルからお金引き出せた?」。送り主の名前は「まや」。私はその瞬間、血の気が引いた。彼は不倫をしている。確信した。すぐに問い詰めたい気持ちを押し殺し、私は証拠を揃えることにした。
そして、自宅でつぐとまやの現場を目撃したのだ。彼らはソファで寄り添いながら、私に離婚を迫った。まやは勝ち誇ったように言った。「奥さんごめんなさい。つぐは奥さんとお金目的で結婚したんです。彼が本当に愛しているのは私だから」。つぐは既に離婚届に署名済みだった。彼は最初から私と別れる気満々だったのだ。ショックだったが、私は彼にすがりつくつもりはなかった。荷物をまとめ、その家を出た。
4日後、義母から電話がかかってきた。「カードが使えなくなったの。宿泊費30万振り込んで」。どうやら彼女は高級ホテルにいるらしい。そして、電話の向こうから聞き覚えのある声が聞こえた。「母さん、早く30万用意して」。つぐの声だった。彼らは全員グルで、私を騙していたのだ。私は電話を無視して切った。
その後、私は兄のミキトに連絡を取り、事の次第を話した。ミキトは怒りをあらわにした。「つぐ君は何を考えているんだ」。私は探偵に依頼し、つぐとまやの関係を調べさせた。すると、全てが明らかになった。義母の「詐欺に遭った」というのは嘘で、つぐと義母は最初から私から金を搾取する計画を立てていたのだ。つぐは実際には義母に仕送りなどしておらず、私が振り込んだ15万円を自分の遊興費に使っていた。まやはつぐの部下であり、私を「金ヅル」と呼んで馬鹿にしていた。
私は全ての証拠を揃え、ミキトと共に彼らが住むマンションへ向かった。そのマンションは、結婚時に私が名義人となって購入したものだった。私はミキトの会社を通じてそのマンションを買い取らせ、彼らに退去を求める内容証明郵便を送っていた。彼らは動揺したが、まだ強気だった。「私たちを追い出すなんてひどい」。私は言った。「ひどいのはどっちですか。あなたたちは私を裏切って、私のお金で好き勝手していたんですから」。
さらに、私は彼らの会社の社長に不倫の事実を伝えると告げた。すると、まやは泣きながら謝罪した。「すみませんでした。許してください。会社には言わないで」。しかし、私は許さなかった。「慰謝料と奪ったお金の返還を請求します。共犯のあなたたちも支払ってください」。彼らの顔色が一変した。
すると、つぐが観念したように話し始めた。「計画は全部、母さんが立てたんだ。最初は母さんが自ら金を無心する計画だった。でも、金さんは応じてくれなくて。だから俺に仕送りさせた」。義母も認めた。「私が提案したのよ。つぐが不倫したのは予想外だったけど」。まやもついに認めた。「ごめんなさい。つぐが元奥さんのことを『金ヅル』って呼んでたんです。私もそれに影響されて…」。
私は彼らに言い渡した。「全ての証拠が私の手元にある。弁護士にも相談済みよ。絶対に請求するから、お金を準備しておいて」。つぐと義母とまやは、頭を下げて謝罪を繰り返したが、私はもう信じなかった。
その後、彼らは私のマンションから退去し、ミキトが紹介した賃貸アパートに引っ越した。つぐとまやはすぐに離婚し、つぐは義母と二人暮らしを始めた。彼らは借金をして慰謝料と搾取した金を支払った。つぐは会社で冷たい目で見られながらも、借金返済のために働き続けている。義母はしぶしぶ仕事を始めたが、親子で喧嘩ばかりの生活を送っているそうだ。
私はミキトの会社で新しいマンションを購入し、一人暮らしを始めた。仕事は順調で、兄と定期的に食事をしながら励まし合っている。「よくあんなことがあっても頑張れるな」と兄は感心する。「落ち込んでいる暇なんてないもの。天国のお父さんに喜んでもらいたいから」と私は笑った。大切な家族と支え合いながら、これからも仕事に励んでいきたい。



